『Shall we ダンス?』以来11年ぶりの新作で、各メディアでも注目され相当話題になっている、周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』が、いよいよ今日から封切される。
■現実の痴漢事件の数々をベースに
映画は、痴漢の現行犯として逮捕された青年が、無実を主張しながら取り調べや裁判を受けていくストーリーだが、現実に、これとよく似た事件の弁護人を務めた経験をお持ちで、この映画の製作プロセスでも、司法監修役として実際にシナリオの法律用語のチェックなどをされたという、安田隆彦弁護士に、お話を伺う。
――安田さんが手がけた事件とは?
安田: 独身の男性が電車に乗っていて、前に女子中学生がいた。それは寒い冬の事だったんですが、彼のコートが電車の扉にはさまってしまった。それを一生懸命取ろうと身体を動かしていて、痴漢と間違えられたということです。実際には目撃者の方が駅事務所まで駆け付けて、「この人はコートをはさまれて引っ張っていただけですよ」と言って下さったにもかかわらず、駅員の人がそれを聞かずに帰してしまった。それで後から、その目撃者を捜さなければいけないということで、駅でビラを約5日間にわたって5000枚ぐらい撒きました。そしたら目撃者の方が名乗り出ていらっしゃいました。それがやはり決定的で、最終的に無罪判決を勝ち取ることができました。裁判では、同じような痴漢の冤罪の被害に遭われた方々が中心で、『痴漢冤罪ネットワーク』という組織を作っていらっしゃいますが、そういう方たちにも参加して頂いたりして、法廷用資料として再現ビデオなどを作ったりもしました。弁護団も、私が一応主任弁護人でしたけれども、痴漢の問題に詳しい、後輩の弁護士先生にも3人入っていただいて、一生懸命やった甲斐があったという件ですね。
この安田弁護士の手がけた事件と映画のストーリーとの間に、どんな類似点や独自性があるのか、映画のネタばらしになるので言えないが、東宝によると、「たくさんの弁護士から様々な事件を取材し、(それらを)総合して作った」作品とのことだ。
■やってないのに「やりました」と言う構図
映画では、主人公が電車を降りた途端、追いかけて来た女子中学生に捕まり、警察に連行され、最初の取調べを受ける。狭い取調室に、主人公の若者が座っていると、いきなり若い刑事がドアをあけて入って来るなり、怒鳴り始める。
――――<作品より>――――――――――――――――――――――――――――――――
取調官: 一体何が面白い! いつもこんなことやってんのか。女が言ってんだよ、オマエにやられましたってな。調子こいて、否認なんかしてんじゃねぇぞ。カバンの中のモン、全部出せ。早くしろ! オマエ、被害者に手をつかまれたんだってな。
主人公: 手じゃないです。袖です。
取調官: そうか。正直に言えばいいんだよ。[調書をパソコンで打ちながら音読]『私は混雑する通勤電車内で、女子中学生のお尻を触り、袖をつかまれました。…』
主人公: 何言ってるんですか?
取調官: 『…ほんの出来心だったとはいえ、大変申し訳ないことをしたと思っております。これから正直にお話し申し上げます。』
主人公: ちょ、ちょっと待ってください。誰もそんなこと、言ってないじゃないですか!?
取調官:もう一度言っとくけどな、正直に認めれば、すぐ出られるんだ。交通違反と一緒だよ。略式で罰金払えば釈放だ。
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――この場面は、誇張ですか? それとも現実にかなり忠実な描写ですか?
安田: 「認められれば、すぐ出られる。罰金を払って終わりだ」というようなことは、まず、必ず言うでしょうね。それを我々は“人質司法”というんですけれども、要するに身体を拘束されるということは、今まで前科も何もない、そういう経験もない人にとったら、非常に大変な苦痛と屈辱です。それに自分の生活全般が奪われてしまうわけですね。ですから一刻も早く出たい。特にたとえば家族がいるとか、重要な仕事があるということになれば、当然そっちの方にウェイトが行ってしまうわけです。だから、ウソでもいいから自白をしてしまって、早く釈放されるというケースは、統計には載ってないと思いますが、たくさんあると思います。現実に、私も、そういうケースに遭いました。
実際にはやっていないが、「やりました」と言ってしまった方が、“人質”状態から早く解放されるので、自分の利益になるということになってしまうのだ。
この映画では、今のようなシーンもあるが、単純に横暴な刑事という悪役の設定にはなっていない。掛け持ちで同時進行している別の取調室では、この刑事の手によって、実際に痴漢をしていたことをサラリーマン風の男性が認めて謝るシーンがある。それを見ると、刑事は凄腕の正義の味方にも見える。後に映画の中で弁護士も、「調べる側・裁く側は、騙されまいと必死なんだ」という趣旨のことを言っている。その必死さが、時にフライングを起こしてしまうというわけだ。
安田: 痴漢は、やはり忌むべき卑怯な犯罪で、特に女性の方がどれだけ苦しい思いをされているか。従って、捜査機関のほうもやはり必死になって、「そういう悪辣な人間を早く自白させよう」という傾向は、どうしても否めないと思います。
■周防流“裁判の教科書”
映画の主人公は、痴漢をしたという逮捕容疑を否認したまま、警察の留置場のオリの中に入れられてしまう。そこで、先に既に同じオリに入っていた先輩格のねっとりした男性から、色々とこれからの事を教えてもらう場面がある。
――――<作品より>――――――――――――――――――――――――――――――――
先輩: 今はね、ここにいる人たち、検察庁行ってるから。検察庁ってわかるの? 調べて起訴するところ。警察はさ、捕えるだけ。馬鹿な刑事はほっとくと無茶するから、司法試験通った賢い検事さんが、冷静にチェックすんのよ…建前だけど。で、弁護士は?
