『国連開発計画(UNDP)』の親善大使というのは、世界にたったの5人しかいない。ノルウェー王室のホーコン・マグヌス皇太子、ノーベル文学賞を受賞した南アフリカの作家ナディン・ゴーディマさん、サッカーのジダン選手とロナウド選手、そして日本の女優・紺野美沙子さん。それだけに、国際社会の期待も大きい。
■宿題の答えは、「国際協力・事始め」
2003年9月、このコーナーで紺野さんは、ガーナでエイズ孤児たちを引き取って育てている“クイーン・マザーズ” から、「エイズについて社会貢献しなさい」と言う意味を込めて「ナナ・ラコ」という名前を貰った、と報告してくれた。
――あの時は、「大きな宿題をもらって帰ってきた」って言ってたけど、その後、宿題やってますか?
紺野: ガーナのマンニャクロボという地域で、エイズで両親を亡くした男の子が私に向かって、「エイズが突然、僕の村にやってきて、僕は何も悪い事してないのに、エイズが僕のお父さんとお母さんを奪ってしまった。僕は、エイズが憎い」って言ったのね。でも、その後に「でも僕の村に、親善大使の紺野さんが来てくれたから、僕はもう大丈夫です」って言ったんですよ! 私は、それがすごく気になっていて、「本当に何も出来ないのにどうしよう」って。今もその言葉がすごく残ってて、「やっぱり、やらなくちゃ!」って思って、考えてるところです。
――具体的には?
紺野: 再来年には、親善大使の任命を受けてから丸10年になるんです。あと、同じ2008年に日本で、アフリカ開発会議(TICAD)という大きな会議がまたあるんです。それで、アフリカに対して、日本の皆さんの目が向くタイミングの年になるので、「そこで何か!」って。
今、本を出版しようと思っていて。その本の売り上げが、エイズの救済になるようなシステムを作りたいなぁって。それに向けて、ちょっと来年は汗をかかなくては、と思ってるところです。「国際協力・事始め」みたいなね。小学生が読んでも分かって、面白くて、それでいておしゃれな本にしたいなぁ、と思って。もちろんその中には、今まで親善大使として、7カ国を訪問したんですけど、そのいろんなエピソードとか(入れたいし)、絵本『世界がもし100人の村だったら』みたいな、イラストや漫画でそういった国際社会の“今”みたいなものが簡単に分かるような。『13歳のハローワーク』のように、いろんな人の知恵を借りながら…。
――じゃあ、“チーム紺野”が出来るわけですね。
■東ティモールの子供達から、ゴビ・ベアーまで
――ずっとガーナだけにこだわっているわけじゃなくて、その後もあちこち行ってるんでしょう?
紺野: ガーナの後に、東ティモール(一昨年)、ベトナム(昨年)、そして今年はモンゴルに行きました。(大使就任以来)今まで7ヶ国行ったんです。それぞれ不幸な歴史があったり、悲惨な所もあるんだけど、東ティモールは、「こんなに貧しい国があるのか!」っていうくらい、貧しかった…。1度訪問すると大体8ヶ所位の村に行くんです。小さな村の小学校とかに行ってね、「将来、何になりたいですか?」って、子供達に聞くんですよ。そしたら、答えが無かったんですね。どうしてかって言うと、それこそ、ラジオも無い、もちろんテレビも無い、情報から隔離されている世界だから、子供達は「将来大人になったらどんな職業があるのか」とか、そういった事さえ分からないんですよね。だから、本当に選択肢が無いんだなっていうのを知って、何かちょっとビックリというか、愕然としましたね。
貧困対策プロジェクトの村にて [写真提供/UNDP(篠田伸二)] |
紺野: モンゴルも今、急速な経済発展を遂げているんですけれども、やはり4分の1は最貧困の人達なんですね。ですから、そういった貧困者の削減のプロジェクトとか、環境問題、草原の砂漠化とか・・・。
――草原といえば、僕も以前、ゴビ砂漠に恐竜の発掘取材で行ったんだけど、首都から砂漠に向かう道中が、「あ、地球って“草の星”だったんだ!」って思うぐらい、全部、草ね、周りじゅう。あの草原のスケールは、ちょっと日本じゃ見られないですよねぇ。
紺野: ゴビ砂漠って、熊がいるって知ってました?
――ええっ、ホント? 熊!?
紺野: ゴビ・ベアーって言うんですけど。(笑)UNDPは、そういった野生生物の保護もしてるんです。
■『一村一品運動』、大分県から世界へ
――モンゴルでは、どんな活動が印象に残りました?
