高遠菜穂子のイラク報告(17)
狭まる国境、狭まらぬ支援

放送日:2007/2/17

前回のリポートからおよそ3ヶ月半。高遠菜穂子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.1)に、その後の近況を報告してもらう。

■ミーティングすら難しく・・・

――年末年始は、結構忙しかったんじゃないですか?

高遠: 昨年12月にはいつも通り、まずヨルダンのアンマンに行きました。そこで、それまでの支援のまとめというか、日本やイタリアのNGOの方達と最終的な打合せをしたりしました。当初は、プロジェクトに関わっているイラク人メンバー達とも、そこで打合せをする予定だったんですけど、大分以前から、イラク人のヨルダン入国制限というのがかなり厳しくなっていて、男性だけではなくて、女性・子供も、怪我をしていても入れないと。

――それは、ヨルダン政府側が「これ以上、イラクからの避難民が流入しては困る」ということで、制限しているんですね?

高遠: そうです。去年のうちに既に、ヨルダンに流入したイラク避難民は100万人を超えてましたので、非常に厳しくなったんです。そんな事情で、今まで通りには、ヨルダン(イラクの西隣)でのミーティングが思うように出来ない。そこで、今度は、シリア(イラクの北隣)でミーティングしようとしたんですが、ヨルダンが入れなくなったということで、シリアにも一気にイラク避難民が殺到したんですよ。こちらも既に100万人は超えただろうということで、シリア国内にもいろいろ影響が出て来ています。
そんなわけで、シリアでのミーティングも非常に難しいということになって、「じゃあ、エジプトのカイロに皆で集合しよう」ということにしたんです。昨年は、イラクからの避難民が家族を連れてエジプトに一時的に移住したりして、エジプトも寛容に受け入れていました。でも、11月、12月ぐらいから、急にエジプトも入国制限がかかるようになってしまったんです。私もヨルダンの後すぐエジプトに移動して、彼ら(プロジェクトのメンバー達)を待っていたんですけど、結局誰も入って来れなかったんです。

そもそも、高遠さん拘束事件以降、イラク現地でのミーティングが出来なくなったから、陸路で出て来られるアンマンで、支援活動の為のミーティングを定期的に開いていたのだ。イラク人スタッフにしてみれば、わざわざアンマンまで行くのさえ大変だったのに、とうとうエジプトですら、ミーティングが出来なくなってしまった。

――じゃあ向こうで、空しく待ちながら年越しをしたんですか?

高遠: 大晦日に帰国して、10数年ぶりに、お正月を日本で過ごしました。いつもと違ったお正月でした。(笑い)

■疑心暗鬼で拘束を連発する米軍

――前回、高遠プロジェクトのイラク現地スタッフの要であるカーシム君が一時逮捕されたという話でしたが、その後彼は?

高遠: 釈放後も、自宅には戻っていないです。彼はインターネット上で、町の様子や米軍の行動を英語で書いていたという容疑で逮捕されて、その事に一点集中して米軍基地で取調べがあったんです。セキュリティの問題上詳しくは言えないんですが、米軍に相当脅かされたらしいんです。で、家には帰らず、あちこちを転々としています。

――そんな状態で、支援活動に支障はないんですか?

高遠: それは問題ないです。いろいろな支援活動の状況を報告してくれてます。

――米軍に連行された彼の甥っ子(15歳)は、その後どうなりましたか?

高遠: 釈放されたんですけど、(彼はまだ)若いので相当ショックを受けてしまったのか、家に帰るのをためらっていたらしいんです。家族に迷惑をかけてしまうのではないか、と。今は、大丈夫なようですが。

――結局、彼はなぜ拘束されたんですか?

高遠: こういう(理由の心当たりも無く拘束されてしまう)例は、本当に沢山あります。彼の甥っ子だけじゃなくて、ティーンエイジャーの男の子達っていうのは、外を歩いているだけで連行される事例がすごく多いんです。米軍の人達はアラビア語を話さないので、(米軍施設に)連れて行ってから話を聞くというパターンが、やっぱり多いみたいです。

――米軍から見たら、男の子達は“テロリスト予備軍”に映るんですかね?

高遠: そうなんです。だから、順番に取調べをやっていくだけでも、自分の番が回って来るまでに、2ヶ月も3ヶ月もかかったりする。長い人は9ヶ月、10ヶ月も留め置かれたりします。それがまた違う刑務所に送られてしまうと、「もう一生戻って来れないんじゃないか」と思われるぐらい、長期になるんです。

■今は、再建よりも緊急支援

――そういう情勢の中で、プロジェクトは進んでいるんですか?

