「市民メディア・サミット」で熱論! 市民メディアは社会を変える?

放送日:2006/09/16

毎回、このコーナーで参加者にリポートしてもらっている、市民メディア全国交流集会。先週末の3日間(9月8日〜10日)、横浜で第4回が開催された。第1回の名古屋(一昨年1月)、第2回の米子(一昨年11月)、第3回の熊本(昨年9月)に続く今回の大会全体のタイトルは、「市民メディアは社会を変える」。私が司会を務めた基調シンポジウムのテーマは、その全体のトーンに対抗して、「市民メディアは社会を変える?」という疑問符を付けた。本当に市民メディアは社会を変える事ができるのか?様々な市民メディアの現場にいる人達が、本音をぶつけ合った。

■「伝えたい事」vs「伝えるべき事」

まず最初のぶつかり合いは、パネラーの自己紹介が一巡した直後に勃発した。自己紹介の中で、インターネット放送局『KNN(神田ニュースネットワーク)』の神田敏晶氏が、「自分は楽しいと思う発信しかしない、好きな事しかやらない」と言い切った。これに、同じくインターネット放送局『世田谷テレビ』の中山マサオ代表が、引っかかる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

中山:
皆さんの話を聞いてて、僕引っかかってくる所が一杯あって…
下村:
あ、もうドンドン喧嘩売って下さい。
中山:
でも、話それてもいいすか?
下村:
いいすよ。
中山:
この中で、地域メディアやってる人って、ちょっと手を上げてもらっていいすか?…ああ、沢山いますけど、神田さんが言った、「好きな事だけをやってていい」という言葉に対して、どう思いますか?
下村:
どうぞ、会場の方! じゃ、ちょっと手を上げてください、どなたか。あ、じゃあ、中央の方。
会場:
あの〜、よく色々聞くのは、「楽しくやりたいなぁ」なんですよね。僕自身も、お金と楽しさが無いと続かないんです。でも楽しさだけで、今、若い人でも我々でも物事を判断してて、本当にええんやろか?と。周りの人をミスリードしてしまう危険性があると思いました。
中山:
あの、私がそれを訊いたのは、「地域の自己表現って、≪発信・理解・共有≫だよ」って、地域に入った時に言われたからなんです。「発信があって、理解があって、その後皆で共有するんだ」って。それが僕のコンセプトで、こんな小さいカメラを持って、取材してたんですね。で、それが面白くて面白くて仕様がなくて、いろんな人と繋がってやっていたんです。でも、スタジオ持って僕が『世田谷テレビ』をやっていく中で、なんかやっぱりこう、自分が好きじゃない事もやんなきゃいけないような、≪公共≫や≪しがらみ≫みたいな事とかドンドン発生していって…。そこはね、モチベーションが凄く下がるところなんですけど。いろんな人の考え方とか、『世田谷テレビ』に入って来る若者が実は(地域への関心ではなく)ミニTV、ミニ・マスコミをやりたがっているとか、そういう人との価値観の違いもすっごいあって…。それでも、『世田谷テレビ』をやり続けようと思うのは、やっぱり世田谷が好き、地域が好き、で地域に面白い人がいるから。「それが伝わってない、届いてない、繋がってない」と思うから、どうしても繋げてあげたい。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「好きな事だけ発信したいけど、地域にスタジオを構えてしまったら、公共性やしがらみで発信≪しなければいけない≫情報が出てくる」と、中山さんは随分悩んでいる感じだ。これに対して、疑問をぶつけられた『KNN』の神田さんは、ケロッとして持論を展開する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

神田:
ま、僕自身は、「楽しい」っていうか、ポジティブなニュースであることは非常に重要だなって思ってるんですね。だから例えば、ネガティブなニュースは、僕は要らないんですよ。テレビつけてて、ニュースで、どこそこの地域で首吊り、子供が親を殺す、そんな話、僕はそんなチャンネル、消しちゃいたいぐらい。
でも、楽しい事にも必ず責任は付きまとうんですよ。「僕は楽しいよ」っていう風にコミットして責任を持った以上、僕がこれを裏切っちゃうと、「神田さんが言ってる事、これ楽しくないよね」って言われた時点で、もう誰も付いて来ないって。常に楽しいんだけど、責任も付きまとう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

