高遠菜穂子のイラク報告(23)
これからも支援は続く!

放送日:2008/9/27

『眼のツケドコロ』のラジオ放送(ひとまず)最終回となる今朝のゲストは、勿論この人! 当コーナー最多出場(24回目)の高遠菜穂子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№1)に、お話を伺う。

■“モデル”地区の復興も、やや足踏み

カーシム君(高遠さんのイラク現地での復興支援活動の中心メンバー)の地元アンバール州ラマディの一帯が、かつての激戦地から一転して、一見“復興のシンボル”のようになっている状況を、前々回位から、伝えてもらっている。

――その後いかがですか?

高遠: 一時期の、住民たちも沸き返るような猛烈な復興ムードは、少し落ち着いてきてます。確かに、主に米国のビジネスマンの出入りはまだ続いており、米国の大手ゼネコン「ベクテル」社もラマディに事務所を置いて、調査もだいぶしているみたいです。「ベクテル」社が得意とするのは、大きな空港とか発電所とかの建築なので、そういった準備段階なのかなっていう感じです。あとは、湾岸諸国からのビジネスマンとかが、地元のビジネスマンと契約をしていってるような雰囲気です。ただ、目に見えて具体的に再建工事が動き出してる、という感じでは、まだないですね。
  住民が一番切望している上下水道や公共電力の整備も、最初の頃は若干あったんですけど、ちょっと止まっちゃったみたいで。何となく停滞ムードが住民たちの中にあって、「これから、どうなるんだろう?」的な不安感が出てきちゃってるかなぁ、っていうところです。

――停電の時間は、まだ一杯あるんですか?

高遠: ラマディだけじゃなくて、全体的にまだ、1日に平均4時間程度しか公共電力が無い状況で…

――え、20時間停電、ということですか?

高遠: そう。だから、ほとんどの人たちが発電機を回すしかない。そのためには燃料がいる。原油高騰はイラクでも同じなので、庶民で、しかも職業が安定していない失業状態の人たちにとっては、これは大変な出費で、結構深刻ですね。

■親善サッカーの裏に、くすぶる火種

――そういう中で、米軍兵士vs地元民というサッカー試合があったらしいですね。

高遠: 私もびっくりしたんですけど。停戦に至ってから、軍・民協調のPRT(Provincial Reconstruction Team=地方復興支援チーム/アフガニスタンでも米国が中心となって展開している手法のイラク版)をアピールするために、米軍の上官たちも、丸腰で住民とコミュニケーションを取ろうとしてる、というのは、結構聞いてたんですよ。もちろん、サッカーやってる時は丸腰になる。そういう風にするのは、今まで無かったじゃないですか。米軍とコンタクトするのは、連行されていって、収監されている中で拷問を受けたり…、そういう“コミュニケーション”しか無かった。これは、大きな変化だと思います。

――確かに、“コミュニケーション”が拷問というのは、非常に歪な状態ですものね。それは、表面的な融和ではなくて、本当の平和が訪れつつあると解釈していいんだと思いますか?

高遠: いや、両手放しで喜べる空気ではない、と私は思ってるんです。というのは、これから年内に地方選挙があるんですが、部族長が政治に参加することを決め、新しい政党を作って既存の政党ともめ出したり、という摩擦もあるんです。
 電気しかり水しかり、供給して欲しい物が供給されないことで不満が再び蓄積してきている。米国の“恩恵”を受けている人たちと、待ってても“恩恵”が全然受けられない人たちとの格差が凄く拡大しているので、親米派とか反米派とか、紛争の火種になる可能性は否めないかな、と思うんです。

――そういう状態に分かれてくると、米国の“恩恵”を受けてない人たちは、受けている人たちに対して、「何だあいつら、魂を売りやがって」みたいな…

高遠: そう! 実際、私も、カーシム以外の所から、そういう発言を聞いてるんです。たとえば、ヨルダンに(避難して)いるイラク人たちから、「何でアンバールやラマディだけ?」みたいな声も無きにしもあらず、なんです。「そこだけ、妙にお金が動きつつある」、みたいな。
 でも実際は、カーシムもこの前愕然としたらしいんですけど、ラマディでも砂漠の郊外に行くと、100家族以上が集落みたいな感じで未だに避難生活を送っていて。イラク政府も、ファルージャみたいな大きな避難民地域には、食料配給とか助けを出しているんですけど、なかなか…。広いじゃないですか、(隅々まで)届いてないんですよ。そういう所でやっぱり、「何でこっちには来ないんだ!」とか、いろいろ聞こえてきちゃうんです。

