参院選中盤! 『政党が操る選挙報道』に操られるな

放送日:2007/7/21

本「政党が操る選挙報道」 参議院選挙の投票日まで、いよいよあと1週間。前回に引き続き今回も、先月出版された集英社新書『政党が操る選挙報道』(700円+税)の著者で、元フジテレビの報道記者・鈴木哲夫氏(眼のツケドコロ・市民記者番号№54)にお話を伺う。
前回は、自民・公明・民主党の《コミ戦》=コミュニケーション戦略(実際の政策の中身ではなく広報・PRのテクニック)が、いかに巧みなレベルで沢山使われているかを、この本に具体的に紹介されている事例でご紹介した。今回は、我々がそれに《なぜ乗せられてしまうのか》も含めて考える。

■単語が誘導するイメージの落とし穴

一昨年の衆議院総選挙は、キャッチフレーズに誘導される《コミ戦》だった。つまり、前回このコーナーで私もポロッと使ったように、“郵政民営化選挙”、“刺客”、更には“造反”、“マドンナ”などという言葉が多用され、メディアもそれに簡単に飛びついてしまった。

――これらの言葉は、自民党の《コミ戦》本部が考えて作り出した言葉だったんでしょうか?

鈴木: (自民党が考えて)作り出した言葉もあります。メディア自身が作り出した言葉もあるし、取材のプロセスの中で、実際に広報がポロッと口に出した言葉もあるし、いろんなパターンがあると思います。テレビ的に言うと、キャッチフレーズにどんどんはまって行って「やられちゃった」というのが、この本の書き方です。例えば、“郵政選挙”という通称ですけど、あれは果たして“郵政選挙”だったのか? 小泉さんが勝手にネーミングしましたけれども、実はあの時だって、年金問題とかいろんな問題があった。景気の問題もあったのに、“郵政選挙”って打ち出した瞬間に、これは「郵政民営化、イエスかノーか」という話になります。そうすると、視聴者からすると「あ、そうか、郵政か、郵政か」と吸い込まれていくわけですね。どんどんそういう印象を持って見ることによって、ある程度の固定したイメージを選挙に対し抱いていくと…。

特に問題だと感じたのは、明らかにネガティブなニュアンスを最初から持っている言葉だ。例えば、“造反”という単語。「造反組の主張」というタイトルが、画面の右上にずっと出ていれば「あ、この人達、悪い人達だ」という印象になる。

――《価値観を伴った言葉》を安易に多用するとまずいですよね。

鈴木: そうですね。そういう、少しでも刺激的な文字に飛びついてしまうというテレビ側の習性、ここを巧みに突かれちゃってるわけですよ、結果的に。

これは選挙報道に限らず、一般的に普段のニュースにも言えることだ。例えば、憲法改正にしか使わない“改憲手続き法”のことを、「国民投票法」と呼ぶことで、「いいじゃん、皆で決められたら」という、とても受け容れやすいイメージに変わる。また最近では、「年金“救済”法案」などという通称も、困った人を助けてあげるニュアンスだが、これはせいぜい「年金“償い”法」か「年金“正常化”法」と言う方が合っているだろう。
こういった言葉をメディアも無批判に使ってしまうことで、印象が誘導されてしまうのだ。

■丁寧な説明を面倒がった有権者

鈴木氏の本の中では、自民党・民主党それぞれの《コミ戦》幹部が、一昨年の総選挙の結果を振り返り、取材に応えているが、その言葉が興味深い。
民主党側の《コミ戦》副責任者だった福山哲郎参議院議員は、自分達の敗因について、「普通与党は総花的になるのに、郵政1本で来た」と語っている。つまり、網羅的であるべき与党の政策が単純化されたことが、なぜか敵方=自民党にとってマイナスでなくプラスに働いたというわけだ。
また、自民党側《コミ戦》幹部の世耕弘成参議院議員は、逆に「郵政を民営化すれば外交も良くなる、といった乱暴な(主張の)中身だった」と認めている。様々な間の説明をすっ飛ばし、1つの結論だけをポンと言うやり方が、マイナスでなくプラスに働いたというわけだ。

――単純化もプラス、説明飛ばしもプラス。結局、こういうやり方が、日本中の有権者に圧倒的に支持されたということですね。

鈴木: もちろん1番悪いのは、メディアだと僕は思います。(こういう《コミ戦》に)乗せられたメディアも悪いけど、最後は有権者が(乗せられずに)そこを食い止めてくれないと。最後の、1票(を投じる判断)のところでね。

メディアだけでなく、有権者にも考え直さなければならない部分があるだろう。

■《言わない》ことで踊らせた、飯島コミ戦

この本には、政党の《コミ戦》成功例の他に、昨年夏、当時の小泉総理の靖国参拝を巡って飯島秘書官が鮮やかに仕掛けた、総理官邸の《コミ戦》も披露されている。

鈴木: あの時なんか、全部のテレビ局が1大イベントとして生中継した(靖国)参拝だったんです。あそこ(までの盛り上がり)に至った1つのポイントとしては、情報を)《言わない》ということなんですよ。思わせぶりにはやるんだけど、「いつ(参拝に)行く」って言わないことです。言っちゃうと皆はもう、ある程度予定を立てて、決まりきった報道しかしないんだけど、《言わない》ということで、メディアっていうのは「行くのか? 行かないのか?」ってどんどん興奮して来ちゃいます。当然、テレビ番組枠の扱いも大きくなってきます。もう、ギリギリまで言わない。そうして8月15日までぐーっと引っ張っていって、ドンと「行く」と。

