このシリーズも、足掛け3年目に入った。高遠さん(眼のツケドコロ・市民記者No.1)は、先月(05年12月)19日からまたイラクの隣国ヨルダンの首都アンマンに渡り、向こうでイラク人ボランティア・スタッフ達と年越しして、1月2日に帰国した。
―先月の総選挙の後のイラク国内情勢は、どんな感じだという話を聞かれました?
- 高遠:
- 私のプロジェクトの仲間達に聞いても、投票に行けた人が多いんですよ。今まで行けてなかった人で今回初めて投票というものをやった、という人たちも結構多かったですね。実感として、投票率は確かに上がったかもしれないと思いました。ただ、選挙後に沢山の政党が名乗りを挙げていますが、かなり多くの政党が「今回の選挙は不正である」ということを訴えているという報道が、ヨルダンのテレビでも新聞でも毎日ずっとされていました。サダム・フセインの裁判のニュースか選挙のニュースか、という感じでした。
■「冬のかき氷」と「サンタの穴あき靴下」
前回緊急リポートしていただいた、「冬のかき氷作戦」は、前回放送の直後に、現地から「無事完了」の知らせが届いたそうだ。
- 高遠:
- でもまた、「サンタの穴あき靴下作戦」というのがありました。
―高遠さんの「穴のあいた靴下」というエピソードは、以前伺いましたよね。
- 高遠:
- 今回の作戦名も、そこに由来しているらしいです。この薬の調達に従事している、『JIM−NET(日本イラク医療支援ネットワーク)』のスタッフとかヨルダンの薬剤師さんとかドクターとか、みんな奔走していて気が付いたら、靴下に穴があいてたとか。で、「靴下に穴があいてると言えば、高遠だ」という話になって、今回私が日本から保冷剤とかその他の物資を色々持っていったので、「穴のあいた靴下を履いたサンタクロースがやってきた」と言われて、この名がついたとか…。
―その「サンタの穴あき靴下作戦」では、また、クリスマスプレゼントとして、沢山の抗ガン剤を届けられたんですか?
- 高遠:
- 今回、約400万円分ぐらいです。なので、前回の「かき氷作戦」と合わせると、1000万円強ぐらいですね。バグダッドで2カ所、それから、バスラとモスルが各1カ所、計4カ所の病院に届けました。
―更に今年もやるんですか?
- 高遠:
- 地域にも依りますけれども、あと半年位はかなり厳しい状態が続くと思うんです。選挙後の混乱が未だに続いていて、支援というのが滞りやすい状況になるだろうと。だから、暫くは密に連絡をとって、積極的に抗ガン剤の搬入支援というのは、必要になると思います。そういう風にドクターたちからもお願いされているという話をききました。
■「井戸を作る人は、この国のリーダー」
―あと、高遠さんが所属する『イラク・ホープ・ネットワーク』の去年の大きな取り組みは、『命の水プロジェクト』でしたね。浄水場が爆破されて、バグダッドの市民たちが「猛暑の夏に水無しでは、生きていけない」という時に、日本の一般市民からの寄付金で何本か井戸が掘られ、このコーナーでも採り上げました。その後、井戸は役に立ち続けてるんですか?
- 高遠:
- はい、今回アンマンに行った時に色々聞いてきました。最初に2本掘った所は、順調です。つい先日も、今度は高圧電線が何者かにやられて、また水道の水が完全に止まってしまって、前回掘った井戸にまた色んな人たちが水を汲みに来て、大活躍しているらしいです。その他にも4本掘ったらしいんですけど、残念ながら、そのうちの2本は、細菌とかバクテリアとかが出て、水質検査が通りませんでした。さらに2本掘って、全部で8本の井戸が完成する予定です。
水支援活動中の現地スタッフから、クリスマスの日に日本の『イラク・ホープ・ネットワーク』事務局に届いたメールを、一部ご紹介する。
「これらの井戸がどれほど大きな恩恵を、沢山の家族にもたらしたか。井戸水の蛇口の前には女性や子どもたちが長蛇の列となり、みんな喜んでいます。無料でしかも簡単に手に入れることができる井戸があるのですから。ある女性が、『このような井戸を作る人はこの国のリーダーね。アホなアラウィやジャファリじゃないわね』と言っていました。今日これから、写真を撮りに行こうと思います。もちろん安全ではありませんが、車の中からうまく撮るつもりです。このプロジェクトに参加した皆さんにどうか伝えて下さい。募金や、様々なサポートをしてくれた皆さん、このプロジェクトは脆弱な家族たちを救う、実に活動的なものです。 このプロジェクトは、人々の《優しさ》が、《暴力》に対抗する最善の“お返し”であることを証明しました。たくさんの感謝の気持ちを込めて。よいお年を…。」
■自立へのドア、開く
高遠さん自身のメインの活動は、バグダッドの路上で暮らす、“ストリート・ボーイズ”と言われる子供達の「自立支援プロジェクト」だ。バグダッド市内の建物を改築して作った、通称『ナホコセンター』という住居兼工場で、ボーイズが自立のため、木を加工してドアを生産し始めた、という話まで前々回聞いた。
- 高遠:
- お陰様で売り上げ好調で、ドアが売れています。バグダッド市内の大手銀行の改築工事にも、うちの少年たちが、仕事を受けてドアの取り付けや修繕に出向いたりしている、という状況です。私がいた頃というのは、ほとんど大人の人達というのは路上の少年達など相手にもしてくれていなかったですから、この話をきいて、すごくびっくりしました。大手銀行の人達に工事を頼まれるということで、「そんな信頼されているなんて〜!」と。
―そうなると、地元でも活動自体が注目されてくるでしょう?
