高遠菜穂子のイラク報告(19)
カーシム、命がけの帰国を前に語る

放送日:2007/4/14

前回に引き続き、高遠菜穂子さん(眼のツケドコロ・市民記者番号№1)と、彼女のイラク支援プロジェクトの現地リーダー、カーシムさん(眼のツケドコロ・市民記者番号№46)本人をスタジオに迎えてお話を伺う。
イラク情勢を報道するニュースは、「今日は何人死亡した」など、どうしても数字中心になってしまうことが多い。だが、カーシムさんの口から、「私に起こった事」「私の兄弟に起こった出来事」など、“個人の話”として語られる方が、本当はイラクで何が起こっているのか、私達は、数字よりも遥かに実感することが出来る。

――来日後、イラクで従弟がイラク兵(!)に惨殺されたという話を、前回伺いましたが、実際、イラク兵に捕まって拷問を受けるというケースは、増えているんですか?

カーシム: 昨年から始まった米軍の掃討作戦のときから、ラマディでもこういった傾向が見られるようになって来ました。“死の部隊”と言われるような、イラク軍による非常に残虐な殺戮が、去年から徐々に増えています。イラク軍が米軍の掃討作戦に合流して来たからです。

■米兵が敵なのではない!

今回カーシムさんが日本での講演で語った、印象的なエピソード。「俺達は、敵か?」と米兵に尋問されたとき、カーシムさんは「あなた達が敵なのではなく、あなた達の持っている《銃》が敵なのだ」と答えたと言う。

――米兵は、カーシムさんの答えを理解しましたか?

カーシム: 「理解した」と言うよりは、“すり替え”回答と受け取ったかもしれません。「じゃあ、その《銃》を持っている米軍が敵ということだな」と、結局、言っていました。

――そういう状況の中で、カーシムさん達が結成した『リビルド・ユース・オーガニゼーション』(再建をする若者組織)は、今どうなっているんですか?

カーシム: もともと僕達のこの組織は、エンジニアや学校の先生達が集まって、再建を目指して始めました。「米軍の空爆で被害を受けた住民達が、銃を手にして報復をしてしまうのを防ごう」「銃の代わりに再建のためのスコップを手に取らせよう」というのが、この組織の大きな目的です。現在、医者達も組織に参加するようになって来て、新しい診療所を建てようと、話し合っているところです。
 僕は、地元の人々から信頼を得ました。これは、ラマディで再建を成功させるためには、とても重要なことです。米軍やイラク軍は、信頼を得ることが出来ませんでした。だから失敗したんです。僕は、この信頼を得たことによって、より強くなれると信じています。だから、再建をどんどん続けて行こうと思っています。

もともとカーシムさんはイラク軍の兵士だった。米軍との戦闘中、同じ塹壕に入っていた戦友が、目の前で撃たれて黒焦げになって死んでしまうという体験までしている。それでも反米の暴力的活動に走らず、こういった(文字通り)建設的な姿勢でいられるというのは、大変なことだ。全てのイラク人が怒りに燃えて報復合戦をしているわけではなく、こういう人達も存在するのだということを、我々は知らなければならない。

カーシム: 確かに僕は、兵士の経験もありますし、武器を使うこと、銃がもたらすものが何なのかを知っています。一方で、銃を使ってもゴールはない、良い結果がもたらされることは無い、ということも知っています。僕がラッキーだったのは、平和的な考え方をする良い先生=高遠さんに出会えたことです。平和的な手段のほうがより安全で、より良い結果をもたらすのだという確信を、彼女によって与えられました。

■支え合い、ネバー・ギブアップ

カーシムさんが変わっていった背景には、高遠さんとのコミュニケーションによる影響が大きい。一方で、高遠さんもカーシムさんに支えられてきたと言う。

高遠: 拘束事件から帰国した後、かなり長い間寝たきりで、コンピューターも触っていなかったんです。Eメールも全然チェックしていなくて…。でも、あるとき、外国人からの英語メール専用ボックスを開けたら、カーシムからのメールが何通かありました。私をいろいろ励ましてくれていて、『君はイラクで、「ネバー・ギブアップ(諦めるな)!」って、何回僕に言った?』と書いてありました。そのメールを読んだ頃は、本当にギブアップしそうになっていたので、ハッと目が覚めたという感じでした。

――カーシムさんは、“高遠菜穂子”という人物のどこに魅力を感じて、これだけ行動を共にしているんですか?

