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松下村塾
アプローチは多彩な方が良い
近頃、既存メディアに対する監視の目が、以前にも増して厳しい。かつては、具体的な報道被害等の事例が発生する度にひとしきり批判の声が高まってはまたウヤムヤに沈静化、という繰り返しだったが、最近は、年がら年中、厳しい眼差しを向けられっ放しだ。6月2日に、国際文化会館で、「メディア検証機構」の旗揚げシンポジウムのパネラーをさせていただいた後、本稿を書くまでのほんの1ヶ月余りの間だけを例にとっても、この種のイベントは、私が参加した分だけでこんなにあった。
・ | 企業横断勉強会「オルタナティブ・メディアの可能性報告」 (講師)・南青山会館 |
・ | トークショー「ニュースは何を伝えるか」 (河野義行氏らと共にスピーカー)・六本木俳優座劇場 |
・ | 自分達で発信しよう、という学生グループのワークショップ (トレーナー)・青少年オリンピックセンター |
・ | メディア規制3点セット反対運動諸団体・中間総括集会 (発言)・岩波セミナールーム |
・ | シンポジウム「徹底討論・メディアはこれでいいのか!」 (浅野健一氏らと共にパネラー)・日本青年館 |
…この他にも、身体が一つでは足りないくらい、多くの市民が連日さまざまに集い、「現状ではいかん」という意見を述べあっている。しかし問題は、どんなに沢山の行事が開かれても、肝心のメディアは一向に変わっていない、ということの現状だ。3の壇上で河野氏は、自身が松本サリン事件の犯人扱い報道をされた7年前と今とを比べて、メディア状況は何も改善されていない、と淡々と語った。
私もこうしたイベントを”梯子”していてつくづく感じるが、主催者側は、「今日ここから急に何かが変わるというわけには勿論まいりませんが…」という逃げ口上を、大抵用意している。イベント実現までの御苦労には敬意を表するけれど、これでは、いったい何のための御苦労だったのか、わからない。
毎日「今日は変わらないが…」と繰り返していたら、一体いつから、変わるんだい?これじゃイベントを百年続けたって、事態は1ミリも前進しない。(いや、それどころか、その間にどんどん悪化する。)今必要なのは、立派な意見よりも具体的な行動なのだ。というわけで、個々の番組の格付け発表という極めて具体的な行動に実際にうって出た、『メディア検証機構』の試みには、私は大いに期待している。
社会に必須な物(例えばメディア)にガタがきて、それでも共存し続けるしかないとしたら、大まかに分けて、対処法は3つある。
…既存メディア本体の改革努力。 | |
…受け止め方を変え、悪影響を最小化。 | |
…オルタナティブ・メディアの創出 |
[a]は、例えばTV局の社員ジャーナリスト達などの内部努力に負うところ大だが、実は彼らに“励み“や”励み”の追い風を送る役割を、この『格付け』が果たせるかもしれない。
[b]は、約言すれば「もうTVの鵜呑みはやめましょう」という事だが、『格付け』はそれを“標語“から“体現“に引き上げた。
[c]は、法規制という強硬な補強具もあるだけに、市民の側も後手に回っていてはならない。現に、技術進歩を生かした新しい発信チャンネル創りは、あちこちで蠢き出している。(私が熱く手伝っている大学生ラジオ局『BSアカデミア』も、言わばその線上にある。)日々、疲弊してデリカシーが磨耗している新しいチョイスが、今後次々に生まれては消え、次第に優れた物に収斂していくだろう。もしかしたら、このニュースレター『MEDIA WATCH』自体も、発展の仕方によっては、そんなオルタナティブ・メディアの一つに育ってゆくのかも知れない。
とにかく、しかめっ面してブツブツ憂えていないで、色んな事をどんどん試してみればよいのだ。世直しはネアカに行こう。
※文中の情報は、全て執筆時点(冒頭記載)のものです。