今まで喋る仕事ばかりして来たが、このコーナーが来週で終わるのを機に、今度、私も初めて、著書を出すことになるかもしれない。この後、最終的なゴーサインが出れば、来年初め頃の出版を目指して作業を進める。
実は今年6月に、4週連続で岩波書店主催の市民セミナー「メディア社会をどう生きるか」で講師を務め、各回毎にテーマを分けて、ゲストを招き対談した。その記録をベースに、中味をより深めて加筆する。今朝は、その対談時の録音のごく一部をご紹介しよう。
■撮られる側から、再び撮る側へのジレンマ
この本の第1章(=対談シリーズの初日)は、「メディアの“影”――報道被害発生のメカニズム」。報道自体が当事者を傷つけてしまう、いわゆる“報道被害”について、イラク人質事件で帰国後に「自作自演」「自己責任」等の言葉で袋叩きに遭った日本人の1人、郡山総一郎さんをゲストに迎え、考察した。
郡山さんは、事件当時からプロの写真カメラマンとして活動していて、事件後も、東南アジアの貧困地区を捉えた写真で、上野彦馬賞(毎日新聞・九州産業大学主催のフォトコンテストのグランプリ)を受賞するなど活躍している。ただ、それと並行して、実は今や写真週刊誌(当時彼を批判的に報じていた某F誌)の契約カメラマンもしているのだ。あれだけ報道の吊るし上げを喰った体験者が、写真週刊誌のカメラを持ったのは何故か? そしてどんな仕事の仕方になるのか?
【2008年6月2日セミナーより】―――――
下村: (本業として)全然報じられていない、世界のあちこちの隅っこで起こっている事を掘り起こして撮っていく。そのためには資金がいるから、(副業として)写真週刊誌もやっちゃう、と。
郡山: そう。そこで矛盾が生じるわけです。
下村: そこですよね。つまり、(やりたい事だけでは)食っていけない。
郡山: 金銭的に無理というので、他の事で埋め合わせをしながらやらなければならないという…。《食っていくため》、自分のやりたい事を続けるためですね。
下村: 本来撮りたいものを撮るために、違うものを撮ると。
郡山: そうです。
下村: 「食っていかなきゃしょうがない」って言った瞬間、「何をやってもいいのか?」ということがあるじゃないですか。それは郡山さんの中では、どういう基準を作っているんですか? 《食っていくため》だったら、何でもいいの?
郡山: いや、ある程度というか、テーマをかなり選んでいますね。だから、振られた仕事を断ったりもしています。
下村: もし、またどこかの戦乱の地で日本人拘束事件が起こって、その人が何とか助かって帰って来た。で、「おまえは何をやって来たんだ?」という記者会見が今からあるから撮りに行け、と週刊誌側から言われたら―――行きますか?
郡山: そうですね。…断るかな。何とも言えないですね。どうかな。行くかな。うーん…。
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この絶句後の郡山さんの答えは、なかなか考えるヒントに富んだもので、そこからまた議論は深まった。続きは、数ヶ月後、私の本が出るのをお待ちいただきたい。
■「元・人質」や「遺族」という“肩書き”
報道被害と言えば、先週このコーナーでお知らせした、『京都メディフェス』の注目企画「報道被害屋敷」は、来場者の好意的な感想から報道関係者の「我々はこんな露骨なことはしていない!」という非難の声まで、賛否両論の反響を呼んだという。後者の批判については、私としては首を傾げざるを得ない。私自身、実際に現地を訪ねて覗いてみたが、むしろ「報道被害の現場の恐ろしさを体験していない者には、これぐらいの生ぬるい表現が限界だよなぁ」という感想を持った。おそらく、憤慨した報道関係者は、たまたま苛烈なメディア・スクラムの現場に居合わせたことが無い、幸運な記者なのだろう。もちろん、単純化し過ぎ等、至らぬ点はあるにせよ、議論の起爆剤として《物議をかもす》という意味では、この斬新な企画は十分に有意義だった、と私は評価したい。
さて、6月の岩波市民セミナーの対談では、毎回、会場の皆さんとの質疑応答の時間も設けられた。初日は、郡山さんが、事件後かなり長い間「元・人質」というレッテルに付きまとわれたという話を受け、世田谷一家殺害事件の遺族・入江杏さんが、会場から手を挙げて質問した。
【2008年6月2日セミナーより】―――――
入江: 「元・人質」という冠が付くのは、やっぱり忸怩たる思いがあるのではないかと思うのですが、その「元・人質」という肩書きを取るには、どうしたらいいとお考えですか?