当時、「これはもしかしたら、ちょっとだけずらして早めに行くのではないか?」と、各局はどこも8月13日辺りから中継スタンバイをかなり行なった。

鈴木: 小泉さんは、実は15日に行くって決めてたし、飯島さんも(内心)それは絶対分かっていた。だけど、早めに「行くかもしれない」「行くかもしれない」ということによって、テレビなんか中継車をばーっと詰めましたよね。業界的に言うと、「せっかく中継車が出てるんだから、いよいよ今日か、いよいよ明日かと、少しリポートをやれ」なんていう話になるわけです。そうすると、13日辺りから前奏曲のように、「さあ」っていうカウントダウン報道になっていくわけですよ。

日付を特定しないことによって、前もって(テレビ各局に)中継車を出させ、(テレビ側は)どうせ中継車を出しているのだから、前々日も前日も中継しようという話になり、参拝報道はどんどん盛り上がっていき、そのクライマックスとして当日を迎える展開になった。

■代案の場としてのCS、BS

このように、一連の《コミ戦》テクニックにメディアが踊らされて来たからくりを見ると、どうにも避けようがないのでは、とさえ感じてしまう。
鈴木氏は著書の前書きで、これは「テレビ・メディアの決定的な敗戦である」と言い切っている。鈴木氏が凄いのは、自ら何もしないで批判する人間が多い中、実践を伴っているというところだ。例えば前回の総選挙の時には、当時(フジテレビ退社後)担当していたCS放送局の報道番組で、地上波の同系列キー局(テレビ朝日)から提供されるニュース画像を、わざわざ編集し直してオンエアしていたと言う。普通ならCSの方でもそのまま借りてオンエアするところを…

鈴木: 思い切って、“刺客”とか“マドンナ”っていう文字を消したり。
それから、例えば
(“刺客”vs“造反組”という構図の注目選挙区では)、送り込まれたいわゆる(郵政民営化)賛成組の自民党候補と、反対している候補、この2人の動向が、その選挙区報道の大半を占めるわけです。で、後で取って付けたように「この他、この選挙区にはご覧の3人が立候補してます」なんて(一言であっさり)やりますよね。これをもって平等性、公平性を保っていると、既存のテレビは思っている。だけど私は、これを編集し直して、全候補に均等に秒数を割りふってみたり、そういう事をちょっとやってみたんです。

――そういうスタイルって、理想論として口にする人はよくいるけど、本当に番組として出来ました!?

鈴木: 出来ました。ただ、そこから先悩んだのが、視聴者がそういう報道を望んでいるのか、もっとスキャンダラスなものをやらないと視聴率が取れないんじゃないかっていう。その迷いは、常にありましたね。

結局、問題はそこに帰着してしまうのだ。
鈴木氏は、更に1歩進めて、今度は、今年12月開局予定の新しいBSチャンネルに転身し、理想の報道番組を作ろうと燃えている。

■《コミ戦》vsベテラン議員、《コミ戦》vs有権者

――でも、その理想の番組って、今回の参議院選挙には間に合わないですよね。目前の参議院選挙報道に対して、我々はどう対峙したらいいのか…

鈴木: 僕ら(報道する側として)は悲しい事だけども、「有権者は、とにかくテレビを疑ってかかれ」と。それが逆に、今度は有権者とテレビの間の緊張感になって、我々もいい加減な番組を作れないというプレッシャーになってくるわけです。だから、《お互いに緊張感》というのが、1つのキーワードです。

この著書の本文の1番最後のページに、「セリフも演出も見破る眼力を持て」と、鈴木氏は書いている。これは、私が日頃からこのコーナーで繰り返し述べている《メディア・リテラシー》にもそのまま通じる考え方だ。この一言は報道陣への自戒の言葉であると同時に、一般の人達皆に向けて鳴らされている警鐘でもある。

興味深いのは、一度《コミ戦》に成功した政党が、そのままずっとそのノウハウで上手く行くというものでも無い、という点だ。鈴木氏の本でも、一昨年の選挙に圧勝した後の自民党の中で、自信を取り戻したベテラン議員達が、《コミ戦》の若造スタッフから言動にまであれこれ指図されることを嫌って排除し始めた内情などが紹介されている。私が知る限り、民主党内でも1990年代にそれと同じような反発の現象が一部にあった。やはり、《コミ戦》という考え方は、政治の世界ではなかなか理解されず、嫌われてしまうのか。
実際、最近の推移を見ていると、安倍内閣の支持率がずっと低下して行っていることからも、自民党の《コミ戦》は今のところ上手く行っていないということが言えるだろう。かと言って、民主党の側にも、2003年のマニフェスト戦略成功時のような巧みさがあるようにも見えない。最大の争点は年金問題だろうが、「我が党に任せれば年金は大丈夫」というイメージの定着に成功している党は、見当たらない。

――とすると今回の参院選では、《コミ戦》については、あまり警戒しなくてもいいんでしょうか?

鈴木: 警戒は、常にする必要があると思いますね。あの手この手でやって来てますから。

確かに《コミ戦》というのは、《知らず知らずのうちに》という部分がポイントだ。選挙時だけに限らず、昨今の年金問題を巡る国会論議の言い回しにも、実は前回ご紹介したような広告代理店による指南が入っている節がある。実際に目に見えていなくとも、この選挙の間にも、いつの間にか戦略は発動されているだろう。「実はあの時のあの言葉って…」と、今回も後から裏の狙いが分かるかもしれない。常にそれを頭の片隅に入れながら、選挙の動きを見て行く必要があるだろう。
鈴木氏の著書は、特定の政党を利する本ではない。ぜひこのタイミングで一読し、《コミ戦》に踊らされないよう自衛して、投票行動に役立てていただきたい。

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