イラク邦人殺害事件で緊急シンポジウム

放送日:2004/11/06

今週日曜日(10月31日)、イラクで人質に取られていた香田証生さんが遺体で発見された。香田さんがイラク入り直前に滞在していたのは、ヨルダンの首都アンマン。前々回、そのアンマンから電話リポートしてくれたばかりの高遠菜穂子さんから、このコーナー宛てにメッセージが届いた。

『眼のツケドコロ』のリスナーのみなさまへ  ( )内は下村注

イタリアNGOの人質事件、毎日毎日続くイラクの空爆被害、そして頻発し続ける誘拐事件。そして、香田さんの悲報となりました。めまぐるしく、そして息苦しい1ヶ月でした。(日本へ戻る途中の)ローマで香田さんの事件を知り、映像を見た時には、思わず首にマフラーを巻き、震えました。首筋に感じる圧迫感。映っているのは自分のような気がいたしました。

私は最近までアンマンに滞在していましたが、残念ながら香田さんとはお会いしたことがありません。ただ実は、アンマンで、他にもイラクに入ろうとしている日本人を含む外国人たちがおりました。この時期に入ろうと考える人は、確かにただの「観光 」という軽い気持ちではないことはわかりました。ジャーナリスト志望の方もいました。ただ、イラクの情勢を把握していないということも本当でした。それは、情報がないのだから当たり前なのかもしれません。

ただ、私やイラクの友人たちは必死に「イラクに入らないように」と説得をしました。私は「今、入ることはイラク人に迷惑をかけることになる。イラク人を思うなら今は入国しないでほしい」と言いました。イラクの友人は「仮にイラクに入ってインタビューをしても、イラクの混迷は理解できないと思う。今は来ないでほしい」と言いました。私たちの説得で、その人はイラク入国を断念しました。香田さんにも会っていたなら…と思いました。

香田さんという人物に関してや彼の行動についてのコメントを、メディア関係者から求められました。しかし、私は答えられませんでした。なぜなら、私は彼に会ったことがなく、彼がどういう意思を持ってイラクに入ったかも知らないのです。また、(今年4月の人質事件報道で)私が拘束されている間に、長年会っていない友人や、数回しか会ったことのない人が私を語り、それを元に、会ったこともない人が私に対するコメントをしていた、と後で知りました。そして、(拘束を解かれて)帰国してみると、私の全く知らない「高遠菜穂子」像が出来上がっていました。ひどく痛い思いをしました。自分がされた嫌なことは他人にはしたくない、そう思っていました。

私にできることは、この命を救う可能性にかけた行動を取ることだけでした。イラク人も、誘拐の恐怖に毎日怯えています。私の知人(以前借りていたアパートの大家)の息子もまだ誘拐されたままです。そんな中、彼らは「香田さんのためにできる限りの手伝いをするから」と言ってくれました。

香田さんが「イラクで何が起きているのか、この目で確かめたい」と言っていた、ということを耳にしました。香田さんは、長い旅の果てに、何かに気づいたのかもしれません。ならば、今私にできることは、香田さんの見たかった「本当のイラク」をみなさんにお伝えすることだ、と思っています。

この問題は、まさに「命とは何か?」という問いかけだったように思います。「命に国境はない。命に善悪はない」そう私は思います。彼の知識不足は、彼だけの責任ではないはずです。彼の事件を通して、初めてイスラムの習慣や、ホテルが宿泊拒否をしていることなどを知った人も多いのではないでしょうか?

