「市民メディア全国交流集会」熊本の山中で開催

放送日:2005/9/17

日本中の市民メディア関係者が一堂に会する「市民メディア全国交流集会」が、昨年(2004年)1月の名古屋昨年11月の米子に続いて、先週末の3日間(9月9〜11日)、熊本の山中にある山江村という所で開催された。今回は、開催地山江村の実行委員会副委員長として開会式やシンポジウムの司会もされた松本佳久さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.9)と、インターン・スタッフとして東京から参加した武蔵大学社会学部3年生の木原こずえさん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.10)にお話を伺う。

■官・民を超えて、世代も超えて

松本:
私の仕事は農業で、黒米・赤米を作っておりますが、他に山江村民有志と『マロンてれび局』というのをやっておりまして、その一員でもあります。私は、これを「住民テレビ」と言うとります。

―今回の集会には、どれくらいの人が集まったんですか?

松本:
全国各地、遠くは北海道から、超一流市民メディア関係者が150人はいらっしゃったと思います。村民も50人くらいは参加しまして、総勢で200人くらいにはなったと思います。山江村というのは、九州でも山の中なんですよ。こんな山奥の山江村まで集まってくださって、ほんとに感謝しております。ありがとうございました。

―そんなに山の中で、150人分の宿泊施設ってあるんですか?

松本:
第3セクターの『山江温泉ほたる』というところが、唯一の宿泊施設です。それから民宿も1軒だけあるので、そこも利用しました。あとは、村内の家庭に、合宿という形で民泊受け入れをしてもらって、いちおう村内に皆さん泊まっていただきました。

―参加者の皆さんが、普通の家庭に散って宿泊したんですか。食事の手当も?

松本:
そうですね。朝は、それぞれの家で自慢の家庭料理を食べていただきました。そして、お昼のお弁当は婦人会の方達と、食生活改善グループの方達が、山江村らしい手作り弁当を作って、食べていただきました。この大会自体が、村をあげて全国各地の人を歓迎しようということでしたので。
木原:
おいしかったです!(笑)
松本:
ありがとうございます。 準備は、村役場の協力なしには出来んかったですね。特に中心的な企画調整課は、最後の4、5日は寝ずにやってくれたんじゃなかったかと思います。人的にも、財政的にも、役場の協力がなければ、とても出来んかったです。

―まさに官民一体ですね。木原さん達インターン・スタッフは、どこに泊ったんですか?

木原:
私達はそれとは別で、「青年の家」というところで、畳の上に布団を敷いて、皆で寝るっていう感じでした。宿舎でのインターン学生は、全部で16人いたんですけど、半分は関東から、半分は関西から集まってました。出会って3、4日しか経ってないのに、「ずっと今まで一緒にいたの?」っていうくらい一致団結して、楽しくやってました。山江村の名産の焼酎「伝助(でんすけ)」を皆で飲んでました。
「次の世代に続いてもらわなきゃ」と言って、大人の方もその宿舎に訪ねて来てくれたんです。「語ろう!」って言って、余ったお肉とコンロ、地酒なんかをわざわざ持って。来てくれたのは、元小学校の先生で、今は保育園の副園長をしていらっしゃる、山江村の淵田先生と、『マロンてれび』の横山局長です。村役場の若い方で、『マロンてれび』のスタッフも来てくれて、同年代ということもあって、すごく盛り上がりました。

■“テレビは見るもんじゃなか”

いきなり夜の話から始まってしまったが、昼の公式プログラムも御紹介しよう。まず眼を引くのが、全体会最初の「村民歓迎メッセージ放映」だ。

―代表挨拶じゃなくて、これもビデオで作っちゃったんですね!

松本:
これは、どんなふうに歓迎しようかと皆で色々考えたんですけど、アイデアをいただいて、なるべく多くの村民、団体から「ようこそ、山江村へ」というメッセージを集めようということで作りました。保育園、小学校、老人会、森林組合、商工会、村議会、それから役場まで、村内の多くの方々が、ほんの5秒、10秒なんですけど、皆が参加して下さいました。

―皆が一言づつ、次々に画面に現れて、歓迎メッセージを話すわけですか。全部で何人くらいの方が参加されたんですか?

