先週末、統一地方選挙が終了した。注目された落選候補を応援した人達は、選挙中、どんな思いで当選を望んでいたのか。それぞれの思いを、選挙の最中や直前に訊いた。
■ポスターから印刷直前に消えた言葉
現職の長崎市長、伊藤一長氏は、投票日直前に射殺された。当選確実と見られていた伊藤市長の後継者として立った、娘婿の横尾誠候補は、すんなり当選するかと思われたが、結果は予想外の落選に終わった。
伊藤市長が射殺されたのが、先週火曜(4月17日)の夜。翌日水曜の夕方には横尾候補が出馬会見をした。そして木曜の朝には、長崎市内の1000ヶ所以上の選挙用掲示板の殆どに、横尾候補の綺麗な色刷りポスターが貼られるという早業が繰り広げられた。横尾候補のポスターを印刷したのは、伊藤市長の選挙ポスターを代々印刷して来たという印刷会社で、その縁から、徹夜の突貫作業をやり抜き、今回の早業を可能にしたのだという。
この横尾候補の選挙ポスターを巡って、知られざるエピソードがある。当初、横尾陣営から持ち込まれたポスターのデザイン案には、「悲しみを力に いとう一長市政の継承」という言葉が大きく書かれていた。ところが、実際に市内各所の掲示板に貼り出された完成品のポスターには、この言葉が入っていなかった。横尾候補の選挙事務所の幹部(=伊藤後援会幹部)達の話し合いにより、最終段階で外したのだという。なぜそういう判断をしたのか?
幹部A: 我々、後援会としては、伊藤一長は、市会議員、県会議員、市長と、こつこつやってきた経緯がありますので。30数年ですね、皆で若い頃から押し上げてきたもので、そういう苦労を考えたら、「いくら娘婿であれ、一言で後継者だなんて、そんな事は言えない」という意見が大半でした。市長というこの大役に対して、一新人の、40歳の若者が簡単にそんな、「はい私が後継者」だなんて、そんな甘い選挙じゃないと思ってます。だから、本人も本当にそんなに甘いとは思っていませんので、それは一番分かってると思いますよ。我々も不安ですし。後援会もですね、だからちょっと対応がまだ思ったようには行ってないんですよ。まだやっぱり、頭の切り替えって言いますかね。その部分がほとんど、特にご年配の方は出来てないんですよ。だから投票に行って、「伊藤一長」の名前を書くんじゃないかと、そんな心配をしてるんですよ。もうそれが現実です。
後継者として応援しつつも、そう簡単にはポスターに「後継者」と謳えないという複雑な思い。それが結局、実際の投票でも、「いとう一長」と書かれた無効票の続出に繋がってしまったのかもしれない。
■育てて“恩返し”したかった
このインタビューをしたとき、伊藤市長事務所内は、急きょ立候補した娘婿の横尾候補の選挙運動でテンテコ舞いの真っ最中だった。幹部たち自身も、完全には頭を切り替えられずにいたようで、こちらから質問したわけでもないのに、伊藤市長の思い出を語り出す幹部たちもいた。例えば、つい前々日の朝、伊藤候補に怒鳴られたという話―――
幹部A: もうめちゃくちゃですよ。その日の朝、100人ぐらいおる所で、「何しよっとかー!」って。「すいませーん!」って言いましたけどね、僕。「なんで怒られんば?」とか思うじゃないですか、(こっちは)ボランティアだから。お金、一銭ももらってないんだから。それでやっとですね、この前、ほんと忘れない、亡くなる前の最後の一言。「僕と考え方が似てきたな」って、やっと我々に、にかぁって笑って、出て行ったんですよ。初めて褒められましたよ、53歳になって。
