インドネシア大地震救援ボランティア帰国報告

放送日:2006/07/15

インドネシア・ジャワ島で5月27日に発生した大地震は、今日(7月15日)現在、もうほとんど報道されなくなっているが、実は日本からも随分ボランティアが救援活動に行っている。その中の1人、橋爪明日香さん(眼のツケドコロ・市民記者番号No. 8)が帰国したので、スタジオで状況を報告してもらう。
橋爪さんは、ボランティアとして救援活動を行うと同時に、大手メディアが報じない現地の様子を伝えるために、市民メディア『OurPlanet-TV』が派遣した特派員でもある。(6月19日のリポートは、今も視聴出来るようになっている。)

■“自腹”特派員が報じた“無名被災地“

――『OurPlanet-TV』は、海外の現場に記者を送るほどの資金力が出来たんですか?

橋爪:
いえ、今回は、休暇を取って“自腹”で行って来ました。

つまり『OurPlanet-TV』は、カネは出さずに許可を出しただけ、というわけだ。それで動けてしまうところが、給料でなくモチベーションに支えられている市民メディアの特徴でもある。

――いつからいつまで行っていたんですか?

橋爪:
6月1日にジャワ島のジョクジャカルタに入り、22日に帰国しました。約3週間の滞在です。

――到着したのは、あの地震発生からまだ5日目ですね。どういう状況でしたか?

橋爪:
現地に入ったばかりの頃は、被害の酷かったバントゥルという地域に緊急物資や医療支援が集中していて、支援の全く届いていない地域との差がすごくあるのを感じました。イモギリという地域のパジマタン村では、救援物資が届かず、住民の人達は5日間木の葉っぱを食べて飢えをしのいでいたんです。

――大災害発生時にいつも問題になるのは、こういう風に“有名被災地”と“無名被災地”が発生してしまい、救援の差が出てしまうという点なんですよね。

橋爪:
私は、取材をしながら、現地のボランティアの方々と一緒に、子供用粉ミルクや風邪薬などを届けました。また、インターネットでライブ中継をしながら、日本全国に募金を呼びかけました。本当に僅かなお金なんですけれども、集まった募金を届けました。

『OurPlanet-TV』では6月5日に、インターネットで現地からの生中継リポートも実行したのだ。また、ライブ中継以前からブログのような形で、現地の様子を書いた橋爪さんからのメールを「事務所日記」というタイトルで随時発信していた。市民メディアの機動力は、以前より格段にパワーアップしている。

■フェアトレードの工房も大打撃

――その後は、どのような活動に移って行ったんですか?

橋爪:
ジョクジャカルタには伝統文化の布製品や手工芸品などを作る人がたくさんいるんですが、その中の1つ、フェアトレード(※注)生産者組合『アピクリ』に行きました。ここは1990年に設立された組合で、世界35ヶ国のNGOと取引関係を結んでおり、神戸の鷹取コミュニティーセンターにあるNGO『アジア女性自立プロジェクト(AWEP)』も、ここからフェアトレード商品を買っています。それで、『アピクリ』から地震発生直前に発送されて神戸に届いた商品の代金を、すぐ再建に使えるようにと『AWEP』から現金で預かり、救援金と一緒に現地へ持って行きました。

(※注)フェアトレードという仕組みは、各地に誕生しつつある。先進国中心の買い手側の立場が圧倒的に強く、買い叩きなどが横行している為、力関係をフェアに保とうという目的で設立され、途上国側の零細生産者が自立出来る適正な水準で価格を設定し、その趣旨に賛同した人が商品を買っていく事で仕組みを支えている。『AWEP』も、その趣旨から『アピクリ』の製品を買っている団体の1つである。

橋爪:
また、「是非、現地の様子を知りたい」と言う『AWEP』に、現地での安否確認の結果を伝えました。こういった災害が起きた場合、自分の家族や親しい人が被災地にいるのにその安否が分からず、個人的な情報を欲しがっている人が多いんです。電話もなかなかつながらなくて細かい情報が得られにくいので、私はインターネットを駆使して、個人と個人をつなぐメッセンジャー的な役割を果たせるようにと思ったわけです。現地で、『アピクリ』加盟生産者たちを訪ね歩いて、その安否をビデオで撮影し、インターネットを通じて動画で流しました。
たとえば、インターネットでライブ中継をした際、『アピクリ』の営業担当のヤンティさんから日本に宛てたビデオメッセージを流しました。彼女自身は無事だったんですが、彼女が住んでいた村は家が100%倒壊してしまって、旦那さんが怪我をして、家も財産も全部失くしてしまい、子どももトラウマを抱えてしまっているという事でした。以前から彼女と付き合いのある神戸のスタッフはビデオメッセージを見て、「前と全然違う表情をしている」とびっくりしていました。

――『アピクリ』の被害は、相当大きかったんですか?

