世田谷一家4人殺害事件の発生から、今夜で丸6年が経つ。犯人は未だに見つかっていないが、今年は、被害者のご遺族の《悲しみからの再生》という点で、確かな一歩がしるされた年だ。
今年5月、犠牲者の宮澤泰子さんの姉で、事件現場となった宮澤さんの自宅と棟続きの隣に住んでいた入江杏さん(ペンネーム)が、一家を偲んで絵本『ずっとつながってるよ』(くもん出版/本体1,000円・税別)を出版した。当時『NEWS23』 などで報道したので、ご存知の方も多いだろう。実はその後、この絵本が、さざ波のようにゆっくり静かに拡がって、つい先週金曜日(12月22日)、大阪のある場所に到達した。今朝は、そのエピソードをお伝えする。
■初めは「自分の悲しみを癒すため」に
絵本の主人公は、一家に実際に可愛がられていたこぐまのぬいぐるみ、ミシュカ。まずは、ストーリーの一部をご紹介する。
――――(絵本『ずっとつながってるよ』より)―――――――――――――――――――――――
ぼくは こぐま、名前はミシュカ。ぼくの大好きな家族を見て! ぼくらは いつもいっしょ。
空気がぱりぱり冷たくて、つららがキラキラ凍る冬。いっしょに踏んだね 霜柱。
楽しかった いつも。
だけどある日……信じられない できごと。
にいなちゃん、れいちゃん、パパもママも、ぼくの目の前から 突然いなくなった。
どんなに待っても、もう会えなかった……。
どんなに願っても、かなわない願いがあることを ぼくは知った。
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宮澤一家との楽しい思い出から一転、突然の悲劇で悲しみに暮れるこぐまのミシュカ。そして長い時間の後、ミシュカは、霜柱の音というささやかなきっかけから、前を向く気持ちを回復させ、亡くなった4人に「ありがとう」という手紙を書く。
入江さんは、この絵本を作った動機を、出版当時こう語っていた。
入江: 自分の悲しみを癒すために、もう本当に無心に絵を書いて、少しでも元気が出るようなお話を作りたいなと、ただ本当に自分のために作ろうと思ったのが動機なんです。
なるべく楽しい思い出、明るかった思い出をこの絵本に込めようという気持ちで、出来上がったときは、本当にミシュカの可愛らしさで、「明るい、悲しいけれど明るい絵本になったね」って息子が言ってくれたのが、本当に嬉しかったです。
■「いやだ、いやだ!」から「誰にもわかってもらえない」へ…
こうして、5月に出版されたこの絵本は、静かに広まっていき、奇しくも、翌6月の大阪教育大付属池田小事件5周年の日の直前というタイミングで、その事件の犠牲者・本郷優希ちゃんの家族の元にも、届いた。
突然校舎に乱入した男によって1・2年生8人が刺し殺された池田小事件。優希ちゃんの妹はなちゃん(仮名/事件当時3才)は、なぜお姉ちゃんが急にいなくなったのか判らず、以来、時々不意に、両親にこんな言葉をぶつけていた。
―――――(優希ちゃんの母の手記『虹とひまわりの娘』より)――――――――――――――――
「優希ちゃんに会えないの、いやだ! いやだ!」
「ママ、優希ちゃんのお口がなくて声が聞けないからいやだ、お話がしたい」
「○○ちゃんのおねーちゃんも天国に行くの?」
「パパとママも優希ちゃんみたいにいなくなっちゃうの」
「悪い人はつかまったの?」
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それから、今回こぐまのミシュカの絵本に出会うまでの間、はなちゃんが事件と向き合ってきた様子を、ご両親はこう語る。
本郷(母): 小学校に入学する時に初めて、事件について、はなに伝えたんです。毎年毎年この時期になると、娘は事件があったこと、姉と死別してしまったこと、そういったことと向かい合ったりしていて、急に泣き出したりとか、あとはやっぱりね、行動に色々と現れるんですけど…。
――事件があったときは3才でよく分からなくて、だんだん事件の事がわかってくる…。
本郷(父): 難しいですね。どうすれば、はなの気持ちをできるだけ傷つけないで、しっかりと事件の内容も伝えてやれるのか。こちらから無理強いして何かを伝えるとか、そういったことは良くないんじゃないかなと感じています。はなが本当に知りたいと思ったときに、知りたいと思ったことだけを教えていってあげたいなと思っています。
本郷(母): で、今年は、初めて「お父さんにもお母さんにも、先生にも友達にも、今の自分の気持ちは誰にもわかってもらえないんだ」って打ち明けてくれたんです。「ああ、こういう時期が来てしまったなあ」と、すごく「どうしたらいいのかなぁ」と思っていたときに、たまたまこの本が本当に(いいタイミングで)届いてくれて。
■ にいなちゃんに涙した優希ちゃん、ミシュカと友達になったはなちゃん
しかし、お母さんの由美子さんは、最初はこの絵本を、心穏やかに読むことは出来なかったという。ストーリーの土台である世田谷一家殺害事件発生のニュースを、娘の優希ちゃんと一緒に見ていた時のことを、思い出してしまったからだ。それは、優希ちゃんが池田小事件で命を落とす、半年前のことだった。
本郷(母): 当時1年生だった優希と、ニュース報道などでこの事件を知りました。ちょうど亡くなったお子さん(宮澤にいなちゃん)が同じぐらいの年のお子さんだったんですよね。それで涙を流して「お祈りしようね」って言って、そのニュースを見たっていう思い出があります。