戦乱は下火になったが、復興の道筋で濃淡が出てしまっていることによる、内部の様々な軋み。安定した平和は、まだ遠そうだ。

■米軍との混同、「金をくれ」への説得、…

高遠: 私らのプロジェクトでも、食料とか浄水器とか、未だにそういう物をラマディで配らなきゃいけない。そういった要請は、収まってないんですよ。

“私らのプロジェクト”とは、カーシム君たちが取組んでいる『リビルド・ユース・オーガニゼーション』(RYG=再建をする若者組織)のことだ。

――戦闘が終わったということで、かなりオープンに活動できるようにはなって来てるんですよね。

高遠: そうですね。今までやってきた事が、「ああ、この事業も君たちだったんだ!」とか。今まで日本との関係を隠してた部分もずいぶんカミングアウト出来る(ようになった)という状況は、凄く良くて。
 ただ、問題としては、米国軍が窓口として民間組織を(前面に)持ってきたことによって、住民は戸惑ってます。それまで5年間、米軍や民間傭兵による軍事行動で、傷つき殺されたりしてきた。ところが停戦合意の直後から、急に「コミュニケーション!」ということで、出てくる言葉も「掃討作戦」じゃなくて「復興支援」とか「人道支援」とかいうことになってきた。つまり、カーシムが今まで(戦争中から一貫して)言ってた言葉と同じ言葉が、(今度は急に米軍側からも)出てきたので、住民の中で戸惑いが出てきているんです。これは、(カーシムが住民から)実際に言われたらしいです。

“行き”に破壊で軍事産業が大儲けし、“帰り”は復興で建設産業等が大儲けにうごめく。大義名分はどうあれ、事実としてイラクをネタに“往復”で稼ごうとしている米国。そこと同一視されるようになってしまったら、たしかにカーシム達の活動は、さぞやりにくかろう。

――前回、「この活動に、今後は女性スタッフも入れて行きたい」との話でしたが、その後どうですか?

高遠: 女性スタッフならでは、女性だからこそ気づける部分っていうのが、戦闘が収まっているからこそ必要だなと思ってて。実際に、1人で何とかいろんな所に交渉してカンパを集めて、未亡人を中心にミシンを教えたりして頑張ってる女性たちが、ラマディにもいたんですよ! で、カーシムの『RYG』のグループで、その女性と協力して、子供たちにプレゼントを贈ろうという取組みをやってるらしいんです。

――じゃあ、もう事実上、その人たちも一緒に活動するようになってきていると…

高遠: まぁ、今は(徐々に)コラボレーションみたいな感じで、色々やってみて。一番大事なのは、カーシムたちが《どういう思いで、どういう目的で》これをやって来たのかを理解してもらわなきゃならないですから。
 あちこち
(一緒に活動しないかとカーシムが声をかけたイラク人達)からはっきり言われるのは、お金のことなんですよ。「どのくらいお金をくれるんだ?」と。それもわかるんだけれども、それ以前に、イラクの人たちが《自立できる道筋》を踏みたいので、「メインでやってもらうのは、イラク人であって欲しい。(日本人からの)お金だけを期待されるのは、私としてはちょっと違う。(両国の市民が)一緒に協力し合って、何かをやっていくんだ」と、そこを一番時間をかけて説明してる、とカーシムは言ってましたね。

■共に苦しむ、イラク市民と米帰還兵

――カーシム君自身は、精神的には元気にやってるんですか?

高遠: 一時期は、いろんな再建工事で凄く忙しかったので、(本業の)エンジニアとしても凄く喜びを感じてたみたいですね。「とうとう、やっとエンジニアとしての仕事が出来る!」と。
 でも、それがちょっと停滞期に入って、手持ち無沙汰状態になったときに、砂漠の中の難民たちを見て、その人たちが何の恩恵も受けていないその《格差》に愕然とした、と。そしたら、急にフラッシュバックしちゃったんでしょうね。それまでは、街を色々歩いて破壊の様子を見たりしても、エンジニア目線で「あ、この建物も再建しなきゃ」とか、希望に満ちて見ていたんだけれども、ふと(気持ちが過去に)戻った時に、その(同じ)破壊の様子を見て、
死んでしまったお兄さんのことを思い出しちゃったり、自分が大変な目に遭ったときのことを思い出したりしちゃったらしいんです。だから、ちょっとガックリ来てたんです。
  つい2~3日前、私と電話で話した時も、カーシムは「何とか奮起しなきゃ」って自分でも思ってたらしいんです。私も元気付けようと思って、“宿題”も一杯出したんですけど、やっぱり、心細くなるようですね。
日本に行った時のこととか、日本の人たちの思いを(カーシムは周囲のイラク人仲間に)伝えようと思うんだけれども、今また住民達は不安に駆られているので、「この不安定な、未来に確信が持てない中で、この先どうなるか分からない。誰が攻めてくるかも分からない。《信じられるのは、やっぱり武力》なんじゃないか?」っていう思いが拭えないんです。そんな空気の中で、非暴力とか平和の構築とか、そういった事を説得・実践するのは、「俺だけではキツい」って、カーシムは言うんです。

