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追悼・原後雄太は、次代に"増殖"した

2005年8月9日

 今日、明治学院大学のチャペルで行われた原後雄太助教授の「お別れの式」に参列した。祭壇に飾られた彼の遺影を見た瞬間、僕はノックアウトされた。その屈託ない笑顔は、まさに雄太そのものだった。
  参列者への挨拶に立ったお父様(高名な原後山治弁護士)は、雄太の生涯を「"やんちゃ"に生きた人生だった」とおっしゃった。本当にその通りだ、死に方までそれを貫きやがってーーーと、僕は思うことにした。

  ヤツと知り合ったのは、およそ20年前。環境問題を中心とするNGO活動で国際的に大活躍してきた雄太は、先月(7月)の僕の誕生日前日、イスタンブールのホテルの部屋の窓から転落して、あっけなく死んでしまった。
  理由は、わからない。自殺は有り得ないが、部屋に物盗りや争った形跡も無いという。その夜はとても暑かったそうだから、酔って自室の窓辺で涼もうとした時に誤って落ちたのかもしれないが、釈然としない。

  チャペルから学内のホールに場を移しての、故人の思い出を語り合う会では、明治学院大の教え子達のスピーチが、胸を打った。彼等は口々に、原後スピリットを自分たちが継承してゆくことを、誓ったのだ。
  実はかつて、雄太が明治学院大にスカウトされて教職に就いた、と聞いた時、僕は「長持ちしないだろうな」と思っていた。現場をこよなく愛するこの男が、教室にジッとしていられるはずがない、という確信があったから。その読みは半分当たり、半分外れた。今日の教え子達のスピーチで分かったのだが、結局彼は、それ以前と同じように、今度は教え子達を引き連れて世界中の現場を駆け巡り、一緒になって泣いたり笑ったりしていたのだ。なんと素晴らしい教育、なんと幸せな教え子達だろう!

  その幸せ者達が、そんな雄太のやり方をこれから銘々引き継いでゆく、と誓ったのだから、雄太にとってこれ以上の喜びはあるまい。増殖した原後スピリットが、世界のあちこちでさらに花開いてゆくことを、願ってやまない。