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松下村塾

急速に台頭する市民メディアの行方

2002年3月19日 自民党機関紙「自由民主」内「メディア見聞読」

今、メディア界の足元のあちこちで"火山性微動"が始まっている。今までメディアが発する情報の《受け手》でしかあり得なかった人たちが、自ら《送り手》になろうと様々な形で蠢き出しているのだ。私が関わりを持っている狭い範囲だけで挙げてみても…

【 CATV局 】
例えば山梨県小淵沢町の『にこにこすていしょん』では、毎週1本、町民たちが情報番組を自主制作している。1日6回の再放送を1週間繰り返し、計42回のオンエアの合計視聴率は、推定80%という。町の子供達が長期的に制作に取り組んできたドラマ(6年生の女の子が脚本を書いた)は、今月末の完成を目指して、今、最後の仕上げの真っ最中だ。

【 BS・CS 】
大学生だけで企画・制作・出演の全てをこなしている衛星ラジオ局『BSアカデミア』(462ch)は、殆ど存在を知られていない(=ミスしてもダメージが小さい)けれど現実に全国に電波が届いている(=無責任には喋れない)という特性を利用して、学生達にとってこの上ない発信実践トレーニングの場になっている。彼らは、《借り物でない自分の言葉で伝えること》の難しさに日々苦悶しながら、楽しんでいる。

【 インターネット 】
東京大学のある教室に、週一回、中国人留学生を中心とする若者グループが集まってくる。彼らは、アマチュア用のビデオカメラで日本社会の日常生活の断面を四~五分程度の映像作品にまとめ、『東京視点』というタイトルでネット動画配信している。リーダーの可越さんは、「大手メディアが伝えてくれない普通の人々の姿を伝え合うことで、日中の市民どうしの友好促進に役立ちたい」と熱く語る。

大手メディアの報道の仕方に不満があっても≪批判≫することしかできなかった20世紀から、その気になれば誰もが≪代案≫を発信することができる21世紀へ。この地殻変動の最大のプラス面は、人々が自分の信ずる歌を歌えるようになることで、付和雷同の大合唱が減らせるということだ。誰かが悪者だったとなると、寄ってたかって何もかもその人が悪いように集中砲火を浴びせる現在のメディア状況は、どう考えても国民にとって不幸だ。松本サリン事件で犯人扱いされた河野義行さんしかり、サッチーしかり、直近の例で言えば鈴木宗男氏しかり。報道に引きずられた「こいつが悪い」の大合唱の世論の中で、従来は沈黙を強いられていた意見の持ち主たちが、これからは自分で、「ちょっと待ってよ、こういう見方もあるんじゃないか、この部分にはこの人の主張も理があるのではないか」と発信できるようになる。被告人は黙っていろという事態がようやく終わり、あるメディアが非と言っても他のメディアが是といえる《是々非々》のスタンス(良いとなったら持ち上げまくる"是々是々"でも、総攻撃の"非々非々"でもなく)がメディア総体として実現する。

しかし要注意のマイナス面もある。嘘やでたらめの情報も、十分な調査に基づく報道と同じような顔して各地の端末に届いてしまうということだ。「じゃあ、そういう悪い情報は法律で規制しよう」という安易な発想は、立法者の動機がどんなに善意でも、将来新たな大本営発表に収れんしてしまう危険をはらむから、これはまずい。前進すべき"メディアすごろく"に、わざわざ"振り出しに戻る"というコマを設けてハラハラすることはない。となると何が最善の対策か? 答えはおそらく、「1人ひとりが情報を吟味しながら受け取る習慣を身につける」という基本に帰ることにあるのだろう。テレビが言ってたから、活字で読んだからといって鵜呑みにするのをもうやめて、各人が情報を自ら見比べ、自分の見解を形成する。そんな習慣が身につけば、風になびきやすい日本社会の世論も、そうそう乱高下はしなくなるかもしれない。

そんな幸福なメディア状況へと舵を切れるかどうか。発信ツールの大衆化が急激に進む今後5-10年くらいが、分水嶺になりそうな気がする。

※文中の情報は、全て執筆時点(冒頭記載)のものです。