今週前半(5月4日~6日)、千葉県の幕張メッセを中心に、史上初の『9条世界会議』という大イベントが開かれた。戦争の放棄を謳った日本国憲法9条のファンが、主催者発表で15,000人、私の目で現場で実際に見た限りでも、少なくとも10,000人が世界中から集まり、予想を遥かに超える大盛況となった。このコーナーでも直前に3週連続で【私と9条】というミニ・シリーズをやりながら、この会議の告知を続けたが、それでも私自身、メイン会場の7,000人収容の大ホールが一杯になるとは、実は思っていなかった。それが実際は、入場しきれない人達が数千人も溢れる事態となった。
実行委員会代表の1人、吉岡達也さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№66)にお話を伺う。
■必要な情報は自分達で流通できる時代に
――吉岡さんは、この事態を予想していらっしゃいましたか?
吉岡: いやいや、全然! 実行委員会の誰一人として、恐らく予想はしていなくて。5,000人位来てくれはるかなぁ、っていう感じだったんです。だから、3,000人以上の方が入りきれなくて、本当に申し訳なくて…。更に、広島、大阪、仙台会場でも、全部合わせると多分30,000人以上の方が、今回の『9条世界会議』に来られたことになるんですよ。
――これは、どこから聞きつけて集まってきた、どういう人達だったんでしょう?
吉岡: やっぱり、インターネットと、くちコミでしょうね。その意味で、僕は実行委員会の人間として、嬉しいんです。自分達の手で拡げていったものが、最終的には形になったということで、物凄く大きな感動でした。
今、「テレビも、マスコミで見る時代から、インターネットのYouTube(ユーチューブ)とかで見る時代に段々移って来てる」とよく言うじゃないですか。草の根というか、《1人1人からの発信》が力を持ってきてる時代になったのかな、と。下村さんもやっておられるけど、市民メディア、市民ネットワークみたいなものが機能し始めているんだろうな、という気がしました。
このコーナーなど僅かな例外を除いて、大手メディアがほとんど事前告知をしない中、これだけの人が集まった意義は大きい。私は、9年前のフィラデルフィアでのある大集会の光景を思い出した。遂に、日本社会もその域まで到達したか、という感じだ。
■「世界が9条を…」が、目に見える形をとった
――幸い、私はメイン・ホールの中に入れましたけど、入れずに溢れた人達は、別の場所で急遽、青空集会を開いたんですって?
吉岡: そうなんですよ。本当に、その場で「どうするか!?」っていうことになりまして…。
――外国から来られたゲストの方々も、外の集会にも回ってくださった…?
吉岡: はい。マイレッド・マグワイアさん(1976年ノーベル平和賞受賞者/北アイルランド)と、コーラ・ワイスさん(1999年、100ヶ国に及ぶ市民・政府代表が一堂に会してオランダで開かれた『ハーグ世界平和市民会議』のキーパーソン)に、「これは是非とも、入れなかった方にこのまま帰ってもらうわけには行かない」と相談したところ、お二人とも「じゃあ、外でやろう!」と快く賛同して頂けて…。
――その方々から見ても、今回の会議は、やっぱり凄い事だったんですか?
