いじめ、どう思う? 中学生、大いに語る

放送日:2006/12/02

8年前に高校で受けたいじめを苦に自殺してしまった小森香澄さんの母・美登里さんが、現在各地の学校を回って講演をしている話を、前回ご紹介した。今回は、その講演の後で、毎回子供達が行なっている討論の様子をご紹介する。

■続々並ぶ、いじめの実例

最近の新しい試みとして、小森さんの講演を聴いた直後、子供達は各教室に戻ってから、「自分が幼い頃以来今までに体験・目撃したことのあるいじめの実例を書き出してみよう」というワークショップを行なうことがあるという。思い出すままを付箋に書き出して、それを模造紙に貼り出し、まずは「事実をしっかり直視することから話し合いを始めよう」という取り組みだ。
講演直後で、皆真剣にいじめ問題を考える気持ちになっている時でもあるし、しかも「全員一斉に書いてみよう」という方法だから、本音が出やすいのかもしれない。実際、どこの学校でやっても、山のようにいじめの事例が出てくるという。
私が拝見したワークショップは、先々週、神奈川県・川崎市内の中学校の子供達を対象にして行なわれた。「今現在」「この中学校」で起きているいじめだけではなく、「今までに」子供達が目撃・体験した「全ての」いじめを書き並べたので、模造紙にはすぐに付箋がずらりと並んだ。

女子:
陰で「キモイ」とか「ウザイ」とかをグループで言っているのと、「そのいじめられている人の方を見ながら噂する」っていうのと、メールで悪口を回すのと、黒板に悪口を書く。嘘を言う。掲示板やサイトなどで個人名を出して悪口を言う。
男子:
いじめられてる人に荷物を持たせたり、ノートに落書きをしたり、ロッカーに閉じ込めたり、体に対する暴力など。
女子:
上履きを蹴り飛ばして人に当てる。物を投げ飛ばして壊す。教科書をゴミ箱に捨てる。物を隠して場所を教えない。(消しゴムの)消しカスを飛ばされる。
男子:
しゃべりかけられてもその人だけに全く反応しなかったり、全然そこに(その)人がいるって言う感じを作らないことです。

このように、一気に読み上げられるとちょっと驚くが、よく考えれば、こういういじめは我々の子供時代にも、身の回りに大なり小なり、確かにあったはずだ。

■「やめろ」とまでは言えないが・・・

模造紙に並んだいじめの事例を眺めながら、それらを自力で解決したことがあるか、と私が尋ねると、「いじめで何か自分の物を捨てられちゃった子がいると、それを拾って返してあげる」という子が何人かいた。

下村:
そうやって(拾った物を)「ハイ」って返してあげると、いじめられてた子だけが救われるの? それとも、そのいじめをやっちゃった子も、それ(返してあげるところを)見てるの?
女子:
いや、それは見てないですね。やっている人の前で止めたりすると、今度は自分がやられるって言うのもあるんですけども…
男子:
俺も1回だけ、捨てられていたのを捨てられていた子に返したことがある。
下村:
その時、捨てた奴に遠慮は無かった?
男子:
捨てた奴には見られないように隠して、それでもその捨てられてた子に返す。
下村:
捨てた奴には何も言わない?
男子:
何も言わない。言えない。
下村:
なんで?
男子:
捨てた奴っていうのは大体クラスで影響力がある奴だから、見られたらもう、(自分が)やられるんじゃないかって思う。
下村:
(そのいじめを)やっちゃった子は、(それ以後も)相変わらずやるの? やっちゃった子に対しても、それ(隠れて拾ってあげること)って、何か効果あるのかな?
女子:
あ…でも、やられた子は、強くなれると思います。「周りにちゃんと自分の味方をしてくれる子がいる」っていうことを(やられた子に)気付いてもらえるんで。

いじめた側に「やめろよ」と言うことまでは出来ないが、いじめられた側に「私は味方だからね」とメッセージを送ることは出来るという。「勇気をもって止めましょう」などという勇ましい正論がなかなか現実的効果を上げられない現状の中で、子供達は自己流の優しさで“初めの1歩”を実践している。

■消えない「1対17」の記憶

「自分自身がいじめに遭った」という告白をした子もいた。かつてクラスの男子18人の中で、自分1人がいじめられっ子の立場で孤立してしまった時の思いを、ある少年が振り返る。

男子:
1対17のような数になった場合、1人じゃどうしようもないんですね。
下村:
君もその“1”の側に立ったことはある?
男子:
はい。あります。
下村:
どうやって切り抜けた?
男子:
切り抜けないでそのまんま。
下村:
自然に時が…?
男子:
時が経つのを待っていたときも、あります。
下村:
「誰かに相談しようかな」と思わなかった?
男子:
相談しても何の変わりもないから、諦めちゃっていたときもあります。
下村:
親にも?
男子:
親にはたまには愚痴を言ったりしたこともあるけど、普通は言わないです。
下村:
学校来るの、つらくなかった?
男子:
学校っていうか、幼稚園のときだったんですよ。(一同、安堵の笑い)
下村:
皆、あるんだねぇ。

幼稚園時代の辛い思いを、いじめられた側はこうして今も鮮明に覚えているが、一方で、いじめた側の17人は、恐らく全く覚えていないだろう。いじめは、この加害者側と被害者側の“事態の重さ”の認識のギャップが、非常に大きい。いじめている側に、もっと“コトの重み”をわからせる方法は無いものか。その意味で、今週『教育再生会議』の一部から出てきた、「いじめた側の生徒を休学させて特別な指導を行なう」という発想は、検討に値すると思う。