幹部B: それで、「8時半に帰って来るけん、待っとけよ」って、「ごめんね、きつか(きつい)ね」って言って出って行ったんです。帰って来なかったですけどね。撃たれたのは、その6分後です。だからもう、ちょっと話すると涙が出そうで、たまりません…。
伊藤市長への吹っ切れない思いを仲間内で語り合い悲しみを共有する時間も取れず、選挙に奔走しなければならなかった後援会の人達。
ただ、そういう伊藤市長への思いが、娘婿の横尾候補に対する後ろ向きな気持ちを、幹部達に引き起こしていたわけではない。先程の「そう簡単に後継者とは言えない」という言葉には、次のような熱い気持ちが裏打ちされていた。
幹部B: (横尾候補に)今後、接してみてどんな人物なのか、どんな政治家になるのか。私達も育ててあげなくちゃいけないと思っております。随分変わってくると思いますよ。
幹部A: 僕はね、お父さんに頼まれたわけじゃないけど、僕らも一市民として、やっぱり(当選後の横尾氏を)監視していかなくちゃならないし、手を緩めるところがあったら、(市長の職を)辞めてもらわくなくちゃいけない…ぐらいの気持ちで応援してます。
幹部B: 伊藤さんから、やかましゅう怒られましたので、今度は私たちが息子を、やかましく育てていきたいと思います。
幹部A: ご恩返しをしたいと思いますね。市民や世の中に対しても、責任がありますんでね。厳しい事を言おうと思います。それがお父さんの遺志ですから。
このインタビューの3日後、横尾候補はまさかの落選。横尾夫人(伊藤市長の長女)の嘆き、「こんなものだったんですか!」という叫ぶようなコメントが繰り返し報道されたが、それよりもむしろ、泣き崩れる夫人を黙って支えていた選対スタッフの人達の、語られなかった胸の内を思いたい。
彼らの心のモヤモヤを軽くするような、田上富久新市長の活躍を期待する。
■自称「日本一の悪者」に送った手紙
高知県東洋町の田嶋裕起町長は、高レベル放射性廃棄物(いわゆる“核のゴミ”)処分場の候補地に名乗りを上げて、住民の猛反発を受けた。田嶋氏は、一旦辞職し出直し選挙に打って出ることで民意を問うたが、圧勝したのは、処分場反対運動のリーダー格である、隣の市の元市会議員だった。
落選した田嶋氏を強く支持していた滋賀県余呉町の前町長、畑野佐久郎氏は、半年前、自らも東洋町とそっくりの体験をした。畑野氏は当時、余呉町長として“核のゴミ”処分場に名乗りを上げようとしたが、住民がそれに猛反対をして断念したのだ。「私は日本一の悪者だから」という田嶋氏のコメントについて、選挙前のインタビューで、畑野氏はこう語った。
畑野: 田嶋町長、なかなか度胸があるなと思って。「悪者になってでもこの町を救おう」と。悪者じゃないですよ。日本の国にとったら、非常に貴重な存在だと思います。本当に国のこと考えとらない人の方が、どっちか言うたら悪者だと私は言いたい。一生懸命町のことを考え、そして国の原子力のことを考えている人が、なぜ悪者か? そこらは「逆や」と思いますよ。
畑野氏は、自らが断念した事をあくまでも実行しようとする田嶋氏に熱く共感し、応援の手紙まで送っていた。
畑野: 「住民によく知らせて、住民のパワーをもっともっと貰いなさい」というような意見も付け加えて、激励の手紙を送ったんですよ。悪いことしてんじゃない、自分の為にやってんじゃない、町民の為、東洋町が今どうなるか、この危機を救う為にやっておられるので。もっと住民は町長の思いを、真意を組み取らないかんなと思ってます。私も近ければ、応援にも行ってあげたいぐらいです。
下村: そのお手紙で、田嶋さんに一番伝えたかったことは何ですか?
