先月(4月)中国で発生したいわゆる“反日”デモに呼応して、日本にいる中国人の人達が、それぞれのメッセージを動画でウェブサイトにアップしている。インタビュー撮影と編集を手掛けたのは、このコーナーでも紹介したことのある、日本にいる中国人留学生達のインターネット放送局『東京視点』。ご自宅のパソコンからでも『東京視点』で検索すれば視聴可能だ。中国人の人達は、あのデモ騒ぎの最中、何を思い、何を語っていたのか。今回は、その一部をご紹介する。
まずは早稲田大学大学院・留学生の張剣波さん。留学生が抱える二つの気持ちのジレンマを語る。
- 張:
- 人間として、中国人として、かつての戦争における日本の犯罪、その損害を受けて今でも苦しんでいる人々−−−彼等が例えば日本で訴訟を起こした場合、我々はそれを支持しなければならない。これがひとつ。
もうひとつ、我々は日本に留学しています。日本のことも若干知っています。何よりも日本で勉強させていただいている。日本は、我々にとっては恩義の国ですね。良い日中関係を望むのは、圧倒的に大多数の留学生の気持ちだと思います。
日本にいるからといって、中国大陸でのデモを全否定して見ているわけでは決してなく、あのように反発する気持ちはよく分かると言う。「あの暴力的行為はまずい」、だけれども「歴史問題をはじめとする“そもそもの理由”には共感する」というのが、留学生のスタンスなのだ。
その投石等の暴力行為に対する《NO》を明示しつつ、同時に日本人に対し「このデモの原因として、歴史問題をもっと真剣に考えてよ!」と訴えることが、“メッセージをビデオで撮って、インターネットで流す”というこの活動の動機になっている。
二人目は、一橋大学の王雲海教授。この方は、日本のメディアに溢れる「反日」という言葉そのものに疑問を呈している。
- 王:
- 「反日」という言葉にはあまり賛成できないですね。中国の若者はですね、"すべて"に反対しているわけではないんですよね。日本の文化、日本のいろんなところを採り入れている。むしろ日本のある政策、ある事に対する反対でしてですね。一律的に日本に反対しているわけではないと思います。だから、「反日」という言葉にはあまり賛成できないです。
日本をまるごと否定しているかのように聞こえる「反日」という言葉が一人歩きしてしまうと、逆に、日本人が「反中」という一括りのリアクションをとりかねず、事態がますます悪化してしまうことを懸念しているのだ。
そして、「反日」という《言葉》だけではなく、《映像》に対しても疑問を投げかけている中国人もいる。つまり「なぜ石を投げる中国人ばかりを映すのか。全員が投石していたわけじゃないでしょ」ということだ。こう批判するのは、東京で環境ビジネス会社の社長を務めている陸宇輝さん。
- 陸:
- 私は、最初から日本のメディアはほとんど悪いことしか報道しないようなイメージなので。本当になんというか、悪いことを報道するのが好きみたいね。だから、中国で少しでも事件があったら大袈裟に報道したりすることも、自然じゃないか(いつもの事だ)と思っちゃうんですよ。だから、もし皆が冷静な観客、判断ができる人だったら、もちろんそれは信じないだろうし、それで信じ込むんだったらしょうがないということですね。
確かに、象徴的な部分だけを《切り取って伝える》というのは、メディアの避け難い特性としてよく指摘されることだ。しかし私は、このコメントに対して陸さん自身に「日本のメディアだけが悪いわけじゃなくて、どこの国のメディアだって同じじゃないの。中国のメディアにだって、やっぱり問題があるんじゃない?」と反問してみた。陸さんの答えはこうだった。「私が中国で暮らしていた頃は、メディアっていうのは"いい事"ばかり伝えるものだと思ってた」。−−−つまり、政府の宣伝になるような放送ばかり見て育ったから、メディアが悪いことを伝えるものだとは思っていなかった、と言うのだ。生まれ育った国の環境によって、メディア観や受け取り方は本当に随分違うものだ。確かに、中国よりは自由に発信することが出来ているはずの日本のメディアだが、悪い点を告発する問題点強調型の報道にばかり偏っている、と言われると、反駁しにくい。
この他にも、この『東京視点』のインタビュー集には、二胡の奏者チェン・ミンさんや、かつて満州で暮らしていたことのある日本人のお婆さんも登場している。上記に引用した各発言者の原文も含め、文字でもアップされているのでご一読いただきたい。
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さて、このメッセージ発信活動の中心人物である『東京視点』代表の可越さん自身は、今の日中関係について、どんな考えを持っているのだろうか。ここから先は、ウェブサイトからの紹介ではなく、私が直接インタビューしたものだ。
−日本、好きですか?
