顔にアザや傷がある方たちの自助グループであるNPO法人『ユニークフェイス』が、自主映画制作のプロジェクトに着手した。
『ユニークフェイス』に限らず、NPOや市民グループは、報道機関から取材を受けた際、「自分たちの主張を正しく伝えていない」と、その報道内容に満足できないことも少なくない。ならば、「自分が伝えたいことは自分で表現しよう」というわけだ。映画制作に至った経緯について、同NPO代表の石井政之さんに伺う。
−今までと随分違った活動になりますね。
- 石井:
- 『ユニークフェイス』を作ってから、今年で7年目になるのですが、いろんな方のテレビ取材を受けてきて、自分でもできそうだなという感じがなんとなく芽生えてきたんですね。
−《外側へのアピール》というのは、《内側の支え合い》と並ぶ『ユニークフェイス』の活動目的の二本柱のひとつでもありますよね。
- 石井:
- この会の活動の中で、これまでいろんな会員の本音を聞いてきたんですけども、そこにはプライバシーの問題があって、うかつに外部の報道機関の人にはお見せできなかったんです。これを内部の手でビデオにして、一般向けにどこまで公開できるのかということで、チャレンジしたいと思っています。僕たちとしては、『ユニークフェイス』の会員の生の声と微妙な表情の動き、本音を語り出すまでのゆっくりとした時間の流れも含めて表現したいな、という気持ちがあります。そういう欲求が、テレビの取材を受ければ受けるほど、どんどん湧き上がってきた。いろんなニュース番組に出ましたが、ダイジェスト版に見えるんですね。予告編で終わっているという感じがして、本編はいつ始まるんだっていう。じゃあ、本編を自分で作ろうじゃないかって。
−《時間の長さ》の違いはわかりましたが、マスメディアが撮るのと、当事者が自分で撮るのと、中身=《伝えたい事柄》にはどういう違いがあるのですか?
- 石井:
- これまで『ユニークフェイス』としては、自分の気持ちを体験談のようなものとして、活字で表現して欲しいと会員に働きかけてきましたが、今度はペンの代わりにビデオカメラで表現してもらおうと。これまで僕たちはある意味“受身”だったんですね。取材を受けて、紹介していただくということで終わっていたんですけど、これからは“守り”から“攻め”ていくという感じに代わっていきますね。
こうした動きは、新しい潮流だ。つい最近までは、市民の側は取材《される》だけだった。次の段階として、取材に来る人たちと共同制作という形で《一緒に》表現しようという取組みが出てきた。さらにここへ来て、もう一歩進んで、《自分たちだけ》で作ろうという動きがあちこちで芽生え出している。『ユニークフェイス』の今回の映画化プロジェクトは、そんな時代の流れを象徴する出来事だ。これら市民メディアの自主発信から学ぶことは、多い。外様の取材者は、あくまで取材者自身が持っている枠組みの中でしか情報をピックアップできないが、それぞれの市民団体は当事者自身の言葉で表現するため、まったく違ったリアリティが出てくるからだ。
−具体的に、「何が大事」で「何」を伝えたいのですか?
- 石井:
- 当事者ご本人の気持ちはもちろんですけど、その方たちの家族、職場の様子とか、どのような父親、母親に育てられたのか、兄弟がいるのか、子供がいるのか。今どんな仕事をしているのか、どんな理解者がいるのか。そういう情報は、ニュース番組だと当事者の代弁インタビューで終わっちゃうんですけど、僕たちはもっと周りのところまで拡げて、じっくりと撮りたいなと。
−いくら撮影側が当事者とはいえ、相当ディープな、デリケートな部分までほじくっていく作業になると、大変なお仕事になると思います。先日、有志の人たちのミーティングに私も顔を出しましたが、その辺の議論ってかなりありましたよね。
- 石井:
- 必ず出てくる議論が、「顔にアザや傷がある人間たる私たちは、マスコミのように他人を傷つけるような取材はしたくないんだ」ということです。僕は、それはいいことだと思うんですけど、でも私たちが撮ろうとしているのはドキュメンタリー映画なんですね。で、「どんなドキュメンタリー映画を見て感動したの」とメンバーに聞くと、やっぱり画面の中で人間が怒ったり、泣いたりしているところを見て感動してるわけですよ。でも、ちょっと考えて欲しいと僕は言うのですが、「人が怒ったり泣いたりする場面を撮影しているわけですよ。ひょっとしたら、その行為って、その人の気持ちを傷つけているかもしれないじゃないですか」って。
−まさにそういう感情が吹き出ている時にカメラのレンズを向けるっていうのは、それ自体失礼なことですもんね。でもそこが一番《伝わる》と。「傷つけたくない」という“きれいごと”だけでは済まない撮影のジレンマを、どう乗り越えて行くのでしょうか?