高遠: はい。ファルージャ再建プロジェクトですが、昨年1年間はファルージャやラマディで大移動が起きました。市内に住んでいる人達が一斉に郊外に出なければならない、“国内避難民”という状態が激増したんです。町の中でそれまで何とか持ちこたえていたのが、昨年で町が崩壊してしまった感じなので、改築・再建工事というプロジェクトの遂行は難しく、現地から寄せられる相談やリクエストも(「薬を送ってくれ」などの)緊急支援ばっかりなんです。
今回年末にヨルダンに行ったときも、メインは緊急支援で、ラマディの病院に注射針とチューブ付きの輸血用のバッグを緊急で送りました。サラハディーン州は、昨年2月にシーア派のアスカリ聖廟が爆破された(
今回の宗派対立激化の引き金になった大きな事件)サマラという町が有名ですが、そこで最も手に入らない物の1つに輸血バッグがあって、今現在は、サマラ病院に対して予算100万円でそのバッグを送るというのをやってます。

――名古屋から送った机・椅子の第2弾800セットは、ラマディ郊外の倉庫に保管するしかない状態で、学校にまでは届けられずにいるという報告でしたが…

高遠: 今現在もまだそのままなんですが、少し動き出しています。(送ったセット全部を)市内に動かすのはかなり無理ですが、ファルージャのメンバーから「学校をなんとか再開させたい」という話があって、その学校に机などの一部を入れようと、話し合いをしている最中です。

■日本国内でも、多彩な展開

――ところで先週の日曜(2月4日)、イラク人女性医師2名が東京で現状報告会を開いたそうですね。

高遠: 彼女達(ガフラン・サバ医師&アンサム・サリ医師、共に35歳)は半年ほど前から北海道の札幌病院未熟児センターで研修中なんです。帰国が近づいているので、その前に東京で報告会をぜひ、ということで、東京に呼びました。イラク南部バスラから来ている新生児専門の小児科医なので、(報告も)医療の事が中心でした。でも(報告会の後半)、会場からの質問は、宗派対立に関するものが多くなりました。彼女達はプレゼンの最初から最後まで、「イラクはこういう国であって、私達はシーア(派)もスンニ(派)もなく、結婚でも家族でも交じり合っているんだ」という事を強調していました。聴きに来た方達からも、それが「一番強い印象だった」、「イラクは多種多様な社会なんだ、と力説していたのが印象深かった」という感想が寄せられていました。

この医師達の主張は、決して特異なものではない。多くのイラク庶民から、同じ言葉が聞かれる。私自身、去年アンマンに行った時、バグダッド方面行きの長距離タクシー乗り場で、イラク人ドライバー達から口々に「俺はスンニだ。こいつはシーアだ。でも俺達は、ずっと友達だ」というアピールを、浴びるように受けた。現在報じられている両派の抗争は、それを煽りたい一部の勢力が仕掛けた《作られた対立》という面も色濃い。

――今週水曜はバレンタインデーでしたが、それに因んだイラク支援キャンペーンも展開していたようですね?

高遠: 『JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)』が、昨年から『限りなき義理の愛作戦』というのをやっています。第2回の今年は、拡大されて『“大”作戦』になっています。チョコレートには、イラクの白血病の子供達が描いたミニ絵本が付けられていて、1つ500円で販売されています。チョコレート自体の値段は約100円、残りの400円がイラクのガン・白血病の子供1人の1日分の薬代に充てられます。
当初は、バレンタインデーと来月のホワイトデーの2つのキャンペーンで、合わせて1万個のチョコレートを日本国内で売れたらいいなという構想を立てていました。ところが今年は、様々な著名人(
東ちづるさん、酒井啓子さん、湯川れい子さん)の解説・文が入っているので、物凄く好評で、予想をはるかに上回って、バレンタインだけで1万8千個位売れました。お蔭様で、事務所は嬉しい悲鳴でパンク状態、(チョコの)増産間に合わず、という状態です。

『JIM-NET』の佐藤真紀さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.13)は、「バレンタインデーを、商業チャンスの日と見るのではなく、《助け合いの日》にしたい。チョコレート企業が自らそういうチョコレートを作ってくれて、世界の子どもたちを助けたいという日になれば」と、最近メールで熱く語っていた。

高遠: ホワイトデー編の申込み方法も、近々『JIM-NET』のサイトに掲載されることになっています。こちらも、チョコ絵本がなくなり次第、終了となります!

■次なる舞台は、マレーシア

――高遠さん自身の、今後の予定は?

高遠: 明日からマレーシアに行きます。エジプトも難しくなったので、今度はそこでイラク人スタッフ達と合流して、ミーティングです。今、イラクの人達がビザ(査証)無しで入れる、数少ない国の1つがマレーシアなんです。なんか不思議な感じがしますけど。だけど、軍事作戦の一環でイラク国境が閉鎖になってしまったので、プロジェクトのメンバー達がイラク自体から出て来れない可能性もあります。

――じゃあ、高遠さんは、誰にも会えずに帰ってくるかも知れない?

高遠: という可能性も、無きにしも非ず、ですね。

――イラクからマレーシアに出て来る人達の旅費も、日本の人達からのカンパ・寄付金で払っているんですか?

高遠: いえ、私が自腹で払ってます。寄付金は、イラクへ送る物品を買ったり、その輸送費に充てています。彼らの交通費とか、そういうのには使ってはいけないかなと思って。

――これから、メンバーとの打合せも段々難しくなりますね。

高遠: でも、もうそろそろ、事態は好転するのではないかという希望的観測を持っています。また報告します!

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