今回は、高遠菜穂子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№1)のイラク報告の中によく登場する、現地スタッフの要であるカーシムさん(眼のツケドコロ・市民記者番号№46)本人をスタジオに迎えて、高遠さんと共にお話を伺う。
カーシムさんは、先月23日に初めて来日し、現在、全国各地を高遠さんと一緒に回りながら、イラクの現状を伝えている。
■伝え続けるカーシムに、受難も続く
――この機会に、改めて高遠さんから、カーシムさんを紹介して頂けますか?
高遠: はい。彼―――カーシム・トゥルキ(30歳)は、 イラク西部アンバール州の州都ラマディの出身です。アンバール大学の機械工学部を卒業しました。2003年のイラク戦争の時には、イラク軍(共和国防衛隊)に所属していました。イラクは徴兵制度がありますので、男性は皆、兵役を経験します。
バグダッド陥落直後の同年4月28日に、ファルージャで、「イラクを占領するな」「学校を占拠するな」という、(武器を使わない)平和的なデモを行なっていた住民達に対して、米兵が銃を乱射するという事件が起こったんです。似たような事件は、彼の町ラマディでも起こっていました。彼はそれらの事件を、バグダッドにいる海外メディアの人達に伝えに来たんです。その事がきっかけで、彼はいろんな海外メディアの人達と知り合うことが出来ました。
そんな中でカーシムさんは、支援活動で現地入りしていた高遠さんとも出会い、『リビルド・ユース・オーガニゼーション』(再建をする若者組織)を創設した。これまでに、学校などの修繕工事、診療所開設、避難民への緊急支援などを実践し、2004年からは、高遠さん達の「ファルージャ再建プロジェクト」と協同して、現場の指揮を取っている。
――前回の報告では、イラク人スタッフとの定期的なミーティングが遂にヨルダンでも出来なくなり、入国許可の出るマレーシアで集合することにしたけれども、それも会えるかどうか分からないとおっしゃっていましたが…?
高遠: おかげさまで、実際は、2月中にマレーシアで会うことは出来ました。
――今回、日本に来る手続きも、かなり骨が折れたのでは?
カーシム: 日本のビザの問題、その他いろいろ問題があって、イラクを出て来ることも凄く大変でした。
――こうして日本にいる間も、イラク現地の状況は、メールなどで入っていますか?
カーシム: 僕が来日してから数日後に、身内からEメールを貰ったんです。(それによると)僕の従弟(16歳)が、3月27日にイラク軍に連れ去られ、その2日後に、彼の遺体がラマディの路上のゴミ捨て場みたいな所で、発見されたんです。拷問の痕が凄く残っていて、遺体の一部は犬に食べられていたということでした。首都バグダッドでは、“死の部隊”と呼ばれる勢力によって、こういうことが非常に頻繁に起きています。
■専門知識が疑われ、ブログが敵視され
カーシム: 僕自身も、去年の9月27日の深夜2時に、米軍の海兵隊に突然逮捕されました。米軍の刑務所に14日間収監され、尋問を毎日受けました。尋問の内容は、僕がテロリストや武装勢力に関わっているのではないか、ということでした。エンジニアであるということも、逮捕された理由の1つでした。例えば医者だったら、武装勢力の負傷者の手当てをしているのではないか、知識面で協力しているのではないか、と疑われます。そういった意味で、エンジニアも専門知識で武装勢力に協力しているのではないかと、米軍から疑われやすいんです。
――エンジニアとして、武器を作ってしまうとか、そういうことですか?
カーシム: 例えばエンジニアの中でも、建築技師とか、そういった人達というのは、GPS(全地球測位システム)を作れたり、地図や爆弾を作れたり、いろんな活躍が出来るということで疑われます。いろんな種類の専門的職業の人が、“こじ付け”の理由で疑われてしまうんです。でも、逮捕の1番大きな理由は、僕がインターネット上のブログで、ラマディで起きている事を英語でかなり詳しく書いていたということでした。
――それだけ、カーシムさんのブログを、米軍も見ていたということですね。
カーシム: はい。収監されている時に分かったんですが、米軍は僕のブログを非常に注意深くチェックしていたんです。(ブログを)印刷した紙も持って来ていました。その紙には、重要だと思われる部分に下線が引かれていました。その下線部分に関する質問を、沢山受けました。
――幸い、カーシムさんは2週間弱で解放されましたが、「米軍もブログを読んでいる」と分かった後は、かなりブログを書きづらくなったのではないですか?
