イラク映画『Little Birds』引き続き上映中

放送日:2005/5/7

ゴールデンウィークは終わったが、前回に続いて、まだまだ上映中の超お勧め映画『リトル・バーズ』の監督である、綿井健陽(ワタイ・タケハル)さんにお話を伺う。

―前回の続きからということで、イラクの現地で活動する日本人を取材した場面を御紹介いただけますか。

綿井:
今でも活動している、サマワの自衛隊宿営地へ行ったときのものですね。この映画では、イラクの人々の姿を描こうと思っていたので、別に自衛隊の活動そのものを取り上げるつもりは無かったんですが、“日本的な”シーンを象徴的に示す映像があったので、ちょっと入れたんです。

“日本的”というのは、隊員と日本から来た報道陣とのやり取りを撮った次のシーンのことだ。

【映画より/報道陣に囲まれながら、食事のメニューを読み上げる自衛官】

自衛隊員: 「ハンバーグ、中華肉団子、筑前煮、焼き鳥、フランクフルト、鮭の塩焼き、となっております」
報道陣: 「ちょっとすみません。どれかひとつぐらい、食べていただけませんか」
自衛隊員: 「食べる? じゃあ、これいきますね。よろしいですか。じゃあ、いただきます」
(無数の、パシャパシャというカメラのシャッター音) (笑い声)
報道陣: 「奥さんの味ですか」
自衛隊員: 「う〜ん、妻の方がいいですね」
報道陣: 「もうちょっと、かがんでいただいて」
「はい、ありがとうございます」
「あ、カメラ目線で」
自衛隊員: 「あ、はい」 (笑い声)
報道陣: 「ありがとうございます」

−なんか和気あいあいとしていて、映画の緊張感が、いきなり緩むような感じですけど…。

綿井:
これは、宿営地での定例記者会見で、食事の紹介をするシーンですね。 当時は、自衛隊が派遣された直後だったので、日本のメディアも各社がすべて記者を送り込んで、100人以上はいましたね。そうすると結局、日本での取材と同じように「記者クラブ」ができるわけです。僕は、それを「サマワ記者クラブ」って呼んでたんですけどね。
尼崎の脱線事故でもそうですけど、どうしてもメディアがワーッと殺到する時の集団的なリアクションなんかは、かなり日本的だと思うんですよ。そこの部分を、ちょっと引いたところから撮ったんです。

−米兵に対してぶつけたような突っ込んだ質問(前回参照)は、自衛隊員たちに対してしなかったんですか?

綿井:
実は自衛隊員にもいろいろ接触したんですけど、米軍の兵士に対する取材よりも、自衛隊の方が難しいんです。というのは、雑談的なやり取りでいろんな話をしたとしても、カメラを向けた時には「すみませんが、広報を通して下さい」って言われるんですよ。どうしても、防衛庁とか自衛隊の上層部とかが、発言を管理・コントロールしてしまうケースが多くて、これは結構困りましたね。

これもまた、“日本的”だ。前回ご紹介した、綿井さんが米兵に突撃インタビューするシーンでの、米兵がとにかく自分の言葉で答えているのとは対照的だ。米兵は、たとえ「それについては答えたくない」というコメントであれ、はっきりと言っている。

このシニカルなシーンの直後、映画は一転して、NGOで活動する現地の日本人を登場させる。その人物は、去年12月、このコーナーに電話で出てもらったこともある、JVC(日本国際ボランティア・センター)の原文次郎さんだ。

【映画より/病院で、白血病の子供たちの写真について解説する原さん】

原: 「急性リンパ性白血病。前の日、元気に握手して挨拶した子が、翌日来てみたら、「あの子、昨日もう亡くなったよ」っていうケースもありまして…。まあ、そういうのが何度かあると、やはり、ちょっとこちらも、精神的にかなり厳しいときもありますけれども」
綿井: 「これは、白血病病棟の患者さんですよね」
原: 「なんか、あんまり見ると悲しくなっちゃうんですけどね、この子は亡くなってるんですよね。写真を撮った翌日に亡くなってますね」