畑野: 「頑張れ!」ってことです。「今ここで挫けてはいかん」ということ。あの状況を見とると知事も反対、周辺の町村長も反対、その中で一人頑張っておられる。あの人の勇気っちゅうんかねえ、もう感心してます。普通なら、「もうこれなら選挙しても勝てんな」と思えば、この辺で引退するのが本筋ですけども、それを敢えて「出直し選挙をやって信を問う」と言っておられるこの根性、私は高く評価します。
■「やれるもんなら、やってみろ!」
財政危機の地方自治体を救う方法は、もはや国からの補助金や交付金に頼るしかない!という確信の持ち主である畑野氏は、「余呉町でも、住民がどうしてもそれを理解してくれなかった」と嘆く。
畑野: 「町の財政は、もう夕張市並みに近くなるんやで」ということをかなりPRして来ました。一般住民で、それを理解できる人は少ない。自分はそれなりの生活をされているので、「町財政が逼迫して困るのは、町長だけや。町長が財政運営で困っても、住民には影響はないだろう」というような安易な考えの方がおられまして。「交付金に頼らない町政をやるべきだ」というような反対派の皆さん方の声に、町民がなびいて行ったということですかな。住民がもう少しこういう勉強をして、そしてやはり賢くなるというと語弊がありますけども、理解をしてくれたら、賢く考えてくれたら、こんな事にはならんかったなと思ってます。交付金に頼らなくても運営できる町づくりが出来るのなら、それに越したことはないけれども、住民の負担無しにはそんなことは出来ない。出来るなら、私としてもやって欲しい。
下村: 交付金に頼らない町づくり、「やれるもんならやってみろ」と?
畑野: そういう事ですね。出来ない!
実際、畑野氏が引退した後に当選した今の余呉町長も、「ここまで財政が深刻とは思わなかった」と、苦労の真っ只中だ。しかし、処分場誘致には逆戻りせず、町民達のアイデアで何とかしようとしているという。町を思う畑野氏の心情も分かるが、前回このコーナーで紹介した大分県九重町のような成功例もあることだし、どちらが「賢い」判断かは、まだ分からない。
■弱小地方自治体ばかりが翻弄されて…
賛成派の住民達も、反対派の住民達も、真剣に町の将来を考えているのは事実だ。実際、東洋町でも余呉町でも、賛否どちらの住民からもよく聞こえて来る思いは、共通している。
畑野: 大学の先生やら、研究者自らが、「危険ですよ」とおっしゃっておられる方と、「大丈夫です」という方と、両方ありますので。そこらへんを我々素人から判断ができない部分もありますので。安全性をもっと、「こんな事で安全なんですよ」と言える事を《国レベル》で実証して欲しい。「絶対安全!」という事が言えるのなら、余呉町に処分場を作ってもらって。そうすると交付金に頼らない、他町村にも頼らんで行ける町が出来る。そこまで町を救う、または国の原子力の将来を救おうとしてくれるんやから、もっと国がバックアップしなきゃいかんと思ってます。町長1人に任して、国が後ろに下がって見とるんでは、これは《卑怯や》と思いますよ。
今回の東洋町での選挙結果を嘆いて、甘利経済産業大臣は「120%安全なのに…」と発言したが、これには選挙後東洋町現地で私が会った賛否両派の殆どの住民が、「何を今さら」と強く反発していた。
全国すべての市町村の住民が、“核のゴミ”処分場をこれほど嫌う中で、それでも国策として原子力発電や核燃料サイクルの推進をなおも続行するのであれば、国としては、対立を地方に押し付けて“高みの見物”をするのではなく、地域の住民への説明の仕方をもっと工夫するべきではないだろうか。
更に言えば、「全国すべての市町村の住民」とは「全国民」に等しいのだから、《本当に今の原子力政策が受け容れられないなら、どうやって今より少ない電気エネルギーで生きてゆくか》を、都会人を含む我々すべての日本人が、根本から再考せねばならない。“高みの見物”をしているのは、中央の役人ばかりではないのだ。
―――落選した田嶋町長の胸中には、そんな思いが燻ぶっているかもしれない。