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下村健一の中と外

父の逝き方 ― 新年のご挨拶に代えて

2009年1月7日

喪中につき、皆様にお正月のご挨拶が出来ませんでした。申し訳ございません。 昨年は、“仕事上の父親”的存在と(勝手に)思っていた筑紫哲也さんを失ったのに続き、血縁上の父親も、クリスマスの日に脳腫瘍で他界しました。

本人の強い意思を受けて家族(母・私・弟)が決断し、回復見込みの無い延命措置を事実上打ち切って、覚悟の退院をしてから11日目。「帰宅したらすぐにも力尽きる」可能性も十分に有った中で、本当に驚異的に頑張ってくれました。おかげで、殆ど全ての親戚や近所の仲間が、別れの挨拶をしに来る機会を得られました。

僕と2人で24時間ローテーションで付き添っていた弟が、目薬を点眼してやりながらふと気付いたら既に息をしていなかった、という、誰にも死に目を見せない静かな去り際でした。己の人生の長さの決定権を医学に明け渡さず、別れの時間もしっかり確保し、住み慣れた自宅で全く苦しまずに逝くという、実に見事な生涯の閉じ方でした。

葬儀も故人の遺志を尊重し、近親者とごく親しい友人・隣人のみで小じんまりと執り行いました。僧侶も呼ばず、読経も焼香も戒名も無し。父が生前愛聴した音楽のCDを流す中、蓋をはずして部屋の中央に置いた棺を皆で囲み、人生を振り返る写真や資料の展示を見ながら、静かな時を過ごしました。

また、今まで“取材テーマ”でしかなかった《尊厳死》(厳密な定義論はさて置き、今回の父の最期が尊厳死だったことは、息子として確信します)と、当事者として向き合えた体験から、随分色々なことも考えました。……古今東西、多くの父親と息子の間に横たわっているのであろう《憎悪と赦し》についても。

ともかく、別れ方が完璧だったおかげで、喪失感というよりは、“新たな出発”感のようなものを、僕は今抱いております。(遺された母の胸中は、そう割り切れたものでは無いでしょうが。) ―――2009年、前向きです。今年も宜しくお願いします!