−白血病病棟って、白血病だけで病棟ができるぐらい多いってことですか。

綿井:
正確には小児癌病棟なんですけど、ほとんど白血病ですね。イラクでは、1991年の湾岸戦争の時に使われた劣化ウラン弾の影響とみられる癌患者、白血病患者が、90年代後半には急増してます。今回のイラク戦争でも使われましたから、また何年後かには、その影響による患者が出てくることになるでしょうね。

この映画の特徴の一つは、そういう事をナレーションなどで一切押し付けないことだ。「劣化ウラン」の“れ”の字も出てこない。ただ、白血病の子ども達がこんなにもいる、というのを観せるだけ。先程のサマワのシーンでも、一言も自衛隊のあり方についてコメントしない。やはり、ただ観せるだけ。ここには、綿井さんのポリシーが現れている。

綿井:
今回の映画を作るときに、とりあえず主人公になる人は決まっていたんですが、それ以外に「ナレーションと音楽は一切いれない」っていうことも決めてたんです。それは何故かというと、テレビ的な“つくり”へのアンチテーゼというのもあるんですが、やっぱり、映画館のスクリーンでこの映画を観る時に、そこ、つまりイラクの町に自分がいるかのような、バグダッドのある家族のなかに自分がいるかのような気持ちで観て欲しい、と思ったからなんです。とにかく、表情とか音とか、そういうのに集中してもらうためです。
どうしても、今のテレビって、文字情報、音声情報ばっかりじゃないですか。そうすると、「戦争の現場というのは、一体どういうところなのか」っていうリアリティが、どんどん失われていくと思うんですよ。楽しい時に楽しい音楽、悲しい時に悲しい音楽、っていうのだと、イラクで本当に起きていることは伝わらないんじゃないかと思ったんです。字幕スーパーも説明的なものは、かなり省略してます。だから、本当にスクリーンに集中してもらうような“つくり”を心掛けましたね。

イラク人の対米感情の複雑さについても、「反米」一色という簡単な捉え方はしていない。本当に、ありのままを、単純化することなく描いている。例えば、引き倒されたサダム像の台座の前で「自由だ!」と踊りながら記念撮影する人達が登場する。するとやっぱり、サダム・フセインがいなくなったことを喜んでいるのか、と観る者は思う。しかし、その次のシーンでは、その台座がクローズアップされ、そこにはよく見ると「全て終わった。ゴーホーム」という、米軍に向けた落書きがある。ところが、別の場所の落書きでは、「US Army Go Back Home」の後半(Back Homeの部分)が消され、Goの後に“od”と加筆されていたりする。“米軍、グッド”というわけだ。さらには、米兵に詰め寄るイラク人の男性が、「お前らには感謝してる。でももう帰れ!」と言ったりする。

綿井:
こういう二面性みたいところは、やはりイラクのこれまでの歴史を物語っていると思います。フセイン政権を全面的に支持する人っていうのは、これはやはり少なかった。「フセイン政権は早く終わって欲しい」「戦争が終われば、自分達は解放されて、本当に自由な社会がくるんじゃないか」と期待を抱いている人は、やっぱり多かったんですよ。だけど結局、1年経ち、2年経っても、何も変わらない。むしろ以前より悪くなっている。占領軍による軍事活動が増え続け、治安もまったく良くならない。そうなったときに、怒りの矛先は、どうしたってそこにいる軍隊に向いていくんですよね。だから、イラクの人達の思いは、何も《最初から》反米だったわけじゃなくて、アメリカ音楽だってみんな聴いてたりするんです。つまり、《戦争後》に作り出された反感が多いんですよ。

