『辺野古の闘いの記録』にJCJ市民メディア賞

放送日:2005/8/20

先週土曜日(8月6日)、JCJ(日本ジャーナリスト会議)の年間表彰式が行われた。これは、毎年、すぐれたジャーナリズム活動・作品に贈られる賞である。主な受賞作をご紹介する。

■JCJ大賞―――『Little Birds イラク戦火の家族達』(綿井健陽監督)

このコーナーでも、ゴールデン・ウィークに2週にわたってご紹介した作品。綿井さんは今回の受賞に関して、今年2月に「ボーン上田賞」を受賞したときと同じ気持ちだ、と述べている。2月のときのコメントは、こんな言葉だった。

「大変光栄です。でも、これは僕にとって『不戦勝』だった。日本のマスメディアの側は『不戦敗』だった。それがいちばんの受賞理由だと思います」

つまり、一般の大手メディアは、もともとそこまで深く入り込まなかった、ということだ。思い起こせば、森達也監督が、映画『A』を製作したときにも、「何でこんなふうにオウム真理教の内側から撮れたんだ?」「どうして取材許可が得られたんだ?」と皆が不思議がったのだが、森さんは当時こともなげにこう説明していた。「いや、申し込んだのが僕だけだったんだ」―――これもまた"不戦勝"だ。「どうせ無理だろう」と、大手メディアが初めからチャレンジしていない部分は、実は結構あるものだ。
この『Little Birds』、同じ13日(土)にスイスで開催された第58回ロカルノ国際映画祭でも、ドキュメンタリーフィルムの人権部門の最優秀賞にあたる「人権賞」を獲得した。まさに、日本でだけでなく、世界的にも評価・注目されている。

彼は受賞当日のブログ日記「チクチクPRESS」に、こんなことも書いている。

このところの8月6日、9日の広島・長崎、12日の日航ジャンボ機墜落から20年、そしてまもなく迎える15日の終戦記念日を前に、いろんな追悼や祈りの光景があちこちで続きますが、追悼の次、祈りの次に何をするのか、何をすべきか、何をしてはいけないのか、何を記憶すべきかが、いま最も重要なことに違いないのでしょう。

綿井さんにとっては、この映画で皆に「知らせること」が、「追悼の次にすべきこと」だったのだろう。

■JCJ特別賞―――『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(日中韓3国共通歴史教材委員会)

これも、6月の発刊と同時に、このコーナーで執筆者の先生へのインタビューをご紹介した。この本、メディアでの紹介は細々で、新聞での書評はゼロという状態だったのだが、その後の売れ行きは好調で、発売1カ月半たった先月下旬の時点で、第6刷・6万5千部という好調な売れ行き。発売後1〜2週間くらいの頃には、都内の大きな書店の人文書で堂々の第1位をとったこともあり、発行元の高文研の担当者は、書店関係者から「驚異的な売り上げ」と言われたりしたそうだ。この受賞で一層弾みがつけば、と思う。
受賞理由は、「自国中心の閉ざされた歴史認識が教育の場に持ち込まれていようとしている昨今、日中韓3国の研究者、教師、市民が3年をかけ、国境を越えた視点から史上初めての歴史書を3国同時刊行した。東アジアの平和構築へ向けての画期的試みと評価できる」というものだった。

■黒田清JCJ新人賞―――『苦い涙の大地から』(海南友子監督)

これまた、今年3月に、このコーナーで取り上げ、監督にもお話をうかがった。 受賞理由は、「作者は被害者に寄り添い、その生活と心情を映像で克明に伝えながら、戦後世代の戦争責任のありようを追求している」とのこと。

■JCJ市民メディア賞―――『辺野古の闘いの記録』(大島和典さん)

時代の流れを組んで一昨年から設けられた、この新しい部門で受賞したのが、沖縄平和ネットワークのメンバーである大島和典さん(69歳/眼のツケドコロ・市民記者番号No.7)。沖縄・辺野古沖合の新たな米軍基地建設に反対する住民運動を撮り続けたものだ。
受賞理由にはこうある。「そのたたかいの日々をほとんどあますところなく記録し続けたビデオが、全国で広く上映されて支援の輪を拡げる武器となっている。市民運動から生まれた平和のためのメディアといえる」。 沖縄の自宅にいる大島さんに、電話でお話を伺う。

―この作品は、具体的にはいつ頃から、どのようにして撮られたものなんですか?

