続・高遠菜穂子が語るイラクの「これから」

放送日:2004/9/18

前回に引き続き、イラクでの民間支援活動について、先月(8月)末、アンマンでの打ち合わせから帰国したばかりの高遠菜穂子さんにお話をうかがう。

前回は、9・11から3周年ということで、米同時テロから連なるイラクの《現状》について語って頂いた。高遠さんというと、“人質事件で叩かれた人”というイメージがあるが、寄せられたのは、声高なバッシングより、静かな寄付金の方がはるかに多い。高遠さんは、その寄付金で、人質事件以前から取り組んでいた、現地の若者・子供達の自立支援活動を、さらに展開させようとしている。今回は、イラクの《これから》―――特に、高遠さんの取組みを現地で担うイラク人スタッフ達を、眼のツケドコロにしたい。

まずは、地元スタッフ達のリーダー格である、スレイマンさん。私も一度会った事があるが、「立派な、風格のある校長先生」タイプだ。高遠さん達3人が武装グループに拘束されている間、スレイマンさんは、高遠さんの活動に対する理解を求め、1万枚のチラシを刷ったり、新聞に掲載したりと、3人の解放の為に奔走した。今も、日本から送られる医療物資に「日本人からの贈り物」と書いて現地へ届けてくれている。

−スレイマンさんは、現地の若者の就職斡旋や職業訓練のための施設を『ナオコセンター』という名前にしようとしたそうですが…。

高遠:
はい、先月、彼にアンマンに来てもらい、相談して来ました。このような施設に『ナオコ』のような、外国人の名前を付けると、攻撃の標的になりかねないですし、資金を有効に使おうと思ったら、この不安定な時期に箱モノを建てるよりは、既に、センターなどを持っている所と連携して、就職斡旋などをしていった方が効率的なんじゃないか、という話をしました。ここでも、前回お話しした『イラク・ホープ・ネット』の方法論なんですけど、就職斡旋のプログラムのインターンシップ制度を作ってやっていこうと思っています。

−『イラク・ホープ・ネット』というのは、主に日本側でつくる、イラクに関する情報をインターネットを通じで交換をするというものですよね。

高遠:
それともう1つ、ファルージャで進めているプロジェクトがあります。拘束事件以前(今年の1月くらい)にファルージャに滞在していた時、再建プロジェクトを計画して、それを実践するためのグループを作ろうと思ったんです。地元の若者達が《報復に力を入れても、戦闘が激化すれば、占領軍の兵力がもっと増強される》という構図に疲れきってしまっていたので、私が、「もっと前向きな事をしたほうがよい」と彼らに説いていたら、自発的に活動をし始めたんです。

ファルージャのカーシム君(28歳)は、同じ塹壕に入っていた大親友が、撃たれて黒焦げになって死んじゃうわけですよ。で、そういうトラウマを持っているので、とても物事を悲観的に考えていました。でも、今年に入ってから、有志や友達と何かポジティブな事をしようとして、『リビルド・ユース・オーガニゼーション』(若者達による再建組織)という、まったく新しい、ファルージャとラマディの青年達だけで構成する組織を作りました。メンバーのほとんどは、お医者さん、エンジニア、先生です。

−あのファルージャで、そういう若者組織が動き出したんですね。

高遠:
そうですね。4月の人質事件から帰国後に、私は北海道の自宅で引きこもっていたんですが、5月の終りくらいに初めてメールを開けたときに、彼から活動報告が来ていました。

その時に来ていたメールに対して、高遠さんはこんな返事を出した。[詳しくは、『戦争と平和』(高遠菜穂子著・講談社)及びWEBサイト『イラク・ホープ・ダイアリー』参照]

カーシム、ラマディの再建計画がどうなったか教えて。私は、君達が作成した再建提案書を見せてくれた時のことが忘れられないの。それは、私にとって、イラク最大の出来事だったんだ。その時私は、「イラク人は絶対に自分達の手で平和をつかむ」って確信したんだ。 君が私のアパートに訪ねて来た時、君は私に「あきらめるな!ナオコ」って言ったよね。覚えてる?それって、以前私が君に100回言った言葉だってこと。でも、ついには君が私に言ってきた!
“愛だけが、平和に辿り着ける”―――地球上から、ナオコより

これに対して、カーシム君からすぐにまた、立て続けに返事が来た。何本か合わせて、抜粋して御紹介する。

今僕達は、ファルージャの再建に取り組み始めたよ。いい仕事ができてる。君はラマディやファルージャが、イラクで一番安全な場所だったことを知っているだろう?泥棒もいないし、何の問題も無かった。僕は人々を平和と再建の方向に引っ張っていくために、色々な事をやってみたいと思っているよ。僕はいつも君の言葉を心に思って、どうしたら皆にこの方法をわかってもらえるかを考えてる。

高遠さんの言葉が、彼らにしっかり伝わり、再建プロジェクトは、彼らの手によって実際に動き出している。

高遠:
ファルージャの5つの学校が米軍に攻撃されたのですが、今年7月に入った時点で、彼らだけで、地元の人や資金力のある人から修復費用を集めて、5つのうちの1校を直していたんです。私は今回アンマンに行った際、そのプロジェクトの収支報告を見せてもらい、2校目の見積もりを作ってもらいました。

−具体的に、学校を作ったり、現地の若者達を就職させたりすることで、戦争に行くのを止めさせる効果もあるということですね?