吉岡: はい、とても感動されてました。『ハーグ世界平和市民会議』も凄かったんですが、やはりその時はヨーロッパのど真ん中のオランダでやったわけですから、そういう面では非常に人が集まりやすかった。ところが、日本の場合は島国でもあるし、ほとんどの人が飛行機で来なきゃいけない。そういう状況の中で、これだけ集まったというのは、今、世界が、如何に日本国憲法9条を求めているかということですね。僕は、イラク戦争の影響が大きいと思うんですよ。米軍みたいに、世界で一番強い軍隊が、あれだけやってても、バグダッド1つ、町1つ、平和にならないじゃないですか。
「世界が9条を求めている」というのは、私もスローガンとしては聞いていたが、今回、延々と続く人波を見て、本当の事だったんだ!と驚愕した。
■入場できなかった人達の思いを…
会場には、『NEWS23』など一部の例外を除き、大手のテレビ局のカメラはほとんどいなかった。これが、既存メディア人の《感性》の、悲しい現実である。
――この会議の成果もまた、市民メディアで知るしかない、という感じですね。
吉岡: この事に関して僕は、メディア、マスコミの人にも入って欲しいと思ってるんです。というのは、9条は、これから新たに作ろうと言っているんじゃなくて、現行憲法なんですよ。それが、ノーベル平和賞を取った方も含めて(多方面から)尊敬を集めているのなら、誇らしく胸を張って世界にそれを訴えていけばいいじゃないですか。僕は、国益にとっても、プラスだと思うんですけどね。
入場できなかった人達の中には、「10万円くらいの運賃をかけてここまで来たのに、入れないじゃないか!」と怒っている人もいた。その気持ちも、確かにわかる。そうした憤りが、「これだから市民運動は、いい加減で、駄目なんだ」という後ろ向きな評価に結びついてしまう懸念は無いか。
吉岡: 僕も、そんな風にならないことを望みます。(入れなかったことについては)これはもう、僕らも予想してなかったんで、本当に「申し訳ない」と言うしかなくて…。
結論として、これだけ集まっていただいたっていうのは、凄く良い事だと思うんです。来られた方は、9条を大事に思っておられると思うんで、これにお応えするというか、皆さんの気持ちを、また《次の形にしていく》ことでしか返せないんじゃないかな、と…。
■元米兵と元イラク兵を結んだもの
――3日間、プログラムが盛り沢山過ぎて、分科会も何本も同時開催だから、全部見切れた人はいないわけですけれども、吉岡さんご自身は、何が印象に残りましたか?
吉岡: 僕は、カーシム・トゥルキ君っていう、イラクの元兵士…
――はいはい、「高遠菜穂子のイラク報告」シリーズで、このコーナーでも、しょっちゅう話題に上がってますよ。
吉岡: ああ、そうでしょ。それから、エイダン・デルガドさんっていう元米兵。彼ら2人が同じ所に並ぶという状況を、『9条世界会議』が作れたっていうことが、僕にはやっぱり凄く大きかったですね。
――イラクで戦った元米兵と元イラク兵が同じ席に並ぶのを、憲法9条が取り持った。いわば仲人をしたという…
吉岡: そういう事なんです! それは、9条の本質的な役割を象徴してると思うんです。
――『NEWS23』でも、この2人の対話をもうじきやりますので、ぜひご覧ください。
吉岡: 『ピースボート』でも今度、2人を船に招いて、世界中を“9条ピース・アンバサダー(平和大使)”で回ることになってます。(注: 吉岡氏は、『ピースボート』共同代表の1人)
■ベアテさんのスピーチ、高遠さんのつぶやき
私が印象に残ったのは、ベアテ・シロタ・ゴードンさんのスピーチ。戦後、日本でGHQのマッカーサー総司令官のもとで働き、日本国憲法草案を作成した時、男女平等についての条項(第24条)を担当した女性で、高齢を感じさせないしっかりした足取りでステージに登場し、滑らかでウィットに富んだ日本語で語った。世界各国の憲法を参考にしながら草案を書いた本人として、「これは“押し付け”とは言いません。例えば、漢字、仏教、陶器など、日本人は歴史的にずっと外国から良い物を輸入し、それらを自分の物にしてきたじゃないですか。だから、憲法だって、他の国から採り入れたとしても、良い物であれば、自分の物にしてしまえばいいじゃないですか」と発言し、会場は拍手喝采だった。
吉岡: そうですよね、ほんとに。それにもっと自信を持っていい、ということだと思うんです。
今回の体験で自信を持った人は、とても多いだろう。あの場に行った人は皆、自分達の人数に腰を抜かして、その上で自信を持ったに違いない。
高遠菜穂子さんも、その1人だ。このコーナーにはもう20回以上出演し、いつも元気に語ってくれている彼女だが、マイクの無い所では、実は、日本社会に対して懐疑的な気持ちを持ち続けており、私もよくそれを聞いていた。人質事件から帰国した後、あれだけのバッシングに遭ったのだから、仕方の無い事だろう。その高遠さんが、初日が終わった後、大混雑するロビーの片隅で、ボソッと私に小声で言った―――「下村さん、日本、大丈夫だわ」。
――それを聞いた時、「あ、ここでも1人、自信を回復したな」って思いましたよ。
吉岡: それ、嬉しいですねぇ。僕も、自分自身、オーガナイザーとしてやってて、あの《人の繋がり》を見たときに、それはもう凄く大きなエネルギーをもらいました。
私が見落として残念だったのは、憲法9条の「9」にちなんだ、ベートーベン「第9」の合唱。それ自体は年末にあちこちでやっているが、今回は数百人の弁護士たちがコーラス隊に加わった! 怖いもの見たさで、聴いてみたかったのだが…。
――ちゃんとハモってましたか?
