局舎は4畳半、でも名前は「OurPlanet-TV」

放送日:2004/5/15

先月(4月)『ピースボートTV』という新しい市民メディアが誕生した事は、このコーナーでも何度かお伝えしているが、実はもう一つ先月は、市民メディア系のTV局『OurPlanet-TV』でも新しい試みが始まった。今回はそのお話を、代表の小林りかさんと、メンバーの近藤剛さんに伺う。

小林:
『OurPlanet-TV』は、2年半余り前に、「インターネットを使って、市民が誰でもアクセスできるテレビ局が作れないか」という事で、開局しました。タブーも何もなく、色々なテーマを分け隔てなく取り扱っています。例えば、食品の安全の問題ですとか、教育、地球環境、平和の問題。時にはパレスチナで取材を続けているジャーナリストの方にお話を伺ったり、あるいは究極のスローライフを実践している方を紹介したり、多種多様です。番組の長さも形式も自由で、今のところは本当に簡易的に機材を組み立てて、小さなスタジオを作って、色々やっているところです。

私もこのTV局のオフィスを訪ねた事があるが、他の団体とのシェアで、占有面積は4畳半程度しかない。実に身軽に、全世界への発信を実現している。(下記写真参照)

約4畳半のオフィス 編集作業も、大掛かりな機材ではなく、パソコンで
約4畳半のオフィス 編集作業も、大掛かりな機材ではなく、パソコンで

−インターネットだと、放送時間の長さの制約がないという利点もありますよね。

小林:
そうなんですよね。プロの世界では、仮に1時間の番組枠だったら、そこから1秒たりともオーバーしてはいけないですよね。でもインターネットだったら、5分のつもりが5分30秒になっても、6分になっても別にいいよっていうところが、逆に面白いかなと。

−今回始めた新しい取り組みというのは?

小林:
先月から、「Planet-EYES」という新番組を立ち上げたんです。週に1本ずつ、新しいリポートをアップして行こうというプランです。これは、『OurPlanet』にボランティアで参加している人たちの発表の場としての意味も大きいんです。参加している方の中には、セミプロやプロとして放送や映像制作に関わる仕事をしている人もいらっしゃるんですが、ほとんどは学生さんや社会人ボランティアで、これまで番組作りの経験が全く無い人たちです。それでも伝えたい何かがあって、情熱があって、視点が定まってさえいれば、番組という形にできるんだよと。私もそうなんですが、番組制作の経験がある者がいくらかいますので、現役のセミプロ・プロの方たちにも協力していただいて、未経験者をサポートして、形にして、発表していこうとしています。

−今までは、思い立った時に制作していたけれど、今後は毎週1回、定期的に発信する事にしようと?

小林:
はい。今までは、持込の映像とかも含めて、なんでも出していくという形だったんですが、やっぱりそれだとメンバーの中に決まった流れがなかなか出来てこないので。「やらなきゃ」っていう締め切りみたいなものを設けることによって、皆の中に「がんばろう」っていう気力をかきたてようと。

更新が定期的になると、サイトを訪れる側としてもありがたい。この新コーナーを早速サイトで拝見したところ、他の多くの動画サイトと同じく、動画と音声が見られる形式になっている。先月24日スタートの第1回「ぼくらの学校なくなるの?」という作品は、東京都から裁判で立ち退きを求められている朝鮮人小学校の話を、約15分で描いている。この作品の制作者の1人が、近藤さんだ。

近藤:
東京・江東区の枝川という地域に朝鮮学校があって、学校が東京都から裁判を起こされていると、今年(2004年)の1月にたまたま知ったんです。学校が裁判に関わるというのは稀なケースだなという事と、枝川が歴史的に朝鮮人の方が移住させられた土地だという事から、「在日朝鮮人の方がどんな生活をしてるんだろう」「朝鮮学校っていうのがどんな場所なのか知りたい」と思いまして、制作に入りました。
ぼくらの学校なくなるの?

−近藤さんにとっては、これは何本目の作品になるんですか?

近藤:
実際に企画から放送までを一通りやったのは初めてです。

−結構、取材には時間がかかったんじゃないですか?