――格差とか、貧困とか、自分が傷ついたPTSDの問題とか…

高遠: それは、これまで私が米国に行った時『9条世界会議』の時に出会った(イラクから帰還した)米兵たちも言ってることです。格差とか、PTSD…要するに、自分が戦場で経験したことが、頭から心から離れない。

――両方の立場の者が同じことを言ってる、と?

高遠: そう。戦場にいたイラク市民も、米国兵たちも。それは、戦場に勝者がいないということです。そう私は感じてしまって、「この戦いは、不毛だった。一体何だったんだろう?」と凄く思いました。

■“普通の人”への恐怖から、自殺衝動へ

高遠: 翻って、今の日本の社会状況のキーワードをピックアップしても、《格差》とか《貧困》とか…。同じキーワードが、イラクの人たちや米国の人たちと、リンクするんですよね。

その《日本とのリンク》を1つのテーマに、高遠さんはつい最近、『ピースボート』このコーナーでも別テーマでご紹介した)に乗り込んで、船内でイラク講座をやってきた。横浜を出港してから、途中寄港地のベトナムで下船するまで、計5回の船内講座。これについて帰国後彼女は、自身のブログ「イラク・ホープ・ダイアリー」で、「今回の『ピースボート』の講座で、私自身も日本の人たちとだいぶ話せるようになった」と書いている。

――「今回だいぶ話せるようになった」って…、今までも国内各地で沢山講演されてきたし、この『眼のツケドコロ』にも度々出演されていたのに、これはどういう意味ですか?

高遠: 陸の上での報告会でも、結構色々あったので…。

――それはつまり、4年半前のイラクでの拘束事件後の、日本社会での「自作自演」「自己責任」バッシングの名残りですね。

高遠: いろんな事があったので、日本の方々に恐怖心を抱いてしまうというか、警戒し過ぎるくらい警戒してたんです。ずっと無我夢中で、「殺されてしまったイラクの人たちの思い」っていうものを見つめてたんだけども、結局私は、完全に自分から日本の人たちに壁を作ってた。私に対してわぁーっていう風に言って来る方っていうのは、特別な人じゃなかったから。ホントに普通の人なんです。電車乗ってても、報告をしてても、どこから(急に来るか)、分からないんですよ。分からないから、警戒してしまう。
 それがずっと(私の中で)溜まっていって、今度は、日本の人たちに向かって、「イラクのこと、何も気にかけてくれてなかったのに!」みたいな…誰にっていうんじゃなくて、日本の社会一般に憎しみを募らせてしまって。恐怖心がこねくり回されて、復讐心みたいになっちゃって…。
 それが、今度は翻って、「自分が死ねばいいんだ」みたいな感じになって、自分への殺意になったり。 結構きつかったんです。

――このコーナーに24回ずっと出演していただいている間も、実はそういう日本社会への復讐心とか、自殺の衝動とかを抱えながら続けていたと?

高遠: ありました。でもそれを、時間かけて考えちゃうと、(涙)…怖いじゃないですか。だから、何でもかんでも「やります、やります」って、スケジュールを忙しくして(気を紛らわせて)たっていうのもあります。

■《自分の中の平和》構築と、「伝えたい」の一念

高遠さんは、スタジオで静かに止めどなく涙を流しながら、人間の《感情》というものについて、《感情》的にならずに(!)語り続けた。

高遠: そういう風に、自分に対しても、誰かに対しても、怒りとか憎しみとかを持ち続けてそれが蓄積すると、暴発して、《憎悪》になるじゃないですか。人間には、「殺したくない」っていう本能があるのに、その《憎悪》を持った時に、…いとも簡単に、いともたやすく、「殺したい」という衝動に駆られてしまう。それは、凄くつらかったです。
 米兵の人たちも、殺したくないのに実際にイラクに行って、殺してしまった。で、米国社会に戻った時に、普通のお父さんに戻らなきゃいけない。それは、なかなか(自分の中で)折り合いの付かないことだと思うんですよ。
 でも人間には、そういう
(憎悪が殺意に転じてしまう)可能性があるんだ、ということを凄く思うんです。米兵だけを責められない。レジスタンスだけを責められない。いわゆる“テロリスト”だけを責められない、ということを考えました。
 それで、私、やめたんです。復讐心を持つのをやめよう、と思ったんです。やっぱり、《自分の中の平和》の構築も、非暴力でチャレンジしよう、って。…で、落ち着きました。今回(のピースボートで)は割とリラックスして、日本の人たちと接することが出来ました。それが、自分の変化です。

――ずっとシリーズでここに出演していただいていて、最後の今日、こうして胸の奥を語っていただけるようになったということは、…そこからぬけた、っていうことですよね。

高遠: そうですね。 まだ、リハビリ中ですけど。(笑顔)

――そんな思いを抱えながらの出演24回。 じゃ、このコーナーは、高遠さんにとって、しんどかったんですか…?

