大分県九重町が去年秋に完成させた日本一の大吊り橋が、半年も経たぬ先週火曜(4月10日)で、早くも来訪者100万人に到達した。オープンした際に掲げた目標「1年間で30万人」を、遥かに上回る快挙である。
財政難に苦しむ地方自治体が、“町興し”を目指して更に借金を重ねて巨大な観光施設を造り、もっと赤字が膨らむ―――というパターンが多い中、どうしてここはこんなにうまく行ったのか? その成功の秘密を探るべく、先月(80万人に達する頃)、現地を訪ねた。
その時『サタデーずばッと』で、住民組織「新しい九重町を作る会」代表の高橋裕二郎さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№47)のインタビューを一部お伝えしたが、今回の100万人到達を機に、その時の“高橋節”をより詳しくご紹介する。
■スポーンと“見通し”が開けた
何故、吊り橋を造ろうと思い付いたのか? この町には、深い谷と、そこに落ちる滝がある。そこまではもちろん、町民全員がとっくに認識していた。ただ、その滝をある地点から眺めると、素晴らしい光景になるということは、地元の人達も知らなかった。つまり、せっかく自分達が持っている資源の“売り”に、気付いていなかったのである。ところが…
高橋: 大分県中部地震というのが、30年前にあったんです。その時に、下流の山肌(今回吊り橋をかけた場所)が、土砂崩れで崩壊したんです。で、僕らが秋に山芋掘りに行って、ふと見たら、土砂崩れで木がなくなっていて、今の景色がスポーンと見えたんですね。「これはすごいな!」「あそこに行ったらいい写真が撮れるぞ」という話から、「あれに吊り橋をかけようや。そしたらすごいぞ!」というのが、一番最初の話やったです。
それから、「またお前ら、ホラを吹く」と言われながら、その話が段々と本当になったんですね。橋も30年ホラを吹き続けたら本当に建った、そやけん(だから)「ホラも吹かないかん、吹き続けなくてはいかん」って思ってますよ。(笑)
隠れていた宝の発掘。「自分の町には何も無い」と思っている人達には、実に励みになるエピソードだ。
■町に“加勢”する住民達
もちろん、地震という偶然だけが吊り橋に結びついたのではない。ここの住民達がもともと持っていた自主独立の《気風》のようなものも、町(行政)側がこの吊り橋建設という勇敢な決断に踏み切れた、隠れた背景の1つだ。
九重町は、もともと決して財政的に恵まれた町ではなかった。しかし、「学校の土地を拡張したい」「消防倉庫を造りたい」等、必要が生じる都度、住民がその土地を寄付し、町には建物だけを用意してもらうなど、様々な場面で住民達が事実上の“財政支援”をして危機を乗り越えて来た。
高橋: 昔は夕張と一緒ですよ。ほとんど「赤字再建団体」転落寸前だったんですから。「こんなことじゃ悪い」ということで、町民みんなで頑張った。
今は、そう(いう時代)ですよ。《町に僕らは何が加勢できるか》です。
下村: 町のために?
高橋: 町のために。だから、町も頑張ってやりましょうと。
下村: それが、町の貧乏脱出大作戦?
高橋: そうです。
下村: 今、多くの自治体が財政難ですが、そこまで頑張れずにいるじゃないですか。なんでこの町の住民は、頑張れたんですかね?