――優希ちゃんが、世田谷事件のニュースに涙を流して…
本郷(母): はい。それで、そのことがすごく思い出されてしまって、本が来たときは、抱きしめて胸がえぐられそうな思いになってしまって、優希の遺影のそばに置いといたんですね。そしたらその次の日に、はながその本を見つけて、もう何も言わずに寝る前に読んでいた。そーっと見守っていたんですけど、もう本当に、毎日毎日寝る前に読んで、枕元に置いて。「私は主人公のミシュカと同じ気持ちなの」って、話してくれたんですね。
犯罪被害に遭った大人達は、最近では、同じ境遇の人同士で話をして支え合う場が色々と出来てきた。しかし、はなちゃんのような子供達は、個別のカウンセリングなどはあっても、同じような子供同士で出会い語り合うような機会は無く、それぞれに孤立している。そんな中で出会った絵本の主人公、こぐまのミシュカは、現在小学3年生のはなちゃんにとって、自分の気持ちを共有してくれる、大切な友達になった。
■こぐまの魔法で、《ずっとつながってるよ》
最初はこの絵本に「胸がえぐられる思いがした」という優希ちゃんのお母さん・由美子さんも、はなちゃんのそんな様子を目の当たりにして、絵本の見え方が一変する。
本郷(母): もうミシュカの魔法にかかったかのように、ページを開いたらすごく優しい色使い、主人公の幸せだった生活っていうのが、浮き出てくるように感じられて。それでまあ私たちも春夏秋冬、ミシュカの御一家と同じように過ごしたっていう思い出の話を、することができたんですね。どうしても思い出っていうのは辛くて、話すことがなかなかできなかったんですけど、そうやって「私たちも春にはね、チューリップを見たり、冬にはね、ミシュカと同じように霜柱を踏んで楽しく過ごしたのよ」っていうお話ができたんですね。
その後、ミシュカが大切な家族を失って、「どこへ行っちゃったんだろう」って悲嘆にくれる場面も、一緒に私たちも「本当にどこにいるんだろうね、いつも探してるよね」って話をしました。
最後には、やっぱり「ありがとう」っていうミシュカが書いたお手紙。「本当にありがとうだねぇ。ずーっとずーっと繋がってるんだよね」っていうお話をすることができました。
本郷家のこの出来事を聞いて、誰よりも喜んだのは、絵本の作者の入江さんだった。
入江: 優希ちゃんの妹さんがそんなにミシュカの絵本を気に入って下さったっていうことがすごく嬉しくて、「ああ、ミシュカの、元気になった…なろうとするミシュカの気持ちが伝わったんだな」と、その思いが《つながった》ことが何より嬉しかったです。
――なにか、作者の手の内を離れて、ミシュカがひとりで歩き出したっていう…。
入江: うん、ちょっとはっきり言って、すごくびっくりしてます。私が考えるより、ミシュカの力が大きかったなと思ってます。
■ミシュカも、はなちゃんも、前を向いて――
そして、先週金曜日。大阪教育大付属池田小で、事件の犠牲となった8人の子供達の写真の前に、クリスマスの飾りつけが行なわれたその日、本郷はなちゃんのお母さんから、入江さんなど関係者のもとに、1通のメールが届いた。
―――――(メールより抜粋)―――――――――――――――――――――――――――――
一つご報告がございます。『ずっとつながってるよ』の絵本のことです。絵本をどうしたらよいのか、娘の気持ちに任せることにしていました。
池田小には、校長室に8人の写真が飾られ いつでも8人に話しかけることができる場所があります。毎年 冬休みに入る前に「8人の所にもサンタさんが来ますように」「冬休み中 8人が寂しくないように」と、はなとクリスマスの飾り付けをしています。先ほど担任の先生から飾り付けの様子の連絡があり、登校をしてすぐに「この本を8人の所に置きたい」と、はなが担任の先生に『ずっとつながってるよ』を手渡したそうです。
頂いてから半年かかりましたが、はなが絵本を置く場所に選んだのは、池田小の校長室。8人の天使の笑顔の前でした。8人の天使達を通して『ずっとつながってるよ』は、子ども達や校長室を訪れる多くの人の心に繋がっていくことでしょう。ずっと・・・ずっと。
本郷由美子
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こうして、世田谷一家殺害事件の遺族・入江さんが、自分の心を癒す為に描き始めたこぐまのミシュカの絵本は、はなちゃんの心に届き、今、新たに、池田小の校長室を訪れる全ての人に届くようになった。
今、入江さんは、時々、小さな集いで講演し、この絵本について語っている。
入江: 家族を失って悲しみに暮れる小さいミシュカは、私自身の代弁者です。ミシュカは、私です。でも、この絵本のテーマは、悲嘆、悲しみではなくて、《再生》です。何年経ちましても悲しみは決して消えることはなくても、前を向いて進んでいくことはできる。「ずっとつながってる」という信頼の気持ちがあってこそ、どんな悲嘆からもまた立ちあがっていける。社会を変えるのは、そうした信頼の絆で結ばれた、人の力であるということを何より伝えたいと願って作りました。あえて《人生を肯定する》ということ。それを伝えることの大切さを私自身、実感しているからです。
皆様が想いをはせてくださっている限り、私は、事件は風化しないと信じております。
こぐまのミシュカの心の中に生き続ける、宮澤みきおさん・泰子さん・にいなちゃん・れい君は、今日、七回忌を迎えた。あらためて、ご冥福をお祈りする。