高遠:
それは、すごく狙っている所です。バグダッドで行なっているストリート・チルドレンのプロジェクトもその意味合いがあります。

怒りとか恨みに向かっているパワーを、自分達が何か作り上げていくパワーに変えさせる、文字通り、“建設的”なやり方だ。再び、カーシム君のメールより。

僕は小さな建設会社を開いた。小さいけど、僕にはとても大きな意味があるんだ。
みんな君の考えを聞いてくれて、困難な状況でも助け合っていこうって話し合ってる。
僕は君がやろうとしていた事を、今度は僕がやらなくちゃと思った。そしたら、
君がイラク人のために本当にすごい事をやっていたんだということがわかったよ。
君はイラクの大統領になれるよ。だって、みんな君のことが大好きだからね!
―――地球上から、カーシムより

−人質事件でイラクに入れなくなったのに、高遠さんが現地で撒いてきた種は、着実に現地のスタッフに受け継がれていますね。最初の頃は、カーシム君と会うのもイヤだったそうですが…。

高遠:
当初、彼は「こんな攻撃のされ方をして、ムジャヒディンやジハード《聖戦》は当たり前だ」とかばかり言っていましたから、本当に、私は「なんで、こんなこと聞かされなきゃなんないんだ」って思っていました。

−そこまで、ネガティブな告発をすることだけに一生懸命だった彼が、再建計画を自分達で作るまでになったわけですよね。今は、《彼らが自律回転しているところに、日本から救援物資や活動資金を送る》という構造が出来つつあるんですね?

高遠:
そうですね。現地の人は、日本人に対して《道筋》や、《足がかり》をつけてもらいたいと思っています。自分たちの手で学校を作って、それを世界の人たちに見てもらうことで、「日本人の援助で出来たけど、日本人はイラクには入っていない」という、1つの新しい支援の仕方を、世界に提示して欲しいと思います。

−物理的に入れない事情がある地域でも、外から“遠隔サポート”できるんだよ、と。

高遠:
そう。それは「イラクにもそういうこと(自立して再建)をやれる人間がいますよ」ということです。自爆や攻撃、怒っているイラク人などのネガティブ映像ばかりが世界に放映される事を、彼らは嘆いています。欧米のメディアにしても、アラブのメディアにしても、事件を追うと、結局、悲惨でおっかない映像ばかり。「(こういう報道は)もうイヤなんだ。知ってもらいたいんだ、こういう活動が始まっている事を」って、彼らは言っています。

−憎悪が憎悪を生んで、という連鎖だけでなく、それを止めようと思って一生懸命活動している人達もいるんだっていう事に気づいてくれ、ということですね。そうすれば、今度は希望が希望を生んで、という、逆のスパイラルができますよね。

高遠:
そうなんですよ〜。

−その、日本側のサポートが『イラク・ポープ・ネット』なんですね。日本国内でのローカルな動きはありますか?

高遠:
今月(9月)から12月まで、宮崎では『イラク・ピースキャンペーン』をします。振り返ってみると、イラクで亡くなった外交官の井上さんや、私と一緒に拘束された郡山君も、宮崎県出身。それから、(今年2月に)女子高校生が自衛隊のイラク撤退などを求めた署名を集めて怒られたという事件がありましたが、あれも宮崎県の高校生なんです。井上さんの追悼の意味も込めつつ、私を含め『イラク・ホープ・ネット』に関わっている人達の報告会や写真展などを予定しています。(12月26日まで)

最後に、カーシム君から高遠さんへ届いた、彼の生い立ちを綴ったメールを抜粋・紹介する。

ナオコ、僕は子供の頃、幸せな人生を送ることを夢見ていた。でも、自分が貧乏だということに気付いて、ショックだった。でも、なんとかエンジニアになることには成功したんだ。でも、僕は軍隊に入らなければならず、ショックを受けた。僕は軍人としてではなく、勇敢なエンジニアとして、この国を守ろうと思ってきた。そしてまた自分の国が破壊されて、ショックはでかい。でも、僕はこの国の再建に取り組もうと思っているんだ。
ナオコ、人生は階段のようだね。上がったり下がったり…。それでも歩みを進めていく。君も確実に、人生の階段をのぼっていくと、僕は信じてる。
僕は日本人と友達になれて、ラッキーだよ。僕は君から沢山の事を学んだ。その一つが、「平和」ということだ。そして、この言葉は口にして言うだけでなく、体現していかなくてはならないものだということ。君たち日本人と、友情を育んでいくこと。
ナオコ、僕は役に立つ人間になる。僕は、君がイラク人のために流した涙を覚えている。きっと君は、新しいイラクで、新しいカーシムを見るよ。約束する。

−カーシム君とは、先月アンマンでは会えたそうですが、やっぱりイラクの現場でテキパキ活躍する「新しいカーシム」君の姿を、早く見たいのでは…?

高遠:
「新しいイラク」を見たいですね。

−こういう、日常的なイラクの状態を継続的に伝えて頂きたいと思うのですが、できれば、月1回くらいのペースで、この『眼のツケドコロ』でイラクの報告コーナーをやってみませんか?

高遠:
もう、是非是非!

高遠さんのパソコンは、いわば「イラク人の復興活動情報の入り口」になっている。そこにメールで飛び込んでくる熱気あふれる生の声を、これからもこのコーナーで定期的に地道に伝えていきたい。

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