引きこもり社会復帰施設死亡事件(3)各地に広がる「親の会」

放送日:2006/10/07

前回前々回に続き、今朝は、『アイ・メンタルスクール』の事件を離れて、引きこもり全体の状況に眼をツケる。
今、全国に数十万人とも一説には100万人台とも言われている“引きこもり”の子を持つ親達は、それぞれに孤立して悩んでいるだけなのだろうか?
前回お伝えした通り、警察や病院はイヤだ、行政はまるで頼りにならない、親戚や近所は相談相手どころか逆に白い眼で見てくる存在―――という中で、自分は孤立無援だと思い詰めている親が多い。4月の事件で亡くなった青年のお母さんは、まさにその状態で、たまたま知った『アイ・メンタルスクール』を信じてしまった。
「このままではダメだ」と、各地に今少しずつ、同じ状況にある親達同士が集まった「会」が広がりつつある。最近、大分県別府市で開かれた集会を覗いてみた。

■“拉致”への代案は“天の岩戸”
若い男性(以前引きこもりで、今はNPO『若者自立支援の会 ステップ』副理事長)
支援の緊急の必要性って、むしろそのご本人さんよりも、ご家族の方が必要な場合が多いんじゃないかな。っていうのは、『アイ・メンタルスクール』の事件も、ご家族が思いあまって、(本人の)知らないとこで(話を決めて)っていう、話みたいなので。
若い女性(臨床心理を学ぶ大学院生)
予算がちゃんとついて、迅速な、人が支援の手を差し伸べられる状況が整わなかったということの方に、私は、残念さや怒りというものを感じて、だから、あのような事件が起こってしまったという風に思うので…。あの、私、なまの感情を言うと、「ほんとに皆トロいんだよ。もっと社会見ろよ、自分のことばっか見てんじゃないよ!」と言いたいです。
母親A(引きこもりの子を持つ親)
まあ難しい問題ですけど、私も長いこと、それに苦しんで来てますので、抜け道が無いんですよ。
奥山雅久代表: どんどん追い込められちゃうからね。1人じゃね、大変だよ。

奥山さんというのは、NPO『全国引きこもりKHJ親の会』の代表だ。「第1回サポーター養成講座」と銘打ったこの日の大分の集会は、悩む親達をサポートする専門のスタッフを地元で育てて行こうという趣旨で、奥山さんをはるばる埼玉から講師に招いた。『KHJ』では、既に「訪問サポート士」という独自の認定システムを作り、引きこもりの子のいる家を訪問してサポートする専門家の養成を進めている。『アイ・メンタルスクール』事件は、嫌がる本人を強引に施設へと(彼らの言葉で言う)“拉致”することで起きたが、逆に専門家の方から、引きこもっている家に来てくれるというのは、確かにいい仕組みかもしれない。
例えば、引きこもりの子と対話しようにも、その子が部屋から出て来なければ話しが出来ない。そういう子をどうやって部屋から出て来させるか等、奥山代表は、具体的な訪問サポートのノウハウを伝授した。

奥山代表: プライドが高くて、劣等感の塊のその人にね、「訪問サポートに来たよ」って言ったら、これはもう、皆、彼等は傷付きますよ。だから、「お茶のみに来たよ」とかね、「お母さんに会いに来たよ」とか、「将棋教えに来たよ」とかさ、「パソコン教えて」とか、「ホームページ一緒に作ろう」とかね。あるいはサッカー。大概テレビ見てますから、サッカーのウェア、表に出たことなくて買いに行けないから、それを買って来てあげるとかね。もう、いろんな手腕。手品を見せに行く人もいるしね、様々ですよ。“天の岩戸”みたくさ(会場笑)、表で楽しくワイヤワイヤ楽しくやってたら、栃木の子なんかそれで(部屋から)出て来たのよ。最初は覗いててね、何事が始まったのかと。「出て来い」って言っても出て来ない。

