地下鉄サリン事件から満10年の前日(3月19日)、事件の現場の一つとなった日比谷線のコースに沿って、その上の道を被害者48人が歩くというイベントがあった。ニュースでは短く報道されたが、歩いた人達の胸には、どんな思いが去来したのか。その参加者の感想アンケートがこの程まとまった。イベントを主催しアンケートをまとめた、NPO『リカバリー・サポート・センター』事務局の山城洋子さんにお話を伺う。
―『リカバリー・サポート・センター』については、何回かこのコーナーでも紹介していますが、あらためてどんな活動をされているのかからお願いします。
- 山城:
- サリン被害者の方は、いまだに後遺症を抱えていて、それがまだまだ続いているので、その"ケア"をやっています。メインは年に1回の秋の検診で、あとは目の症状を訴える方が多いので眼科検査も。これを、いろんな病院の先生方にボランティアでやっていただいております。
―今回のイベントを計画されたのは、どういう目的からだったんですか?
- 山城:
- 去年、秋の検診に訪れた方々から、「来年は10年になるので、亡くなられた方のために献花をしたい」とか、「ひとりでは、まだまだ現場に近付けない」という言葉が多く聞かれたんですね。それで、何かやらなければいけないと考えてみました。 実際に歩いたコースは、小伝馬町から築地までの約4キロで、その途中4、5ヶ所で献花をする、というものでした。
今回の「メモリアル・ウォーキング・ケア」の”ケア”には、追悼や風化防止といった意味の他に、リハビリの意味も込められていた。それだけに、「まだ現場を歩けない」という人が参加した場合に、当日、実際に具合が悪くなる人が出るのでは、と不安もあったという。参加呼びかけに対する返事の中で、不参加表明の理由にそうした事情を書いたものもある。
(アンケート回答より)
・私は小伝馬町の駅で被災しました。なんとか参加して乗り越えたいのですが、この地下鉄の駅のホームには、まだ立つことができません。小伝馬町駅と聞くだけで、あの時の光景がフラッシュのように見えてきて、体が震え、涙が出てきます。普通の生活では、このことはすっかり忘れているのに。地下鉄にはやっと乗れるようになりましたが、日比谷線は一人では載れません。今回は不参加です。
・あの事件以来、通勤も路線変更し、駅に近付かないようにしている状況のため、まことに勝手ながら、申し訳ございません、今回は不参加です。
・この「メモリアル・ウォーキング・ケア」を実施することに、断固反対致します。私はこの通知を拝見してすぐ、具合が悪くなりました。
それでも、あえてイベントを実施することにしたのは、逆に「実施して欲しい」という声も多かったからだ。
- 山城:
- 本当に、私達が思っていた以上に参加希望の方が多くて、こんなに反響が大きいとは思ってなかったんですね。逆に私達の方が勇気づけられて、これは実現させなければいけないな、と考えました。
今回は不参加ながらも、企画の意義を評価する声もあった。
・私はサリン事件当日、消防隊員として勤務しており、(現場に)まっさきに到着し、築地駅のホームと停車していた電車内を往復し、救助活動をしたひとりです。当時は2週間程、サリンガスによる被害を受け通院しましたが、今ではほとんどその影響なく生活し、救命救急士として努力しているところであります。今回の素晴らしい企画に参加したいところではありますが、当日勤務のため参加できないのが残念です。今後も、私達の心の支えとして、共に協力し合えれば、と思っています。
だが同時に、心配の声もあっただけに、当日は万全の安全策を講じることが必要だった。
- 山城:
- それが、もっとも考えなければいけないことでした。医療チームとして、医師、看護士、カウンセラーの方々。そして、ボランティアの方々を含めて総勢55名が、「ぜひ参加したい」ということで協力して下さいました。そういう同行者は、前からも後ろからも見て分かるようにしたい。そこで、紙テープをたすき掛けにして、色分けすることを考えたんです。医師団は白、カウンセラーはピンク。それで、被害者の方に何かあったときには、すぐ声をかけられるようにしたんです。それに、被害者の方同士も、初めて顔を合わせる方が多かったですから、このタスキは役立ちました。さらに、いざというとき、具合が悪くなったらすぐ診察を受けて休めるように、伴走バスも用意しました。そうした準備の甲斐もあって、結局、全員が最後まで歩くことができました。
もう一つの懸念材料は、マスコミの取材攻勢だった。いわば公然の場に、これだけの数の被害者が一度に姿を現すのは、事件後初めてのことだし、世界的にも初めてのタイプのテロ事件だったということで、CNNやBBCといった海外のメディアからも取材申し込みがあり、取材者が殺到する恐れがあったのだ。そこで、「私は取材に応じてもいいですよ」という方だけが、胸に緑のリボンを着け、その方々以外には「カメラもマイクも向けないで」とうことをメディアに事前に約束してもらった。この"リボン作戦"は本当にうまくいき、移動中、ほとんど混乱は生じなかった。
- 山城:
- おかげで大きなトラブルは無かったですね。本当にほっとしました。
―それで、無事に終了したわけですが、参加した皆さんからの感想アンケートはどうでしたか?
