いよいよ自衛隊のサマワからの撤退作業が始まった。そのニュースだけを聞くと、少しはイラク情勢も落ち着きつつあるような錯覚に陥るが、現実は、さにあらず。このコーナーで高遠さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.1)の報告の中によく出て来るカーシム君(高遠さんのイラク支援活動の現地スタッフの中心人物)の身の回りで、先日、大変ショックな出来事が起きてしまった。
■目の前で米軍に見殺しにされ…- 高遠:
- カーシムの実のお兄さんが6月12日に亡くなりました。彼らの住んでいるラマディが、4月から米軍の攻撃を受け、町の混乱が続く中、お兄さんは交通事故に巻き込まれたんです。怪我をして出血していた彼を、カーシムが病院に運んでいる途中で、米軍にその車を止められてしまったんです。病院に行くことを許されずに、お兄さんはそのまま米軍の検問所で出血多量で亡くなったんです。
――カーシム君は、目の前でお兄さんが息を引き取っていくのを見ていたんですね?
- 高遠:
- そうなんです。非常にショックを受けています。
今年3月にアンマンで、私はカーシム君から直接じっくりと話を聞いた。彼は元々イラク軍兵士で、反米感情の塊だった。高遠さんと出会ってからも、「憎しみだけでは事態は良くならない。愛が大切だ」という高遠説に「そんなのは空論だ!」と反発し、大喧嘩ばかりしていたという。だが、彼女の活動が着実に成果を上げ、一方で暴力はエスカレートするばかりなのを見て、彼は《暴力による解決》という考えこそが空論であると思い至り、今や高遠プロジェクトのチーム・リーダー的な存在になっていた。
――実の兄を目の前で米軍に見殺しにされて、カーシム君は大丈夫ですか?反米感情を再燃させずに済みそうですか?
- 高遠:
- 私も直接彼に会って話をしていなくて、メールでのやり取りだけなんですけれども、ショックが大きいというのが、やっぱり文字からもすごく感じられるんです。「心が揺らいでいるんじゃない?」と聞いたら、「正直に言うと、そうだ」と。本当にこのままでいいのか、と彼もすごく悩んだらしいんです。私は毎日メールを送って、「とにかくあなたが残された家族を守って行かなければ、家族が路頭に迷ってしまうのよ。家族は今、カーシムに頼るしかないのだから」と言い続けました。結局彼は「大丈夫だよ。でももう少し時間が必要だ」って言っていました。昨日のメールでは「もう大丈夫だよ。でも非常に忙しい」と言って来ました。5月の段階で彼自身の家族は全員郊外に避難しているんですが、他の親族も多数避難したんですよ。カーシムがあちこちでその避難を手伝い、食料や飲料水の調達が大変なので、奮闘しているそうです。彼は以前にも、憎しみに一杯一杯になっているときに、《周りの人がとても助けを必要としている》という事に気付いて、自暴自棄になるのを思いとどまった事があるんです。皆を助けようと、次々と行動に出る事で、「ヤケになっている場合じゃない。もっと建設的な事をやって行こう」と、自分自身が実感して変わったんです。その過程で、私とすごい喧嘩をしていたんですけどね。
――大家族の世話であちこち走り回らねばならず、米軍への憎しみなどに心を捕らわれている暇はない、というわけですね。憎悪の中で視野狭窄にならず、周囲に目を向けることが出来たのが、カーシム君の偉いところですね…。
■嘆願署名の本当の目的
実は先月、カーシム君の兄の悲報直後、高遠さんはすぐに私に電話をくれた。今までずっとカーシム君と話して来て、ようやく彼の気持ちがここまで変わって来てくれたのに、この一瞬の出来事でまた元に戻ってしまうのではないか―――と、彼女自身、絶望のどん底に落ちて、電話口で泣きじゃくっていた。
- 高遠:
- 今回、私は日本人として、彼に何と声をかけたら良いのか、物凄く悩みました。私に限らず、とにかく今、一般の外国人はほとんどイラクに入れないので、国の外で心を痛めるばかりで何も出来ないという《無力感》に襲われています。でも、次のコンテナ事業の見積もりも既に上がっていて、今月送り出す事が決まっていますので(後述)、とにかくこの再建プロジェクトを進めよう、中断せずに続けて行こう、と考え直したんです。
「国外にいる人達が、イラク国内で起こっている事を知らない」「世界は自分たちイラク人の事を理解してくれない」という強い思いが、イラクの人達にはあります。私が2年前ファルージャで拘束された時も、ファルージャの人達の怒りは、私達の想像を遥かに超えていました。彼らは、「世界が知らんふりをしている」「知っていても何もしてくれない」という事に怒り狂っていたんです。
私は、今回のラマディでも、同じ怒りがまた繰り返されつつあるな、と思いました。カーシムが私に送ってきたメールを全部見返してみても、それが凄く読み取れます。
そこで、この不満に対して私達は応えるべきじゃないかと思い、「国際緊急嘆願書」を作成して、今週初めから世界中で署名を集め始めました。この嘆願書は、ジュネーブ条約に照らし合わせて、米軍が今イラクで行なっている、人権を侵害するような軍事行動を止めて欲しい、これ以上イラク人を殺さないで欲しいという内容をブッシュ大統領に宛てた物です。第1の目的は、米軍に暴力を止めてもらう事です。第2の目的は、世界中の人にイラクの実情を伝えること。そして第3に、イラクの人達に対して、私達の誠意を示したい。もし第三者の外国人がそこにいれば、カーシムのお兄さんも病院に行かせてもらえた可能性が非常に高いんです。けれども、今のイラクはそうではないですから。
私の知人が、「高遠さん達の活動は、よくある間接的な署名運動などにはエネルギーを割かず、直接的な支援を黙々と実践するところが特徴だったのに、今回は署名かぁ」という感想を漏らしていた。
――今までと違うスタイルを取ったことをどう思いますか?
