昨日(12月21日)、あるいじめ事件のご遺族と県との和解が、およそ10年振りで成立した。この事件で自ら命を絶った神奈川県立高校1年生の小森香澄さんの母・美登里さんにお話を伺う。
■作文の要約を得るのに、9年半
この事件では、主な加害者生徒との間では既に和解が成立しており、今回は、残る学校側=県教育委員会との長い交渉の決着だった。
小森: 私は娘の変化に気づいて、学校のほうにずっと報告をしていたんです。それに対して学校が、ちゃんとした対応を取らなかったということについて、陳謝の内容が入っていました。
――どう受け止めていらっしゃいますか?
小森: 率直に言って、これだけの時間を必要としたことについては、大きな不満がありますね。陳謝ということですが、これを何故、娘が亡くなった直後に、一緒に情報を共有して陳謝する、ということが出来なかったのかが、非常に不満です。
何故、この裁判を起こしたかっていうと、《我が子の身に何が起きたのか、それを知りたい》ということが一番の目的でした。亡くなった直後に学校が、いじめがあったとされる吹奏学部の部員たち皆に、当時の状況を聞いているんですね。それが作文として残っていて、それを見せて欲しいというのが学校への私達の一番の要求だったんですが、それが叶わないので裁判になってしまったと。裁判の中で、それを見せて欲しいという要求をずっとし続けていたんですが、叶わなかったんです。ですから、それを見るために和解交渉の中でも、また要求し続けていたわけです。今回、すべてではないんですけれども、(その作文を)要約したものを受け取りました。
――そこから、何か読み取れましたか?
小森: 私達が「教えて欲しい」と思っていた事が、やっぱり入っているわけですね。私達は、それを見つけるためだけにいろんな事をし続けていたんです、この9年半。けれど、見せてもらうことが出来ず…。それを(見せずに隠して)ずっと持ち続けていた(学校・県側の)人達の気持ちって、どういうものなのかなって思いますね。
■裁判を極度に恐れる学校側
小森さんに限らず、こういう事で子供を亡くした親は皆、何があったのかをまず知りたいのだと言う。だが、どうしてここまで学校は、それに応えて行けないのか。
その問題意識から、小森さんのご両親が中心になって活動しているNPO『ジェントルハートプロジェクト』では、先月18日に「親の知る権利を求める緊急シンポジウム」を開いた。
――――シンポジウムより―――――――――――――――――――――――――――――――
小森(香澄さんの父): 教育委員会や文科省が、(実情把握のための)体制強化を図る通達を出せば出すほど、真実は挙がりにくくなってくる。「うちの所は、これだけいじめがありました」という報告に対して、「よし、偉い!」っていう(評価を期待する)学校はないです。逆に評価を下げられてしまう。だから、校長と教頭が鉛筆を舐めなめ、「隣の学校はどうなんだろう?」なんていう話をしながら作文をしてる姿は、容易に想像できてしまうわけです。そういった中で、今の調査方法では本当の(いじめの実態を示す)数字は表面化して来ないだろうと、私達は考えています。
どうして、子供を亡くした遺族に対して、そこまで隠さなければならないのか。敵対するのか。一番学校が恐れるのは、出てきた証拠が裁判に使われることなんですね。私たちは当初、「真実が明らかになって加害生徒にきちんとした指導をしてくれれば、裁判なんてのは毛頭考えていないです」と言います。でも、学校は絶対それを信じてくれません。最悪の、裁判のケースになったときに、不利にならない足固めをするようになってしまいます。「いじめは無かった」という結論を導き出すことを前提に、一方的に加害者側の擁護を目的とした調査が行なわれるという可能性は、非常に高いですね。
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――裁判で不利にならないように、なるべく事実を出さないというのは、小森さんの場合だけではなく、他のケースでも同じような状況ですか?
