大手の報道機関に所属しない、独立したジャーナリスト達の集団『アジアプレス・インターナショナル』。ここのメンバー達が撮った映画作品の連続上映会が、先月(6月)末から東京で始まっており、明日(7月10日)、いよいよ最終日を迎える。メンバーの一員で、今回の上映作品の1つを制作した直井里予監督(眼のツケドコロ・市民記者番号No.3)にお話を伺う。
―『アジアプレス』と言うと、ゴールデン・ウィークの頃、このコーナーに2週連続で出てもらった『リトルバーズ』の綿井健陽監督もメンバーで活躍されてますよね。今、メンバーは何人ぐらい、いらっしゃるんですか?
- 直井:
- 約30人くらいが所属してます。バンコク、マニラ、台北、北京、ソウル、大阪、東京など、アジア10ヵ所以上のオフィスに現地ジャーナリストが参加して、お互い地下茎のように繋がって取材活動をしています。約半数が日本国籍以外のアジアのメンバーですね。
これだけ拠点があることからもわかるように、現地に腰を据えた取材活動が行われているので、色々なニュースを同時に抱える大手メディアの社員にはなかなか真似できない、長期取材に基づく作品群が多く生まれている。今回はその中から7本が、東京・渋谷『UPLINK FACTORY』で一挙上映中だ。
まだ今日(7月9日)・明日(7月10日)のラスト2日間でも観られる4本をご紹介する。
■『北から来た少女〜韓国・脱北者の2年』――今日(7/9・土)夕方4時〜
監督:崔智英・安海龍・石丸次郎【2004年/日韓】
- 直井:
- これは、北朝鮮を逃れて韓国へとやってきた「脱北者」の2人の少女が、故郷の家族を思い出しながら、その寂しさに耐え、韓国での生活に馴染もうと、文化の違いに戸惑いながらも必死に格闘する姿を、2年間追いつづけた作品です。
大手メディアによる「脱北者」の採り上げ方は、単発的に証言をピックアップして終わり、という形になっていることが多いが、2年間追い続けたとなると、脱北という"現象"そのものよりも、その後の"生活"が自ずと滲み出たものになるだろう。
■『ゴンプーの幸福な生活』――今日(7/9・土)夕方6時〜
監督:季丹【1999年/チベット】
- 直井:
- チベットというと、「精神世界」や「中国の迫害」という視点から見られがちですけど、季丹(ジ・タン)はある一家と1年間共に暮らして、彼らの日常生活を長期的に撮影することによって、「素顔」のチベット像を掘り起こしました。主人公のゴンプーさんは、お酒好きでお調子者のチベット人なんですが、季丹もやはりお酒好きということもあって、本当に彼等と親密な関係になって、彼等と一緒に生活をするなかで撮影された作品です。
この映画は私にとっても、思い入れの強い作品なんです。というのは、私がアジアプレスに入ったのが1998年で、その時にちょうど季丹が1年間にわたって、これを丁寧に編集していた最中だったんです。チベットというのは生活するのも大変な高地で、季丹は体力的にもトレーニングを積んでから山に入り込んだということも聞いていたし、そうやって撮った映像が作品になっていく過程をずっと見続けて、「政治的なテーマじゃなくて、生活に入り込んで丁寧にその姿を描く、そういう作品をいつか私も作りたい」と思ったんです。だから、今こうして私がドキュメンタリー製作に携わっている、きっかけの映画なんです。
確かにチベットというところは常に政治的に捉えられがちで、“政治”抜きの“生活”というのは、なかなか知ることができない貴重な情報だ。
直井さんがそうであったように、今回の上映を見た人が作品に触発されて、次のビデオジャーナリストを目指して『アジアプレス』の門を叩く、などという連鎖が生まれるかもしれない。
■『長江の夢』――明日(7/10・日)夕方4時〜
監督:馮艶【1997年/中国】
- 直井:
- これは、山峡ダムという巨大ダムの建設に伴って、そのダムの底に沈むことになる長江沿岸の2つの村で、農民たちと一緒にに暮らしながら撮影された作品で、住み慣れた土地から離れることを余儀なくされる村人たちの思いが丹念に描かれてます。この作品は、世界的にも有名な山形国際ドキュメンタリー映画祭に97年に出品された他に、台湾の国際ドキュメンタリー映画際にも出品されて賞をいただいています。
山峡ダムの問題は、中国の発展のひとつの象徴として採り上げられ、ダムの底に多くの村が沈むという話も《知識》としては聞くが、やはり“一緒に暮らす”という密着した距離感で撮られた映像の《実感》は貴重だ。
■『Yesterday Today Tomorrow /昨日 今日 そして明日へ…』――今夜(7/9・土)夜8時―、および明日(7/10・日)夕方6時〜
監督:直井里予【2005年/タイ】 バンコク国際映画祭2005に出品
―これが、『ゴンプーの幸福な生活』の編集作業を見て触発された直井さんの、「いつか私も…」の想いが花開いた作品ですね。
- 直井:
- そうですね。アジアプレスの最新作でもあり、私の初作品でもあります。
これは、タイの北部に住むHIV感染者のいる2家族を、3年間にわたって撮った作品です。
―エイズをテーマにした作品はたくさんありますけど、直井さんがこの作品を撮ろうと思ったのはどういうきっかけからなんですか?
