先日、“2001年宇宙の旅”ならぬ「21世紀メディアの旅」と題する公開シンポジウム(桃山学院大学主催)が、大阪の毎日新聞ホールで開催され、私もパネラーの1人として参加してきた。タイトルだけでなく、パネラーの顔ぶれもなかなか面白かったので、今朝は、そのステージの様子を、一部ご紹介する。テーマは、星の数ほど散らばるメディア情報の“宇宙”の旅を、どうやって迷子にならずに進んでいくか。
■イメージ報道→取材拒否→イメージ固定
まずは、関野吉晴さんと私が、北朝鮮で去年、別々に似たような体験をしていたという話から。関野さんは、アフリカに誕生した人類が世界に広がっていった道を、逆ルートでもう一度、自転車で辿るという「グレート・ジャーニー」で有名な冒険家だ。
関野: 去年の夏に、北朝鮮に行きました。一般の人、普通の生活をしている人達に接触したかったんですが、実はそれをシャットアウトされました。北朝鮮は「特殊な状態」と一応言うんですけれども、「日本が(北朝鮮に対して)敵視政策をとってるから、あなたを自由に歩かすことは出来ない」と。自転車は通してくれたけれども、走らせてくれたのは、全部で2時間だけです。そういう国は、僕が地球上で歩いて来て、1ヶ国だけなんです。ちゃんと僕に見せてくれれば、人々の当たり前の生活を日本に紹介出来たんだけれども…。だから僕は、彼らは失敗した、と思うんです。
司会: はい、ありがとうございました。
下村: ちょっと今の、北朝鮮の話で、いいですか。私も、同じような体験なんですけど、5ヶ月前、去年の12月に北朝鮮に行って、平壌に8日間居たんです。いろんな物を撮影してたんですが、平壌の市内を流れる川のほとりに、おじいちゃんと5歳位の可愛い男の子、多分お孫さん、が2人でのんびり河原を散歩してたんですよ。これはとても平和的な風景だったんで、「あれ撮って!」とカメラクルーに言ったんです。でも、随行の北朝鮮の担当者は、「ダメダメ!」って言うんですよ。私が「どうして、これがダメなんだ?」と訊くと、彼らの答えが凄かった。「俺達は分かってんだ。あんたは、これを持って帰って放送するときに、『住む家も無い可哀相な小さな子どもがおじいさんと一緒に、寒風吹きすさぶ中、川辺をさまよい歩いていた 』っていうナレーションを付けるだろう」と。そういう警戒心によって、彼らは拒む。それで、逆に、「北朝鮮はこうだ」っていうイメージがますます固定していくという悪循環。
私のこの話は、北朝鮮からの帰国直後にこのコーナーでも詳しくご紹介した。
確かに、残念ながら一部のメディアの中には、意図的にイメージを操作してしまうものが無いとは言えない。そういったものを、読者や視聴者側が全面的に信じてしまうことによって、あるイメージが出来上がってしまうので、北朝鮮側がこのように警戒する気持ちも分からなくはない。
■「大阪は怖い」「全米はこうだ」のウソ
報道が醸し出すイメージを、読者・視聴者はいとも簡単に受け容れる。今回のパネラーの1人で、関西地方で人気のあるタレントDJのKIYOMIさんは、その典型的な例として、1990年に大阪・西成区で起きた労働者の騒乱のニュースを見たニューヨーク在住の日本人達の反応について語ってくれた。(当時、彼女はニューヨークを拠点にしていた。)
KIYOMI: 西成ってところは怖い所、更には、「大阪は怖い所だ」っていうことになって。当時、ニューヨークに全国からいろんな日本人の学生が来ていて、お友達が集まると、「ねぇねぇ、キヨミちゃん。大阪って怖い所なんだってね」って、凄く責められたわけですよ。「そんな所に育ったアンタも怖いんでしょ!?」みたいな勢いで。(笑) それにもう、言葉を失くしてしまって…。TVが報道するシーンが、如何に人のイメージを変えていくのかっていうのを実体験したことがありました。
下村: KIYOMIさんがニューヨークから日本に帰って、入れ替わりのタイミングで僕はニューヨークに赴任しましたけど、その時に思ったのは、逆もあってね。つまり、ニューヨークから日本に向かって発信されている報道。そこに“全米”っていう言葉を使っていたら、皆さん、それは絶対にウソですから。“全米”なんていう現象は無いです。「全米で今、こういう事が起きてます」って言われた瞬間、「ああ、この記者はウソをついてるな」と思っていいです。
KIYOMI: ホントにそう思います。“ニューヨーク全体で”っていうのも、ウソですよね。ファッション誌とかで、「今、ニューヨークで爆発的ブーム!」とか言って、物を紹介してたら、全員が使ってるわけではないのに、日本では皆「ああ、そうなんだ」って。
下村: そう! だから、「《全て》がこうだ!」みたいな報道は、本当にもう、ダメ!