松本:
正確に数えはしませんでしたが、1000名くらいじゃないかと思います。山江村は人口4100人の村なんですよ。ですから、全村民の4人に1人は参加してくたんじゃなかったでしょうか。「ようこそ、山江村へ」とか「Welcome to Yamae Village」とか…。
木原:
ちっちゃな子も「よ〜こそ」とか言ってくれるんですよ。それが可愛くて。

プログラムを見ると、全体会での基調講演の後には「マロンてれび活動報告」が続く。そのタイトルは−−−“テレビは見るもんじゃなか・出るもんばい!”
市民メディアというものの基本姿勢を、ずばり言い当てたフレーズだ。

■番組作りは、100%自然体

そして、楽しそうなのが、「体験プログラム」の5コースだ。
・『マロンてれび』による「番組制作講座」
・元NHKカメラマンによる「撮影講座」
『京都三条ラジオカフェ』による「ラジオ番組講座」
・その他(「とうふ作り体験」、「栗の収穫体験」)

―木原さんは、このうちどれに参加したんですか?

木原:
私は、マロンてれびの番組制作体験に参加させてもらいました。ものすごく楽しかったです。マロンてれびの22歳の"イケメン"スタッフの車に乗せられて、「村民突撃インタビュー」に行きました。インタビューっていうと、普通、事前にアポ(会う約束)を取って、当日も「今日はよろしくお願いします」って言って始まるじゃないですか。でも、マロンてれび流は違うんです。もういきなり家とか店とか入ってって「おー最近どぎゃーしとるばってん?」で始まるんです。寝てるのに、「ちょっとインタビューさせてよ」って起こして話すんです。もうアポなしどころじゃなくて、「えっ、それって取材なの!?」っていう感じで。
でも、なんか楽しそうに話してるところをカメラに撮っていって、最後には、村民の素敵な表情を納めてましたね。

―これは、普段の人間関係がなければ出来ないやり方だよね。撮ってる方も遊び感覚?

木原:
ここで「はい」って言っていいのか分かりませんけど−−−はい(笑)。酒屋さんにもインタビューに行ったんですけど、その「さんちゃん」って呼ばれてる方なんかは、「こっちのお酒とそっちのお酒と、どう違うの?」って聞いたら、裏からお酒持って来てくれて、「飲めば分かる、飲め飲め」って、取材中なのに焼酎飲んだりして。

―そうやって楽しんで取材したんなら、それを反映して、出来上がった作品も当然楽しいよね。それで、その「突撃インタビュー」は、どんなテーマだったんですか?

木原:
テーマはですね、取材開始から30分くらい経って、「あっ、そういえば、今回のテーマは”山江を伝える”だからー」って突然発表されて。「早く言えよ!」って感じでした(笑)。

―この取材方法は、この講座用にアレンジしたんですか。それとも、『マロンてれび』は、普段からこんな感じなんですか?

松本:
普段から、そうです(笑)。この番組制作体験のコースには、20名くらいの方が参加されたと思うんですけど、私達『マロンてれび』のスタッフも5班に分かれて、それぞれ4名づつになってやったと思います。木原さんが参加した班の"イケメン"担当者は、「人物インタビューと、自然とを皆さんに見せたかった」と言ってました。
それから、山のずっと中の方で、水が湧き出てるところにも行ったんでしょ?
水は冷たかったですか?
木原:
はい、冷たかったです! 途中で「川がきれいだねー」って言ったら、「じゃあ、川はいるかー」ってことになって、取材中のはずなのに、皆おもむろに靴と靴下脱いで素足になって、川遊び! それもちゃんと撮ってましたけど。水もきれいで気持ち良かったです。私達から見たらすごくきれいな水なのに、山江の方は皆「(台風の後だから)濁ってる」って言うんですよ。

■カメラの前に、釣り竿ありき

更に、この交流集会では、身体を動かすだけではなく、頭を動かす分科会もしっかりプログラムに組み込まれていた。市民メディアに絡む法律論(アクセス法)、著作権問題、組織論、各国の状況、…等々。

松本:
私は、第11分科会の『情報発信を生かした村づくり』で発表しました。平成3年から「テレビ」に関わってきまして、その15年の取り組みを報告しました。もちろん最初からうまくいったわけではなくて、とにかく最初は、カメラを向けると、おっかなびっくり逃げ回る感じでした。それが、どのように現在のような状況になったかというのをお話ししました。

―本当に盛り沢山の内容ですが、木原さんは、実際に参加してみてどうでしたか?