小森: これはもう見事に、すべて同じ対応を各学校がしているんです。いじめ直後からのいろんな流れも、ほんとうの基本的な「真実を知る。真実を共有して、緊張して、二度と起きないようにする」という当たり前の事が、なぜかいじめ事件に関しては為されないんですよね。
――学校側は「裁判を恐れて真実を隠す」のだろうが、「隠されるから真実を知るために裁判を起こさざるを得なくなる」という逆効果が生まれてしまっている、と。
小森: これは確実にそうだと思います。他のご遺族の皆さんも、事件当時、真実が共有できていれば、この裁判は無かったとおっしゃるんですよ。
■「学校は、知らせてくれるものと思っていた」
このシンポジウムでは、香澄さん同様、いじめによって自ら命を絶ってしまった平野ヨウ君(当時中学2年生)のご両親も発言している。これを伺うと、何でもない普通の親御さんが、本当に仕方なく裁判を起こしているということが非常によく分かる。
――――シンポジウムより―――――――――――――――――――――――――――――――平野(母): 前月に下痢の症状があって、学校を早退することが4度あり、病院へ行きましたが、軽い風邪と言われました。それで遅刻させて、その日も学校に行かせたんですが、その時まさに、いじめがあったんでしょう。私は未熟な親で、いじめでそういう症状が出てると全然気づきませんでした。
7月15日の夕方に息子は亡くなりましたが、その日の朝、学校に行ったら、机やイスに、マーガリン、画鋲、チョークの粉、花瓶の水などがかけられていたそうです。息子が帰ってくるまでに学校から(報告の)電話はなく、私も知らずに対応していました。学校から連絡をもらっていれば、たぶん息子は元気に今27歳を迎えていたんじゃないかなと思います。
学校の先生をすごく信じていて、何かうちの子に異変が起こったときには、必ず連絡をいただけるものだと信じて、(子供を)学校に出していました。学校の先生が把握していただけで15件ものトラブルがあったということも、訴訟を起こしてみて、初めて分かりました。こういう私を見ると、普通の人だったら「(事前に異変を察知できず)馬鹿な親だなぁ」って思われるかもしれないんですけど、多分、これが普通の親である、という風に私は思ってます。
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このご両親は、子供が亡くなった真の原因を知るために、学校の中で何が起こったか調べて報告してくれ、というやりとりを、学校側と何度となく取り交わした。しかし、出てきた情報は非常に断片的で、「いじめではなく、いたずら。生徒同士でよくある小さなトラブル」という見方でしか情報が得られなかったという。当然納得が行かず、裁判になった。
■“普通の親”が裁判を起こすしんどさ
だがこの裁判に対する思いを、父・信矢さんは次のように語った。
――――シンポジウムより―――――――――――――――――――――――――――――――平野(父): 我々のような普通の、一般の人間が、民事とはいえ裁判を起こすというのは、法廷で戦っていくわけですから、その間「気持ちを強く持ち続ける」という部分において、すごいエネルギーが要ります。いわゆるサラリーマンという立場でございますので、「あいつが裁判を起こしたんだって」云々ということも含め、あるいは、私の例で言うならば、裁判を起こす前にいたポジションから、どっちかというとあまり他人様の目に触れないような職場のほうへ、敢えて自ら望んで配置転換を願い出た等々の経緯もございます。
本当に、(裁判なんて)やらなくてもいい事であれば、やらないで済ませられたら、なんてよかっただろうな、という部分もあります。
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――こんな思いまでして、皆さん、裁判に訴えて、最終的にご遺族にとって、「ああ、それでもやっぱり訴えて良かった」という結果にはなっているんですか? ますます傷ついて終わりなんていうことはないですか?