■“手の内”を知っていてもハマる罠
TVの四角いフレーム内でしか見えていない《部分》で、《全体》を判断してしまうという癖は、治すのがなかなか難しい。実際、その部分しか見せられていないわけだから、イメージに乗せられるなという方が困難だろう。
関野さんほど冒険で“TVフレームの外側”を自分の目で見ている人でも、つい一面的報道のイメージに染まってしまう、という告白があった。
関野: コロンビアとパナマの国境地帯は、ダレン地峡っていうんです。「そこに行くのはやめろ」と、皆止めました。なぜかと言うと、政府に反対している勢力の溜り場になっていて、「狙われるのが分かってるからやめなさい」と。で、その時僕は逆に、「でも、そこを人力で通りたいんです」と言って、行こうとした。
ただ僕は、多分そこに行ったら大変な事になってて、宿も店も無いんじゃないかと心配して、「宿とか店、開いてますよね?」って言いました。そしたら逆に、「何言ってんの、あんた。そこでは、反政府勢力もいる。反政府勢力に反対する、地主とか牧場主達もいて、それを守るボディガードのようなパラミリタルという右翼組織もいる。争いはやってるけども、他の人もいっぱいいるのよ。その人達が生きてくために、店はあるに決まってんでしょ!」って怒られました。その通りなんですね。そこに行ったら、皆普通の生活してました。時々、紛争・衝突が起きるんで、それだけを報道するわけですね。だからそう(いうイメージに)なってしまうんです。
「グレート・ジャーニー」で世界中を回る姿を、道中の所々で番組化することで、TV制作の舞台裏の事情まで熟知している関野さんですら、情報の受け手側に回ると、こんなにもたやすくイメージの虜になって叱られてしまうのだ。これは、本当に手ごわい。
■誰にも見破れなかった笑顔の主
どうすれば、メディアが発信する、1つ1つの情報が持つイメージに染まらずに、自分の判断をキープ出来るのか。
その方法を示すために、パネラーの1人、映画監督の森達也さんが、面白いクイズを行なった。ある居酒屋で笑顔のおじさんと森さんが写っている写真をスクリーンに紹介し、「これは皆さんご存知の男性です、誰でしょう?」という質問。答えられた人は、1人もいなかった。正解は、耐震強度偽装事件でさんざんニュースに顔が登場していた、ヒューザーの小嶋社長!
森: なぜ分からないかと言うと、皆さんが記憶されている彼の顔は、あの怖い、コワモテの、口を真一文字に結んで相手を睨みつける、恫喝するような表情しか記憶に無いからです。ところが、実際に小嶋さんは、普段はこういう顔もするんです。《当たり前のこと》です。でもその顔が、分かんなくなっちゃうんですね。新聞もTVも、コワモテの写真・映像だけを使います。イメージの固定化を狙うんです。それによって、小嶋さんのイメージはどんどん(皆さんの中で)固着されてしまう。でも実は、もう1回言いますよ、《当たり前のこと》なんです、笑ったり泣いたりします。
現象とか物事には、多面的で色んな視点があるんです。その視点を、メディアは1つの方向に定めます。視点をちょっとズラせば、違うものが見えるんです。映像の場合、カメラマンがいます。あるいは、編集するディレクターがいます。新聞の場合、もちろん記者がいますよね。そのフィルターを1回通過して、その人の視点で書かれたもの、撮られたものを、僕らは見てるんです。だからちょっと視点を変えれば、違うものが見えてくるはずなんですね。
例の『発掘!あるある大事典2』の納豆(データ捏造)問題の時には、割りと皆、「メディアに騙されるな、映像を信用するな」と言ってましたけど、騙されないことは、まず無理です。僕も一応映像のプロですけど、僕でも騙されます。「信用するな」というのも、無理ですね。別に信用していいんですよ、あくまでも《1つの視点》として。
■「落ちなかった飛行機」を忘れるな
別に、マスコミに悪意があるわけではない。「素顔の小嶋さん」を伝えるコーナーではなく、耐震強度偽装事件に関してだけに《絞って》伝えたい場面だから、小嶋社長の柔和な笑顔の写真など、どこの新聞もTVもわざわざ使わなかったというだけだ。メディアというものは、元来そういうものなのだ、と私は話した。
下村: これ別に、メディアが皆を騙そうと思ってやってるわけじゃないんですよ。メディアっていうのは、そういうものなんです。飛行機が墜落したニュースをやった後に、「なお他の飛行機は落ちておりません」って、いちいち言わないでしょ? これが、ニュースなんですよ。つまり、「落ちた飛行機のこと《だけ》」を伝えるのがニュースなんです、もともと。それ以外の飛行機については報じないんです。
だから、受ける側の人々は、それを忘れちゃいけないんです。墜落のニュースを見て、「うわ、飛行機が《全部》落ちちゃった!」と思う人、いないですよね。だったら、他も同じなんです。長野の聖火リレーで小競り合いしている中国人を見て、「あ、中国人が《皆》暴れてる」と思っちゃいけないんです、全く同じ理由で。
聖火リレーの日の朝、私も現地にいて感じたことだが、小競り合いがあると、カメラはどうしてもそこに行ってしまう。確かに、物凄い人数だったが、ほとんどの人は陽気に笑顔でお祭り騒ぎをしていた。だがそれは、なかなかニュースに現れない。
では、どうしたらそういったメディアの特性を理解した上で、踊らされないように出来るのか。一般の人は、私のようにいちいち現場に行って自分の眼で確認するわけにはいかない。となれば、方法は1つ。TVや新聞は、どこか1ヶ所に当てられているスポットライトで、その周りには見えていない他の暗がりがあるんだ、ということを忘れないことだ。この日は、実際にステージを真っ暗闇にして、1ヶ所にスポットライトを当てて語ることで、これを視覚的に訴えた。
今回のシンポジウムの詳しい中身は、来週火曜(5月27日)の毎日新聞の朝刊(西日本版のみ)に大きく掲載されるので、ぜひご覧いただきたい。