- 山城:
- なかにはアンケートをお渡しできなかった方もいるんですが、参加された48人のうち約2/3の方から回答をいただいて、ほとんどの方からは「良かった」と言っていただきした。
(アンケート回答より)
・自分の気持ちに、けじめをつけられた。
・胸につかえていたものが、いっきに吐き出されたような感じがして、すっきりしました。
・前向きに生きる気持ちが強くなりました。
山城さんが一番胸を打たれたという回答は、次の一文だった。
・小伝馬町駅での献花の際、涙が込み上げてきて、とても辛い気持ちになり、このような参加は今回限りにしようと思いましたが、最後まで行進して心も落ち着いたときに、今後もできることなら参加しよう、という心境になりました。
また、"歩く"という今回の行動スタイル自体にも、とても意味があったことが、次の回答からうかがえる。
・今回のように、"話し合う場"ではなく、できたら多くの人達と自然な形で"話ができる場"、左右前後の人と気軽に言葉を交わせるような雰囲気を作ってくださるとありがたいです。
ここで生まれた"交流"についての感想も、アンケートに記されている。
・「自分だけが苦しんでいるのではない」ということで、いくらか気分が晴れた。
この「自分だけじゃない」という感覚は、いろいろな《被害者問題》のケアにおける、重要なキーワードのひとつだ。自分ひとりで閉じこもってしまいがちな中で、「同じ思いをしている人がいるんだ」と知ることによる"救い"、というのは、本当に大きい。
(アンケート回答より)
・職場では、「お気の毒様」までの話題でしかなかった。だが、(今回は)共通の環境で話ができました。久し振りに思いの限りをお話する場を設けていただきました。
・なんとなく元気になってしまい、解散の後、銀座まで歩いてしまいました。
・初対面の他の被害者の方と、妻と私の3人で、有楽町で8時まで一杯やって、再会を約束して帰りました。
・多くの被害者の方と同じ悩みについて話し合えて、これからも、被害者の方と気持ちを通じ合わせながら生きていきたいと思っています。
このように、"出会い"が、これからの展望を開いてくれてもいる。
また、これまで「リカバリー・サポート・センター」はサポート"する"側で、被害者はいわば、サポート"される"立場だったが、そこにも変化が生じてきた。歩きながらの交流のなかから、"支え合い"が現実に生まれていたのである。
・献花のときに、当時を思い出されて動揺された女性がいらっしゃいました。その方と話す機会を持ち、私自身の経過や考えをお話させていただくことにより、その方にも明るさを取り戻していただけ、それが、私自身にとってもありがたい経験となりました。
他の人を支えることは、その人自身にとっても《支え》になるのだ。
・これからは、"被害者"から、できれば支援する側に回れればいいなと思っております。
参加者がこうした決意をするにまで至ったのは、『リカバリー・サポート・センター』の気配り、配慮が徹底しているからだ。例えば、ここで紹介したアンケートも、それぞれの回答者に山城さんが電話をかけ、放送前に了解を得ている。それだけではない。「参加できなかった人達、反対した人達の気持ちも尊重しなければ」という思いは、センターの皆が、当然のように共有して持っている。何しろ5千人もの被害者を生んだ事件だけに、いろいろな気持ちの人がいるのは当然だ。そうした、決してひとつにはなり得ない被害者の感情に対して、《どんな気持ちにも対応する、多様な受け皿がある》ことの意義は大きい。
―10年という大きな節目を終え、今後はどういった活動を予定されているんですか?
- 山城:
- もう次の活動は始まっていて、「脳機能検査」という脳の細かい働きを調べる検査がスタートしています。
様々な変調の原因を、心の問題と決めつけず、機質的な異変に由来するのではないか、という観点からチェックし直そうという取り組みだという。湾岸戦争から帰還した兵士を対象に米国で開発された詳細なチェックシートを、今回のために日本語訳し、まずは30人のサリン被害者に、被験者として協力してもらっている。
我々の世代が生きてる限り、そしてニーズがある限り、この活動は続くだろう。と思いきや…
- 山城:
- 今後も、活動を続けていきたいとは思っているんですが、財政的には苦しいものがありまして…。今年の秋の定期検診の資金も、まだ準備できていないんです。
このまま寄付金が集まらなければ、すぐにも活動が滞ってしまいかねない状況だ。募金先と方法については、同団体のホームページをご覧いただきたい。