確かに、神田流に「楽しいよ」という発信に特化していても、それが≪発信≫である以上、壁に向かっての独り言でない限りは、中山流と同様に責任を伴う。

■情報を発しているのに、届かない

神田さんの言う「ネガティブ情報なんて要らない」という考え方も、気持ちとしては大いに共感し、そういう発信者もぜひいて欲しいと、私も思う。だが、発信者が皆そうなってしまうと、それも問題だ。地域や身の回りの問題を声に出して解決に向かわせる市民メディアも必要なのだ。(実際に会場では、町内会長の汚職を摘発して逮捕にこぎつけたという市民テレビの報告も出た。)
パネラーの中に一人だけ、様々な市民グループのコーディネーターの役回りで、横浜市内を東奔西走している小池由美さんという女性がいた。市民メディアの発信活動をしていない彼女には、シンポジウムが当事者の自己満足の内輪トークにならないように加わって頂いたのだが、早速彼女からも、鋭い指摘が飛んだ。映画『三池』の制作スタッフとして登壇した中村珠美さんも、一行政職員という立場から、これに同調する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

小池:
行政からのサービスだとか、助成金だとか、様々なものが実際にはあるのに、そういった事が全然手に入れられない。それはあの、訊けば分かることも沢山あるんだろうけれども、今の行政ってのはドンドン、ネット上に「どうぞ」って形で出して、で、「知らないあなたが悪いのよ」みたいな事が多いですよね。
中村珠美
(九州・大牟田市役所職員):
広報紙を出しますよね。それで、情報発信っていうのは、少なくとも紙ベースでは、1世帯ごとに確実に届きはするんですけど、でも、そこはやっぱりテンコ盛りなんですよね。必要な人、例えば子供を持っているお母さんが必要な情報もあるし、お年寄り、介護を必要とする人の情報もあるし、何か勉強したいなと思っている人の為の情報もある。確実に全世帯に渡すんですけど、ある意味“総花的”って言うんですか、何でもありなんですね。ホームページも同じです。その範囲が全方位的であるが故に、ピックアップできないっていうんでしょうか。必要な情報は出してるんだけど、グーッと(目線を)落として、「お隣のこのお婆ちゃんが必要とする情報は何なのか」っていうところになると、いたって行政は弱いと思います。
小池:
それが凄く、普段から気になっていることで、逆に、例えば、そういう発信(媒体)を持っている『世田谷テレビ』だとか、それから神田(『KNN』)さんみたいなのが、ドンドンやっていっていただければ、ひょっとしたら道が開けるのかなぁと思うんですけども、まだそういうところには行ってない…。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

今、地域には情報が≪無い≫のではなく、≪溢れて≫いる。例えば市役所・区役所も、沢山の発信をしているのに、それが必要な人に的確に届いていないのが問題の核心部分だ、と小池さんは指摘する。多すぎる情報の交通整理役として、市民メディアにその間を取り持って欲しいという考えだ。
役所発だけではない。地域で活動する各団体からの発信も、「せっせとホームページを作るのだが、殆ど効果が無い」と言う。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

小池:
あがいてるんですが、やはり皆さんに見て頂けないな、というのが現状です。
下村:
見て頂けないってのは、ホームページをせっかく作っても、っていうことですか?これは相当、共有の悩みですよね、色んな活動団体にとって。
小池:
市民活動をしている人達も、実際に(同じ種類の)活動をしている人達に(自分たちの情報を)届けるっていうことがなかなか難しいと思っています。それと、本当に見たい人達が、見る≪環境にない≫んですね。今、携帯でもブログでも何でもかんでもって言われますね。メディアやっている人は、「ブログで書けば一杯来るのよ」って思われがちですけど、やっぱり来ない人の方が多い。(私たちが)ホームページ作っても(皆さんは)見ることができない。見れない。知らない。そういう人達がやっぱり沢山いる。
青葉区にも、かなり広い範囲で流しているケーブルテレビはあって、そこでも市民の動きとか、もちろん市民が参加をして出していただける番組とかもあるんですけども、それで、何も伝わって来ない。現実そういうことなんですよね。そういった中で、今、発信をしている人たちの活動が、ホントにそれで街を良くするところに繋がっているのかなぁっていうのが、私なんかは、とっても疑問に思ってるんですね。
どうしてその市民メディアって言われる、山江村とかで行なわれていることが、こっちでは出来ないんだろうか?ってのを、逆に訊いてみたいなって思うし…

