先々週(9月7日~9日)、札幌で『第5回市民メディア全国交流集会』が開催され、日本中の市民メディア関係者のべ300人以上が一堂に会した。およそ年1回のペースで、これまでも各地で転々と開かれてきたが、今回は初めて北海道での開催。「大手メディアが一様のトーンで描いた夕張の実相を確かめよう」とか「二風谷のアイヌの里の発信を見に行こう」など、地の利を活かした、非常に多彩なワークショップや分科会が開かれた。
その中から、敢えて一番小規模な分科会に眼をツケる。タイトルは、「多様な文化を発信する市民メディア」。やや抽象的・学術的な題名だが、話の中身は大変具体的で示唆に富んでいた。神戸で10ヶ国語の放送をしている『FMわぃわぃ』の吉富志津代さん、二風谷でアイヌ語と日本語で放送している市民メディア『FMピパウシ』編成局長の萱野志朗さん、そして、日中2ヶ国語で映像発信をしている『東京視点』のアドバイザーである私の3人が、パネラーとしてトークを展開した。
『FMわぃわぃ』は、神戸の震災のときに、日本語の分からない外国人被災者に情報を流すというニーズで始まったミニFM局だ。当時、大手メディアでも紹介され話題になったが、その後も発展して、今や地元に定着している。しかし、そこに至るまでの間に、実は大きな“存続の危機”があり、そのピンチを乗り越えていたのだという。一体その時、何があったのか? 設立以来の中心メンバーである吉富さんが、今回初めて公開の場で打ち明けた。これは市民メディアに限らず、地域で何かを行なおうとしているあらゆる市民グループに参考になる話なので、今回はこのエピソードに焦点を絞って、お伝えする。
■「支援してあげる」から「お互いのため」に
まずは、初期の『FMわぃわぃ』が、単なる被災者向けラジオからどう脱皮していったか、という話から。
吉富: 地域に住んでる、いわゆる“外国人”と呼ばれる人達にとっては、「初めて認められたような気がする。自分達もここに住んでいい、と言われたような気がする」というような、そんな期待を込めて(『FMわぃわぃ』は)始まりました。ただ、地域の日本人は、「外国人の為の放送局で、自分とは関係ないんじゃないか」っていう風に思っていた。そういう風に始まったんですけども、地域の中にちゃんと日本語を理解しない人もいるということは、「地震の時だけじゃなくて、普段からそういう情報が伝わっていなかったんだ」という事に気づいて、地域に住むマイノリティの人達の為の、市民活動展開のきっかけになりました。
最初は、その地域にいるマジョリティ(多数派)たる日本人達は、自分とは無関係なマイノリティ(少数派)の《ため》(この2文字がポイント!)の活動だと思っていた。しかし、これがその後の実践の中で、大きく変質してゆく。
吉富: 今まで同じ地域に住んでいても、(日本人と外国人は)お互いに住み分けて、一緒に何かするということをして来なかったんです。《知らなかった》から、偏見を持ってマイナスに捉えていた。「あそこに沢山ベトナムの人がいるけれども、なんだか何を言ってるか分からないし、ゴミはちゃんと出さないし…」と言っていた。
ところが(そういう偏見を持っていた)その人達が、「いや、でも地震のときは、怪我した人を一緒になって病院に運んだじゃないか」と、気付いた。難民として渡って来た人の力って、物凄いんです。ボートに乗って、命からがらやって来た人達は、何かあった時にもめげないですね。日本人がしょげている時も、「いや、こういう時こそ、焼肉して元気出さな!」って言って、焚き火して肉を焼いて「食べ!」って言ってくれたり。コミュニケーションさえ取っていれば、この人達は地域の中で、こんなに《力を持ってる》んだって、(日本人側が)気付いたんですね。
これって、昔だったら、外国人“支援”と言われた活動だったんですけども。
下村: “支援”って言う言葉が、支援する側・される側っていう二分法的な発想に立っている感じで、象徴的ですが…
吉富: ええ。ところが実は、そうじゃなくて、お互いのための、双方向のコミュニケーション―――知り合うっていうことは、《お互いの為》だったんです。
マジョリティがマイノリティの為に“やってあげる”という構図ではなく、《お互いの為》のコミュニケーションのツールへと、『FMわぃわぃ』は変わって行った。
■主語を間違えると、自滅に向かう
…と、ここまでは順調だった。だがこの後、思わぬ危機が訪れる。
吉富: ある意味、有名になってしまった為に、『FMわぃわぃ』がこんな事をしてるって、ずいぶん大手メディアにも採り上げられて来たんです。でもその時に『FMわぃわぃ』は勘違いをしてしまって、地域の人から、それから周りの活動をしている人から、…そっぽを向かれた事がありました。
下村: なんで、皆はそのときそんなに『FMわぃわぃ』を嫌いになったんですか?
吉富: ボランティアの人達が放送をしているんですけども、その中に市民団体や小さなグループや地域の人とかがいるわけですよね。で、「『FMわぃわぃ』って凄い、いろんな事やってますね」って言う風に大手メディアが寄って来られた時に、私達は「そうです、《この人達が》やってますよ」っていうつなぎ役であるはずなのに、つながなかったんです。
下村: 「そうです、《私達が》やってます」って言っちゃった?
