GW必見!イラク映画『Little Birds』上映中

放送日:2005/4/30

昨日からゴールデンウィークが始まった。この期間中に東京に来る予定の方に、何が何でも観てもらいたい超お勧め映画として、『リトル・バーズ』(小鳥たち)を御紹介する。イラクの庶民、特に子供たちの今を淡々と撮った作品である。監督の綿井健陽(ワタイ・タケハル)さんにお話を伺う。

―綿井さんと言えば、2年前のイラク戦争中、現地からのリポートでTBSやテレ朝にたびたび登場されてましたよね。ああいうニュースリポートに登場しながら、その合間にこつこつと撮りためてたわけですか?

綿井:
最初に撮り始めたのは、2003年3月ですね。イラク戦争の開戦直前から取材を始めました。それから、去年の7月頃のちょうど主権委譲が行われたときくらいまでの、約1年半にわたって撮ったキュメンタリーです。
私にとっては、テレビの中継リポートっていうのは、いわば臨時業務で、記者や特派員がいないときに依頼があればやるんですが、そうじゃないときは、とにかくビデオカメラを回して撮ってました。『リトル・バーズ』は、合計すると120時間ぐらいになるその映像を、1時間42分にまとめたものです。

―イラク戦争の映像イメージと比べて、この『リトル・バーズ』というタイトルはずいぶん可愛らしくて、戦場からは想像しにくいですよね。

綿井:
実は、このタイトルに込めた意味というのはいくつかあります。この映画の主人公になっているのは、3人の子どもを空爆で亡くされたお父さんなんですが、その亡くなったお子さん達のお墓の裏に、アラビア語で「お父さん泣かないで。私達は天国で鳥になりました」という文字が刻まれていたんです。これは、近所の人達が書いてくれたものなんですが、イスラムの国では、「亡くなった子ども達は天国で鳥になっている」という言い方をするらしくて、ひとつはそこから採りました。もうひとつは、映像のいろんなところで実は鳥の声が聞こえてくるんです。ものすごく激しい空爆の前後とか、墓の周辺とか、いろんなところで鳥の鳴き声というのが聞こえてまして、それをタイトルにも盛り込んだという感じです。

映画の内容を少し御紹介しよう。オープニング、映画のタイトルが出るよりも前の本当に最初のシーンは、開戦前の平和なバグダッドの日常が淡々と続く。食堂で食事をしたり、TVを見たり、子供たちが遊んでいたり。そういった普通の生活が、ナレーションも一切無しで数分間綴られている。

綿井:
オープニングは、バグダット市内の町のお店の様子や、子どもがサッカーしている様子から始まっているんですが、僕も最初驚いたんですよ。これから本当にいよいよ戦争が始まるっていう時なのに、バグダッドの人達はすごく落ち着いているんですよ。大人達に聞くと、僕達が思っているような戦争の捉え方とは違うんですよ。よく言われたのは、「戦争っていうのは、3/20から始まったわけじゃない」っていう言葉ですね。つまり「イラク・イラン戦争からずっと戦争の中で暮らしてきたから、大人はもうパニックにはならない。だけど、子ども達は動揺して泣き出したりするので、大人が慌てるとそれが子どもにも伝染してしまう。だから、いつも以上に普通の生活をするんだ」って言うんですよ。

その後、この映画で最初の日本語シーンとして、一昨年(03年)の3月20日、初空爆の際の綿井さんの実況リポートが登場する。日本のニュースでも再三使われ、当時テレビで見慣れていたはずのそのシーンが、先程の平和な日常生活光景を見た直後だと、全く違ったものに見えてくる。

【映画より/3月21日、空爆2晩目の実況シーン】

(爆発音の連続)
綿井:
「えー、こちら午後9時ちょうどです。今、激しい対空砲火の音が、バグダッド市内に鳴り響いています。あー、今、大きな炎が見えました!」
(ひときわ大きな爆発音)
綿井:
「あーっと、激しい空爆です!チグリス川の沿岸で、何箇所も煙が上がっています!」