小森: 途中で、「本当に、何をやってるんだろう?」って、めげそうになってしまうんですね。自分のやっている事が空しくて空しくて、「なんでこんなに沢山嘘をつかれて、攻撃されて…」って思うんです。けれど私は今ちょっと、「(裁判を)やって良かったな」って思った部分も確かにあります。というのは、やらなければ知り得なかった事も、やっぱり出てきたんですね。沢山じゃないですけれども、あったんです。学校が(事件)直後、『当時の調査書類を見ても、どこにもいじめと思われる場所は無かった』って断言したんですが、後から私達がいろんな形で調査したら、香澄はいじめられていたということを聞いていた人が、何人もいたのが分かったんです。それは、裁判の中で協力して下さる方がいたから、初めて出て来たんです。
■《加害者のため》の真相究明
真実を明らかにすることは、原告であるご遺族のためだけではない。事実と向き合うということは、被告=加害者側にとっても、決して悪い事ではない。それどころか、本人のためになるはずだ。
小森: 心からの謝罪をして、もう一回生き直すことができると思います。その子達だけじゃなくて、そのいじめがあったことを周りで見ている子達も一杯いるわけですよね。その子達にも、学校と一緒に嘘をつかせるような状況を、今は生み出していると思うんです。「あのとき、思いっきり全部話してあげればよかった」なんて後悔をする子供達だって、きっと沢山いると思うんですね。
《いじめた側の子供達にとって》という視点。たまたまある事件で加害者少年の弁護を担当している弁護士の杉浦ひとみさんは、このシンポジウムで次のように発言した。
――――シンポジウムより―――――――――――――――――――――――――――――――杉浦ひとみ: 学校側は、(加害生徒に対しては)「もうこれ以上は聞かないからな。だから、前を向いて頑張れよ」という励ましなんですね。子どもの事を思ってというか、あるいは臭い物にフタをするというか、その辺りは何とも言えません。それはそれで多分、学校は学校なりの配慮をしていると思うんです。前に向かって歩かせることで、「後で気づけよ」と。普通のレールに乗って走る中でふと考えて、「あの時悪かったな」って気がついたらそれでもいいという発想もあります。
でもやっぱり、やった事の意味って知らせていかなければいけないと私は思っておりまして、まずその少年を呼んで話を聞くんです。万引きの強要についても、一緒に何人かで歩いていて、いじめのターゲットの子も一緒にいる。で、「オレこれ欲しいんだけどなぁ」って2~3人が言う。そうすると、いじめのターゲットになってる子は「うん、わかった。取ってくるよ」って言って、盗ってきて渡した。加害をしている子達の認識は、多少後ろめたい気持ちはあるんですけど、「彼が取ってきてあげるよと言って、貰ったんだ」と言うんですね。一事が万事、自分がやってる事についての認識が凄く甘くて。加害少年達が、自分達のやった事が一体何だったのかってことを気づかせなければいけない。《加害者のため》に、私は今やってます。
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――小森さんの場合、加害者に自覚を促すことは出来ましたか?
小森: そこの部分は、残念ながらやっぱり無理でしたね。そちら(学校や加害者の親)が全部「いじめではない。いじめのつもりではない」っていう方向になっていたので、大勢の大人が「あなたを守るよ」っていう風になったら、加害者の子供達だってそちら(いじめではない、という立場)のほうに付いてしまいますよね。
■どんな心で、次の時代を創るのか
小森さん達は、シンポジウムで、「親の知る権利を求める緊急アピール」として、次の2項目を発表した。
(1)事実認定に至るまでの情報を、遺族・被害者家族と学校が共有出来ること。
(2)学校は加害者となってしまった子どもに、正しい反省の機会を与えること。
小森: 子供達は、皆さんが思っている以上に、とても大きな苦しみを抱えて、緊張感をもって学校に通っているということを、是非理解していただきたいと思います。そして、今の子供達が、《人を苦しめて快感に思ってしまうような心》で次の時代を創ることが、どんなに恐ろしいことなのか。この問題に第三者はいないんだっていうことを強く訴えたい、実感していただきたいと思います。
私達は、予防的な意味を持つ活動もしたいと思っています。傷ついた子供達を支えることも本当に大切な仕事ですけれども、もう1つ、そういう子供達が生まれないように、何が出来るのか。そこに取組んで行きたいと思っています。
今日(12月22日)は、亡くなった香澄さんの25回目の誕生日。「やさしい心が一番大切だよ」という彼女が遺した言葉は、今も『ジェントルハートプロジェクト』のシンボルとして生き続けている。