大島:
去年の4月19日に、防衛施設局がかなり強引に調査を強行しようとしたとき、それに対応して座り込みが始まりました。その初日から、ずっと記録し続けています。おじい・おばあによる座り込みというのは、もう9年前から始まってましたけど、本格的に工事を強行するのを止めようという座り込みが、その日からだったんですね。

―大島さんは、もともと四国放送のプロデューサーで、去年、沖縄に移住したそうですが、どういったきっかけで?

大島:
「平和ガイド」を、やるために1月に移住してきたんです。修学旅行生などに、沖縄の戦跡や米軍基地を案内する、平和学習の手助けをということで。実は、私の父が沖縄で戦死したということもありまして、それに最近の憲法をめぐる状況もあり、「これは、人生の最後、やっぱり平和に取り組もう」ということでやってきたら、この闘いにぶつかったんですよ。
平和ガイドを実際に始めてみて思ったのは、ただ戦跡を案内するだけではダメだと。今現在の沖縄にある基地をめぐる状況を変えるという、その闘いに参加している人間が「平和ガイド」をしている、ということが大事なんだと。そう思って、座り込みに最初から参加しました。

闘いの《参加者》というこのスタンスが、作品によく表れている。字幕でも、建設工事を進めようとする人達を「向こう」、反対運動の住民側を「こちら」と表現している。いわゆる《中立》を装うスタンスは最初からとらず、「これは報道ではなく、反対運動の発信なんだ」という明確な意識で撮られている。

大島:
座り込みに参加していて、たまたま撮影・編集の技術を持っていますから、ビデオを持っていったんですが、最初は、どういうスタンスで撮影するべきかというのは、非常に迷いました。だけど、実際に座り込んで、その立場から他のメディアの方が取材する様子を見ていて、「これは、自分が現役でやっていたときの姿だ」とゾッとしまして。そこからフッ切れたんですかね。座り込みの《一員として》撮っていくということで貫こうと、そういう決意をしました。

―その「ゾッとした」というのは?

大島:
座り込む人の生活とか、気持ちとか、そんなことには全然お構いなく、"絵"になる映像かどうかが関心事で、肝心のところは、幹部2、3人にインタビューしてサッと帰ると。私も現役のときは同じことをやってましたし、まあこれは仕方が無いんでしょうけど、それがいかに本質を掴み損ねているか。

―参加者の立場から捉えたとはいうものの、作品を拝見すると、反対の主張を煽るようなナレーション・BGMなどの演出は全く無く、淡々と記録されてますよね。

大島:
これは、最初からナレーション・BGMは止めようと思っていました。記録することで運動を拡げる、という立場でしたから。言ってしまえば、ナレーションは制作者の主観の押し付けですよね。見方を《一定の方向》に強制するというところがある。《いろんな立場》の人の力を借りて、基地建設を止めなきゃいけないのに、それをやったら邪魔になるだろうと。だから、現実に自分が見ているような目で作品を見てもらって、そこで起こっている事をどう感じていただくか、というのが基本だと思うんです。

ビデオの内容を少しご紹介しよう。最初のうちは、地上での那覇防衛施設局の担当者達との渡り合いの様子が中心。だが、撮影開始から144日目に、海の中に立つ「やぐら」での作業を阻むためのカヌー隊が出動するようになって以降は、それに同行しての洋上での撮影シーンが中心になる。

工事を進めようとする業者が、自分のボートから身を乗り出して、カヌー隊に海の上で掴みかかるシーンでは、怒号が飛び交う。

(以下は全て、カヌー隊から業者への抗議の声)
「私たちは全然納得していません。話し合う機会を持って下さい」
「暴力は止めろ!暴力はよしなさい!触るな!」
「あんたにそんな権限ないぞ!」
「作業を止めろ!」
「作業を止めなさい!」
「何やってんだ、恥ずかしくないのか!」
「危ないでしょう!そういうことわかってんのか、自覚しろ!こんなこと許されないぞ!」

―これ、海の上でずっと撮り続けてますけど、大島さんご自身も小船に乗って撮影されてるんですか?

大島:
座り込み組が建設作業を阻止するための"阻止船"を沖へ出すわけです。私は、あくまでも座り込み側の一員ですから、それに乗ってます。

―海の上でカメラのファインダーを覗いたりしてると、大変じゃないですか?

大島:
一番心配なのが、レンズの曇りとか、カメラの防水だとか、そういうのはありますね。

字幕の情報の詳しさも特徴だ。例えば、暗くなってから海の上のやぐらで建設工事の業者が作業しようとして、反対住民側が抗議する場面では、こんな字幕。

「日出1時間後〜日没1時間前の作業」というジュゴンへの配慮事項にも違反している!