郡山: 初め、一所懸命取ろうと思ったんです。行動で示そうと思っていたんですが、もう取れないんで、「いいや」って。だから(「元・人質」と)名刺に書いちゃおうかなと思ったぐらい(笑)、開き直っちゃったっていうのが本音ですね。僕自身は、変わらないので。
下村: なるほどね。入江さんご自身にとっても、“あの遺族の”っていうのが常に頭にくっつくっていうのは、テーマですよね。
入江: まぁ、そうですね…。
下村: 来週、論じましょう。
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■アスファルト舗装より、石ころ道を歩けるサポートを
で、“来週”=セミナー2回目の対談は、その入江さんがゲストだった。目下、製作中の本の目次では、この部分は、第2章「メディアの“光”――修復的報道の可能性を探る」として収蔵される。これは前の章と対になって《光と影》という位置付けだ。まだ仮題なので最終的なタイトルは未定だが、「修復的報道」という造語は必ず前面に打ち出して、新しい考え方として、この本の中で具体的に提案してみたいと思っている。
入江さん達は、棟続きの隣に住んでいた妹さんご一家を突然失ったあの事件以降、猟奇的で謎に満ちた事件だっただけに、何度もメディアに興味本位な採り上げられ方をして傷ついてきた。だが、今も未解決だけに、真犯人を捕まえるためにも世間から忘れられたくない、という思いから、何とかメディアに採り上げ続けてもらいたい、という気持ちも同時にあり、このコーナーにも何度か登場された。そんな8年半を踏まえて、敢えて入江さんに、「絶望の中の《光》となり得るような報道はあったか? それは如何なるものか?」というのを伺った。
この対談の中で入江さんは、「人を傷つけない報道なんて、有り得ない。多かれ少なかれ傷はつくんだから、それを根絶しようなどと考えるよりも、こういう風に発想を変えてみたら」と投げかけた。
【2008年6月9日セミナーより】―――――
入江: 逆に、被害者がメディアの方々をびびらせるっていうか。「被害者に何か聞いたら、被害者が物凄く傷つくんじゃないか」と、凄く気を使ってくれているなという感じもまた、《びびってしまうことによるマイナス》(補足説明後述)もあるんじゃないかな、と私は思っているんです。どんな方法で聞いても、やっぱりある程度傷つくということもあると思うんです。傷つかない方法があるとしたら、逆に本当に私は聞きたいんです。
例えば誰かが凄く嫌な報道をしたからって、下村さんみたいな人が何人かいてくれれば、それはそれでいいわけだから。幾つかのサポートというか、サポートの数を増やす。私たち、被害者じゃなくても、人間って結局“石ころの道”を歩いているじゃないですか。だから、その石ころを全部アスファルトに整備しちゃおうっていうんじゃなくて、“石ころの道”を歩きながら、歩いてもそれを《受け入れられる》と言うか、石ころでも皆で歩いて行けるっていうことの方が、私は健全だと思うので。
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つまり、報道陣が被害者を傷つけることを恐れ過ぎて、過度に遠巻きにして被害者を社会的に孤立させ、被害者自身がちゃんと聴いて欲しいと思っている胸中まで聞き出すのをやめてしまうぐらいなら、《傷ついた時にサポートできる仕組み》の方を充実させようよ、というわけだ。それが具体的に何なのか、「修復的報道」とは如何なる姿のものなのか―――これも、続きは私の本が出るのをお待ちいただきたい。
そもそも報道という仕事は、社会に情報を流通させ、問題解決の為の《考える材料》を提供するという、極めて《光》あふれる前向きな仕事なわけだが、今回の著書は、そんな当たり前の原則論を再確認する本ではない。前の章で採り上げたような《影》の部分が特に世間の反発を招いている今だからこそ、現場の記者達が意識的にチャレンジすべき前向きな課題があるのではないか、ということを著してみたい。