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■ドブさらいも、イラク問題も

小池さんの発言に出てきた「山江村」というのは、前回の大会が開催された熊本の村だ。ここでは住民ディレクターが非常に活発に動いている。なぜ、横浜だとそれが出来ないのか、という疑問に、新潟で市民メディア活動に取り組んでいる荒川さんという方が会場から飛び入りで答えた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

荒川:
あ、こんにちは。あの〜、新潟県の上越市という所のですね、『くびきの・みんなのテレビ局』という市民団体なんですけども、私は、地元のケーブルテレビの局員です。市民メディア、市民ディレクターを立ち上げるのにちょっと色々骨を折って、2年経ちました。9月までで、171本の作品が出来ました。地域の自主チャンネルってことでの視聴率高いんですよ。「民放やNHKがつまんないからお宅のチャンネル見てんだよ」なんて声も結構あるんです。スーパーマーケットで市民ディレクターが買い物なんかして、レジで待っていると、知らない隣のおじさん・おばさんから声かけられてですね、「あんた髪の毛伸びたね」とかですね、本当に非常に≪密着感≫のある反応が出ています。
それで、持論になるんですが、そこにいるパネラーの皆さん、一人一人には聞きませんけど、町内会長のフルネーム全部言える方、どれぐらいいますかね?今、市民メディア、市民メディアって言うわりには、やっている人達ってのが、地域社会をどこまで知ってるか?まずそこから始めないといけないと思うんですよ。半径1km、2km、3km。そこでドブさらいを一緒にやらないと、ITでホームページ作ったからと言って、ダメなんだと思うんですよ。「実は今、私、地元のケーブルでこういう事やってるんだけど、見たことある?」とか「見て欲しい」とか、ホームページのアドレスを書いた名刺を渡すとか、そういう風な所で、少しずつ広がっていく。やはり、輪が輪を広げていく。ほんとに雪だるまを膨らましていくような感じがないと…。「発信しても見てもらえない」ということをブーブーブーブー言ってても、始まらない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

首相の名前は知っていても、町内会長の名前は知らない、というのは、確かにいびつだ。
しかし、市民メディアというものは多様であって、荒川流もあれば、神田流もある。皆がローカルにこだわる必要もない。例えば、神戸で震災後に誕生したミニFMラジオ局『FMわぃわぃ』の日比野純一氏は、全然地元情報ではないイラクの人質問題をシリーズで大きく採り上げて、地域で受け容れられた体験を語る。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日比野: 地域の人達、消防だったりとか婦人会だったりとか、地域の保守…保守とは言わないけど地域の地縁系の人達がね、実はうちの番組審議委員会として、ザッと並んでるんですね。イラクの人質(高遠さんら3邦人の拘束事件)の時に、あの〜、「人の命は大切にしよう」っていうメッセージ番組を流して、それを番組審議委員会にかけたんですね。で、あの時にその番組をするっていうことは、『わいわい』の中でも結構、(自己責任論が渦巻く)世の中とずれてるんじゃないかとか。で、当然番組審議委員会の中ではコテンパンにやられるかなと思ってたんですけど、「わしらは確かにその意見は、ちゃう。でも、長田で聴ける色んな大きなメディアから小さなメディアの中で、『わいわい』がそれ流さなかったら『わいわい』じゃないやん」ていう風に言われた時に、「あ、そういう風に見てくれてるんや」と。それはやっぱり、11年の関係が築けてたんだなぁって思って、一番嬉しかったですね。
割と今日はハードな事言ってますけど、日常的には、オチャラケな事ばっかやってんですよ、ほんとに。坊さんと神父さんとが集まって、なんかエッチな話してたりとか(会場笑)、そんな事やってるんです。でも、そういう存在として地域の中にそういうラジオ局もあってもいいじゃないかっていうのを、長田の人達は、許してるっていうか受け容れているんだなっていう感じはするんですよね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

地域情報(『世田谷』&『くびきの』)、行政発信(『三池』)、個人発信(『KNN』)、オルタナティブ(『FMわぃわぃ』)…。一口に「市民メディア」と言っても、そのスタイルは様々で、議論は豊かに“紛糾”した。それぞれが路線論争でなく、多様性を認め合いながら共存して行ったら、市民メディア界は、ますます面白くなって行くだろう。

▲ ページ先頭へ