- 高遠:
- 署名運動をするとは、私自身、思っていませんでした。この署名で米軍の暴力が止まるほど世の中甘くはないというのは、私達もよく承知していますが、外にいる私達がイラク人への誠意を《目に見える形で》示す為に、敢えてこの署名を集めるという方法を選びました。
現に、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ケニア、イランを始め、様々な国の人達が、署名に添えて「イラク人を殺さないで」というコメントを寄せてくれているんです。この集まったコメントこそが、「あなた方を忘れてはいない」「見捨ててはいない」という、私達の思いをイラクの人達に示す事になるのではないかと思っています。
――国際嘆願書ということは、日本だけではなくあちこちから署名を集めようという事ですか?
- 高遠:
- はい、既に、20カ国位の方々から署名を頂いています。アメリカ人も結構多いです。この署名の呼びかけ人には、アメリカ人も入っていて、彼女達も一生懸命署名を集めてくれています。
高遠さん達『イラク・ホープ・ネットワーク』が主体で始めたこの署名運動には、ホームページから誰でも参加できる。(署名した自分の名前を非公開にしたい場合は、書き込んだ名前を提出先以外の第三者にはサイト上で読み取れないようにする事も出来る。)また、署名用紙をダウンロードして郵送する事も出来る。こういう時、たちどころに世界中に向けて声をかける事が出来る、インターネットの力は大きい。
■イラクと日本を繋ぐ、学校机
実践派の高遠さんは、今もこの署名運動と並行して、具体的な行動のペースを落としていない。
- 高遠:
- 今まで再建プロジェクトのメンバーが、こういった時にいつも「(憎悪の代わりに没頭出来る)目標を持ちたい」と言っていました。カーシムも今まで、身内を殺された人達に「報復という道を選んではいけない」と一生懸命に説得して来ているんです。だから、私はもう一度ここで、カーシムのその言葉を、カーシム自身に向けて言わなくてはいけないと思いました。「中断せずに再建を続けよう」と。今までの活動で、協力者も増えて来ていますし。
前回このコーナーで報告した、名古屋発の学校机と椅子は、米軍による数週間の足止めの後、ようやくラマディの子ども達のもとに届いたという。
- 高遠:
- かなり足止めを食らったんですが、やっと届いて、子ども達がその椅子に座っている写真が送られて来ました。ビデオも撮ってくれたようです。ビデオの中で子ども達が、寄付してくれた日本人への御礼やメッセージ、あるいは自分の身内が亡くなったという話をしているので、「早くこの映像を届けたい」とカーシムも言っていました。
ただ、ちょうどコンテナが足止めされた頃から、米軍による攻撃が激化して水や電気などのライフラインが完全に断ち切られてしまったんです。このプロジェクトを中断する事は、彼らとの繋がりまで切ってしまうことになるので、何とか続けて行こうと思っています。
早速、今月中に名古屋港から、前回の3倍の量の学校の机と椅子を送り出します。名古屋の南山中学・高校から寄付された、机と椅子が800セットです。このプロジェクトでイラク現地の人達の理解を得られれば、次に私達がやるべき支援内容が見えてくるし、また、現地との信頼関係が回復されれば、私達の支援活動ももっと前進できる、と『イラク・ホープ・ネットワーク』のメンバーも期待しています。
■かき氷、靴下、砂漠のゴール
『イラク・ホープ・ネットワーク』の構成メンバーである『JIM−NET(日本イラク医療支援ネットワーク)』による、イラク国内の病院に白血病の薬を届けようというプロジェクトも、引き続き進行中だ。このコーナーでは、以前「冬のかき氷作戦」や「サンタの穴あき靴下作戦」などを報告してきたが、今回の作戦名はW杯に因んで、「砂漠のゴール作戦」と名づけられた。
――今回の輸送もうまく行きましたか?
- 高遠:
- はい、今回は約1000万円分の抗がん剤を現地の病院に届ける事が出来ました。
――毎回、ヒヤヒヤの陸送ですが、どうにかうまく行っていますね?
- 高遠:
- そうですね。イラクでガンや白血病に苦しむ子ども達にとっては、このプロジェクトは本当に《命の綱》なので、こちらも中断するわけには行きません。
こういった様々なプロジェクトを具体的に遂行して行く事で、カーシム君も実兄を眼前で失った憎悪を振り払い、何とか気持ちを《建設》の方向に離陸させて行って欲しいと願う他ない。