高遠菜穂子のイラク報告(13)」アンマン活動に密着リポート

放送日:2006/03/25

今回は、高遠菜穂子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No.1)のイラク報告、第13回。前回から10週間ほど空いたが、この間、高遠さんはあの人質事件後通算8回目のアンマンへ行っている。私も今回初めて同行した。
前回の高遠さんの予告が実現し、今、名古屋港からヨルダンのアカバ港に向かっている船には、名古屋の「近藤産興」という企業の寄付で、学校の教室用の個人机133個、椅子187脚、会議室用の3人机19個、新品のように手入れされた中古の足踏みミシン33台、その他小物類が船積みされている。

■「行ってらっしゃい、机くん!」

船積みの直前、国内の支援者達と高遠さんは確認のために名古屋の倉庫を訪れた。

高遠:
高遠なんですけれども。
業者:
どうも。
高遠:
お世話になっております。よろしくお願いします。細かい事ばかりですみません。
業者:
いえいえ。
高遠:
これはノート。ノート4箱。
女性:
あと団扇。
高遠:
(笑)ハエ叩き。
女性:
あとエプロンが20枚とサッカーボールの形をしたキーホルダーが100いくつ…
男性:
これがですね、近藤産興さんからご提供いただきましたミシンです。こちらは家庭用のミシンで、日本通運さんによって全部このようにきれいに梱包していただきました。すごいですね。
高遠:
工業用ミシンはあそこの大きいのですね。全部この木枠はミシンで〜す。
ありがとうございました。やっとここまでこられました。今日は、このシールを…
社長:
今から貼るの?
高遠:
貼ろうかなと思って。貼りましょうか。
―――どうすか!?今度はこっち、右の上。
見えるとこじゃだめ?いいよね。ちょっとアピールして、かなりアピールして(笑)

このシールには、両国の言葉で「日本とイラクの平和のために」というメッセージが書かれていた。自衛隊派遣後の反日感情から、今まで高遠さんの活動は、日本人の支援であることを隠していたが、今回は《受け取る側の人達の理解が広く得られた》という判断で、初めて日本という国名を出すことになった。彼女の喜びようが、この会話からもよくわかる。
現物は寄付なのでタダだが、これだけの量を輸送するとなると、輸送費用もかなりのものになる。しかし今回は、船で隣国ヨルダンに着いてからイラクまでの陸路の輸送を、ヨルダン在住のイラク人の運送会社社長が、タダで引き受けてくれることになった。

高遠:
セキュリティの面でも、すごい輸送代とかも上がってるんですよね。だから、陸送のほうが高かったりするんですよ。最初のうちは全額自分達で払うつもりで考えてたんですけど。でも200万円とかになるから、いや〜どうかなぁと思ってたら、ヨルダンからは「こっちは全部面倒見るから心配しないでください」って言われて。マジすか!?って。今回は助かりました。

地道に続けてきた高遠さんの活動が、じわじわと根を張り、地元イラク人有力者の協力が得られ始めたわけだ。
机やミシンを積んだコンテナが大型トラックに載せられ、港へと出発する。

高遠:
これが何年かあとイラクに行けたときに、これを現地で見たときに…
女性:
ラマディ行って見なきゃ。
高遠:
見たいですよね。
男性:
そういったときの感動はすごいだろうね。
高遠:
行ってらっしゃーい、机くーん!どうもありがとうございました。お世話になりました。
(走りだすトラックの音、拍手する関係者)よかった、よかった!(拍手)

今月6日の昼過ぎにコンテナを見送った高遠さんは、その足で関西空港に直行し、アンマンへと飛び立った。
そして私も、みのもんた『サタデーずばッと』の取材で、数日遅れでアンマンへと追いかけた。

■重なる危険をかいくぐり…

アンマンでいつも、イラクから出てくる現地スタッフ達と、高遠さんはミーティングをしている。そのために彼らが国境を越えてヨルダンまで出て来るのは実に大変で、中心メンバーのカーシム君も捕まったことがあるという。

高遠:
特に外国人との繋がりとか、そういうのはものすごいほとんど致命的で、それがバレてしまうと、誤解されたままだとほんとに誘拐されたり、殺されたり、処刑されたり。で、実は彼自身も携帯で英語をしゃべってるのイラクで見られてて、日本人と関わっているということで、1回、何者かに誘拐されたことあるんですよね。「アメリカの協力国と繋がっているスパイだ」って言われたんですよ。だから今のこの状況だと、アンマンに来てもらうこと自体、結構大変なことなんですよね。一応アンマンに来る前には、前もって早めに連絡しておいて、「何も時期をわざわざ合わせなくていいよ。このぐらいの期間中に前でも後でも来れてミーティングが出来たら」という話はするんですよね。逆に今の状況だと、アンマンに出ちゃったほうが安全というのもあるので。