- 石井:
- カメラを回されてもいいと思える《人間関係》を、被写体となる人との間で作らなければいけないと思うんです。この人とならば本音で話ができると。それからカメラが回るっていう手順を、じっくり踏んでいけるかどうかだと思いますね。
−その信頼関係を作る中で、撮っている側も当事者である、というのは一つの大きなポイントにはなると思います。しかし一方で、この前も制作チームの間の議論で出ていましたが、『ユニークフェイス』のスタッフの中にも非当事者=“平凡フェイス”の人たちもいますよね。その人たちは、どういう関わり方をするのでしょうか?
- 石井:
- その人たちにも取材チームに入っていただきます。このプロジェクト自体、始めから『ユニークフェイス』の会員以外の力を借りて進めるつもりで動いていますので、映像のプロの方もいますし、事務方の人たちにも入っていただきます。その人たちとのコミュニケーション自体をも映像化していきたい。
ただ、「撮影現場には必ず当事者がいる」という仕組みは作りたいですね。当事者の人が「このショットを撮っていいのかどうか」、「このコメントを使えるかどうか」ということも含めて、意思決定の現場に入る。その取り組みは、マスメディアがやってこなかった事なんですね。構造的にできなかった部分があると思います。
−それにしても、皆さんは全くの素人ですよね。志は良いとして、技術の方はどうするんでしょうか?
- 石井:
- それはOur Planet-TVという市民メディア団体が開いているワークショップに参加して、トレーニングを積んで、そこで培った技術で撮影現場に行くつもりです。
去年の5月にこのコーナーで紹介したOur Planet-TVは、自分で映像発信してみたいという一般市民向けのワークショップも定期的に行っており、10回コースで5万5,000円の受講料だ。それくらいのお金を払ってでも自分で発信する技術を持ちたい、という人たちが着実に増えている。(今月から、各ワークショップの全10回の講義のうち第1講は私がゲスト講師をすることになった。)
さらに、Our Planet-TVは昨日(4月1日)から「アワプラ企画賞」という新しいプロジェクトを始めた。これは、「自分で作ってみたい企画」を市民から公募し、審査を通過した場合、制作費を最高50万円まで助成し、副賞でビデオカメラも贈呈するというものだ。これから半年に1回、このような企画コンペをやっていく計画で、初回は5月31日(必着)までが応募期間ということになっている。こうした動きは、ますます大きなうねりとなって、その重要性を増していくだろう。
−そういうワークショップできちんと勉強して、カメラワークも覚えて、それでもなお大変なことはいろいろあるでしょうね。
- 石井:
- 早速事件が起きています。先日、私のように顔の半分に赤いアザがある男性が、この映画の制作に「被写体として協力したい。カメラを回して自分の生活を撮ってもいいです」と宣言されたんですね。「じゃあ、3月20日に、皆で撮影を始めるので来てください」と頼み、彼は「必ず行きます」と言ったんですが、その現場に彼は結局来なかったんです。
後になって電子メールが届いていまして、「どうやら僕には向いてないかもしれない」「荷が重い。すいません」ということで、謝りのメールが来ていたんですね。つまり、本当は協力したいんだけども、気持ちがついていけないということで、現場に現れなかった。
なぜこうした事が起きたのかを皆で話し合いました。彼は40歳で、10年くらい引きこもっていたんです。彼の気持ちを尊重して、「撮影しない」ということにするのか。それとも、もっとじっくり話をして食事したり、遊びに行ったりして、それから撮影していいかどうかを聞いてみるというのもありなんじゃないか。どっちにしようかということで、結局、後者を選んで、ゼロからスタートするということにしました。
この取材交渉自体が、いわば、ひとつのテーマとしてこの映画の中で作品化されていくことになるのだろう。「どうしてためらうのか」という個人の思いを掘れば掘るほど、その人をためらわせている《社会》の側の実相をあぶり出せることになる。制作過程で『ユニークフェイス』が苦しめば苦しむほど、素晴らしい映画になっていくに違いない。
−完成目標はいつですか?
- 石井:
- 今年の12月までにある程度の形にして、お見せできるようにしたいと思います。
−制作費用は?
- 石井:
- ファイザーという製薬会社の助成金で100万円をいただきまして、その100万円で1人でも2人でも映像化しようと。
『ユニークフェイス』自身による表現ということになれば、これまでマスメディアが僕たちを紹介してくれた映像表現よりも《濃い》ものが求められると思うんです。別にカッコ良くなくてもいいので、濃くなきゃいけないんだと。じゃ、《濃い情報》って何なんだ?ってことですよね。
―――とてつもなくハイリスク・ハイリターンな、挑み甲斐のあるチャレンジが始まった。