吉富: そうです。ちやほやされると、やっぱり勘違いするんですね。それで、地域の人はもう、「美味しいとこだけ持っていくやん、『FMわぃわぃ』は。偉そうにしてるやん」みたいな、そういう世界になっちゃったんです。
下村: つまり、そっぽを向かれた時期は、市民メディアではなくなっていたっていう事ですか?
吉富: そうです。形は、市民が発信していながら、始まった時の思いとかコンセプト―――本当の意味の市民メディアとは違うように、一時期なっていたと思います。
下村: そうやって「市民メディアではなくなって、また市民メディアに戻れた」っていうプロセスを伺うと、《市民メディアとは何か》っていうのが見えてきそうですね。
つまり、発信の主役は誰か、ということだ。「多様な文化を発信する市民メディア」という、この分科会のタイトルだけを見ると、「発信する」の主語は「市民メディア」であるかのようにも見えるが、吉富さんの失敗談を聞くと、市民メディアは主語になってはいけない、あくまでも発信の《道具》でしかないと分かる。市民1人1人が自分の属している様々な文化を発信する際の道具として、市民メディアという場があるだけだ。自分達の番組が[主]で、市民は[従]=ただの“協力者”だ、と勘違いした市民メディアは、自滅して行く。
■再生の苦しみを経て、思いの発信の場へ
これに気づいた『FMわぃわぃ』は、スタッフの中で激論を戦わせ、殆どメンバーの総入れ替えに近い事態にまで発展した。考えが違うと思った人は自ら去り、以前去って行った人が逆に戻って来たりして、4年ほど前から今の形で再生が始まったという。
吉富: 元に戻す“革命”というのは、物凄くしんどい仕事だったんです。今だから、話せるようになったかなぁっていう感じです。
その試練を経て現在の『FMわぃわぃ』は、神戸を中心とするいろいろな市民グループが、再び自分たちの活動の足場として、利用するようになった。その具体例の1つとして、地域の子供達による発信活動のグループ『レック』を紹介するビデオが、この分科会で流された。
--------<紹介ビデオより>-------------------------------------------------------------------------------------------
ナレーション: 中高等学校には、外国にルーツを持つ多くの子供達が通っています。そうした多文化な背景を持つ子供達の中には、言葉を始め、十分な学習指導が受けられなかったり、偏見や差別の為、自分のルーツや存在に自信を持てず、周囲に気後れを感じてしまう子も少なくありません。ともすると、日常の中でかき消されてしまいがちな《小さな声の中にある豊かな思い》を、子供達は今、この場所から自信を持って発信し始めました。
ラジオ番組(子供A): 私、しんちゃん。アンニョンハセオ。こんにちは。レック・ラジオ!
(子供B): こんにちは、●●です。8才のときに、ブラジルから来ましたブラジル人です。
(子供C): こんにちは、▲▲です。日本生まれのベトナム人です。
ナレーション: 多文化な子供達が、悩みながら表現する思いに、国籍や年齢の壁を超えて、いろんな人達が《それぞれの思いを重ねて》くれます―――。
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構図のポイントは、『FMわぃわぃ』の為に委託されて番組制作をしている下請けが『レック』なのではなくて、自立した自分達のグループ『レック』の発信の場として『FMわぃわぃ』の電波を活用しよう、という関係性だ。
■市民メディアは、皆の道具!
マイノリティは、もちろん外国人だけではない。心身にハンディキャップを持った人、性同一性障害の人、引きこもりの人、今いじめられている側の人(子供も大人も)…。これは、どの社会にも通用する、とても普遍的な話だ。
こうして再生した『FMわぃわぃ』の役割を、吉富さんは胸を張って、次のように述べた。
吉富: そういうマイノリティの人達も、地域社会で一緒に暮らしている。その人達の《力が発揮できる》ようなサポートを、NPOがする。そして、マイノリティとマジョリティに《橋を架ける》。そこに、ラジオがあるんですね。
昔、こういう活動というのは、いわゆる“一部の運動家”の運動みたいな感じで、ある一部の人だけがするっていうイメージだったかと思うんです。でも、そうではなくて、普通に暮らしている、そこらの近所のおじさんや中学生や子供達やお年寄り、皆が知らず知らずのうちに、知らなかった事を知るきっかけになったり、今までだったら話をするきっかけが無かった地域のベトナムの人と、夏祭りで話が出来るようになったりとか。そういう事の中にラジオという不思議な道具があることで、《スムーズな交流のお手伝い》が出来ているのではないかと思います。
マイノリティの人の発信してくれる力って、私達多数者と言われる人達の気づかない事を沢山気づかせてくれるし、地域の中がそれで活性化されたり、楽しい事が沢山起こるんですね。だから、ラジオ《が》何かしているというわけではないんですけれども、こういう活動の中に道具としてラジオ《を》活用している。それが、『FMわぃわぃ』の存在意義だと思っています。
更に、マイノリティが多様であるように、よく見ればマジョリティの中にも「○○商店街の自慢」や、「△△中学校の伝統」「□□自治会の慣習」など、それぞれ自分の属している小さな《文化》がある。そこまで視野を拡げれば、「多様な文化を発信する市民メディア」は、特定の人の発信用ではなく、本当に全ての人のための道具だ。―――これが、この分科会で得られた“気づき”だった。
年1回行なわれるこの集会、通称“市民メディア・サミット”は、失敗談あり成功話あり、様々な団体の貴重な体験交換の場となっている。一番参加者が少なかった分科会でさえこれだけ濃いのだから、他は推して知るべし。次回(第6回)も、楽しみだ。