- 直井:
- 私は、2000年にテレビの仕事でタイ北部で取材をしたことがあったんです。その際に、エイズ感染者の方達を援助している、日本人のNGOの方に出会いまして、その方の取材過程で、感染者である2組の家族と知り合いました。よくテレビなんかでは、エイズというと、どうしても悲劇的なストーリーと姿を描いていて、私もそんな想像をしてたんです。でも、その2家族と出会うことによって、私の想像はひっくり返され、価値観が崩され、とても衝撃を受けたんです。この出会いが、このドキュメンタリー製作のきっかけです。
その《崩された価値観》は、見事に映像に焼き付けられており、観る者も同じように自分の価値観を揺さぶられる。淡々と生活する夫婦がいたり、屈託のない笑顔で監督の直井さんに微笑みかける少年がいたりと、映画の画面は透明で明るい。ナレーションもBGMも1回もないけれど、90分間、ずっと見続けてしまう作品だ。
全編、登場人物たちの実生活の本当に至近距離から撮っているのに、登場人物は皆、全くカメラを意識していない感じに見える。だが、実は…
- 直井:
- ドキュメンタリーではよく、「カメラが空気のような存在になっているのがいい」って言われるんですけど、私は敢えてカメラを意識してもらおうと思って、撮影する度にいちいち確認を取りながら撮り進めました。だから、この作品のストーリーというのは、撮影する私と、主人公の彼等との《間》に生まれた物語だと思ってます。というのも、撮影を進めていくなかで、主人公の方達が自ら動くようになったんです。例えば「今日は魚売りに行くから、このシーンはいいと思うよー。撮らないか?」って言ってきたり、少年の場合も「今日、撮影していいかな?」と尋ねると、もちろん「ダメ」って言う日もありましたし、「今日は、僕の誕生日だから撮っていいよ」って言ってくれることもありました。そういう確認をひとつひとつしながら撮った作品なので、私としては、"物語"として作ったつもりです。
その"物語"性は、画面上もまったく隠されることがない。普通は、よくカメラの存在感を消す工夫をするのだが、この作品では、入院中の少年が「里予、今夜遅くまでいてよ」と撮影者の直井さんに話しかける場面がそのままあったり、一家3人の食事シーンに皿が4人分並んでいたりと、直井さんの存在を敢えて消そうともしていない。撮影者が、とても自然体のまま被写体と一体化している。
- 直井:
- ああいうシーンが一番大変でしたね。こっちは食事のシーンが撮りたくてカメラを回してるのに、「ご飯が冷めちゃうから早く食べろ」って言われたりして(笑)。
―3年間という時間をかけたからこそ、それだけの関係を作れたわけですよね。でも3年もいたら費用もかかりますよね。その間の生活費や撮影資金は?
