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注目の話題

鳥インフルエンザの浅田農産会見を敢えて評価する

2004年3月3日

  鶏の大量死を通報せず、鳥インフルエンザへの対応が遅れた、と批判されている京都府の浅田農産が、昨日(3/2)開いた記者会見を、けさTVで見た。その発言は、実に傾聴に値する内容だった。

●「インフルエンザであってほしくない、と思っていた」
●「腸炎だと思った。腸炎で大量に死んだこともある」
●「調子の悪い鳥を出荷するのも、昔からよくあること」  (いずれも発言要旨)


―――等、世間から"叩かれる"立場にいる人がここまで率直に語っている会見は、稀有だと思う。


これらの発言が「だから我々は悪くない」という言葉とセットで語られているのなら、受け容れ難い。しかし、浅田農産は、この事態を招いたことを謝罪しているのであり、上記の発言は「なぜこうなったのか」という記者たちの質問に答えて"説明"("釈明"ではなく)として語られたものだ。

「なるべく無難な模範回答で逃げて、ひたすら頭を下げ続けて、嵐が頭上を通り過ぎるのを待とう」というテクニック(マスコミに叩かれる立場に立った企業・公人などが演じる常套手段)を弄さず、質問攻めの火に油を注ぐことをも厭わず直球で答え続けた浅田農産のその姿勢を、この逆風下で敢えて僕は評価したい。

もちろん僕は、今回の事態を招いた浅田農産の通報遅れは、極めて重大な判断ミスだと思っている。そのミス自体については、今のところ何の擁護もする気はなく、しっかり責任を取っていただきたいと思う。ただ、そのように失敗が重大であるからこそ、この会見の姿勢は、評価すべきなのだ。

失敗者を《処罰する》のは、監督機関(場合によっては司法)の仕事であって、メディアの役割分担では断じて無い。そこを勘違いして、こうした会見の場で"正義の味方"ヅラをして居丈高に責め立てる記者は、後を絶たない。メディアは、失敗者から《教訓を聞き出す》ことが、仕事ではないのか。社会は、失敗者に学ぶべきなのだ。「なぜ失敗したのか」を、土下座して頼んででも教えていただき、その情報を社会に共有してもらうことこそが、メディアの使命ではないのか。

今回の件に絞らず一般論として言うが、取材だか糾弾だかわからないような詰問ばかりされていれば、どんな当事者だって、やがて嫌気が差して、貝になる。周囲の同業者なども、その様子を見てビビり、失敗者に内心共感する部分があっても、そんな事はおくびにも出さず、「うちは絶対にあんな事しませんよ」とタテマエ回答一色に染め上げられる。かくて、失敗発生の本当のメカニズムは表面化せず、真の問題解決は遠のく。こんなパターンの繰り返しは、社会全体にとって不幸ではないか。

そうではなくて、例えば今回の事例で言えば、浅田農産から昨日のような話をじっくり拝聴し、やたらと掻き混ぜないで、静かに上澄み液(参考になる発言)と沈殿物(保身の為の虚言が混じっている可能性のある部分)とを峻別し、前者を報じることに力を注いで欲しい。さらに、「本音を言っても集中砲火を浴びない」とわかれば、同業者なども安心して、浅田農産の言い分の"三分の理"の部分を指摘してくれ始めるだろう。(それによって逆に、理の無い部分もあぶり出されるし。)

今からでも、そういう報道の空気に入れ替えて、鳥インフルエンザで第2・第3の浅田ケースが再発しないよう、「つい通報が遅れてしまうメカニズム」解明に本気で取り組もうではないか。

関連トピックス:「浅田農産会長の自殺と、メディアの自殺」