吉岡: 上手いもんでしたよ。弁護士さんっていうのは、きっちりやる時には、きっちりやるんだなぁと思いました。(笑)
■「怒った顔から出る言葉に、人は賛同しない」
この『9条世界会議』を目指して、2月24日に広島の平和祈念公園を出発した「9条ピースウォーク」は、10週間かけて東へ東へと歩き続け、幕張の会場に到着した。
吉岡: 一橋大学の教授の方とかが中心になって、「とにかく一番単純な、誰でも出来る事、しかも象徴的な行動になるような事をやれないだろうか」ということで、広島から幕張メッセまで(歩くということを)始められたんです。途中ちょっとだけ参加する人もいれば、ずっと歩いてる方もおられるし、本当に《草の根ウォーク》です。(参加人数は延べ)7,000人から10,000人近くじゃないですか?
――参加者はフラッと入って来たり、そのまま出て行ったりですから、参加人数は数えようが無いですよね。ゴールの様子は、どうでした?
吉岡: これもまた、感動、感動でした。このピースウォークが、(今回の『9条世界会議』に)これだけ人が集まる結果を呼んだ火付け役になったってこともあると思うんです。
このピースウォークについては、5月3日(憲法記念日)の朝日新聞の紹介記事がとても良かった。インタビューに応えた参加者達が、「何も叫ばず、歩けばいい。それなら私にも出来ると思った」「反戦デモなら参加しなかった。デモには笑顔が無い。怒った顔から出る言葉に、人は賛同しない」などと語っていた。ステレオタイプで見ずに、こういう言葉を丹念に拾い出した記者の感性には、“時代を見る眼”がある。
■各国政府への要求と、市民社会の誓約
そして会議最終日(5月6日)には、「9条世界宣言」が採択された。
まず前書きで、「日本国憲法9条は、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために、他の国々にも取り入れることが出来るものである」と謳った後に、全ての国の政府に求める事として、13項目が列挙されている。
● 平和省の設置
● 良心的兵役拒否の権利を認めること
● 非武装地帯や非核兵器地帯の設置を進めること
● 国際的な持続可能エネルギー機関を設立すること(=エネルギーは、紛争の火種となるから)
● 国連の民主化、特に拒否権を廃止すること ―――etc.
要求だけではない。宣言の最後には、「私達市民社会は、次の事に取組むことを誓約します」と、自分達の課題も、きちんと9項目掲げている。こういう“自己責任”は、カッコいい。
● 市民参加をより拡大すべく、政府、国家機関、国際機関との定期的な連絡チャンネルを設置する
● 平和創造の技術を身に付けるための、平和教育システムを支持する
● 平和、開発、環境に投資する、非軍事的な経済を作り出す
● この9条世界会議の成果を発展させつつ、「戦争廃絶のためのグローバル9条キャンペーン」によってフォローをする ―――etc.
――この「グローバル9条キャンペーン」が、次の課題ですか?
吉岡: そうですね。今回の会議の趣旨の1つとして、これは、《国際的にやっていく仕事》だと。日本人だけで9条を守り活かしていくだけでは、駄目だと思うんです。そもそも、この9条というもの自体が、非常に国際的なメッセージであり、平和を作る方法論だと思うんです。だから、とにかくグローバルにやるしかないという思いがあって、「グローバル9条キャンペーン」という名前を付けたんです。もちろん、日本の中でもですけど、それを国際的に拡げていくということをやって行きたいと思うんです。
――今回参加した3万人が、それぞれの家に帰って終わり、じゃなくて、それぞれ始める、と?
吉岡: そうなんです! そこが物凄く大事で、「世界の人達が9条をどう見ているか」ということを、今回の会議に参加した方々が、今度は(自分の)隣の人に話していく。あと、海外旅行とかで、自分が外国に行くこともありますよね。その時に、9条を広める行動を、具体的に出来るか出来ないか、じゃないかと思うんです。
――次なる仕掛けを、次々と放っていくわけですね。
吉岡: もう、是非! 地雷廃絶運動で1997年にノーベル平和賞を取ったジョディ・ウィリアムズさんも、9条ファンなんです。「是非、今度来てくれ」と言ったら、来てくれる人はもっといますから、頑張ります!