橋爪:
『アピクリ』に加盟している約300の手工芸品工房のうち、半数以上の180工房がつぶれてしまいました。商品はアクセサリー・バッグ・写真立てなどの雑貨や家具で、1つの工房に5人から80人の作り手がいたんですが、その人達の家屋も壊れてしまったんです。在庫の商品も全部瓦礫の下に埋もれてしまい、家も仕事場も失くしてしまって、彼らは全く仕事が出来ないというストレスに悩まされています。商品の納期が遅れてしまい、生産の目途も立っていないので、顧客が離れて行ってしまうのではないかという不安も抱えているようです。
現地の人達には《自分の力で》復興して行こうという思いが凄くあって、外国人として、支援の仕方に難しさも感じました。長期的支援に結びつくような情報、たとえばビジネスのサポートや、商品デザインに関しての『アピクリ』へのアドバイス、日本からの注文を多くして行くなどの取組みが、私たちに出来る支援なのかなとも思っています。

工房で生産が再開されたときに仕事があるという状態を保持しておくのも、第2の支援のステップだろう。

■団体間を《広く》つなぐ/忘れないで《長く》つなぐ

――現地では、他の日本のNGO団体なども、見かけましたか?

橋爪:
学校や伝統文化品を作る工房を建て直し、耐震性の建物のモデルハウスとして、防災教育のために役立てようと活動している、神戸のNGO『海外災害援助市民センター(CODE)』のスタッフにも同行取材しました。また、NGO『日本国際ボランティアセンター(JVC)』は、現地のNGOと一緒に水などの衛生面での整備のための中長期的支援調査に来ていて、井戸の建て直しも計画しているという話でした。更に、緊急医療支援の現場に行ったら、独立行政法人『国際協力機構(JICA)』の現地受付で通訳ボランティアをしている日本人の学生達にも会いました。彼女達は、インドネシアへの留学生で、自分達も被災者でした。地震に遭ってすぐに日本に帰国しようかと思ったのだけれども、被災した現地の友達を残して自分達だけ帰るわけには行かないと、ボランティアに参加する決心をしたそうです。
『OurPlanet-TV』もNPOなので、元々いろいろなNGO・NPOとネットワークがあるんですが、こうした様々な団体同士をつなぐためには、《NPOであるメディア》の必要性もあると感じました。

――被災者の皆さんに絶望感は?

橋爪:
被災直後は呆然と立ち尽くしている人が多かった、という話を聞きました。でも私が現地に入ったときには、笑顔でいる人達がすごく多いのに驚かされました。元々、明るくて笑顔の多い国なんですが、今を生きるという心の豊かさみたいなものを感じました。街中の崩れ落ちた壁には、「バントゥル人は、物的財産は失ったけれど、《心の財産》は豊かだ」という落書きもありました。ただ、地域によってかなり性格が違って来ており、私が帰る頃には、村で集まってこれからの事を話し合って決めて、既に瓦礫の片づけを始めている所もあれば、気力を失い精神的に参ってる村もありました。

――帰国して、これからはどういう手助けをして行こうと考えていますか?

橋爪:
こういう災害って、起こった直後はたくさん報道されますが、やがて報道されなくなって忘れられて行くというのは悲しい事だと思いました。復興には、まだまだ時間がかかると思います。ですから、これからも現地の友達と定期的に連絡を取り合って、それをインターネットで配信して行こうと考えています。

日本国内でも、様々な支援活動が展開されている。たとえば今月30日には、NPO『関西ミニウイングス』主催の「ジャワ島地震支援チャリティコンサート」が大阪市内のレストランで開かれる。『関西ミニウイングス』のメンバーはJICAに携わった事のあるプロの建築会社の人達だ。 また、募金の受け皿も複数開設されている。橋爪さんが上記で言及している『CODE』の口座は、こちら。

募金の情報について:ジャワ島中部地震救援募金
郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
※通信欄に「ジャワ島中部地震支援」と明記してください。

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