■大小のザルが重なり合う、共存の形
こうして、第1・2章で《従来の》報道の光と影を考察してきたのを受けて、第3章は、「メディアの《新たな》担い手――市民誰もが発信者の時代へ」というテーマを掲げる。このコーナーでも度々採り上げてきた、市民メディアの動きだ。ベースとなる対談相手は、理屈でなく実際に市民メディアを運営し着実に実績を上げている『Our Planet-TV』の、白石草代表。市民メディアと既存の大手メディアとの関係について、白石さんは、大変分かりやすい喩えをしてくれた。
【2008年6月17日セミナーより】―――――
白石: 私たちは、《網目の小さい、外枠も小さいザル》っていう感じで(市民メディアを)とらえていて。で、大手メディアが《網目の大きい、外枠も大きいザル》なんですね。そこからザーッと砂を入れますと、大きい石は引っ掛かるんですけど、小さい砂は大体そこから落ちちゃうわけなんですよ。で、その小さく落ちちゃっているのを受け取る、受け皿としてカバーしているのが私たち市民メディアの役割かなと。
下村: なるほどね。その2つのザルは、重なり合ってても全然構わないわけですね。
白石: そうです。
下村: 大手のザルは網目が粗いだけじゃなくて、ザルそのものの外枠(カバー領域)も大きい。で、市民メディアは、目は細かくていいけれど、外枠もとても小さいザル。「この問題しか分からない。他のことは知らないよ」っていうのが市民メディアだと。そういう枠の小さい・目の細かいザルが、大きなザルの下にコバンザメのように一杯あちこちに出てきてる。その両方が重なると、《枠も大きいし目も細かいザル》っていう、足し算するとそういうメディア状況になりますよね。
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そういう組み合わせになれば、広い範囲もカバーできる上に、細やかなニュースも漏れ落ちない。大手メディアと市民メディアの共存の、理想的な形が実現する。抽象的でピンと来ない、という方は、…くどいようですが(笑)数ヶ月後、私の本が出るのをお待ち下さいまし。
■そして、ベクトルを反転しての最終章
既存メディアも市民メディアも含め、ここまでの3つの章が、報道の《送り手》の話だったのを受けて、最後の第4章(セミナーで言うと第4週)は、報道の《受け手》は今後どうあるべきか、「メディア社会の生き方」というテーマで考える。すなわち、メディア・リテラシーのお話。
世界の教育界でメディア・リテラシーがどんなカリキュラムで教えられているかを、実際に現地を訪ね歩いて研究している、川崎市立中学校の国語科教諭・中村純子先生をゲストに、特にオーストラリアの事例の視察報告を中心に語っていただいた。
―――このように、単に問題点を嘆いたり理屈をこねるだけの本ではなく、これからの報道はどうあるべきか、送り手・受け手双方の在り様を具体的に提案するような対談集を目指したい。
今までにも、今回と同じ岩波書店で、筑紫哲也さんらが編纂した『ジャーナリズムの可能性』の一部執筆を担当したり、河野義行さんらと一緒に岩波ブックレット『報道は何を学んだのか』を出版したり、といったことはして来たが、いずれも部分参加の共著で、今回の出版が実現すれば、私にとって初めての自分がまとめた本になる。
この本で採り上げるテーマは、報道被害、市民メディア、メディア・リテラシー、と『眼のツケドコロ』で私がこだわってきたものばかりなので、来週でTBSラジオでの放送が終わるこのコーナーの、総集編あるいは延長戦がこの本だ、と思っていただきたい。(涙)