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さようなら、河野澄子さん。サリン事件、忘れません。
松本サリン事件で倒れて以来、意識不明が続いていた河野澄子さんが、今日、ついに亡くなった。
初めて澄子さんにお会いしたのは、事件発生から数ヶ月という頃だったろうか。以来時折、お見舞いに伺っては、夫の義行さんが淡々と澄子さんのお世話をしながら話しかける様子を拝見してきた。その語り口は、ごくごく普通の夫婦が、他愛ない日常の話をしている風だった。それを義行さんは、14年間積み重ねてこられた。
その積み重ねを前にして、僕などが何事かをペラペラとコメントすることなど出来ない。代わりに、今日午前中に草稿を書いたリカバリー・サポート・センターとしての声明文を、ここにも掲載する。この行間が、結局、今の僕らの思いでもあるから。
当センターの河野義行 理事 夫人である澄子さんの訃報に接し、深い哀悼の意を表します。澄子さんは、突然の事件に巻きこまれた以降の14年間も、看護に見舞う河野理事と殆ど毎日のように、当たり前の夫婦としての"対話"を続けて来られました。言葉をかけるのは河野理事だけでも、澄子さんの存在は、河野理事の当センターでの活動や、こうした悲劇の再発防止を願う講演等の活動を、深い所で支え続けて下さるものであったと、私たちは感謝の気持ちを込めて拝察いたします。
これまでずっと、河野理事は一人静かに、澄子さんとの対話を続けてきました。そのお別れも、同じように静かな環境の中で行なわれるべきものであると、私たちは信じます。メディアをはじめとする関係の皆様の、ご理解とご協力を、心よりお願い申し上げます。
私たちは、今なお苦しみ続けるサリン事件被害者の皆さんの肉体的・精神的リカバリー(回復)の支援を継続することが、亡くなった澄子さんの遺志にも沿うものであると信じ、今後も地道に活動に取り組んでゆく気持ちを、ここに新たにいたします。
澄子さんが逝って、河野義行さんは、「今日で河野家にとっての松本サリン事件は終わった」と言った。この重い一言の後半部分だけに、僕らは"便乗"してはならない。これはあくまでも、《河野家にとっての》区切りなのだから。我々《日本社会にとって》、この事件は決して「終わった終わった」と忘却に追いやってはいけない出来事だ。その一点だけは、今、しっかり胸に刻みたい。