■すぐ先生に言う前に・・・

次に、いじめを目撃した時に、なぜすぐ先生に相談しないのか、という話。

女子:
生徒の中だけで解決しようと、努力することが大切だと思います。自分達生徒の中だけでも、すごくみんな、別々の意見を持っていて、周りの意見を聞いて考えを改めることができるから、先生の意見がなくても大丈夫だと思います。
下村:
「先生を間に挟むのはちょっと…」という気持ちは?
女子:
いきなり入って来られたらイヤだけど。急に状況とかも知らないのに一方的に言われたら「入って来ないで」と思う。けど、(生徒側が)自分達から頼って(相談に)行った場合は、入って(=介入して)来て欲しいと思います。
下村:
後ろで先生達、汗かいてるけど…(一同、笑)
女子:
1回、小学校の頃とか、「悪口を言われている」って先生に言っても、「そんなの、自分達でどうにかなるでしょ!」とか言われたこともあります。
下村:
言われてどう思った?
女子:
言われて、「もう先生には言わない」と。
下村:
今でもそう思っている?
女子:
今は、先生によってやってくれる事が違うから、やってくれる先生には言うけど、やってくれない先生にはもう言わないって感じ。
下村:
どうやって見分けるの?
女子:
言って1回「ダメだ」と言われたら、その先生には言わない。

子供達の、先生を見定める目は、なかなか厳しい。

■こんなに話したの、初めて!

「いじめ」という、オープンになりにくいテーマなのに、この討論では皆、本当に率直に話し合った。小森さんの講演を直前に聴いた効果は、まさに絶大だ。

下村:
皆の中でもこんな話は初めてじゃないの?
一同:
初めてです。
下村:
意外に話せるなぁ、と思った? それとも今、会話していてもしんどい?
女子:
自分がやられた事を(付箋に)書いていても、それが自分(のやっている事)に当てはまっちゃうこともあったりするから、「気をつけていかないと」と胸が痛いです。よく考えれば、やっていたりもするなというのも中にはあるから…。
女子:
「誰から見てもこれはいじめだ」っていうようなものはないけど、消しカスを投げられたりとか、物をどこかにやったりとか、「そんなの冗談だよ」とかいって、やった人はいいかもしれないけど、やられた人には嫌だったりするものは、クラスにいっぱいあると思います。
下村:
これからこの模造紙、どうしますか?
男子:
いじめる人とかに見てもらいたい。もし自分がこれを全部やられたら、学校行けないぐらいつらくなって、朝行くの嫌になるだろうから、そういう事をいじめる人もちゃんと考えてくれたら少しは和らぐと思うし、これを見れば少しは変わるんじゃないかと思います。
■《自主性尊重》と《安全管理》の狭間で

この討論の時、先生達も教室の後ろにいたが、子供達の議論には一切口出しをせず、際どい発言が飛び出しても「取材ストップ!」とも言わず、じっと耳を傾けていた。
その先生方に、討論会が全て終わった後、子供達の発言について感想を伺った。

教師A: どんな小さな事でも、一緒になって考えて一緒に解決して行こうという風に思います。ですから、どんな些細な事でもいいから訴えて欲しいと思いますし、どんな些細な事でも気づいたら、嫌がられても投げかけて行きたいと思っていますので、「これからもよろしく」としか言いようがないんですけど。そういう風に心がけて、学級では当たっていくつもりではおります。
下村:
「ぎりぎりまで子供達だけで解決したいんだ」という子供達の思いはどうですか?
教師A: すごくうれしいところです。生徒自らが考えて、つらいのを生徒たちが乗り越えようという姿は聞いていてうれしく思いました。本当にすばらしいと思います。

教師B: 子供たちが解決できる部分は、どんどん解決してもらって。ただ、教師もそこは《知っていたい》な、とは思います。

教師A: 生徒と私達教師の間で、どこにラインを引いて、どこから一緒に見るかを、日々の付き合いの中で探していければと思います。

解決のための《参加》はタイミングを計るけれど、《把握》は最初からしておきたい。教育の場として生徒達の自主性の芽は摘まないように尊重しつつ、でも事態の深刻化は未然に防ぐべく介入する。―――何かいじめ事件が報道されると、我々メディアはすぐ学校の怠慢と責めるが、真面目に取り組んでいる先生達の努力も見落としてはならない。
小森さんも、「いつもは必ずと言っていいほど《先生によるいじめ》と書かれた付箋が出てくるけど、今回のワークショップでは出なかった」とつぶやいていた。そもそも、こういう本音の討論の場に私達の取材を受け容れたというオープンな姿勢から見ても、自信のある学校なのだろう。

こういう討論をした学校から、全ていじめが消える、というほどいじめの問題は簡単ではない。だが少なくとも、こういう学校で今後いじめが発生したら、子供達が早めに声を挙げて、深刻化する前に事態がつかめるようになるかも知れない。
「こういう取り組みもあるんだ」という事を、手詰まりで悩んでいる全国の教育現場に伝える報道には、意味があると思う。その趣旨を理解し、デリケートな今回の取材に応じて下さった、この川崎市の中学校の先生方には、あらためて敬意を表したい。

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