小下村塾/投球の仕方--自分で発信!
東京大学「メディア表現演習」講義
今回は急遽予定を変更し、ケーススタディに取り組む。教室にゲストとして、元NHKアナウンサーであるエッセイストの絵門(旧・池田)ゆう子さんをお迎えした。
絵門さんはかつて、NHKの朝のキャスターで人気者となり、NHKを辞めた後はTBS朝の顔として、またドラマなどにも出演と大活躍。最近あまり表舞台で見かけなかったのだが、先週になって急に、「全身にがんが拡がっている状態」と大きく報道された。これは絵門さんの著書『がんと一緒にゆっくりと~あらゆる療法をさまよって』が出版されたことがきっかけで、絵門さんにはマスコミの取材が殺到した。
全てのワイドショーから取材依頼があったが、絵門さんと新潮者は、「病気に関わる微妙な問題なので、丁寧に一人一人のリポーターの取材を受け間違いのない伝え方をしたい」と、記者会見という形を取らず、一番組に1時間以上かけてインタビューを受けるということで取材に応じた。絵門さんは、「大方のリポーターの方たちは、著書も読んだ上でそれぞれの視点を持った良いインタビューをしてくれた」と感じ、「放送された番組も納得できた」と感謝していた。ただ、某ワイドショーの某リポーター(A番組とする)には絶句した。
今回は、絵門さんにインタビューした二つの番組を教材に、「同じ題材が、制作者の意図で何色にも染まる」ということを実感してもらう。教材とするのは、A番組と、下村がキャスターを務めるTBSラジオ『下村健一の眼のツケドコロ』だ。
[1]「視聴者にバレない」という恐ろしさ
A番組では、絵門さんの過去のスキャンダルなどを織り交ぜ、ガン告知から現在までを追っている。受講生の中で、このA番組の構成に問題ありと感じた者は、わずか3名だった。しかし、絵門さんからこの講義で取材の舞台裏の説明を聞いて、皆初めて愕然とする。このように、制作者によって込められた"意図"は、取材過程を知らず、完成品の番組だけを見せられる視聴者には、見抜くことができない。更に、絵門さんのようにかつてワイドショーキャスターをやっていたプロの立場の人間でさえ、"取材される側"の立場に回ると、そうした制作者の意図に易々と乗せられてしまうのだ。
≪必要以上の"涙"の強調―別場面からの引用≫
A番組では、絵門さんが"髪は全部抜けてしまった""ガンが全身に転移している"と語った後などに、絵門さんが涙を流すシーンが挿入されている。しかしご本人は、インタビューの際、ガンについて語って涙を流した覚えはないという。別の話題で流した涙を編集して、ガンの話題につなげたのだろう。
絵門:
涙が欲しかったのかなあ…。私は、がんになったことを後悔して泣いていたわけではなくて、多分、編集を見ないとわからないですけれど、小児科病棟の話をしていた所で泣いたんだと思うんですね。私が入院していた病棟は小児科病棟の目の前だったんですけれど、そこの子供達が小さな身体で点滴を打ったりして、物凄くがんばっていて―っていう話をしながら流した涙だと思います。
≪事前取材の欠如―知ったかぶりの貫徹≫
取材に行く時には、相手について勉強していくのが良識ある取材者。しかしこのAリポーターは、編集者に向かって「本、全然読んでないけどいいでしょ」と言ったという。NHKで取材者としての基礎を学んだ絵門さんにとって、取材する相手の著書も読まないというのは論外、信じられないことである。しかも、個人的な交際をした覚えは一度もないにも関わらず、何年来の知己のように振舞われ当惑したという。その上、生放送のスタジオでは「絵門さんのことをよく知っている」という主旨の発言までしてコメントしている。こうした知ったかぶりの結果として、病状の説明などに間違いが多い。
絵門:
私、この方と全然親しかった覚えはないんですけど、物凄く親しかったような、私の人生をすごくよく知っているような話になってしまって(苦笑)。
≪イメージの事前決定→"本物を見て修正"がきかない≫