主人公: はい? あ、弁護する人?
先輩: いやそうじゃなくてさ。何もしてないでしょ? だったら弁護士呼ばなきゃって話。刑事から聞かなかった? 当番弁護士制度ってのがあるからさ、とりあえず1回目はタダ。
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――「当番弁護士」って、どういう仕組みですか?
安田: 被疑者の身柄が拘束された場合、警察の方から弁護士会の刑事弁護センターに連絡があります。弁護士はセンターにもう登録してあって、当番の日が全部決まってるんですね。で、できるだけ早く、その日のうちに、被疑者が拘束されている警察署に行くということになるんですね。その場合(1回目)は、弁護士会の方から日当的なお金が出る。それでタダということです。で、そのまま担当することになった場合には、2回目からは、きちっとご本人と契約をして、それで私選弁護が始まるという形になります。
――つまり、臨時の応急処置をしに行くのが「当番弁護士」ですね。
安田: 被疑者を励ましたり、家族や外界との連絡役をしたり、必要な物があったら差し入れをする。それから、事件の概要を全て聞いて「やってない」ということであれば、それについてきちんと否認し続けるように激励する。また、今後の手続き、刑事手続の流れ。初めての人が多いわけですから、そういうことをきちんと説明してあげるというようなことが、最も大事なんですね。
――安田さんも、そういう当番弁護士が時々回ってくるんですか?
安田: はい。もう、しょっちゅうですね。今も現実に、1件抱えてます。1件片付いたら、すぐ次が来るという感じですね。
それにしても、「新入りの容疑者にお節介を焼く先輩」という設定で、無理なく自然に、司法制度の仕組みを我々観客に説明してくれる辺りは、周防監督の上手いところだ。映画のパンフレットも、映画の解説でありながら、各ページの見出しは「ストーリー」「キャスト」に続いて、「裁判の流れ」「留置場での1日」「用語解説」「弁護士メモ」「刑事裁判トリビア」「おすすめ本」「参考ホームページリスト」など、今までで1番分かりやすい“裁判の教科書”という感じがする。
安田: それだけ周防監督が長年かけて独自に勉強されたり、弁護士、裁判官、検事、警察の方、大学教授、いろんな方に全て自ら取材を重ねて、いろんな書籍をお読みになったということの集大成になってるんでしょう。
■まずは、信じる努力と直感
映画では、逮捕された主人公の青年の母の奔走で、暫定的な当番弁護士から、新人女性弁護士とベテラン男性弁護士のペアが正式に弁護を引き継ぐ。瀬戸朝香演ずる女性弁護士は、「痴漢は女性の敵」と身構え、初めは担当することを嫌がる。その女性弁護士と主人公が、透明なアクリル板越しに向き合って腰掛け、初めて接見(面会)するシーン。
――――<作品より>――――――――――――――――――――――――――――――――
弁護士(女): 取調べで何度も話されてるとは思いますが、事実経過を詳しく教えていただけますか。
主人公: その前に、なんでこんなとこにいなきゃならないんですか? 僕の言うことなんか何も聞いちゃくれない。「認めたらすぐ出してやる」そればっかりだ。なんで、やってもないことを認めなくちゃいけないんですか?
弁護士(女): 本当にやってないの?
主人公: …刑事と一緒かよ。
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この「本当にやってないの?」の一言に象徴されるように、弁護人は、担当する被告人が無実を主張している場合、それを信じるか否かで葛藤があったり悩んだりするのではないだろうか。
安田: (私が担当したケースでは)悩みませんでした。これは非常に難しく、被疑者のタイプにもよるんですが、僕の場合は、この映画の主人公と一緒で、私に訴えて来ることが必死だったんです。事件の概要を最初に聞きますね。そこで疑わしいと感じるようなタイプの人であれば、それは何回も話しだけ聞いておいて、何回も面会するうちに、嘘を言っていることがだんだん判ってきたりします。本人も苦しくなるので、「先生、実は本当のことを言います」という風になってくるんですね。だけど最初から「嘘をついているんだろう?」ということを、弁護人が言ったら、これはもう検事と一緒です。ですからそれは、絶対言っちゃいけないことであって、まずは《信じる努力》をしてあげる。ただ事実関係の中で矛盾したことを言ったりやったりすることはありますから、そういうのをいろいろ問いただして確認することはあります。何といっても、経験に裏打ちされた《直感》みたいなものがあるんですね。僕の場合は、最初被疑者を見たとき、その日から一発で「やってない」と思いました。激励もしました。
思い起こせば、松本サリン事件のとき、最初に疑われた河野義行氏を担当した永田弁護士は、ごく初めの頃、私にこうつぶやいた。「下村さん。…河野さん、本当にやってないだろうね?」―――悩み迷いながら着手した永田弁護士は、その後次第に「本当にやってない」という確信に変わっていった。
この後映画は、いよいよクライマックスの法廷シーンへと向かっていく。続きは次回、私自身の近似体験も交えつつ。