―「ジュゴンへの配慮事項」というのは?

大島:
辺野古の海は、ジュゴンが住む海です。この期間中にも、現場の10キロくらい東で、泳ぐ姿が撮影されたりしてます。防衛施設局は、沖縄県と調査のための申し合わせ事項を作っているんです。それは、「ジュゴンは夜行性なので、ジュゴンの生態に影響を与えないように夜には作業しない」と。先程の字幕にあった時間内にだけ作業すると取り決めをしているのに、「向こう」は、自らそれを破って夜間作業を始めたんです。

このように、外からちょっとだけ来て取材したのでは、とても出来ないような細かな詳しい描写が続く。 内輪の作戦会議のシーンから、沖縄平和市民連絡会共同代表の言葉。

人間に対して、何か手を出すということは、私達は暴力とみなします。ですから、これをしないと約束できる方だけが、私達の行動に参加する。向こうは、わざと挑発してきます。こちらが荒く出ることを期待して、あるいは、海上保安庁をつぎ込むために、こちらが荒く出るように挑発してきます。そのことを頭に入れて、絶対に挑発に乗らない。私達がやろうとしているのは、ボーリング(調査)を止めるということです。基地建設を止めるということであって、目の前の人と言い合いをするということのために出るんじゃないです。

こうした調子で、淡々と運動の様々な側面が画面に刻まれていく。

―この記録ビデオ、もう既に第6巻まで出ていますが、こんなに長い撮影になると、当初から思っていらっしゃいましたか?

大島:
いや、思ってませんでした。座り込みをしてる方々へも、100日目にインタビューしたんですけど、「ここまで続くとは思ってなかった」と。それぐらい向こうの力は強力(で、早々に排除されてしまう)だろうと思ってたわけです。だけど実際に、「その日その日をどう阻止するか」ということで追求していった結果、今も止まってるじゃないかと。この8月31日で、座り込み開始から500日目になるんですが、向こうはボーリング調査で63ヶ所を掘削する予定なのに、まだ1本も許してないと。そういうなかで、「これは止められるかもしれない」と。僕もそうですけど、海上で頑張ってる人も感じ始めてますね。ただ業者は、隙あらば調査のためのやぐらを増設しようという動きは止めてません。

―まだまだ、撮影も続けられるわけですね。

大島:
つい5日前に「その7」が出来て、ダビング業者に発注しました。私が元気であれば、ずっと続けていくつもりでいます。最初は、「ビデオで、どれくらい拡がるのかな」と思ってましたけど、拡がり始めたら尻上がりに販売が進みまして、これまでに全国で5000本近く頒布されたと思います。

―5000本といっても、その1本1本につき、見る人がまた大勢いるわけで、まさに「市民メディア」ですね。

大島:
そうですね。大きいところでは、300人規模のところで上映されると聞いてます。

―ところで、辺野古の問題については、基地建設の場所自体を変えるかもしれないという報道もありますよね。

大島:
それがですね、そういう話が出る度に、運動の勢いに影響が及ぶんです。やはり、人間の弱さでしょうかね。人数がちょっと減ったり、カンパ額が減ったりということが起きてます。だけど、依然として攻防戦が続いているというのが分かると、「こうした情報は、意図的に流されてるのかな」ということで、また座り込み組が増えたりと、そういう状況を繰り返してますね。

確かに、東京発の大手メディアは、なかなか頻繁に辺野古まで出かけていって報道するということが、しにくい現実がある。それを《補完する》メディアという意味でも、こうした現場からの粘り強い情報発信は貴重だ。

『辺野古の闘いの記録』の購入は、こちらまで。

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このコーナーでは、6月23日の『世界市民記者フォーラム』開催を基点に、ゲスト出演して自分のテーマについて報告して下さる市民の皆さんに、「眼のツケドコロ 市民記者番号」を勝手に謹呈させていただいている。
今回ご出演いただいた大島さんは、《JCJ市民メディア賞》受賞ということで、まさにピッタリ!「眼のツケドコロ 市民記者第7号」に登録させていただく。

【参考】

※眼のツケドコロ・市民記者 No.1 高遠菜穂子さん(6月25日報告)
No.2 矢野健司さん (7月 2日報告)
No.3 直井里予さん (7月 9日報告)
No.4 田所誠三さん (7月16日報告)
No.5 三國裕史さん (7月16日報告)
No.6 嶋野道弘さん (8月 6日報告)

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