今、私は、どのようにイラクの真実を広く伝えていけるのかを模索しています。イラクの人が毎日毎日殺され続ける事実を、どのように伝えていけるのか。なぜ、外国人が軍撤退の人質に取られるのか。私たちは《加害者側》に立っていることに気づかなくてはならないと思います。非戦闘地域は、日本です。

イラクは今、日本に問うています。「あなたたちは、本当に、平和を愛する人たちなのですか?」と…。

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この香田さんの事件を受けて、今週火曜(11月2日)、東京では「イラク人質殺害事件〜香田さんの死をどう受け止めるのか」と題する緊急シンポジウムが開かれた。火曜日と言えば、遺体発見の知らせが届いた翌々日。 急すぎて参加できなかった方の為に、録音で御報告したい。

このシンポジウムで、まず口火を切ったのは、映画監督の森達也さん。11月1日の小泉首相の、この発言を採り上げた。

記者:
(今回の香田さん人質問題に関連して、自衛隊を撤退させないなどの)首相ご自身の判断は「正しかった」と思いますか?
小泉首相: ええ、正しかったと思います。逆にね、『自衛隊を撤退します』とか、『撤退を考えています』と言ったら、どういう結果になったか…。そういう点も、批判する人は考えていただきたいですね。

この首相の言葉をそのまま受けて、森さんは、「“自衛隊撤退”と言っていたらどうなっていたか、だったら皆で考えようじゃないか」と呼びかけた。

森:
想像しましょう。その《先》があるはずだ。それで話しが終わっていて、“ワンフレーズ・ポリティクス”なんでしょうけれど。でも、想像すれば、「違う結果になったんじゃないの?」って、それは誰もが思うこと。なのに、そこで話を終わらせてしまって、追求も出来ないというのは、ある意味、どこかで“意識の麻痺”が始まってんじゃないかな。

香田さんが拘束されてからまだ数日も経っていないということもあるんでしょうけど、僕自身も、ちょっと自分の心情をもてあましていた、というか、自分自身がこの事件とどう向き合えば良いのかを上手くつかめないという意識があって…。多分、大方の日本人も、今回は同じような意識を持っていたんじゃないかな。このままズルズル行っちゃうことに、違和感があって、その辺を整理したほうがいいんじゃないかっていう部分があるんですけど。

確かに、今回の事件は、4月に起きた人質事件と違い、議論はそれほど深まらなかった。時期が、新潟中越地震やアメリカ大統領選挙などの大きなニュースの狭間に入ってしまったことや、森さんの言うとおり、世論が今回の事件をどう受け止めてよいか分からなかったのもその理由だろう。

では、なぜ、「受け止められなかった」のか。前回の人質事件と今回を比べると、以下の二つの点で大きな違いがあった。
 (1)人質になった人が、NGOでもジャーナリストでもなかったこと。
 (2)犯行グループが、「イラクの民衆の感情の表れだ」と言いにくい特殊な集団であること。

まず(1)について。「民間人は勝手に動くな」という主張に対し、たびたびイラク現地を取材しているビデオジャーナリストの綿井健陽さんは、シンポジウムでこう発言した。

綿井:
ああいうところ(イラク)にいくヤツは、“遊泳禁止の海で泳いているようなもんだ”とか、“台風の中でサーフィンするヤツだ”とか、“冬山に行くのに、無装備で行くヤツだ”とかいう言い方をするんですけど、イラクは、《人が暮らしている場所》ですんで。遊泳禁止地域や冬山は、《人が暮らす場所ではない》ですから。戦争が起きていても、イラクは《人が暮らしている場所》で、日本大使館もありますし、大使館員もいるし、日本の報道陣もいます。確かに、外務省は退避勧告を出してはいますが、一方で「非戦闘地域」だと言っていて―――。

次に、(2)の問題について。イスラム研究専門の早稲田大客員助教授、保坂修司さんは、今回の犯行グループを統括していると見られるザルカウイという人物について、こう解説した。

保坂:
ザルカウイはヨルダン人で、イラクにそれほど思い入れがあるわけではない。アルカイダだったという報道もあるが、果たしてアフガンにいるアルカイダの本体と本当の意味で連携しているのかいうと、必ずしもそうではない。アルカイダのイデオローグと呼ばれている、ビン・ラディンなどとは明らかに、哲学が違っているわけですね。イデオロギーも違っていますし、手法も違っています。「殺害すること」、あるいは、「イラク国内を混乱させること」自体が目的のグループではないかと思います。決して、反米・反自衛隊という枠組みで括れる人たちではないと。

