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下村健一の中と外
ありがとう、筑紫哲也さん。
もう15年ほど前のことだが、『NEWS23』の多事争論のコーナーで、あのおなじみのフリップに筑紫さんが「勘違い」というテーマを書かれたことがあった。
その日、『NEWS23』の直前にオンエアした『情報スペースJ』という報道番組は、ある有力政治家の裏金疑惑をスクープしていた。我々の取材に対し、当初は裏金の存在を一旦認めるような証言をしていた関係者たちが、2度目の インタビューで一転して揃って否認に転じたときの異口同音の言い訳が、「前言は勘違いだった」というセリフだったのだ。スタジオに生出演して僕と20分ぐらいも激論を戦わせた某国会議員も、その姿勢を頑なに貫いて、話は平行線に終わった。
シラを切り通された、という不完全燃焼感を抱えてオンエアを終えた直後、筑紫さんが多事争論で「別番組のことではありますが…」とこの話を引き継いで、強力な援護射撃のコメントを発してくれたのだ。
思えば、TBSがオウム報道問題で批判されていたピーク時に、ちょうどニューヨーク支局への異動のタイミングを迎えてしまった僕が、東スポの1面トップで「海外逃亡」と書き立てられたとき、オンエアの中で「この異動は前から決まっていた話なのに」と事実を熱い口調でアピールしてくださったのも、筑紫さんだった。
あまりの無茶苦茶な誤報に、まともに反論する気にもなれず沈黙していた僕をそうしてかばってくれた後、筑紫さんは何事も無かったかのように、笑顔で僕に1冊の本を手渡してくれた。『紐育風姿花伝』―――それは、筑紫さんが朝日新聞のニューヨーク特派員だった頃の見聞記。気分的にクサりかけていた僕にとって、本当に元気の出るはなむけだった。
松本サリン事件報道の在り方を問い直す岩波ブックレットを、あのとき犯人視報道された河野義行さんらと共著で僕が刊行したときも、(僕の知る限り)一番大量にまとめ買いしてくれたのが筑紫さんだった。
こうして思い出すと、筑紫さんは、僕が窮地に立ったときや援軍を必要としているときに、こちらが相談もしないうちからいつも助けてくださっていた。「やんちゃをしても、必ず理解してくれる父親がいる」ような安心感に支えられて、今まで僕は、伸び伸びと“非主流的”な言動をとっていたのだな―――と、大きな喪失感の中で、出来の悪い息子(何百人もいるうちの一人として)は、今さら思い知らされている。
48年前、僕がこの世に生を受けたのと同じ病院から昨日旅立たれた、筑紫さん。今まで本当にお世話になりました。あまりにも非力で恥ずかしいけれど、恩返しのつもりでご遺志のほんのひとかけらでも、僕なりに引き継げるよう、精一杯頑張ってみます。