今、東京・渋谷の『シネ・ラ・セット』で、大変ユニークな映画が上映されている。4月22日(金)まで上映が続く、その映画のタイトルは『PEEP “TV” SHOW』。「覗き見テレビショー」といった意味だが、その監督の土屋豊さん(自主制作ビデオの流通拠点「ビデオ・アクト」代表)にお話をうかがう。
- 土屋:
- 2001年9月11日にWTC(世界貿易センタービル)に飛行機がつっこむ場面を、日本でテレビのブラウン管を通して映像で見て、それを「あ、美しい、きれいだ」と感じてしまった青年が主人公です。彼はその後、盗撮魔になってしまう。そして、「ゴスロリ」(ゴシック&ロリータ)の女の子と出会う。その二人の主人公が、お互いに共感して盗撮を始める。さてその後どうなるか、みたいな映画なんですけれども。
「ゴスロリ」とは、いわゆる"フリフリ"の少女趣味の洋服を着た、渋谷・原宿界隈などでよく見かける女の子達のことである。
とにかく、かなりきわどいテーマの映画だ。あの9月11日のワールド・トレード・センターに飛行機が突入する映像は、本当に大きな悲劇だし、その後の世界史の転換点であった。しかし、その映像を生で見ている時に、ワクワクするような感覚で映画のように見入ってしまった人達も、現実にいたに違いない。もっと”まとも”な人でも、心のどこか片隅で、そういう興奮を覚えてしまったことを全面否定できない人は、少なくないかもしれない。
そのいわば道徳的には「けしからん」感情を持ってしまった部分を、逃げずに直視してテーマに取り上げたという意味において、これは大変に勇敢な映画だ。
- 土屋:
- 僕自身の気持ちがそれだったんですよ。夜10時とか11時とかにちょうど僕も仕事終えて、ビールとか飲みながらあの突入シーンをテレビで見てたんです。やっぱりなんか不思議な感じで、「すげー、きれい」と感じてしまったんですよ。
でも、そんな自分にものすごいショックを受けて、「これはどっか狂ってるぞ」とも思ったんですね。テレビの状況もパニックで「ワー」ってなってて、「新しい映像が来た、新しい映像が来た」ってどんどん煽るわけですよ。僕は、それを興奮して見てる自分っていうのが「これは狂ってる」と。じゃあ、この狂った原因は何なのかをちゃんと考えなきゃいけない、っていうことが、この映画を作った一番大きなきっかけですね。
−この映画、日本でやるより先に、もう海外のあちこちでかなり評価を受けているそうですね。
- 土屋:
- 一番最初の海外上映は去年(2004年)1月のロッテルダム国際映画祭なんですけど、あそこで国際批評家連盟賞っていう賞をいただいきました。その後も、映画祭とか海外の34ヶ所くらいで上映してます。外国人観客の反応が一番わかりやすかった例は、ニューヨークで去年の夏に上映したときのことですね。
−まさに、グラウンドゼロのニューヨークで!
- 土屋:
- まあ最初は僕もびびってて、どうしようかなあ、なんて思ってたんです。やっぱり、映画の始まりでWTCに飛行機が突入する映像がパーッとでてきて、「美しい」なんてナレーションが入ってくると、3、4人はすぐ帰っちゃったんですね。9.11の被害者と直接関係のある方もいらっしゃるだろうし、それは当然だと思うんですけど。
でも上映が終わってから、30代前半くらいの若い男の人が近づいてきて、「ニューヨークだってWTCから10ブロックも離れてれば、この映画のなかの主人公の長谷川と同じような心境で、まったくリアリティなんてなかった。ほんとに映画を見てるみたいだったけど、そんなこと、今ここでは絶対に言えない。こんな映画をよく作ってくれた。」みたいなこと言われました。かなり共感してくれてたみたいですね、まさに現場でも。
−今の「リアリティがない」という言葉、これがまさにこの映画のキーワードですよね。主人公は映画のなかで、9.11の後、盗撮をどんどんエスカレートさせていきますが、それは、「どうすれば《リアリティ》と遭遇できるのか」という、すごくまっとうな「もがき」みたいなものですね。
- 土屋:
- あの映像を「美しい」と感じてしまってリアリティを感じられなかった長谷川は、「じゃあ、俺の《リアリティ》はどこにあるんだ」って、あちこちと覗いていくんですけど、そこには何にもない。実際に見てはいるはずなんだけど、結局そこにリアルなものがあるかっていうと、なんにもつかめない。最後には女子トイレなんかも盗撮して、ゴスロリの女の子と一緒にドアをぶち壊してしまったりとかもする。そうやって探すんだけど、結局《リアリティがない》、つかめないわけですね。
さらに、主人公の長谷川は、この『PEEP “TV” SHOW』という名前のインターネットサイトを開いて、自分の盗撮したものをそこにどんどん掲載していく。それをクリックして見にくる人達にも、引き込もっている自分の部屋の中で見ている若者がいたり、ぶつぶつ愚痴をこぼす疲弊しきったサラリーマンが家に帰って見ていたり、と色々な人が登場する。その人達は、みんな各自の思いで『PEEP “TV” SHOW』のサイトを見ている。そういう「インターネットを見る人々」という形で、どんどん現代人の群像が広がっていく。
そして、だんだんサイトに載せる内容も生放送形式になって、エスカレートしていく。猫の虐待みたいなものが出てきたり、ついには長谷川が自分でビニール袋のなかに入ってわめきちらしたり。さらに、それを見ているほうも叫び出す、という、なかば狂気の世界になっていく。
- 土屋:
- 他にも、自分が殴られているところを生放送したりする。生放送っていうのは、自分が《今・ここ》にいて、「みんな見てくれ」っていう思いでやるわけで、まあだから、それは「もがき」ですよね。今ここに自分がいるっていうことを確認したいんだけど、それができないから内容をどんどんエスカレートさせていく。だけど駄目なんですよね、なかなか。で、最後は叫んじゃうんですけど。
−それ以外にも、いろんな人の生身の声がでてくる感じですよね。「これ、台本じゃなくてこの人がほんとに言ってるんじゃないの?」って感じがしてしまうんですが。
- 土屋:
- そうなんです。そこがまたこの映画の面白いところでですね。引きこもりの子が出てきたりとか、過労のサラリーマンが出てきたりとか、いろんな人が出てくるんですけど、彼等は基本的に、もともとそういう経験を持つ人達なんです。例えば、ひきこもりの子だったら、今はもう外に出てるんだけど、ちょっと前まではひきこもっていた。「当時の気持ちはどうだったの」っていう話をまず聞いて、メールでやりとりして、それで、「じゃあ、こういう台詞でいこうね」って決めるんですけど、プロの役者なわけじゃないから、いざ現場に行ったらどんどん言葉が変わってきますよね。その"ライブ感"みたいなものを撮っていったっていう感じなんですけどね。
だからこそ、映画の《リアリティ》は増し、見ていると「これって演技じゃないよなあ」と不思議な感覚になる。例えばこんなシーンがある。コンビニの店員として働く男の子が、いつも反戦運動や平和運動のビラを持っていて、同居している彼女に「お前どうなの」と議論をふっかける。しかし、彼女の方はそんなことには全く関心が無くて、「そんなことより、私が貸した金返してよ」と切り返す。ものすごくリアリティのある部分だ。
−借金ひとつ返せないで、なに立派なこと言ってんのよ、っていう話ですよね。
- 土屋:
- その彼女の台詞に、この映画は救われてるって言う人が多くてですね、「あそこでやっと現実に帰ってくれた」って言うんですよ。
そして、一番ラストの台詞。映画の中で、この『PEEP “TV” SHOW』のサイトを有料にしたおかげで、結構儲けた主人公とゴスロリ少女の二人が、「この金、どうしよう」という話になって、彼女が「グラウンド・ゼロに行ってみたい」と言い出す。観客たる私が見ていると、「ああ、それでリアリティを確かめるみたいな、すごく健全な終わり方をするのかな」と一瞬思う。ところがそこで、主人公の長谷川が「いや、ここが僕らのグラウンド・ゼロだよ」と、ぼそっと言う。
−これは深い言葉だなって。この台詞は結構前から決めてあったんですか?
