今週初め、『筑紫哲也NEWS23』内の「それから七十五日」コーナーの取材で、辻元清美さんに会ってきた。7月の参院選での落選後、初めてのTV出演だったのだが、水曜(9月22日)の番組内ではごく一部しか彼女の声を引用できなかったので、ここでたっぷりご紹介しよう。
始めにお断りしておくが、今回の内容の中に、辻元さんから秘書給与詐欺事件についての謝罪の言葉は出てこない。それは、本人がもう反省を忘れたからではなく、私が質問しなかったからである。私は、有罪が確定し、執行猶予判決を受け入れた彼女の、《その先》の事を聞きたかったので、事件については敢えて、今回はもう尋ねなかった。前回・前々回ゲストの高遠さんに“自己責任論”について聞かなかったのも同じ理由なのだが、いつまでも、“その人が出てきたらまず毎度おなじみの話から始めなければ、けしからん”では、先に進まない。
さて、辻元さんは、今回落選はしたけれど、71万8千票という、全国の落選者の中でも最多の票をとっている。出馬した選挙区でも、わずかの差で次点。今回は大阪全体が選挙区だったのだが、それまでの衆議院選の選挙区(大阪10区)内の票だけで比較して見ると、むしろ今回の方が得票が増えていたのだ。
しかし、落選は落選。議員辞職は自分の決断だったが、今度は有権者に判断されたことなので、落ち込んでいるのでは…と思いきや、本人は「出馬してよかった」と静かな口調で言う。国会議員としてバリバリやっていた頃の自分と今の自分を比較して、こんな風に語っていた。
(以下、インタビュー再掲)------------------------------------------------------
- 辻元:
- 前は、政党の党三役とかもやって、“何か訴えなきゃ”とか、“政党の支持率上げなきゃ”みたいに肩肘をはってて。でも、政治っていうのはもっと日常生活の延長線上、生活の喜怒哀楽っていうのかなあ、そういうものの延長線上にあるんだっていう、そういう姿勢で今回は臨めたんです(無所属だったからっていうのもあるけど)。
参院選を経て、そういう自然体になれたことは、すごく自分にとっては良かったと思う。あのまま国会議員をずっと続けてたら、ものすごく傲慢な、嫌な女になってたかもしれんとか、顔が変わってたかもしれんとか(笑)。そう思ったりできるように、今なってる。
―そんな風に変化した自分を、今どう思います? そうなると思ってた?
- 辻元:
- こういう風になるとは、予測してなかった。選挙に立候補するのはすごく勇気が要ったし、悩んだしね。落選した事で落ち込みの気持ちもあったよ、人間やから。そやけど、なんか清清しさがあったの。「ひょっとしたら、もっと何か色んな可能性が、私のオプションとして生まれたかもしれない」っていう。
この「色んな可能性・オプションが生まれた」というのは、具体的には《出前》をすることだそうだ。
- 辻元:
- ピースボート時代に戻っただけやねん、私の場合は。前からやってる事や言ってる事はずっと変わらなくて、いる立場とか、表現の方法が違ってたっていう事だから。生活そのものが、前に戻ったっていうか、すごく懐かしい感じっていうか(笑)。今、小さな草の根の団体を回ったりとかしてるんですよ。
―「懐かしい」って言葉が出てくるのは面白いですね。一度ああいう世界(政界)を知ってしまうと、その世界に“味をしめちゃう”というか、そういう気がしますが。「喪失感」より、「懐かしい」っていう感じの方が強い?
- 辻元:
- うん。やっぱり皆、“国会での活動は、遠く離れたところの活動”っていうように思っているから、私が《出前》で、政治の仕組みとかプロセスを話すと、皆さん「政治が身近になった」って言ってくださる。そしたら私も、「自分にはそういう役割もできるんじゃないか」と思ったり。選挙が終わってから、手応えが出てきたので。
―《出前》って分かりやすいね。お店(国会)にいなくてもよくなったから、出前に回ったと。
- 辻元:
- 「政治の仕組みとか教えてー」って言われたら、どこまでも行きまっせーっ!みたいな。NPOについても、全国で1万8千以上立ち上がっている中で、私は自分が関わって作った法律(NPO法)がどのように活用されてるのか知りたい。法律っていうのは紙に書いたものなんだけど、それに息を吹き込むと、血が流れ、動き出すわけよね。現場でNPO団体立ち上げてる人の所に、全国・全部行きたいくらいやねん。
「1万8千ヶ所、全部行きたい」というのは気が遠くなりそうな話だが、最近行った所を尋ねたところ、『辻元清美再生プロジェクト』の事務所の壁に貼ってある日本地図を指さしながらドンドン話してくれた。
- 辻元:
- この1ヶ月くらいで行ったのが、まず大分ね。湯布院って温泉の街。そこの人たちと、NPOの話と、市町村合併でモメてる話やな。
その後、鳥取の過疎の町の1つの集落。50人くらいの人口なんだけど、そこ全員でNPO作って“村興し”してんの。
―集落の住民全員でNPOを?