このワイドショーでは、絵門さんの心境として「今までワガママ一杯に生きてきたことがガンの根っこ。今はそれを反省する日々」と語られている。しかし、このトーンは、ご本人の心境とは全く違うという。
絵門:
若い時に、ああ、あれは違ってたかなあ、もっとこうすれば良かったかなあ、と思うことは一杯あるんですけど、でもね、それをマイナスに受け止めた発言はしていません。私自身はマイナスだけではないと思っているんです。そういう色々なことがあったからこそ、今良い夫に恵まれて、こういう病気からも、究極のところから一応もう一度命もらってるなあ、って、そういう前向きな話しかしてないんです。それなのに、こういう風な暗い話に作られてしまうんですね。
≪取材時の快い対応→O.A.でトーン急転≫
取材時には優しかったリポーターが、オンエアでは一転して被取材者に対して辛辣になるというのはよくあること。疑惑を当人から聞き出す場合などにはこの手法も必要悪だが、今回のように、一生懸命病気と向き合っている人に対して、この手法を使って良い理由は全くない。
絵門:
取材に来られたリポーターの方には、すごく優しく親しく接して頂けたから、インタビュー自体はありがたく素直に喋ってきた、心も許してきたんですけど。ちょっと、オンエアでこういう風になったのは、怒るというより愕然としたというか。力が抜けました。
[2] 視聴者も被取材者も納得させる伝え方
一方、『眼のツケドコロ』では、絵門さんの朗読を交えながら、絵門さんの著書の内容を中心に伝えた。絵門さんは、ガンを告知されてから聖路加国際病院に入院するまでの間、西洋医学による医療を拒否し、様々な民間療法を試した。その経験から多くの【提言】をされている。
≪批判一辺倒でなく複眼で描写を≫
絵門:
私が本を書く時に気をつけたのは、"民間療法はダメ!""西洋医学の診療を受けなかったからこの人はこんな目にあったんだ"という表面的な読み方をされてしまわないように、ということでした。下村さんは、私がバランスを気にして、一年間悩んで悩んで書いた奥深い意味や言葉の選び方まで、全部キャッチしてくれたんですね。
画面がカラーになって数十年が経つのに、未だにテレビは"シロかクロか"しか描かない。「視聴者の為にわかりやすく伝える」を笠に着て、物事の一面だけを伝えている。
受験勉強の解答集じゃあるまいし、この複雑な総天然色の社会を、単純に"シロかクロか"で描けるわけがない。複眼的に、立体的に描いていくことが必要なのだ。
≪伝えたいキーワードのシンクロ≫
絵門:
下村さんは、私をスタジオに迎えてくださる為に、どれだけ私の本を熟読してくださったか知れないんです。私の中でポイントになるキーワードがあるんですけど、それを見事に拾って下さいました。私が最終的に言いたかった【遺伝子が一つ一つ違うように、がんも百人百様違う】とか、【生きていくことに向かって行きたいと思う】という部分、「ああ、ここを拾ってくれたか!」って。
取材相手の話を本当に深く聞けば、伝えたいことがシンクロするはずだ。
しかし時には、取材相手の「この点を強調してほしい」というリクエストを断ることもある。それでも、本当に深い所で伝えたいことがシンクロできていれば、取材相手がオンエアを見て「なるほど、確かにこの方が伝わる!」と納得してくれる。取材相手を理解し、キーワードの勘違い・すれ違いが無くなってから伝えることが重要だ。
≪結論オンリーでなくそこに至る道筋を≫
絵門:
私は西洋医療を絶賛したいわけではなくて、医療に対して問題提起しているんです。私の主治医も、「あなたみたいに迷う人はたくさんいる、それは私達医療関係者の責任なんですよ」と、どれほど多くの患者さんの命を助けているか知れない素晴らしい先生なのに、謙虚におっしゃって・・・先生の懐の大きさに感動し、ますます信頼を深めました。
『眼のツケドコロ』では、絵門さんが聖路加国際病院に落ちつくまでに、様々な民間療法をさまよった様子を細かく紹介した。同じような道にハマってしまう人が多いからだ。