■がんじがらめの94%

奥山代表自身も、引きこもりの子を持つ父親だ。自身の体験や、その後全国各地の親達と情報交換を重ねて来た蓄積を、こうして悩める親達に共有して行こうとしている。
ただ現実には、そういう場に出て来る親は、まだまだ極めて少ない。前々回も触れたが、【情報が目に入らない→目に入っても、頭が固まっていて心まで届かない→心に届いても、世間体を気にして身体が動かない】という3重のバリアが有る。参加を呼びかけても、いわば親自身が心理的に引きこもってしまっているのだ。
この日の集会は別府市での開催だったが、その近くの佐伯という所でも、親達の有志が「会を作ろう」と呼びかけたが、反応は鈍かったという。

母親B: 親族、家族の方が(街中に置いた参加呼びかけのチラシを)持って帰られた方もあると思うから、かなりの枚数減ってるんですね。ということは、佐伯にも(引きこもりの当事者家族は)多いというのは現実です。私は、見たり耳にしたり、今でも人数あげられるぐらい、います。けど、家族会に来る人はごく少数。私ら、そこの家庭に訪問して、「家族会に来ませんか」とは言えないんです、はっきり言うて。

奥山代表: 正直言ってね、データ上では、医療とか、居場所とか、家族会に来れる人は、6%なのよ。94%は、出られない。つまりそれは、はっきりした要因の1つとして、世間的に非常に出にくいんですよ。だって保健所にも分かっちゃうから、相談しに行けないとか。まして、医療なんかそうですよね、内科医にも行けない。他の病気も抱えてるのに、医者にも行けない。分かっちゃうからね。すごい隠す社会ですよ。がんじがらめの世間体の前で出せないんです。そういう方が大半なんですね。
大都市でも、兄弟が引きこもりがいると、お嫁に行けないと、他の兄弟ね。お婿さんが来ないとかね。未だに言ってんだって。家制度がね、すごくある所なんかで、もう、お母さんは大変ですよ、引きこもりの母親になったら。「あの嫁はなんてガキをつくりやがった!」ってもう、すごいプレッシャー。本人からの圧力、親父から「お前はどういう教育をしたんだ!?」、もう一切親戚と付き合わないなんてね。四面楚歌の中でお母さん、能面みたく感情も出ないでね。そんなの5年も10年もやってて、自分が生きてちゃいけないみたいなね。自分がいつ、死のうかと思ったって。

身内のプレッシャーからは、逃れようがない。家庭内暴力や、明らかに治療が必要な心の病などを伴う場合は別として、単に引きこもっているというだけの段階であるなら、周りが深刻に受け止め過ぎることはかえって状況をこじらせかねない。今回のシリーズで、私は引きこもりを問題「視」して、「何とかしなきゃ」と苦労している当事者達の思いを紹介している。引きこもりは、確かにその人たちの視野の中では“問題”として捉えられている。だが、客観的に見て《全ての引きこもりがイコール“問題”行動と言えるだろうか?》という根本の部分は、もっと柔軟に考えた方が良いと思う。
今の世の中なら、コンピューター系の仕事など、部屋から1歩も出ずに出来そうな仕事もある。深刻すぎる固定観念を壊すために、わざと無造作な言い方をすれば、「引きこもりというのは1つの《ライフスタイル》なんだ」と、発想を転換してみることも可能かもしれない。実際、「これはうちの子の“生き方”だから」と言って、悩みの固い殻をグッと薄くすることが出来た親御さんもいる。不真面目に聞こえるかもしれないが、そういう発想で周囲の気持ちが楽になってプレッシャーが緩和されるならば、それはそれで有益だろう。

■まず親から、外の空気を吸おう

こうしてそれぞれの地元で会を結成して語り合うようになった親達は、引きこもりという事実は変わっていなくても、それだけで随分気持ちが軽くなるようだ。

母親B: 正直言って、我が子がひきこもりって気が付いたときには、胸が重たかったんです。なんか胸苦しいような生活で、夜も寝られなかったですよ。我が子の事考えたら。でも、親の会入ったら、その胸苦しさは、楽になったような気はします。