カーシム: 彼女の主張する、非暴力的なやり方が正しいと分かったからです。兵士としての僕が、当時信じていたやり方は、大きな間違いでした。「人々には戦う権利がある、だから兵士になって欲しい」という僕の考えは自分勝手で、人々を危険な状況に追いやってしまうやり方だったんです。

以前このコーナーで紹介した、カーシムさんから高遠さんへのメール。拘束事件解決から明日(4月15日)でちょうど3年になるが、このメールは、彼女が解放された翌月に届いたものだ。

ナオコ、僕は子供の頃、幸せな人生を送ることを夢見ていた。でも、自分が貧乏だということに気付いて、ショックだった。でも、なんとかエンジニアになることには成功したんだ。でも、僕は軍隊に入らなければならず、ショックを受けた。僕は軍人としてではなく、勇敢なエンジニアとして、この国を守ろうと思ってきた。そしてまた自分の国が破壊されて、ショックはでかい。でも、僕はこの国の再建に取り組もうと思っているんだ。
ナオコ、人生は階段のようだね。上がったり下がったり…。それでも歩みを進めていく。君も確実に、人生の階段をのぼっていくと、僕は信じてる。
僕は日本人と友達になれて、ラッキーだよ。僕は君から沢山の事を学んだ。その1つが、「平和」ということだ。そして、この言葉は口にして言うだけでなく、体現していかなくてはならないものだということ。君たち日本人と、友情を育んでいくこと。
ナオコ、僕は役に立つ人間になる。僕は、君がイラク人のために流した涙を覚えている。きっと君は、新しいイラクで、《新しいカーシム》を見るよ。約束する。

――新しいイラクはまだ出来上がっていないけれど、《新しいカーシム》はもう出来上がりましたね?

カーシム: もちろん僕は、“ニュー・カーシム”です。(笑い) そして、新しいイラクを築くために頑張っています。新しいイラクとは、平和なイラクです。ただ、今のイラクの状況はメディアで流れているように、悪くなっています。平和には、まだなっていません。

■“新しいイラク”建設を目指して

――この日本国内巡りが終ったら、イラクに帰国されるんですよね?

カーシム: もちろん、イラクに戻ります。ただ、僕が来日してもう3週間ですが、その間にもイラクでは、状況が物凄い早さで変化していますから、状況を注視しなければなりません。イラクに入国する前に、本当に詳細に様子を調べて、それを見てから、いつ入国するかをはっきり決めるつもりです。最終的なタイミングはまだ決めてません。

日本を出た後、一旦第3国で状況を見極めてから帰国ということになりそうだ。現実に従弟が惨殺され、帰国は慎重にせざるを得ないだろう。

――これからまだ、カーシムさんには大切な仕事が残っていますからね。

カーシム: 僕や僕の友人や家族、イラクの人々の未来のために大切なのは、《平和は不可能ではない》ということを彼らに伝え、それを信じさせることです。彼らのエネルギーを、敵をやっつけるのに使うのではなく、彼らに希望を与えることで、平和や町を築くことに使うんです。敵をやっつけることは、もはや僕にとって重要な事ではないのです。それよりも、周りにいる友人や家族、イラクの人々を助けるために、エネルギーを使うことの方が、僕にとってはずっと重要なんです。

――このラジオの「高遠菜穂子のイラク報告」シリーズは、“新しいイラク”が実現するまでずっと続けますから、これからも頑張ってください。

カーシム: 僕やイラクの人々がしている事を、僕の声で日本の皆さんに聞いていただけるという、素晴らしいチャンスをありがとうございました。

前回・今回と続けて紹介した、カーシムさんのブログは、日本語に訳され小冊子『イラクからの手紙――失われた僕の町ラマディ』(高遠菜穂子・細井明美 訳)になっている。ご希望の方は、こちらへ。

     小冊子の注文方法・振込先: 本代680円(送料込)を以下の宛先まで。
          郵便振替口座番号:  00120-2-483772 
                 口座名: 細井明美 宛

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カーシムさんは、明後日(4月16日)の『News23』「マンデープラス」コーナーにも、ゲストで出演する予定。(一部の局では、ネットしていません。)

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