会う日時を一点に限定せず、安全そうなタイミングを見計らって徐々に集合、という方法で監視の目をかいくぐり、イラク人メンバーたちは、高遠さんが定宿にしているアンマンの安ホテルのロビーに辿り着く。だから、会えたときの喜びもひとしおだ。その瞬間を、私も目撃した。

高遠:
心配したよ〜(涙)
イラク人メンバー: ハロー、ナオコ!(がっちり抱き合う)

更に、外国人と見られる事とは別の種類の危険も、現実に増大しているという。

高遠:
例えばアルカイダとか、そういうおっかないイメージを利用した泥棒、強盗っていうのも横行してるんですよ。だからわざと覆面をして、過激派というか原理主義のような言い方をする。イスラム原理主義のような言動をしておいて、拘束された被害者が、「あっアルカイダかもしれない」とか、「シーア派の民兵かもしれない」とか、そういう風に思うようにしてるんですよね。実際にそういうのもいっぱいありますけれども、それを真似してやっている、“一般”って言ったら変ですけど、いわゆる強盗系も横行してますね。混乱を利用しているっていうか。

■増幅された「対立」の構図

報復合戦で、内戦の危機とまで報じられている、イラク国内のスンニ派とシーア派の対立。しかし、こうして頻繁にイラク人スタッフと接している高遠さんの実感は、大きく違っていた。

―メディアではシーア派対スンニ派という言い方をするけれど、高遠さんを手伝っているイラク人メンバーにもいますか?

高遠:
それはいますね。ボーイズのプロジェクト(路上少年達の自立支援活動)スタッフにも、シーア派もいればスンニ派もいるというか。子供たちもそうですね。出身地も、みんな地方から集まってきているから。あと、ファルージャ・プロジェクトのほうではクルド人も入っていたり、様々ですね。

―その間で、今緊張あったりとかは?

高遠:
まったくないです。つい先日も、ファルージャのプロジェクトとボーイズのプロジェクトの人とが、私を通じて知り合いになっているので。そこでも、「何でこんな風になっちゃったんだろう」って。「お互いスンニ派だのシーア派だの、そんなの今になって言われるまで、あいつがスンニ派だのシーア派だの知らない場合が多いよな」とかいう話もしてたりして。「なんでなんで?」って言ってましたね。「僕たちはそうじゃなかったんだ。《イラク人》なんだよ」とか言って。

―何派なんて関係ないと?

高遠:
そう。それをすごく悲しそうに言ってましたね。

普段は、誰が何派かということなど、皆の意識には上らない程度のことなのだ。 現に私も今回、アンマン郊外にあるイラク人タクシードライバー達の溜り場で、皆に声をかけた時、「俺はシーア派。こいつは、スンニ派。こいつは、クルド人。皆、仲良しだぞ。(肩を組んで)あんな対立、よその奴らが仕掛けてるだけだ!」と口々に言われた。 騒ぎに乗せられてしまっている人が増えていることは、現に爆破事件が続発している以上否めないが、一般の人達が皆分裂してる、と捉らえることは、現実とは違うようだ。

■“理想論”が現実をつくる

映像になりやすい、対立の方ばかりをメディアはニュースにするが、現に高遠さん達のスタッフのように、再建に向かって前向きに頑張っているイラク人達もいる。
だが、ここまでスタッフ達と合意を作ってくるのは大変だった、と高遠さんは打ち明ける

高遠:
2年前に「テロとの戦いで何が一番勝つと思う?」という話をして、「やはり強力な軍事なのか?」「違うと思う。絶対にラブ&ピースなんだ」と私が言ったんですよ。絶対にそうなんだ、非暴力が一番強いんだ、という話をしたんですよ。

―理想論だとか言われる?

高遠:
そうです、言われるんです。よく言われました。ほとんどけんかでしたもん、ずーっと何年も。「お前には絶対にわからない」とか言われて、全然話がかみ合わなかったんですよ。どうしても自分の(拘束)事件のこともあるから、いくらレジスタンスといえども私は許せないという思いもあって。「結局は命を傷つけることには変わりがないと思う」ということをずっと言い続けて。でも彼らは被害者であるから、やっぱりその辺ではすごいありましたよ、喧々諤々と。でも今は、メンバーがこの前言っていたんですけど、実際に銃を持たずに再建を続けたことで、これがグローイングアップ(成長)していると。これは、明らかに目に見える結果なんだと。だから、可能性があるって。銃を使わずして、憎しみの連鎖を断ち切る方法って言うか、それが、きっと勝ち得るんだと。「できたじゃないか、もっと大きくなれるんじゃないか」みたいな。それはみんなも感じてくれているみたい。

―議論ではかみ合わなかったけれど、実践してみて…

高遠:
そうですね。

《理想論》だと思っていた高遠さんの活動が着実に成果を積み上げ、《現実的》だと思っていた暴力による対抗が、いつまでたっても出口を見つけられない。それを目の当たりにして、彼女に出会ったイラク人のスタッフ達は徐々に考えを変えつつある。
高遠さんの活動が本当に着実に浸透しつつあることが、今回のアンマン同行ではっきりと実感できた。

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