- 土屋:
- いや〜、決めてあったけどすごい悩みましたね、これでいいのかって。「ここがグラウンド・ゼロで、ここが闘いの現場だ」ってことが、僕の言いたかったことなんですけど、映画の終わりに結局そうすることで、観客がまた突き戻されて絶望感を受けてしまわないかな〜と思って、心配は心配だったんです。まあ、でも僕はやっぱり、「現場はここだっていうのを自覚しろ」って言いたかったんで、悩みながらも自分が最初に決めた台詞にしましたけどね。
その最後の台詞を聞いた瞬間に、双六の「あがり」のマスに「振り出しにもどる」と書いてある感じがした。だが、双六を全部見てきた後で振り出しに戻っているから、まったくのスタート前に帰るわけではない。
−映画の中でまさに盗撮をエスカレートさせていく舞台、渋谷での上映もちょうど2週間経ちましたが、日本のお客さんのここまでの反応はどうですか?
- 土屋:
- 10代のなかでも15歳、16歳ぐらいの人が見に来てくれてて、それが一番嬉しいですね。さっきも言ったように、僕は「絶望」を感じさせるんじゃないかと心配したんですけど、彼等はすごい共感してくれてて、「光をみた」とか「希望を与えてもらった」とか言うわけですよ。それがなんかすごい嬉しいですね。
−みんな「あ、この映画が描いている世界は、自分がいる世界だ」ってふうに思ってるんでしょうね、きっと。
- 土屋:
- それはあるでしょうね。だから、まず共感し合えるっていうことに、みんな安心感がある。多分それぞれの人が病んでる感じを自分のなかに抱えている。だけど、それは自分ひとりだけじゃない、っていうのが映画を観たらわかる。みんな自分以上におかしい人ばっかりだから。だけど彼等は、なんかもがいてる。別にそこに答えはないかもしれないけど、一生懸命もがいている人が、今目の前にこんなにいっぱいいるっていうのを見ると、そこにすごい共感を覚えながら、「私もここで頑張っていこう」みたいな希望を持ってくれたのかな、っていう気がしますね。
このコーナーで映画を紹介するときはいつも、「みなさん、観に行って下さい」とお願いするが、今回は条件付きだ。9.11のあのワールドトレードセンターに飛行機が突入した映像を見て「ちょっと興奮を覚えてしまった」ことに対して、「絶対にそんなことは認めない」タイプの人は、映画館に見に行っても2、3分で耐えられなくなってしまうだろう。「ドキッ!確かに自分もそういう面があった。これは何だろう」と思う人だけが、観に行ってほしい。
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映画つながりで、最後にもうひとつお知らせがある。去年このコーナーでも紹介した、「東京平和映画祭」の第2回が、今度の土曜日(4月16日)に開かれる。つい最近このコーナーで紹介した、海南友子監督の『にがい涙の大地から』も上映される。
今回の『PEEP “TV” SHOW』と同じく、飛行機が摩天楼に突入していくあの映像を起点として描いている『9.11 ボーイングを探せ』という映画も、この映画祭で上映される。どちらの映画も同じシーンを出発点とし、いわばメディアの虚構性、映像の嘘っぽさを問題意識として持っているという共通項がある。しかし、『PEEP “TV” SHOW』は自らに向かって内省を求めていく展開をするのに対して、『9.11 ボーイングを探せ』は「だから立ち上がれ、行動しよう」という方に向かい、極めて対照的な作品になっている。できるならば、両方を見られるウィングの広さを持ちたいものだ。
「東京平和映画祭」で上映されるのは、昨年と同じく全部で6本立て。一日鑑賞券が2500円で、半券を持っていれば出入り自由。6本全部見れば、1本あたり400円ちょっとという大変お得な映画祭だ。場所は、東京代々木の国立オリンピック記念青少年総合センター。ただ、今回は当日券がないので、鑑賞希望の方は、15日までにチケットぴあで前売り券のご購入を。
−最後にお聞きしたいんですが、「そんな平和運動なんかより、まず金返してよ」っていう台詞を設定した土屋監督としては、こういう平和映画祭みたいなものは 'ノー・サンキュー' ですか?
- 土屋:
- いや、人間ってやっぱり両方じゃないですか。「よし、じゃあこれで闘っていくぞ」っていうのと、内省を繰り返しながらっていうのと、その両方があって一個の人間になると思うので。だから片方だけっていうのが、ちょっとなんか白々しい感じは「なきにしもあらず」というところです。その両方のなかで、自分でその都度結論を出していきたいっていう感じですね。