- 可:
- 日本?ん〜、それは好きなところも一杯あって、「ここはおかしい」ってところも一杯ありますよ。
−例えば、今回の中国でのデモを報道で見た日本人側の反応について、どういうふうに思いますか?
- 可:
- それはもう、メディアのあの報道を見た日本の若者は、やっぱり「中国は怖い」と思うのは当たり前かも知れないと思います。そもそも日本のメディアは、「デモの原因は中国の反日教育にある」とか「中国国内の貧富の差が原因だ」とか言ってますけど、まず「原因はそこではない」と私は言いたいんです。
私自身も、そんなに「反日教育」を受けたとは思わないんですよ。いろんなヨーロッパの国々が中国を侵略したことも、そのまま教科書に記載してて、そして日本のことも記載していたんです。それこそ、70年代、80年代には、日本のドラマとか日本のテレビアニメとか、私達はそれを見て育ってきたんですね。「山口百恵に会いたい」とか、「一休さんになりたい」とか、そう思ってたんですよ。ああゆう、人に親しまれる庶民の文化とかは、中国の人達の心にも浸透していたんですね。
可さんには、ことさらに「反日教育」を受けたという認識はなく、第2次世界大戦の記述についても、ヨーロッパ列強の侵攻と《並んで》日本のことも学んだ、という印象なのだ。しかし、日本で実際に暮らすようになって、一般の日本人が歴史認識に関してあまりにも鈍感であることに対しては−−−
−日本人に「なかなか伝わらない、じれったい」という"もどかしさ"はありますか?
- 可:
- ありますね、うん。日本に来て10年近くで「日本の政治の風が変わった」のを自分も感じました。政治はどんどん「教科書を変えていこう」という感じになりつつあるし、(それに異を唱える)市民の声もあまり上がってこない。そういうのを見てると、ちょっと悲しくなりますね。
−嫌になっちゃうことは無い?
- 可:
- うん、ありますね。だって、日本の人達から「中国って変だよ」って言われることもあるし、「戦争なんか知らないよ」って言う人も一杯いるし。
−友達になった日本人に「戦争を知らない」って言われてしまうと、どう言葉を返すんですか?
- 可:
- 若い人達にそう言われたら、「やっぱり、そうでしょう。だって教えられてないから」と、それは理解する。でも、その時は「私のおばあちゃんは東北(旧満州)出身でね、こういう体験もあったんですよ」ってことを話す。そうしたら、「え〜、そうなんだ」って言ってくる。
友人とのパーソナルな会話のなかで、自分のお祖母さんの体験を話すことから、可さんの《伝える》という活動が自然に始まり、『東京視点』の立ち上げへと至る。そして、このインターネット放送局を通じて、"普通"の市民の声・市民の姿を伝える意義を、こう語る。
- 可:
- 自分の国=中国と、日本という国は、何とかお互いの情報伝達をもっと深めていければいいなと、それがまず最初の思いなんですね。マスメディアの、政治経済を中心とする報道もそれはそれでいいと思うんですが、私は、そこに《もうひとつの窓》、民間の交流があればいいなと思うんです。その窓から見えるのは、日本の市民の生活、中国の市民の生活。その窓のひとつが、『東京視点』だと考えています。窓はいろんなのがあっていいと思うんですよね。
まず《相手を知ること》が大事だと思うんですね。そういう窓を覗いて、後は自分の判断に任せる。その窓を見てて「おかしい」と思えばそれでいいし、「もっと知りたい」と思えばそれでもいい。
−今後だけど、小さな窓を開けて、いろんな声が伝われば、状況が変わって日中関係は修復されますか?
- 可:
- ん〜、絶対変わると信じますね。変わります。
現在、“反日”デモは中国政府の規制強化で現象的には止まっているが、根本の問題が解決されたわけではない。いわば“対症療法”が行われているにすぎず、熱冷ましが効いて熱が下がっているうちに、本当の病気の原因をじっくり時間をかけてちゃんと"根本治療"をするには、今が絶好のチャンスなのだ。
マスコミ的には、「今頃、その問題を採り上げてるの。もう“旬”じゃないでしょ」という発想になってしまうだろう。しかし、『東京視点』など市民メディアは、そんなタイミングは気にしない。普段は、タイムリーではないことを扱っているから注目されにくい、という《弱み》にもなるが、こうした長期的に取り組むべきテーマの場合には、逆に《強み》を発揮できる。
マスコミは「皆が見ているが、一回大きくドーンとなって終わり」の《打ち上げ花火》で、市民メディアは「少人数でしゃがんでパチパチやっているが、ずっと静かに続いていく」《線香花火》。この“両方の花火”が併存する方が、メディア環境は豊かになると、私は思う。