- 辻元:
- そう。その村興しの話を聞いてきたの。
その後、北海道にも行った。函館では教師の人たちと。教育基本法は、それだけの問題だけじゃなくて、国旗・国歌法の制定から、日米新ガイドライン法、アフガン・イラクときて、憲法9条に繋がる1つの流れがあるじゃない。その国会審議の模様を講演してきたの。
―そういうのって、突然「来てください」って呼ばれるの?
- 辻元:
- うん。その後に札幌。会った事ない人なんやけど、「映画館してる」って言うから面白いと思って行ったら、『コミュニティシネマ』っていうNPOを立ち上げて、地域で、映画を通して町興ししようとしてて。なかなか見れないようなドキュメンタリーを持ってきたりしてる、素敵な人やった。
ここ数日は大阪の中。枚方市というとこで、無防備都市宣言という条例を作ろうとしてて。ジュネーブ宣言にのっとって、「自分らはどこも攻めへん、代わりにウチ攻めんといてや」っていう条例を作ろうとしてる人たちと、一昨日かな、話してきた。
議員の時は国会活動とかで全国回ってたけど、街頭演説してすぐ次の場所に行ってっていうような、ものすごいスケジュールで。今は1つ1つ丁寧に、じっくりと問題点を聞いたり、そこの人たちとつながっていきたいって、思う。だから人間としての充実感があるのよね。
- 辻元:
- 政策というのは、文字で書いて作るでしょ。実感を持った人が作るかどうかによって、政策の威力や勢いが違うの。私も、社会保障について文字では書けるけど、今まで自分の体験として介護をしたりしてなかったから、どうしても実感を持って政策を作れなかった。だから夏休みとかに介護のヘルパーの免許も取って、施設で手伝いをしたりしたいなと、ずっと思ってた。でも、現職時代はそんな時間なかなかとれなかったから。今回時間があったので、やりたかったことを一つずつやっていこうと思って、それでとったの。
ところが、なかなか雇ってくれる施設がなくて。顔が知られてるでしょ、「雇いづらい」って言わはんねん。手伝いしてる最中に、「握手してくれ」とかでワーっと人が寄ってきて、「いや今、私、車椅子押してるんですけど」って言うても囲まれたりして、車椅子のおばあちゃんに申し訳なかったりとか、度々あって。変装してやるわけにもいかんし(笑)。ヘルパーとして(一般の)家を訪ねたら、「はーっ」とか言ってビックリされて、「辻元さんがくるんやったら掃除しといたら良かった」とか言われて。こっちは「私、掃除しにヘルパーで来てるんですけど」みたいな。「なんでも言ってください」って言うねんけど、相手からは「やっぱ頼みづらい」とか言われたりして。
―これからどんどん講演とか増えていくと、なかなか実践の機会は難しいでしょ?
- 辻元:
- でもそれは調節していこうと思う。いろいろと、やりたい事、やってみたかった事、意味がある事は、うまく配分しながらしていかなきゃと思ってる。
食べていくのはね、かつかつで別にいいんですよ、私。ずーっとそういう生活してきたから、元に戻っただけで。議員のときだって全然贅沢してなかったし。それ知ってるやろ?
現在、応援団が開いている『辻元清美再生プロジェクト』の事務所には、1000円とか3000円とか、カンパの振込み用紙がどんどん届いている。本人によると「1億円の小切手はないけどな」だそうだが、こうした支援の動きは、落選後も止まっていない。そうなると、世間の関心事はやっぱり、次の選挙をどうするか。次の衆院選への再出馬については、ご本人はこう語っている。
―今後のことは白紙?
- 辻元:
- うん。多くの人は、「もう一度国政への復帰を」って事で、こうやって事務所もみんなで作ってくれて、ありがたいし、71万以上の票を頂いた、その重みって言うのはずっしりくるわけですね。
ただ私は、次に選挙をするからって逆算して、こういう活動をしようっていうのは嫌だなって。そういう人は、政界には沢山いるんですよ。だから、今はとにかく、精一杯、自分のやりたい事、意味があると思う事を積み重ねていこうっていう。でもそれはやっぱり、多くの人が支えてくれたからや。一人やったらショボンと孤独やったかもしれんねんけど、お手紙とかもよく頂くし、私、ホンマ幸せもんやと思うわ。いろんなことあって、反省せなあかん事あったのに、こうやって多くの人に支えられて…。
今やっている事を続けていって、その結果として、周囲の期待する人たちから「やっぱり出てよ」と推されれば、彼女は選挙に出ると思う。その印象は今回も強く持った。ただ、『執行猶予5年』の判決は厳然としてあるので、次の選挙がいつになるにせよ、確実にその期間中の出馬ということになる。その是非をどう判断するかは、有権者が決めること。今回は、その判断材料の一つをご提供した。