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メディアが変える 既存メディアは変わるか
政権が変わった。メディアも変わろう。
政権交代を伝える昨夜のテレビの開票特番は、落選した自民党の大物達にスポットライトを当て、その沈痛な表情を次々と報じていた。それだけを眺めていると、幹部総崩れのようなイメージを持ってしまうが、実は結構、スポットライトの外側でしぶとく生き残った自民党有力者達もいる。ある番組出演者は、その事をこんな風に喩えていた。「大本営が生き残ってしまって、これで体質改革が出来るのだろうか……」
日本軍に喩えた懸念は、民主党についても言える。こんなにも実力以上に勢い任せで戦線を拡大してしまって、今後の長期戦は維持できるのだろうか? どこかでつまずいて反転攻勢を浴び、逆風下で妥協や撤退のドミノ倒しに陥ってしまう危うさ、「結局あの政策ミスが“ミッドウェイ海戦”になったね」と後日振り返られるような展開が待っている恐れは無いか。
「大本営が生き残ってしまった自民」vs「戦線を広げすぎてしまった民主」。その今日からの対決を国民に伝えてゆくメディアの論調は、今後の日本の政治の“風向き”を決める上で、今まで以上に重要なファクターになるだろう。権力の監視という役割はもちろん大切だが、「与党の欠点を追及する」という今までの定型にハメて、ただ機械的に批判の矛先を自民から民主に置き換えるだけにならぬよう、考えてみたほうが良さそうだ。
「やっぱり民主党には無理だった」という性急な結論は、その反動で、今まで以上に強固な自民一党支配体制の再生を招きかねない。もちろん、自民党にも優れた点は多々あると思うが、政権交代の緊張感を欠いた権力など、もはや国民のためによろしいはずが無い。とは言え、「当分は民主党寄りに偏った報道をしよう」などと唱えるつもりも毛頭無い。
ここは一つ、メディアも発想を変えて、政権(今までは、たまたま自民)をただ叩く《ネガティブな批判》中心から、代替の政権担当能力を持った集団(今回は、たまたま民主)を育てる《ポジティブな批判》中心に力点を移してみてはどうだろう。そういう建設的報道が提供する情報に基づいて有権者が判断できるようになれば、過剰な期待や失望にいちいちオセロゲームのように振り回されず、総選挙の度に冷静に政権党を選択できるマトモな民主主義社会が、日本にもついに形成されるかもしれないではないか。(甘いかな?)