近藤:
そうですね。2月の上旬から約2ヶ月間、ほぼ毎日のように、この朝鮮学校に通い詰めました。子供たちにカメラに慣れてもらって、学校の先生達ともコミュニケーションをとれるようになるには、足を運ぶのが大事だろうと。

色々な番組を出し続けなくてはいけないプロだったら、なかなかそこまでは丁寧にできないだろう。作品中、まったくカメラを意識しないで遊ぶ子供たちの表情が光るのは、その努力の賜物だ。

−そもそも、近藤さんが『OurPlanet-TV』に入ろうと思ったきっかけは?

近藤:
以前は、テレビ局の技術会社で音声や照明をやっていたんですけれども、自分で企画を出して取材をしたいという気持ちが強くなりまして。それをやるためには、インターネット放送がちらちら出始めていたので、そこに可能性があるんじゃないかと思いました。

実は、代表の小林さんからして、元NHKという経歴の持ち主。HPのスタッフ紹介を見ると、『国際局アナウンサーを経て、教育番組のディレクター・プロデューサーを歴任。主な作品は、NHKスペシャル「あなたを支えたい〜イギリス・ボランティアの試み」など』とある。TBSを辞めて市民メディア・アドバイザーなどと自称している私としては、非常に近いものを感じる。

−なぜNHKから転身されたんですか?

小林:
NHKで国際放送をやった時に、メディアが地球の中で自由に国境を越えていくという経験をしたんですよ。私がNHKに入局した頃は、一般的にはまだ、日本国内では日本の情報だけ、アメリカ国内ならアメリカの情報だけっていうように、すごくドメスティックでした。ソ連が大国で、ベルリンの壁が厳然としてあってっていう、見えない物がすごくたくさんある時代だったし、まだインターネットもありませんでしたから、今みたいに情報が世界中を駆け巡るっていう事がなかったんですね。でもその中で私は、情報が世界を駆け巡るパワフルさと言うか、情報ってやっぱり大事だなと感じて。情報の流通が元になってベルリンの壁が崩れたり、事例が色々ありますよね。
そういう力を感じていた時にインターネットが出始めて(まだその頃は緑色の画面に文字がチカチカ走っているような状態だったんですが)、「ひょっとしてこれは、音声が運べるようになるんじゃないか」「その先には、映像が出るようになるんじゃないか」という予感をしながら過ごしていたんです。そうしたら、本当にインターネットがそのように成熟してきて、頭の中で「これが出来たらこういう事が出来るんじゃないか」ってイメージトレーニングしていた事が、パンパンになってきちゃって。
大手のメディアでやれる事も、それはそれで本当に素晴らしい事だと思うし、自分もその中で精一杯やっていたんですけれど、全く新しいメディアに挑戦してみたいという気持ちを抑えきれなくなってしまったんですよ。

そしてついに、2001年7月に退職。ちょうど同じ頃、東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)を同じような思いで退社した白石草さんと合流し、インターネットTV局を立ち上げようとしていた矢先に―――

小林:
9・11、ニューヨークのテロですね。先日のイラクの邦人拘束事件もそうでしたけれども、ああいう大きな事件が起こると、インターネットという場で、情報が凄く駆け巡るんです。国際的な有事の時には、国内の情報だけでは足りなくて、個人個人が情報にアクセスして、色んな情報が錯綜するわけです。そういうダイナミックな環境、インターネットという土俵の中で、何か出来ないかという気持ちが強くなって。それまで白石ともずっとディスカッションをしていたんですが、「この機会を捉えよう」と。9・11のちょうど1ヶ月後の2001年10月に、大慌てでサイトを立ち上げて、無謀にも、1時間の生放送というのを、インターネット上でやったんです。本当に笑ってしまうくらいのドタバタでした。

《伝え方》の構想があったところへ、極めて伝えたい《中身》が突然発生してしまったわけだ。テロ発生から10日余り後に、白石さんから受取った熱いメールが私の手元に残っていたので、ご紹介する。『民衆のメディア連絡会』という、市民メディア系の活動に興味を持つ人達のメーリングリストへの投稿だ。この時期、その会が組織変えして初めての会合で私が講演をしたのだが、その席に白石さんも来ていて、この感想メールが送られてきた。

(白石さんのメールより)-------------------------------------------------------

初の書き込みとなります。白石です。多くの方、始めまして。
先日、第一回の会合は大変有意義且つ勇気づけられる内容でした。
参加された皆さん、そして下村さんありがとうございます。