紺野: 一番印象に残ったのは、日本の大分県から始まった、『一村一品運動』。結構今、世界各地の途上国でこの運動が広がっているんです。貧困削減のために、モンゴルでも「おらが村の特産品を作りましょう」っていうことで、今いろんな取組みが始まってて。いろんな村で、「おらが1品」を出して下さいって募集をして、UNDPが認定する作業が進められてます。たとえば、私が見に行ったのは、カーペット。羊が一杯いますから、その羊毛を使ってカーペットを織る工房とかね。
――織物を、その村の特産品にする?
紺野: そう。技術のある人が、それを村の女の人達に教えて。技術を習得した若い人が自宅で、たとえば子供がいても、(育児の)合間に出来てお金を稼げるようなシステム作りですね。
――援助というよりも、そうやって「自力で貧困から脱して行こう」っていうこと?
紺野: “自助努力”って言うらしいんですけど。個人個人の能力を高めて、それによって貧困から徐々に脱出できるように、《促す》っていうか…。
――じゃ今、モンゴルのあちこちの村で、「うちの村では何がいいかな」って考えてやってるわけですね?
農園でチャツァルガンを味見する紺野さん [写真提供/UNDP(篠田伸二)] |
――いろんな取組みをしてるんですね。要するに、その国のUNDP事務所が、その国のニーズを考えてしているということ?
紺野: そうですね。一番の目的は、《貧困の撲滅》なんですけど。貧困の撲滅って一口で言っても、環境や雇用のこともあるし、エイズのこともあるし、もちろん基本的なインフラの整備とか、本当に幅広いので、そういう意味では非常に分かりにくい仕事をしてるんですよね、UNDPって。
――それを分かりやすくするのが、親善大使の仕事でしょ。
紺野: そうですね。難しいです。(苦笑)
■ 「ガーン!」との遭遇と、1つの答え
紺野: もう1つ、(モンゴル訪問で)凄くショックだったのは、日本に研修で行ったという、モンゴルの中学校と大学の先生2人とお食事をした時のことなんですよ。「日本に3ヶ月いて、日本の子供達にどんな印象を持ちました?」って、その2人に聞いたの。そしたら、「日本の子供達が、あそこまでしつけが悪いとは思わなかった」って…
――ガーン!!
紺野: ほんと、「ガーン!!」でした。「日本の子供達は、学校の先生のことをもっと尊敬しているのかと思ったけど、言葉使いとか態度がなってない。日本は、礼節の国だと思ったけど、それはちょっと違うな、と思いました」と言われて…。どうしたらいいんでしょうねぇ。
――国連開発計画の仕事を超えてるね。モンゴルを見てきて、逆に日本の在り方を考えちゃったりして…。視察から戻ってきてからも、日本でモンゴル絡みの活動は何か続けてるんですか?
紺野: 今年の10月に、富山の能楽堂という所で『スーホの白い馬』という、小学校2年生の教科書にも載ってるモンゴル民話の朗読をしたんです。それは、人形とモンゴル馬頭琴楽団との共演でした。自分で言うのも何ですが、良い舞台だったんです。
――馬頭琴っていうのは、モンゴルの民族楽器ですよね。『スーホの白い馬』って、子供が大事にしていた馬が死んで、それで楽器を創ったという、ストーリーでしょう?
紺野: そうです。馬頭琴誕生の秘話なんです。(演奏の)馬頭琴の調べも心を打つしね。やっぱり、『スーホの白い馬』っていう作品の持つ力が、殺伐とした今の日本に、じんわり染みていくような良い話なんですよね。
6年前の大晦日に起きた、世田谷一家殺害事件の際、棟続きで隣に住んでいた一家の姉は、今、子供達への絵本の読み聞かせサークルを主宰しているが、特に頻繁に採り上げる1冊が、やはりこの『スーホの白い馬』だ。この話は、命の大切さや、「失われた命は形を変えて後に繋がっていく」という事を教えてくれる、本当に心を揺さぶる良い話だ。
紺野: 少年にとっての白い馬、《最も愛する存在》を理不尽に殺されてしまった―――それから、少年自身がどう立ち直るかという、《再生》の物語でもあって、いろんな読み方が出来る内容なんですよね。
――じゃあ、(その朗読は)単発じゃなくて、これからも続けるんですか?
紺野: やりたいなぁと思ってるんですけど。
――それも来年の1つの抱負?
紺野: はい、地道に頑張ります。
――時々、またこのコーナーにも来てくださいね。
紺野: 特に、再来年(エイズ絵本出版のとき)は、ぜひお願いします!