片山隼君ひき逃げ事件から10年…[後編]
父・徒有氏が取組む《司法改革》と《少年更生》

放送日:2007/12/ 1

東京・世田谷区で、小学2年生の片山隼君がダンプカーにひき逃げされ亡くなってから、今週水曜(11月28日)で、満10年を迎えた。一度は不起訴になったダンプカーの運転手が、その後の捜査のやり直しで一転、起訴されるという異例な展開を実現させたのは、検察当局に不服を訴え続けたご両親の頑張りと、24万人もの署名だった。
前回は、隼君の父親である片山徒有さんに、今取組んでいる活動の3本柱の1つ、《被害者支援》の活動について伺った。今回は、引き続き、《司法制度改革と被害者との関わり》、《非行少年の更生教育》についてお話を伺う。

■権利の増大が、負担の増大を招く懸念

――裁判所、弁護士、国会議員といった人たちが、様々な立場から司法制度の改革に取り組んでいますが、片山さん達が「被害者」という立場から、このテーマに取組んでいるというのは、どういう意味合いですか?

片山: 今までの社会というのは、裁判所があって、その中で被害者はどこに付くかというと、どちらかというと検察側に付くようなスタイルだったわけです。けれども、私から見るとそれは凄く歪な、ボタンの掛け違いみたいな形です。たとえば、控訴された罪種・罪名とはちょっと違うんじゃないかって思っている被害者も多いわけですし、うちの息子の場合のように、(不起訴となって)そもそも裁判に関われない被害者もいるわけです。この辺が、いろんな観点から見て、もういっぺん考え直したほうがいいんじゃないかな、と私は思ったんです。

今や、犯罪被害者等保護法、犯罪被害者等基本法ができ、更に一昨年このコーナーでも採り上げた、犯罪被害者等基本計画が出来るなど、制度的な整備は進んだ。

――そういう流れの中で、具体的に例を出していただくと、「考え直したほうがいい」部分というのは、どういうところですか?

片山: まず、被害者からの質問権。これは刑事処罰裁判で、今度から被害者が被告人に対して質問できるようになるんです。これが大変危ういのは、質問、あるいは論告ということになりますと、ある程度事実に踏み込んで話をしなければいけないので、今の被害者側が持っている情報や価値判断では、大変難しいところがあると思うんです。量刑判断を被害者に求めていったら、法廷の枠で決まった上限のほうを必ず希望するのが当たり前です。そこまで被害者に言わせるような仕組みでは、被害者は荷が重いんじゃないかなと思うんです。

――質問や論告求刑まで出来てしまうという立場をもらうことで、被害者側は却って辛くなると?

片山: そうです。「じゃ、そういう権利を上手に行使しなかったら被害者側の落ち度になるのか」というマイナス面も、被害者によっては出てくると思うんです。「上手く言えて当たり前」「上手く言えなかったら被害者側の責任」という風になったら、被害者側は非常に厳しいんじゃないでしょうかね。

■実は一方しか選べぬ「選択肢」

――ならば、「自分は言える。質問できる」という被害者だけが法廷に出て行けばいいわけで、質問権を行使する・しないを選択できる制度になるなら問題ない、とは考えられませんか?

片山: 当然、そういう意見もあると思います。しかし、身内が亡くなって、遺族は「亡くなった者のために出来る事は何でもやろう」と思うのが、家族ですよね。となると、「その子のために、その人のために、裁判に出ていって出来る事は全部やってあげよう」って、やっぱり無理して思うんじゃないでしょうか。だから、(被害者の)負担が増すと思うんです。選択できる制度だといっても(「権利を行使しない」という選択肢を取ることは考えにくく)、高いハードルを被害者に乗り越えさせようとしてるっていう、ちょっと厳しい話だと思いますね。

――「亡くなった家族のために、何でもやらなくちゃ」という思いは、10年前に片山さんご自身が実感された思いですか?

片山: その通りです。法廷は、非常にきつかったですね。言いたい事は、全部言わせていただきましたけれども。私のときは検察側の証人だったので、反対尋問まで受けたんです。非常に嫌な事も聞かれましたし、証言台に立って意見を言うのって、非常に辛い体験でした。

非常に辛いハードルが目の前にあり、「これを飛んでもいいし、飛ばなくてもいいですよ」という状態にしても、実際は皆「飛ばなくちゃ」という気持ちになってしまうから、結局困難に直面してしまう、というわけだ。

――そういうハードルは、制度的に「飛べないままにしておく」ほうがよいと?