私は、2次会の席上で、インターネット放送局を立ち上げるプロジェクトについて少しお話しましたが、状況が状況なので、あまり難しく考えず「緊急・反戦動画サイト」を
立ち上げることにしました。(本当は4月ころの開局を考えていたのですが)
皆さんとお話しするうちになにか、今しなければならないような気がしたので・・・。

資金的にも、時間的にも、完全持ち出しなのであまり期待しないでいただきたいのですが、是非、皆様にもご協力いただければと思います。

デジタルビデオをお持ちの方がいればお願いです。
それぞれの地域の「反報復アクション」などなどを是非撮影して頂けないでしょうか?
まずは、全国の反戦の動きをアップして行ければと思っています。
あまり、TVなどでも放送されないので仕事などで、アクションに参加できなかった人が
見られるだけでも、まずは良いかな・・・と。
集会やデモに参加されている方の真剣で、やさしい表情、声を見聞きすれば、きっと
元気がでると思います。では。

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−とにかく始めるぞ、という雰囲気が伝わって来るメールですが、当初は「反戦動画サイト」としてのスタートだったんですね。

小林:
多分、この時の白石は、「戦争反対」という個人の強い思いと、「オルタナティブ・メディアをインターネット上で立ち上げたい」という考えが混同していて、整理されていなかったと思うんです。それで一時期、デモとかの反戦運動がバーッと動画サイトに出て、「反戦サイトなの?」っていう指摘も受けました。でも、やっぱりメディアというのは中立の立場として、どこかでバランスを取っていかなきゃいけないというのを考えていて。先日のイラクの邦人拘束事件でも、そういう話題が出たんですね。ああいう事件が起こると、《個人個人の強い思い》と《メディアとしては何をしなきゃいけないか》というバランスを取るのが結構難しくなるんです。そこで、例えば「人質を解放してほしい」って思って何か運動に協力するなら個人でやりましょうと。メディアとしては、もっとバランスのとれた情報の提供の仕方をしていこうという事で、メンバーの中でも話し合って、いろいろ確認し合いました。

「公正中立なんて幻想だ。当事者の立場でガンガン発信していけばよい」という私の市民メディア観からすると、この小林さん達の“バランス指向”は新鮮だ。どんな形に落ち着いていくのか、興味津々である。

−立ち上げてから2年半、何か難航しているところは?

小林:
難航している部分ももちろんありますが、集まってくれた人のパワーやポテンシャルが当初思っていたより凄いなあというのが、私の正直な実感ですね。近藤さんの番組を見てもそうですよね。2ヶ月も現場に通うパワー。そこで人間関係を築き上げて、心を開いてもらって、あそこまでインタビューに本音の言葉を出してもらう。サイトを見てもらえばわかると思うんですが、本当に丁寧に作りこんであるんです。ここで築き上げた関係は、必ず次にもつながっていくと思います。「ここまで丁寧な仕事は、プロにもなかなか出来ないな」と思うようなパワーを、メンバー1人1人が持っているんですね。プロとは違うかも知れないけれど、そういうパワーがあるっていうのが実は本当に貴重で、そこを大事にしていきたいと思っています。

−NHK時代の「これは行ける!」という予感は見事に当たったわけですね。

小林:
そうですね。近藤さんの番組も、アップした直後に「もっとたくさんの人に見てもらって、この事態を知ってもらいたいので、この作品を英語とハングルに翻訳したい」というメールをいただいたんです。そういうお問い合わせをいただくのは本当にありがたくて、「是非そうしてください」とこちらからもお返事しました。そうやって、英語になれば英語圏の国の人達が見てくれる、ハングルになれば朝鮮半島の人が見てくれるという、拡がりがどんどん出てくるのも、インターネットというメディアならではの面白さだと思います。

−順調に行けば今日(5月15日)が第3回目のアップとなるわけですが、これ以外の長期的なプランみたいなものは?

小林:
地球の裏側にいる人達も、なんらかの形で参加できるような仕組みを考えたいと思っています。なんたって、名前が『OurPlanet』(私たちの星)ですから。そこで人が出会ったり情報交換が行われたりして、何かを変えるきっかけになっていけたら、新しいメディアとして、これまでになかった形を追求していけるんじゃないかと、大いに野望を抱いております。

引き続き、今後の活動に期待したい。

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