日本(いや、世界ほとんど)の一般テレビ視聴者にとっては、こうした空爆シーンが戦争報道の見始めになったわけだが、映画で、その前の平和なバグダットを見た直後にこの爆撃シーンが続くと、その煙と炎の下で《何が破壊されているか・失われているか》が、リアルに感じられる。"戦争"は、その前の"平和"を知覚することで初めて判るものなのだ。そのことが、いきなり映画のオープニングから突きつけられる。

綿井:
それから、僕が空爆で一番驚いたのは、《破片》なんですよね。みんな破片で死んでいくんですよ。「ピンポイント爆撃」とか「精密誘導爆弾」とかっていう言い方をしますけど、結局どっか目標に命中したとしても、その時に飛び散る破片っていうのは、周囲何百メートルにまで及ぶわけですよ。そのガラスの破片とかコンクリートの破片とか、みんなそれで死んでいくんですよ。

たしかに、「ピンポイント爆撃」という言葉はトリッキーだ。落ちたところは"点"でも、それが与える被害は"面"になるのだから。
初空爆の翌日から、綿井さんは被害現場に撮影に出向き、地元の人に「何時頃に爆撃されたのか?」といった質問をする。しかし、イラクの人たちから返ってくる言葉は、「ノー・アンサー!」。さらに、「《お前》とブッシュは組んでいる!」と指差して罵られ、「裏切り者!」とまで言われる。
“親日感情が急変した”という間接的な解説をされても実感はないが、いきなり態度が変わったシーンを直接見せられると、「お前」と言いながら指差されているのは、自分であるように感じられてくる。

綿井:
実は、映画のあのシーンの時は、僕も非常に驚いたんですよ。それまでは、どっちかと言えばイラクではすごく親日的な人達が多いんですよ。日本人のことを本当に信頼してて、日本の電化製品を使ってて。それから、とにかく「ヒロシマ・ナガサキ」なんですね、あの原爆の惨禍を、前世紀の間ずっと映像で見たりしてますから。
それまでは信頼してたのに、米国支持を日本政府が表明した時から、ちょっと違ってくるんですよね。更に、自衛隊が派遣されてからは、露骨に「なんで軍隊を送ってくるのか」って言われたりするようになりました。

しかしやがて、正反対に、今度は綿井さんが取材相手に厳しく迫る場面が出てくる。一昨年(03年)4月9日にバグダッドが陥落して、進軍してきた戦車の中にいる米兵に、綿井さんが至近距離まで近づいて、文字通り“突撃”インタビューしているシーン。

【映画より/画面が米兵に迫り、撮影している綿井氏の声がかぶさる】

綿井:
「No more kill, No more killing people, please! No more killing innocent people, please!」
(殺さないで。これ以上、人々を殺さないで下さい! これ以上、罪の無い人々を殺さないで下さい、どうか!)
米兵:[綿井に対応しようとする同僚に向かって]
「Stop,stop!」(やめろ、やめろ!)
綿井:
「Don’t any more, don’t any more killing innocent people, please!」
(もうこれ以上、これ以上、罪の無い人々を殺さないで下さい!)
米兵:
「We don’t kill innocent people.」」
(我々は、罪の無い人々は殺していないよ。)
綿井:
「No. You have been killing so many children and innocent people.」
(いいや。あなた達は、とても沢山の子供達や罪の無い人達を殺しています。)
米兵:
「Have a good day! Have a good day!」
(良い1日を!じゃあな!)
綿井:
「You have been killing so many people.」
(あなた達は、とても沢山の人達を殺しています。)
米兵:
「Have a good day! Have a good day!」
(良い1日を!じゃあな!)
綿井:
このシーンの時は、バグダッド市内に次々と米軍の戦車が入ってきて、米軍の兵士は、あたかも戦争が終わったかのような、ある種の解放感に浸っているんですよね。この後には、例のフセイン像の引き倒しが始まります。その米軍に対して、当時「人間の盾」だったパキスタン出身の女性(英国籍)が一人で、「How many children have you killed?(お前達、何人子どもを殺したんだ)」って、立ち向かっていったんです。それを米軍兵士はほとんど無視してました。
で、私はというと、半分は取材上の策略ですね。つまり、ああいう強い言い方をして、米兵のリアクションや表情を捉えたいという気持ちもありました。―――でも、もう半分は、それまでバグダッドでずっと攻撃される側にいたので、そこで殺された人達の思いっていうのも、やっぱりありましたね。