一つの結論にたどり着くまでには、必ず迷いやためらいがある。今回のようなストーリーに限らず、例えば政策決定であれ何であれ、そういった逡巡がある。結論までのプロセス(道筋)を描くことで、視聴者は「結論には納得いかないけれど、この道筋は理解できる」「私とこの人とはここまでの道筋が一緒だ」といったカラフルな受け止め方ができる。
≪自説や先入観のジャマを排出≫
絵門:
先入観のかたまりなんです、大抵の方は。NHK時代、先輩に「取材相手についてとことん勉強し、その上で相手に会う前には先入観を捨てていくように」と教えられたことを、私はずっと大切に心に留めています。資料室で、その人についての過去の記事やデータを見て行くと、「こんなこともあったんだ、この人」と、大体イメージを作ってしまうんです。でもその先入観を持って行った瞬間、取材相手はピターッと心を閉ざします。
要するに人間性なんだと思います。取材者であれ、医者であれ、その職業に関わる技術やテクニック以前に自分と縁のあった人に対してどういう心で接する人間か、ということが問われるのではないでしょうか。私はそういうことの大切さ、そのことが人の命をも救うすごさを著書全体を通して訴えたつもりです。
『眼のツケドコロ』では、絵門さんの過去のスキャンダル報道などには一切触れなかった。当時の"池田裕子"と、現在の"絵門ゆう子"は、闘病体験を経てかなり異なる考え方の持ち主になっている。その≪変化≫が取材の主題なら、過去に触れるのも当然だが、私が伝えたかったのは現在の彼女の考え方のみだった。ワイドショーでは逆に、過去の彼女の鮮烈なカラーに今の伝え手が依然として染められている感があった。自説や先入観に凝り固まってしまうと、視聴者に≪ありのまま≫は伝わらない。
[3] 絵門さんに学ぶ、取材者の心構え
≪「傷つく一言」と「救われる一言」≫
絵門:
病気と戦っている人間は、小さな言葉で傷つき、小さな言葉に励まされて、それが生きるか死ぬかを分けることもあるんです。ワイドショーのスタジオトークで、「これからもっとひどい時も来るんでしょうけれど…」という何気ない一言がありましたが、こうした言葉に私のような立場に置かれている病人がどれほど傷つくか。
病院にいる間中、私は≪言葉は人を生かしもし、殺しもする≫と思いつづけてきて、先生や看護婦さんの「今の一言にどんなに救われたか」という言葉を全部メモしたんです。今回の本は、そういうことを書き綴ったものでもあるんですね。言葉に敏感な、プロのインタビュアーの方に取材を受けると、見事にそれらの言葉を拾い出して感じてくれて、励まされるような番組になるんだなと思います。
≪取材相手への温かい関心≫
絵門:
私はNHKから始めたので、ワイドショー的な感覚が全くなく、自分が取材することで相手のどういう良い所が掘り出せるだろう、それをどう媒体に乗せられるだろう、という視点で、取材者として仕事をしていました。当時、先輩には「取材相手に暖かい関心を持つように」と教えられました。
私は、下村さんの『眼のツケドコロ』にこんな良い形で出していただけて、本当に励まされたんですよ。私はもっと一杯生きていきたいし、こうやって一生懸命生きようとしている者に対して、これ以上のエールの送り方はないんじゃないかって思いました。
「取材相手への温かい関心」というキーワードは、私も初めて聞いたが、なるほど普遍的なポイントだと思う。凶悪犯罪の容疑者に取材する時でも、スキャンダルの渦中の政治家にインタビューする時でも、「この人の言い分にも、理があるかもしれない」という姿勢を常に失わず、相手の言いたいことをできる限り正確に視聴者に届けるにはどう表現したら良いのかに精いっぱい腐心することが、伝え手の当然の使命だ。
次回予告―
次回はいよいよ制作実習の映像編。東大の学園祭・『五月祭』を、班ごとに「五月祭はこんなに○○だ!」という意図に沿って撮ってもらう。今回のテーマだった【同じ題材が、制作者の意図で何色にも染まる】を体感するために、あえて"意図に沿った映像作り"に徹してみよう。