高遠: いや。一番は、やっぱり「イラクの人達の思いを伝える」っていうことがありますから。とにかく聞いて欲しい、伝えたいっていう。それが、私を、生かしてた。それしか、…息をする方法が見つからなかったっていうか。(涙)
 だから、こんなに長くやらせてもらって、本当に感謝してます。ありがたいです。

■出演スタート時の寄附が、約130倍に

去年の4月、当時はまだ命の危険を冒すという位の覚悟で、カーシム君が来日してこのスタジオにゲストで来てくれた際、私は放送の中で、「このTBSラジオの『高遠菜穂子のイラク報告シリーズ』は、“新しいイラク”が実現するまでずっと続けますから」と彼に言った。

――それが果たせずに、このコーナーが終わってしまうのは、本当に残念です…。

高遠: でも、この数年、サポートしてくれる人が日本の中で凄く一杯増えたっていうことは、実感してますので。

高遠さんがこのコーナーに初めて出演したのは、米国同時多発テロからちょうど3年の日、2004年9月11日だった。その日の放送記録を読み直してみると、「今度、『イラク・ホープ・ネット』というのを作ろうとしている。子供の医療支援プロジェクトには、もう既に寄附が300万円も来ている」というくだりがある。

――それが今や…日本全国の一般市民からの寄付は、幾らになりましたか?

高遠: 『イラク・ホープ・ネット』に参加している11団体・2個人合わせて、総額で3億8千万円を超えてるんです! それはもう、実際にイラクで支援の形となっていて、ラマディだけじゃなくて、バグダッドの避難民にも、何回も連続で食糧支援とかやってるんです。来月も、またやります。本当に切れ間無く、コンスタントに皆さんから関心を寄せていただいてるっていうのが、確かに増えてます。ホントに、ありがたいことです。

――そこが、何と言っても、凄い! 高遠さんが、これだけ内面的な戦いを続けてきながらも、ちゃんと外側でこれだけの大きな成果を上げているというのは、本当に頭が下がります。

高遠:  でも、それが出来たのは、皆さんからのサポートがあったから、私、続けてこられたんです。本当に感謝してます。

――サポートが集まる前提となる、いろんな所での《発信》。そんな場の1つだったこの番組は終わってしまいますが、これからは、メディアで『高遠リポート』に定期的に接しようとしたら、何を見たらいいですか?

高遠: ブログは、もちろん続けていきますけれども、先月から『週刊金曜日』という雑誌で、「メソポタミアの地で会った人々」というタイトルで、月1ペースでイラクのリポートを書かせていただけることになりました。

偶然にも、いいタイミングでバトンタッチが出来た。今までこのコーナーで高遠ウォッチングをしてきた方々は、今後はぜひ『週刊金曜日』にご注目願いたい。

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■『眼のツケドコロ』放送終了のご挨拶

1999年4月11日に始まった前身の「ビッグアップル・リポート」(毎週日曜朝)から通算すると、今回が第494回。番組名が『下村健一の眼のツケドコロ』に切り替わる境目で1週ぬけた以外は、年末年始も途切れることなく、毎週毎週、他メディアのニュースとは一風変わった着眼点で、私なりに世の中の一隅を照らし続けてきたつもりです。
なお、ラジオでの“音声版”放送後に毎回オリジナルの加筆・再構成を加えて発表していた“文字版”の『眼のツケドコロ』は、これから順次、下村健一オフィシャル・サイト内に収納いたします。コンテンツが大量なので、しばらく「工事中」で見られない回が出ることになりますが、ご容赦ください。

今までは、ラジオでこのコーナーが終わるとすぐ30分後にテレビで『サタデーずばッと』(TBSテレビ系列/午前7時過ぎ)に登場という“はしご”状態でしたが、来週以降もテレビの方は変わらずレギュラーを続けますので、これからもそちらでお目にかかれれば幸いです。
―――およそ500回にわたり、お耳を傾けて頂き、どうもありがとうございました!

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