- 高遠:
- そうなんですよね。友人(現地スタッフ)からも「どうやって返答すればよいか」とよく訊かれていたんですが、イラク政府教育省の就職訓練プログラムなどから非常に関心を持たれていて、教育省の方が3回も見学に来たんです。この前は欧米のNGOの現地スタッフの方だと思いますが、見学に来ました。 これからはドアだけじゃなく、ベッドとかの家具も販売していこうと準備しています。
―じゃ、目標だった《支援に頼らない自立した生活》も、もう達成間近という感じですね。
- 高遠:
- 今回、スタッフとボーイズたちからは「日本の皆さんありがとう、もう大丈夫です」という言葉をもらったんです。何回も聞き直したんですが、「もう大丈夫です」と。
―彼ら自身の生活費だけでなく、『ナホコセンター』の家賃、光熱費、専従スタッフの給料などまで、すべて彼ら自身で賄うことができるようになったと?
- 高遠:
- はい。もちろん緊急に何かあった時には、相談に乗りたいと思いますが、一応、基本的には、そういう基盤ができたと。
これは、高遠さんにとってもかなり“歴史的”な出来事だと言えよう。3年前に活動に着手して、その《後》で自衛隊のイラク派遣という環境の激変があって、とばっちりで身柄拘束されて、「自己責任」と日本社会で糾弾された。しかし、その事件で現地に入れなくなったことで、却ってボーイズが発奮して、今日の自立達成につながる―――という激動の道のりだった。
- 高遠:
- 本当に、あの拘束事件後というのは、もうダメだと思っていましたから。本当に、彼らに感謝ですね。とにかく友人(現地スタッフ)が凄いなと思いましたね。最終報告書も、もう貰いました。事件後の主な動きも書いてあるし、人件費だとかセンターの改築費、家具の生産工場の機械などの収支報告も全部細かく書いてくれてます。初期投資としては、もういらないと。
去年(2005年)このコーナーで、「私だって、5年も10年も支援し続けてはいけないから、彼らも自立してくれなきゃ」と話していた高遠さん。それが、本当に1年たたないうちに実現できたというわけだ。
―高遠さんは、『イラクホープダイアリー』というブログで、「このプロジェクトは自分にとっても、イラクのスタッフにとっても唯一の救いだった」と書いてますね。
- 高遠:
- 本当にそうでしたね。ここ1〜2年、イラクから入ってくるのは、死んだ・死にそうになった・殺されたという、本当に恐ろしい話ばっかりで、写真とかも恐ろしいものばかりだったから、精神的に結構キテたんですよね。また、私自身が現地に行けていないのに、関わりだけは以前よりも強くなっているから、私としては、イラクと向き合っていることがしんどかったんですよ。それだけに、この『自立支援プロジェクト』は、救いでしたね。 現地スタッフにとっても、渋滞していたり検問が何十カ所もあったりして、『ナホコセンター』に行くだけでも大変で、いつ何がどうなるか分からないという状況の中で、センターの中に一歩入った時に、少年達が前向きな建設的な話をしてくると、「ほんとうに救われるというか、癒される」とよく言ってましたね。
―あと、これだけ大メディアが報じない中で、インターネットなどで高遠さんの情報を知った人達が、活動のベースになった寄付金を送り続けてくれたというのは、なんといっても大きいですよね。
- 高遠:
- 変な言い方かもしれないですけど、こんなこと期待していなかったですよね。何でもそうですけど、どんどん忘れられていくじゃないですか。そういう中でこれだけ日本全国の皆さんに気にかけていただいて、「イラクの子供たちに届けてください」とか、そういう言葉を頂いて。各地で開く報告会とかでも、本当に「何かをやりたい」という熱い想いと一緒に沢山の寄付金を頂いたんですよ。毎度毎度びっくりしましたね。
■“高遠報告”は終わらない
―これで、ひとまず、大きな高遠さんの目標としていたプロジェクトが完結したということで、今後はどういう取り組みをしていこうと考えているんですか?
- 高遠:
- 今年は引き続き『ファルージャ再建プロジェクト』の方をやります。で、今回、実はまた2件再建したんですよ。ひとつは、家を失った人達が共同生活できる場所というのを建設しまして。もうひとつは、消防署が爆撃されていて、かなり壊れていたんですけれども、うちのプロジェクトメンバーが、今まだ途中ですけど、再建しています。写真を見せてもらったんですけど、消防隊員たちが一緒に壁を塗ったり、煉瓦を積んでたりしてます。
―そうすると、このコーナーでの高遠菜穂子報告も、まだ当分続きそうですね。
- 高遠:
- そうですねぇ。本当は、早く終わらせたいんですけど。(笑)
―支援の必要が無くなって、報告すべき活動が終結することが、理想ですもんね。
- 高遠:
- この春には、日本のある企業から、学校の机といすを160セットと、ミシンを36台、イラクに運ぶことが決定しました。『ファルージャ再建プロジェクト』の方で今、学校の再建をまた始めているので、そこに入れることにして、今、その荷積みの件とかで、各方面と打ち合わせ中です。
―寄付したい人達の思いを実現してくれる《ルート》として、「高遠菜穂子」が、ガーンと存在しているという感じになっていますね。
- 高遠:
- でも、まだこの《ルート》は小さいし、細いし、狭いので、これを何とか足掛かりにして、「参加したい」とか「何かしたい」という日本の方々がもっと関わりをもてるようになっていけばいい、と思いますね。