−この映画を撮っていて、一番印象的だったことは何ですか。

綿井:
やっぱり、クラスター爆弾ですね。皆さん、名前だけはご存知だと思うんですけど、クラスター爆弾というのは、大きな筒の中に小さな爆弾が何百も入っているものなんです。それが空中で爆発して、小さな爆弾が炸裂する。そして、その破片が無差別に飛び散るんです。僕は、これこそ“大量破壊兵器”なんじゃないかと思います。住宅地の上空から、その爆弾をばらまくわけですから。
よく「残虐な」という表現が使われますよね。例えば、イラクの武装勢力が誘拐して人質にとって、ときには殺害したときに、「残虐な」という言い方がされます。でも、じゃあ、ボタン1個押すだけで空から爆弾を落とすのは「残虐な」行為ではないのか、って思うんですよ。 戦争の被害っていうのは、本当に個別具体的で、みんな破片で死んでいくんです。破片が内蔵に突き刺さったり、脳みそに突き刺さったり、眼に突き刺さったり。そうやって、どんどん人が殺されていく、っていうのを一番実感しましたね。

ゴールデン・ウィーク中に観そびれた方も、ご心配なく。東京・新宿の『K's Cinema』に続き、今月(5月)28日からは、東京・渋谷の『UPLINK FACTORY』で上映される。更に、来月(6月)4日からは 大阪と名古屋で、7月からは広島で公開。その後も、新潟・札幌・京都・福岡・福島の他、全国主要都市で順次公開予定だ。

綿井:
あとは自主上映会も受け付けておりますし、英語版も用意しております。

ぜひ、英語を母国語とする米英人にも観てもらいたいものだ。 また、この映画の公開と合わせて、「プロジェクト・リトルバーズ」も進行中だ。

綿井:
映画だけだと、どうしても「制作して観せたら終わり」になってしまいますよね。でも、今回の『リトル・バーズ』はイラク戦争を描いたドキュメンタリー映画ということもあって、観終わった人達、映画から影響を受けた人達の中に、自分達でも何かアクションを起こしたいと思う人が必ずいると思うんですよ。「プロジェクト・リトルバーズ」は、そういうアクションーーー写真で表現したり、活字で表現したり、あるいは音楽で表現したり、といった活動をする人達の輪が広がればいいなと思って始めました。

そのプロジェクトの一つとして、来週末(5月14・15日)には『SOMETHING WONDERFUL VILLAGE』(GARCIA MARQUEZ後援)というイベントが、モーション・ブルー・ヨコハマで開かれることになっている。

綿井:
これは、ジャズセッションみたいな感じなんですが、やはり、この映画を観てくれた方が、この映画から感じてくれたことを、音楽で表現してみたい、ということで企画されたイベントです。どうしても、反戦や平和というと“集会”や“デモ”なんかの形が多いと思うんですけど、ちょっと違った形で訴えてみようという試みですね。私自身も、映像だけじゃなくて、写真も活字もやるんですが、新しい表現方法、メッセージを創り出していければと思ってます。

映画を当面見に行けない!という人にも、いいお知らせがある。出版されたばかりの綿井さんの著書、『リトルバーズ──戦火のバグダッドから』(晶文社 定価1600円+税)も、全国の書店で発売中だ。

綿井:
本の方は、これまでに雑誌等に書いてきたイラク現地報告の記事や写真と、映画のなかには入りきらなかったことを含めて、この2年間にイラクで起きたことについての書き下ろしなどを、証言・インタビューを交えて綴ったものです。

-------------------------------------------------------------------------

映画のオープニングで出てくるイラク人男性が、綿井さんに尋ねる。「日本政府はなぜブッシュを支持するんだ? なぜ急にイラクへの心を変えたんだ?」そして「これから100年…」と、自分の頭を指差しながら、こちらを睨む。“忘れないぞ”と。小泉政権の選択を支持した日本人もしなかった日本人も、この男性のジェスチャーに《これから》どう答えていくか、考えてゆかねばならない。

▲ ページ先頭へ