奥山代表: 仲間がいるとね。まずね。それで、ためないで、こうやってお話しして、シェアして共有して行くことが、生身の人間は必要なのよ。1人でいると、もうどんどん抱え込んじゃうんだから。お互いに良くなくなっちゃうよね、本人も子どももさ。だからさ、本音で行きましょうよ、これからはね。ワガママと違うんだから。本音。

母親C: だから私も、相当精神的に楽になりました。そして、隠さないで、人には「私はこういう子ども持ってるから」って、前は言いたくなかったんですけど、今はもう、自分から言えるようになりました。

前回、『アイ・メンタルスクール』のような民間施設が、如何にこれから閉鎖性を無くしてオープンにして行けるか、という話が出たが、この親御さん達は、自分の家庭事情をオープンにして、閉塞感を打破したわけだ。
ただ同じ環境の親同士で語り合うのみならず、さらに1歩進んで、子供が引きこもる前の頃のように、「自分は自分の人生を楽しもう」という“心の自由”を取り戻した親御さん達もいる。

母親D: いろいろ、ほんと言われます。私、この頃はそんなして、出歩いたり旅行に行ったりするもんですから、「よう、あんな子ども抱えて、よう、あんな顔しておれるな」って、面と向かって言われました、何遍も。もうこの頃は皆さん、諦めたのか言わなくなりましたけど、もうあの、面と向かって何遍言われたか分かりません。でもほんと、それでこっちが、親が、なんか引きこもりそうになってたんですけど、いろいろ会に出たり、自分でも気分を変えるようにして、今はもう、全然もう、人から言われても、「そんな子持ってるから大変なのよ」って、こっちから言えるようになりました。
奥山代表: あんまり《子どもだけの人生》っていうのを母親が見ないで、《自分の人生》を自分らしく生きる。「ああ、あの親、何なの? 引きこもりの子ども、不登校の子がいるのに、親がルンルンしちゃって」って、悪く言われてやっていいじゃない、子どもの為に。“いい親”やりすぎちゃいけないのよ。子も一生懸命ね、真面目にやって、親も一生懸命真面目で、仮面かぶってて、どうすんのよって。 私なんか、相当悪者ですよ。(会場笑)
母親B: 考えたらもう、やんなっちゃって、やんなっちゃって。もう自分も好きな事して。―――でも頭よぎります。これでいいんかな。取り返しがつかなくなるかなって、この(頭の)へん、ピッピッって時々思い出すんですね。うちの子、年ですからね。もう40だから…。

引きこもりの我が子が40才では、確かに、不安もよぎるだろう。しかし、その直前の奥山代表の言葉にあったように、引きこもっている子供も大真面目、心配している親も大真面目、という息の詰まった状態よりは、いい意味で《いい加減さ》もあっていいようだ。

■《行政》も《医療》も、アプローチを!

逆に、もういい加減な態度はやめて、本気で取り組んで欲しいのが、前回強調した《行政》。そして、今回の3週シリーズでは触れなかったが、《医療》の取組みも重要なテーマだ。
「心の問題を薬で解決しようとするなんて…」という拒否反応はまだ非常に根強いが、中には、治療次第で外の社会と馴染んで行けるのに、放置されている子も確かにいるだろう。(奥山さんは、その比率をかなり高く見込んでいる。そもそも、『KHJ』とは、「強迫性神経障害(K)/被害妄想(H)/人格障害(J)」の頭文字を並べたものだ。)そうなると、これは前述の《ライフスタイル》などという話ではなく、当人にとって有害無益だ。医療は、引きこもり現象に対して何が出来るのか、もっと研究・実践が進められて然るべきだろう。
今回の『アイ・メンタルスクール』事件を、「特殊な親と特殊な施設が引き起こした異常な事件」と捉えず、引きこもりという社会現象について《考える材料》にしていただければ、と思う。亡くなったA君の無念を想い、ご冥福をお祈りする。

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