高橋: なんででしょうかね? けど、そんなもんだと思ってますしね。
下村: 結局それって、例えば「住民側で土地を買って町に寄付」なんてのは、いわば自腹切って余計に税金を払ってるようなもんですよね。
高橋: …そういえば、そうかもしれんですね。やっぱりそんな風土が、ここには昔からあったんかもしれんですね。
町は、例えば教育の問題とか、《町じゃないと出来ない事》が沢山あるじゃないですか。けど、他の事で(住民が)出来ることは、自分達ですればいいんです。せにゃいかんです。町長さんにも、「今度僕らは何をして加勢すればいいですか?」と訊く。「あれをして下さい」とか、「あの補助金を下さい」とか言ったことはないです。
「国があなたのために何ができるかではなく、あなたが国のために何ができるか、問いかけてください」という、故ケネディ米大統領の言葉をそのまま地で行くような、“九重イズム”だ。
■職を作り、嫁を呼び、ニーズを生む
行政と住民が一丸となって財政危機と戦っている最中、町は13年前、スキー場・ゴルフ場・吊り橋を3本柱とする観光振興計画を立てた。この3本柱は、その後、三様の展開を辿る。
ゴルフ場建設は、民間企業が一旦引き受けたが、採算の見通しが立たず断念した。行政がそのまま強行していたら、他の自治体の失敗事例と同じような、大赤字の憂き目を見ていたかもしれない。その意味では、民間に委ねて《撤退》の判断ができた事もまた、“成功”と言える。
そしてスキー場は、民間企業が11年前に25億円を投入して建設・開業した。町の資金は当てにせず、100%の自己資金だ。実は、このスキー場の経営者も、先ほどの高橋さんだ。九州という場所故に、人工雪を備えなければならず、その維持費だけでも大変なのに、彼はなぜ、スキー場に活路を求めたのか。
高橋: どうして過疎になるか? 若い人に仕事がないから、(町を)出て行くんです。夏は、百姓・農家をするんですからね、冬は仕事がないんです。ないから出稼ぎに行く、出稼ぎに行くともう帰って来なくなる、(それでますます人口が減って仕事がなくなる)という悪循環です。だから、冬の仕事を作ってあげようと。原則、地元からしか採用しません。
思惑通り、スキー場は、社員・パートを合わせて、約120人の雇用を生んだ。しかし、高橋さんの狙いは、それだけではなかった。
高橋: せっかく跡継ぎが頑張って農家をしているのに、嫁の来てがない。これはやっぱり大きな問題です。だから若い女の子が集まって来る仕事でないとダメだ、ならやっぱり、スキー場だということですね。女の子が一杯集まって来れば、中には「こんな所ならいいわ」「嫁に来ようか」「従業員と結婚しようか」という話になってくれりゃ、一番良いことですからね。(スキー場造営)許認可を取るために、環境省に行って僕が話をした時にも、「どうしても嫁をもらわんといかんのだから、スキー場じゃないと悪いんです!」というお願いをしたんです。
下村: 実際にお嫁さんは来ましたか?
高橋: ええ。何人か、そのおかげで嫁をもらいましたよ。(笑)
スキーヤーがほとんどいない九州で、成否を疑問視された中での開業。しかし、ふたを開けてみると予想以上の客が押し寄せ、それまで無かったスキー人口を生み出した。潜在ニーズの掘り起こしで、今では借金もほぼ完済し、順調な営業を続けているという。
■甘い汁に乗らず、“我が町”を貫く
そして3年前、観光振興計画第3の柱である吊り橋の建設が、町の手で始まった。その最中に、微妙に絡んで来たのが、隣町との合併話だった。
国の号令で推し進められた「平成の大合併」は、トップダウンだけに、実は気乗りしないまま合併協議を進めた町村も各地にあった。しかし、そんな消極的な自治体も、合併する場合にだけ国から認められる「合併特例債」(起債した借金総額の7割を、国が代わりに返済してくれる制度)が魅力で、なかなか合併話を白紙に戻せないのが現実だった。
ところが、九重町の住民達は、そこに“待った”をかけた。自主的に生まれた住民達の勉強会が、賛否両論の勉強を重ねた末に、合併反対を表明したのだ。町長も、その声に後押しされて、合併を白紙に戻したという。
高橋: あれ(合併特例債)は額が大きいから、10億とか100億とか“バン!”と出します。100億もくれるのじゃから、「もらわにゃ損だ」って言うけど、違うんです。全部、国がくれるんじゃない。3割は返さないかん。借金で、いらん物を作って、3割の借金も作るんだぞ、と。30億も新たな借金ができるわけですからね。もらわなければ、そんな借金は生まれない、と。
特例債というのは、“毒まんじゅう”ですよ。“飴とムチ”と言いますけど、違う。「特例債を出すよ」というのが“飴”じゃ。「合併しないと切ってしまうぞ」というのが“ムチ”じゃ。だから、《毒まんじゅうとムチ》だ。(笑) そんな物は食わない!