私が感銘を受けたのは、この綿井さんが言う後者の方の思いだ。完全にイラク民間人側に立った姿勢で、大手メディアが好む“公正中立なインタビュアー”という装いはかなぐり捨てており、一般のTV局では「偏っている」と見なされて到底放送できないやり取りになっている。イラク首都への米軍初入城―――こんな旨味のある局面、普通に撮るだけで必ず大手TV局が買い取ってくれる=“仕事になる”に決まっている場面で、敢えてTV的には“使い物にならない”言葉を米兵にぶつけていった人間・綿井むき出しの迫力に、僕は感服した。
これは、《自分でビデオを映画化する》という発信方法を採ることで、初めて“陽の目を見る”ことが可能になったシーンと言える。

綿井:
あのシーンを撮り終わってから後で映像を見ると、実は僕もちょっと米兵に同情するんですよ。彼等だって送り込まれてきたわけで、戦争の理由もわからないまま、いわば恐怖感から銃の引き金をひく、というかたちですから。だから、あのシーンは、米兵に感情移入する人もいるし、一方でイラクで殺された人達のことを思う人もいるし、どっちにも受け取れると思います。それは、見る人に委ねたいところですね。

その後しばらくして、ある街角で警備中の米兵が、綿井さんに話しかけてくるシーンが登場する。
「俺達はサダムよりずっと良き隣人として接している。自由になった筈だ」という米兵の言葉に、綿井さんは、いきなりこう切り返す。
「大量破壊兵器は、どこだ?」
米兵「…その事は、話したくないな」
綿井「どこだ?なぜ見つけられない?この戦争の理由は何だ?」
すると米兵は、何も答えることなく、黙ってゆっくり立ち去ってゆく。時々チラッと、こちらを振り返りながら。

綿井:
映画としては、イラクの人達、一般市民や子ども達を描いているんですけど、実は、"隠れ主人公"は、米軍兵士のちょっとしたリアクションとか、返す言葉とか、表情なんかなんですよ。そういうところも見逃して欲しくないですね。

映画の本筋は、米軍の爆撃被害に遭った庶民の家庭をいくつも丁寧に、時間をかけて描き続ける。例えば、クラスター爆弾の一部を、そうと知らずに持ち上げてしまって、片腕が吹き飛んでしまった少年の話。やはり、クラスター爆弾の小さな小さな破片が眼球に入ってしまって、手術を受けて苦しんでいる少女の話。ニュースでは大規模な被害ばかりが伝わってくるが、この映画では、本当に小さなミリ単位の粒でさえ、どれだけ人を苦しめるのかがひしひしと伝わってくる。

綿井:
僕は戦争が始まる前からいましたから、「戦争や空爆の被害が、《一般の》人達にどう及んでいるのか」というところに一番関心がありました。例えば、バグダッド陥落の翌日、3人のお子さんを亡くされたお父さんとは、まさに病院でお会いしたんですよね。5歳のお嬢さんが瀕死の状態で運ばれているところで、そこで出会ったのが最初でした。その後、1週間後、3ヶ月後、半年後、1年後をカメラで追ったんですよ。例えば、病院の建物は、今でも爆撃に遭った現場映像として出てくるじゃないですか。だけど、「じゃあ、その前後には一体どんな暮らしがあったんだ」とか、「その後、彼等は一体どうなったんだ」とか、そういう流れを追っていくと、彼等の意識の変化も、状況の変化も見えてくるんじゃないかと思って、長期的な取材を行なったんです。

映画では、イラクの人々の姿、米兵のとまどいや苦悩の他に、イラクに駐留している自衛隊や、NGOのメンバーとして活動している日本人の姿もチラチラと登場する。これについては、また次回のこのコーナーで御紹介する。

この映画『リトル・バード』は、東京・新宿『K's Cinema』で、朝から夕方までの1日5回上映されている。もし連休中に観そびれたとしても、5月28日からは東京・渋谷『UPLINK FACTORY』で上映予定なのでご心配なく。さらに、6月以降も、大阪・名古屋を皮切りに全国で順次公開される予定だ。

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