片山: 制度的には、行政がその代わりをするというのが、僕は一番良いと思うんです。

こうした考えから、先月(11月)の8日、片山さんは『被害者と司法を考える会』として記者会見を開き、「少年審判廷に被害者が参加し質問、傍聴する案に対して反対です」という声明を出した。

片山: 少年事件で言うなら、調査官が被害者から事前に綿密に話を聞いて、それを判事に伝えておくと。裁判っていうのは1回きりしかありませんので、「後にも先にもその機会を逃したらもう言えません」っていうのが、凄くきついわけです。調査官が何度も何度も来て頂いて、最初は話しにくかったけれども、信頼関係が出来て十分に分かってもらえたということだけでも、被害者は凄く満足すると思うんです。そういう、ある種の支援策みたいなものも、とても必要だなと思います。

被害者の《権利の確保》と、被害者の《保護》との、せめぎ合い。この制度については、片山さんとは正反対に、導入を歓迎する被害者の人達も数多く存在しており、「被害者はこう考える」と一括りに語ることはできない。

■悲しみよりも、幸福を語る

そして、片山さんの今の活動の第3の柱は、《非行少年の更生教育》。少年が起こす事件というものに関して、片山さんは特別に思い入れを持っており、たびたび少年院などに出向いて話をしたりしている。10年前の隼君の出来事は、別に少年絡みでも何でもなかったのに、なぜ、この分野に関心が向かったのか。

片山: たまたま最初に少年院に行ったときに出会った少年達っていうのが、よくよく話を聞くと、犯罪の被害に遭ってる子供が凄く多いんです。いじめの被害もありますし、明らかに暴行の被害もありますし、物を盗られたり、交通事故の被害もある。非常に目立つのは親からの虐待行為ですね。これは、周りの社会が許せないと、大人として思いました。今はこれが、一番の私のテーマになっています。

――片山さんからは、彼らにどんな話をするんですか?

片山: 非常に分かりやすい話を一杯します。まず、幸福感について、幸福論について必ず話をしますね。つまり、家庭というものは、本来凄く良いものだと。

――子供達の反応は、どうですか?

片山: いや、びっくりしてますね。被害経験者がやって来て、もっとおっかない話をするという風に、皆さん思っているようです。やっぱり、「家族を失った悲しみというのは、想像するに凄いもんだ」と、法務教官とかいろんな人から教わっているんでしょうね。もちろん、そういう痛み苦しみを私も背負っているわけですけれども、それを、傷口を開いて「さあ見ろ!」っていうようなスタイルじゃなくて、「じゃあどうしたら、そういう被害者を出さないようにするか?」ってことに力点を置きます。

■被害者は「特別な人」ではない

――今も、こういう講演に取り組んでいらっしゃる時以外は、普通の仕事をしてらっしゃるわけでしょう?

片山: 仕事は厳しいですよ。私は、インテリアのデザインをしておりますので、やっぱり社会性を考えてデザインをしなければいけない時代に、もはや入っています。あとは、プランニングを立ててチェックする。工期管理とか、コスト・チェックとか。ほんとに、頭下げてばかりで。(苦笑)

こういうことを語るとき、片山さんは、ニュース番組に登場するときの表情ではなく、普通の仕事人の顔つきになる。10年前、隼君が事故に遭う一瞬前までは、片山さんはいつだってこういう顔をしていたのだ。

片山: 被害に遭った方をもし見かけたら、特別な人だと思わないでいただきたいんですね。《普通の人》です。普通の人がある日、被害を受けて、普通じゃなくなっちゃうわけです。言いたい事が言えなくなる場合もあるし、思ってる事がぶっきらぼうに現れる場合もあります。ですから、長い目で見て欲しいなぁという風に思います。

――10年前、隼君を失ってから今日まで、片山さんがこうして幅広く頑張って来られた活動を総合すると、将来どんな日本社会になって欲しいというイメージを描いているんですか?

片山: 《誰もが被害に遭わない社会》ですね。(それぞれの取組みの)バックグラウンドは全く同じで、犯罪をゼロにするという目標において、どの活動もイコールですね。

■犯罪ゼロ化も、被害者支援も、「誰にでも出来る事」!

――「犯罪をゼロにする」…大きな目標ですよねぇ。

片山: いや、そんな事はありません。非常に簡単な事です。ローカルな、たとえば町内会単位で見るならば、その中で双方の痛みを考えるようにすれば、誰でも出来る事です。

「日本全体から」と考えると気が遠くなるが、「自分の身の周りから」犯罪をゼロにする。それを全部、足し算すればいいという発想だ。

――ラジオを聴いているリスナーの方に、呼びかけたい事はありますか?

片山: いろんな人が支援者になり得ます。たとえば、(被害者が日常生活の買い物シーンで出会う)スーパーの店員さんでも支援者に十分なり得ますし、学校の先生もそうです。バスの運転手さん、タクシーの運転手さん、皆支援者になり得ます。私は、いろんな人にお世話になりました。ですから、「自分は(被害者支援の)勉強をしてないから」「スキルが無いから」とか思わずに、本当に対等の目線に立って見てもらいたいなと思います。
 もう一つ大事なのは、立場ということを考えないことです。「自分は被害者の立場だから」とか、「自分は全く無責任な立場だから」とか、いろんな関わりで遠慮されちゃうことが多いわけです。ですから、一人ひとりの気持ちというのは、そりゃ相手を傷つけ合っちゃ仕様がないですけれども、配慮を持って接していけば、意外と問題解決っていうのは簡単に出来るんじゃないかなっていう風に思います。

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