- 直井:
- その点はですね、実は主人公の方達に毎晩のようにご飯を食べさせていただいたり、日常生活に必要な服もタイの友人から全部貸してもらったり、という感じでした。編集にも1年かかったんですけど、その間も、毎晩バンコクの友人がご飯を作ってくれてました。
―制作費は本当にかなり低く抑えたという感じですね。よく「映画なんて作る資金がないから、そんなの出来ないよ」と諦める人が多いけど…
- 直井:
- 本当に色んな人達の支えでこの作品は作り上げられたと思ってます。 最後の編集の部分とかは、私の家族から借金をして、タイでスタジオを安く借りたりもしました。
―この作品を紹介したタイの新聞記事には、「里予の両親は、彼女にお金を貸したことを誇りに思っていい」という1節がありましたね。
- 直井:
- そうですね。タイでも最近ドキュメンタリー製作が活発になってきてまして、家族に資金を提供してもらって作ってる監督も多いんですよ。
独立系ジャーナリストの共通の課題は、そこだ。例えば、同じ『アジアプレス』の綿井さんの場合は、イラク現地から時々大手TV局用のリポートを発信して稼ぎながら、その合間に自分の本当に撮りたいものを撮る、というスタイルを確立していたが、そういう形を確保できるケースは稀だ。それぞれが、かなり苦労しながら取材・撮影を続けている。だからこそ、こういう連続上映会の機会などに、大勢のお客さんに来てほしいわけだが…。
ところで、実は直井さんは学生時代に、当時TBS社員だった私と会って、「映像制作の世界に進みたいのだが…」という話をしたことがあった。彼女の記憶によると、そのとき私は「大手メディアの社員になっても、なかなか自分の思うテーマの作品にじっくり取り組むことは難しい現実があるよ」とか何とか喋ってしまったらしい。それもひとつのファクターとなって、彼女はアジアプレスへの道を踏み出していったということで、私も、今回の映画誕生にほんのちょっぴり関係できた光栄さと、彼女の経済状態への責任を感じないでもない。(ウーム…)
- 直井:
- この道に入った時、「食べていけるか」なんてことは考えませんでしたね。アジアプレスの作品、季丹の作品に惹かれ、「私もこんな作品を撮ってみたい」っていう、その思いだけで始めましたから。そしたら後でお金の問題が出て来て、「どうしよう」っていう感じですね(笑)。
―そうやって、今までメンバー達が何年もかけて撮り溜めた映像って、もうかなりの量ですよね。チラッとTVで紹介されたり、一部こうして映画になったり、という以外に、もっと活用する方法は無いものですかね。
- 直井:
- アジアプレスは今、『アジアプレス・ネットワーク』を立ち上げていて、インターネット上で映像を公開したり、「アジアプレス・映像データベース」をスタートさせようとしています。「映像データベース」というのは、1987年に代表の野中章弘がアジアプレスを創設してから、それぞれのメンバーが15年間・20カ国以上で取材してきたビデオ映像・写真をデータベース化したものです。これを、ビジネスとしてテレビ局の方に有料で提供するとともに、一般の方々にも観ていただけるように、「アジアプレス・ネットワーク」の会員向けに公開するという準備を始めています。
こういう集団がいるというのは、本当に貴重だ。大手メディアの報道だけではうかがい知れない、現地の実際の生活の様子が、「アジアプレス・ネットワーク」の会員になれば、いつでも観ることができるようになるわけだ。
今回の2週間の上映会では、トークイベントも時々セットされている。先週土曜(7月2日)には、野中代表と、以前このコーナーにも出た海南友子監督(『にがい涙の大地から』)の顔合わせもあった。
―直井さんの出番も既にあったそうですが、また今夜(7月9日)もトークされるんですよね?
- 直井:
- はい。今夜8時から『Yesterday Today Tomorrow /昨日 今日 そして明日へ…』の上映があって、その終了後、9時40分頃から、『アジアプレス』のメンバーである古居みずえ・吉田敏浩と共に、「記録することの意味を問う」というテーマでトークをします。
―ひと言で言うと、直井さんにとって「記録することの意味」って何ですか?
- 直井:
- 記録するということは、やっぱり私にとっては、人間の関係性を築きながら、その関係性を表現していくということなんです。それを通じて、多様な文化や価値観が存在するということを表現できればと思ってます。
これが《政治》という舞台だと、すぐ喧嘩になったりしちゃうんですよね。“アジア”と言ってもひとつじゃないわけで、それぞれの価値観があって、それを認めていくところから始まるんじゃないかなと思います。《映像》を通してだと、その価値観の違いが表現できるんじゃないかと。――今日のトークでは、そんなことを話そうかと考えてます。
『アジアプレス』作品展は、明日(7月10日)まで連続上映中。お問い合わせは、東京・渋谷『UPLINK FACTORY』(03-6821-6821/本日7月9日は、午前10時から電話受付)まで。