木原:
私は、この交流集会に参加するまでは、「市民メディア」ってちょっと内輪なものかなっていうイメージがあったんです。でも参加してみて、「それは違うな」と分かりました。市民はいつも、メディアを《受け取る》側じゃないですか。その市民自身が、自分が肌で感じたことを《発信》すると、すごく説得力があるし、ハートも伝わってくるんです。そういう方達ばかりが、自分の思いを伝えたくて集まってたので、ほんとに勉強にもなったし、刺激にもなりました。

―今回、その“肌で感じた”「市民メディア」とは、結局何ですか?

木原:
市民メディアとは、《伝えたいことがある》から、その手段としてビデオカメラを手にとった人達なんだなと思いました。分科会でご一緒した方で、「俺は、カメラじゃなくて、釣り竿を持ってここに来た」って言う方がいて、どういうことかというと、ずっと釣りをしてきた川が汚れてしまって、「どうしよう、どうしよう」って考えた結果、「よし、自分でカメラを持って、映像で伝えよう」ということになったんだそうです。《伝えたいことが先にありき》なんですよね。

―そんな人達が集まって、いろんな体験を一緒にして、そうやってネットワークができてくること自体が、今後に何かを生みそうですね。

木原:
インターン生の間でも、もう既にインターネット上に掲示板を作って情報交換を始めてます。今回も、「TBSラジオで交流集会の報告してくるよ〜」って書いたら、「頑張ってこいよ!」「山江村の宣伝、しっかりしてこいよ〜」というエールをもらいました。
それから、参加されていた方と名刺の交換をしたんですけど、その名刺を見返すと、その人の笑顔が思い浮かぶんですよ。「また会いたいなあ」と思いますね。
松本:
そうですね。最後はちょっとしんみりしましたね。まあ私は、ちょっと年とってますから、涙は見せないようにしたんですけど、ほんと「さよなら」を言うのは心苦しかったです。
今回の記録は『YSTV(やまえ村民テレビ)』にアップしますので、木原さんの作品もそこに必ず載せますから。
木原:
ありがとうございます。

■大手メディアの「圧勝」をぶっ壊せ!

―とにかく、沸きに沸いた3日間という感じだったんですね。
熱い3日間が終わって、さてこれから、次に向けてはどんな予定ですか?

松本:
市民メディア全国集会は、名古屋・松江・山江ときて、次回は、横浜でということになっております。それに向けて準備がスタートします。
それから、私としては、山江村の課題が見えてきたなと思っております。私どもも、この15年間、あらゆる機会を通じて、発信の場を広めようとしてきたんです。地上波テレビでも少しでも枠があれば「是非お願いします」と言ってやってきたし、CSにも挑戦しました。それから、私達は視聴できないけれども、熊本市のケーブルテレビに送ったりもしました。今は、インターネット上で『YSTV(やまえ村民テレビ)』としてやってるんですけど、やっぱり村民の方はあんまり見られないんですよね。
というのは、こんなふうにいろいろとやってるようでも、山江村は情報基盤の整備が進んでないんですよ。インターネットの普及率も、(正確なデータではありませんが)おそらく2〜3%くらいの世帯だと思います。もちろん、村で見られるケーブルテレビ局もないし。村に相応しい、なるべく低コストで、かつ高品質な情報発信の基盤整備を、急がないかんと思います。

これだけ発信活動が盛んな村で、実は自分達が作った番組を各家庭で日常的に見られる手段がないとは、ちょっと驚きだ。先程紹介したスローガン(“テレビは見るもんじゃなか・出るもんばい!”)の前半部分は、否応なくそうなっている、というわけだ。考え方を逆転させれば、《受信が出来ない環境でも、人には発信のモチベーションが生まれ得る》という証左だ。

木原:
私は、『NBアカデミア』っていう、ドキュメンタリーやニュースをインターネット放送で動画配信している学生団体に所属しているんですけど、今回の出会いで「自分には、山江村で得たものを活かす義務がある」と思ったんです。このままにはしておけないっていう感じで、もう帰ってきて数日経つんですけど、まだメラメラしてるんです。具体的には、出会った人達とタッグを組んでやっていけたらと思ってます。「この団体はここだけ」っていう枠を超えて、せっかくの素敵な出会いを活かしたいと思います。

先週末(9月11日)と言えば、日本中の大手既存メディアが、総選挙の開票速報で「自民圧勝」のニュース《一色》に染め上げられていた頃だ。同じ時間、市民メディアは、《多彩》な発信を目指す次なるステップに向け、大きくまた連携を深めていたのである。

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