香田さんを殺害したグループが、高遠さん達を拘束した人達と種類が違うとなると、確かに、ここから「イラクの民衆の気持ちを汲みましょう」という動きに直結しにくい。そんな中、敢えて、ピースボート共同代表の吉岡達也さんは、「それでも、もっと根底にあるものを忘れるな」と強調した。

吉岡:
イラク人にとっては、米軍がやっていることが「テロ」なんですよ。アメリカ軍がイラクに乗り込んで行って、誤爆をしたり、結婚式場に爆弾を落としたりしている事の方が、彼らにとっては「テロ」なんですよ。ここの部分は、日本社会に伝わってないですよね? もし、友人にイラク人がいたら、どう思っているのか聞いてみてください。ここの発想が無いと、この戦争は見えてこないんですよ。実際、人々の目の前で、女性や子供を含め、大勢の人が米軍に殺されています。アメリカでは、この様子を「コラレラル(付随的)ダメージ」と言っている。“正義のテロ=戦争”のためには「しょうがない犠牲だ」というんです。「どこがしょうがないんですか! なんで、イラク人が死ななあかんですか、それで」っていう気持ちが、イラクの人の中にはすごくあるんです。

つまり、高遠さん達の人質事件を引き起こした“素朴な民衆の怒り”の原因は《米軍の振る舞い方》で、今回の事件を引き起こした“混乱狙いのグループ”に犯行の口実を与えてしまっているのも、同じく《米軍の振る舞い方》である。それを忘れてはならない、というのが吉岡さんの主張だ。

イラクで殺害された外交官の井之上さんの出身小学校とイラクの小学校の間で、事件をきっかけに始まった交流プロジェクトがある。私は、イラク側の小学生が送ってきてくれた絵を見せてもらったことがあるのだが、そこには、海とやしの木が綺麗に描かれ、「イラクには大きな河があり、ナツメヤシの木があります。日本には何がありますか? 私たちは、イラクからアメリカの軍隊を追い出すために、日本の力が必要です」とコメントがあった。小学生でもこのような思いを持ってしまう、《米軍の振る舞い方》。今週再選されたブッシュ大統領が、これで米国民のお墨付きを得たと思い、ますますデリカシーを忘れた行動に突き進むことを憂慮する。今後、どこまで日本がアメリカの方針に付き合っていくのかを、我々は真剣に考えなければならないだろう。

この“日本の行方”について、吉岡さんはこう力説した。

吉岡:
(日本政府は、事実上)まず《人命より、国益を選ぶ》という事を明確に言っています。僕はNGOの活動をしていますが、《人命を守るために社会や国がある》のではないか、と思っています。それが今、逆転しつつある。逆転したらどうなるか…、日本人は、60年前に間違え、痛い思いをしているはずなんです。そこを、もう一ぺん見直す必要があると思うんです!

吉岡さんの言いたいことは、とても良く分かる。しかし私は、《国益優先=人命軽視》という等式は間違いで、議論がすれ違う元凶の1つになっていると思う。国益論者の多く(“すべて”とは決して言わないが)は、「国益とは、より大勢の国民の命を大切にすることだ。1人の命か、大勢の命か、どちらが大切なんだ」という反論を持っている。どちらが正か邪か、ではなく、両者共に人命は大切に思っているのだ、という共通認識を持った上で、「では、その“国益”で進んで行くと本当に、より大勢の命が守られるのか」と言う議論をもう1回すり合わせていかないと、フォーカスのズレた無意味な論争をいつまでも続けるだけになってしまう。

このコーナーは、こうしたシンポジウムなどを地道にお伝えしながら、すれ違いの無い《噛み合った思考》の材料を、これからも提示して行きたい。

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