カーシム: 確かに、すごくナーバスになりました。実際、釈放されてからもう1度ブログを開けて見ると、海兵隊員からのコメントや、米軍の情報機関の人達からのコメントが入っていました。例えば、「ブログの中では、“占領”という言葉を使うなよ」とか、いろいろなコメントがあったんですが、僕としては、そこに僕に対してのヒントというか、「気をつけろよ」みたいな意味が見て取れました。でも、僕は“占領”という言葉を、ずっと使い続けてますけどね。
■それでも、米兵と対話する
釈放後、カーシムさんは、米軍が読んでいることを意識した上で、「今や、このブログは米軍にも読まれていることがはっきりした。でも、ここに米兵が加わって、武器を持つ者と持たぬ者とが考え方を交換し合えるというのは、平和のために良いことだ」とまで、ブログに書いている。
カーシム: ブログ上で、人々と一緒に平和的な対話をするところに、海兵隊の人達が入って来るというのは、ポジティブな事です。何よりも、彼らがブログを通して、僕達の声を聞いてくれて、ラマディの町中で起きている事実に耳を傾けてくれるというのは、非常に良い事だと思います。海兵隊の人達は基地の中にいたり、戦車の中にいたりしますから、実際に被害を受けている人達を見る機会は少ないのかもしれません。ですから、人々がどういう風に苦しんでいるのかというのを直接知ってもらえるのは、良いと思います。
――刑務所に捕まっている間、取り調べ以外にも、見張りの米兵と一緒にいる時間がありますよね。そんな時、“英語が話せる”カーシムさんとして、「あ、米兵1人1人は、本当はこんな事を考えているのか」と思うような事はありましたか?
カーシム: 収監されていた最後の2日間、見張りの米兵と個人的に話す機会がありました。そのアメリカ人は、何故イラクの人々、特にラマディの人々が米軍に対して、そんなに反感を持っているのかを、凄く知りたがっていました。彼自身も、今自分がいる状況に、非常に疲れを感じている様子でした。彼は、「個人的に、友人として助けたいという思いでイラクに来たのに、敵として扱われているということが分かった」と言ってました。全体的に、イラク人の事を非常に大きく誤解している部分もあると思います。
――実際、「逮捕された」という経験から、やっぱりアメリカという国が嫌いになった、ということはありませんか?
カーシム: 個人的に誰かを憎んでいるということはありません。でも確かに、怒りはもちろんあります。それと同時に、彼らに対して「可哀相だな」「彼らも被害者なんだ」という気持ちもあります。米軍の人達も、このイラク戦争に《騙されている》んだと思います。
■講演行脚で話している事
今、カーシムさんが日本各地で行なっている講演のチラシには、こう書かれている。
「テロとの戦い」の最大拠点と名指しされた イラク西部アンバール州ラマディ
家屋は潰され 学校は占拠された 食料配給なし 医療配給なし
空が恐怖に染まって4年 増えていくのは民間人死者数とその遺族
そして 報復を誓う抵抗勢力
なぜ ラマディは「テロとの戦い」の最大拠点となったのか?
なぜ 彼は米軍に拘束されたのか?
世界中のメディアが近づけない戦闘地域ラマディから
1人の青年が自分の体験を語るために来日した
――実際、講演では、どんな話を?
高遠: 最初は、ラマディの人々がどういう風に生活をしているか、一般的な状況を説明します。町の周りが米軍基地に囲まれているので、Googleマップを使って、住宅街が具体的にかなり細かく見えるようにした状態で、「ここに狙撃兵のポイントがあって…」など、町の様子を本当に詳しく説明します。
それから、カーシム自身の体験や、拘束された15歳の甥っ子の事、検問所で病院に行かせてもらえずに亡くなってしまったお兄さんの話をします。
最後は、そういった状況でも、彼が再建プロジェクトに賭ける思いというものを語っています。そして、実際に行なっている活動を写真で紹介します。
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引き続き次回も、カーシムさんのお話を伺う。また、4月16日(月)『News23』の「マンデープラス」コーナーでも、ゲストにカーシムさんを迎える予定。(一部の局では、ネットしていません。)