下村: “毒まんじゅう”を食べるより、“ムチ”打たれる方を選んだ、というわけですね。つまり、合併促進という国策に楯突くと?
高橋: そうです、そうです。ただ、単なる反対ではなくて、合併をしないんだから皆で頑張ろう、と。「町が大きくなって、人口が増えればいい」と言うけど、無責任な人も増えるんよ。それよりも、9000人でも1万人でもいいから、「皆で頑張ろうや」という人がおる方がいいと。
ところがこの決断は、合併特例債の見送りだけには留まらなかった。この後、国から起債を認めてもらえるはずだった、他の名目の借金10億円も、何故か突然認められなくなってしまったのである。表向き「合併拒否が起債不承認の理由ではない」と県は言っているが、この為に、町はしばらくの間、既に着工した吊り橋建設の資金残額を調達する目処を失うという大ピンチに陥った。しかしこれも、住民達が大分県庁に乗り込み、直談判するなどの紆余曲折を経て乗り切り、別の名目で起債は認められ、ようやく去年10月末、吊り橋は完成に漕ぎ着けた。
■楽しむ中で、自信を培って
このように、要所要所で町をバックアップして来た、九重の住民達。彼らは、こうした大きな節目だけでなく、日常的にも行政サイドに頼らず、「氷の祭典」「ナイトハイク」「野焼き」などの様々なイベントを作り上げて来た。町の補助金も断って、自分達の側で実行委員会を組織・運営して来た。そこには、次のような明るい考え方がベースにあった。
高橋: 僕らはいつも言うんですが、何かやる時は、楽しくなければ、せん(しない)方がいいよ。もう辛い苦しいようなことは、せん方がいい。まず自分達が楽しんで何か作り上げて、お客さんが来て、「ああすごいね」「いいことやったね」って言ってくれればいい。その後、酒を飲みながらの盛大な反省会をせな、あかん。「今度、何をしようかね」「来年どうしようかね」って、続きの話ができるような会が出来なあかんと。
下村: 反省会で次の計画を立てると?
高橋: そうですね。もう、来年・再来年に繋がるような話ですね。
《楽しむこと》が、優先順位の1番。これは、住民参加の自主性を維持する、最高の方法論だ。
しかし、そんな町内でも、さすがに今回の吊り橋という大事業に対しては、「こんな大借金で“町興し”の冒険をして、大丈夫なのか?」という慎重論が、当然あった。それに対して、高橋さんは…
高橋: 吊り橋を造るなら、小さいのではダメなんだ。日本一を謳えるものでないとダメなんだ。金がかかっても造らないかん。造れば絶対にお客さんは来る。
最初、町はお客さんの目標数を「年間30万人」と言ったんですね。僕らは「冗談じゃない! 100万人は来る。俺がやったら100万人以上は来る」と言ったんです。30万人くらいしか来ないなら、20億もかけて造らんでいい。でも、皆は信用してくれなかったです。「どうしてそんなに来るんか」と言ってね。僕らは、スキー場をやってみて、シーズン100日で10万人から12万人来てくれるという実績が、その時にあったんですね。だから、最初からそう思っていました。
下村: 希望じゃなく、自信?
高橋: 自信がありましたね。
単なる賭けではなく、町民企業が経営するスキー場の成功などに基づく状況分析が、町による吊り橋建設決断の基盤にあった。今、大吊り橋には、他の自治体からの視察が殺到している。