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メディアが変える・既存メディアは変わるか
浅田農産会長の自殺と、メディアの自殺
「取材だか糾弾だかわからないような詰問ばかりされていれば、どんな当事者だって、やがて嫌気が差して、貝になる。」
――― 前回、この《最新メッセージ》欄で、僕はこう書いた。悲しいことに、その予言は早くも当たり、鳥インフルエンザの浅田農産会長は、自殺という最悪の形で、永遠に口を閉ざす道を選んでしまった。
実は、あまりの非難集中ぶりに浅田父子の精神的危機を懸念した僕は、異例なことだが、前回の一文をこのサイトにアップした直後に浅田農産に電話をして、「公開のWeb上でエールを送ってるから、見てくれ」と、伝えた。その後、少なくとも息子(社長)さんの方は、この頁のプリントアウトを読んでいた、という社員の証言があるのだが、自殺した会長さん御夫妻の心には、僕のメッセージは届かなかったか、無力だった。無念だ。
勿論、自殺の第一の原因が、「取材攻勢」であったとは全く思わない。
メディアが極めて冷静な取材態度を取っていても、結果は同じだったかもしれない。しかし、出入りの度に目の前に殺到し、同じような詰問を繰り返す取材陣のプレッシャーは、正常な判断力や自制心を失わせ、自殺という選択肢に突っ走る《環境を作った》可能性も、充分に有り得ると思う。
いつまで、こんな事を繰り返すのか。本当に、無念でならない。
さらに言うならば、今回自殺したのは、浅田会長ご夫妻だけではない、と思う。メディアもまた、自殺したのだ。
なぜなら、これで会長から《判断ミスに至ったプロセス》を学び取る機会は、永久に失われたのだから。話を聞こうと殺到し、相手を叩き潰してしまうメディアの愚行。それは、(陳腐な喩えだが)宿主に取り付いて急激に増殖し、結局宿主を死に至らせて自分たちも滅びてしまう、ガン細胞の愚かしさに似ているような気がしてならない。
前回も強調したように、僕は、今回の鳥インフルエンザ拡大という事態で、浅田農産の通報遅れの責任自体は、極めて大きいと考えている。
しかし、それとメディアの問題とは、別の話だ。実際、浅田農産を批判する人達からも、前回の僕のメッセージに対しては、賛同のメールが相次いで寄せられている。そこに綴られている既存メディアに対する嘆き節は大変参考になるので、近く、(了解を得られるものについては)抜粋をまとめて公開しようと思う。
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