絵門ゆう子さん最後の1冊、昨日出版

放送日:2006/06/10
『ありがとう』

このコーナーにも何度か出ていただいた絵門ゆう子さん(今年4月3日没)の最後のエッセイ集『ありがとう』(PHP研究所/本体1200円税別)が、昨日(6月9日)から全国の書店に並んでいる。絵門さんのホームページに「絵門が生前『絵本のようにしたい』と、出来上がりを楽しみにしていたとおりの本となりました」とあるように、18篇の「ありがとう」には、ページいっぱいのイラストが1枚ずつ、計18枚添えられている。

■いろんな「ありがとう」をイラストに

このイラストを添えた、イラストレーターのエム ナマエさんにお話を伺う。

――「こういう絵を描いて欲しい」という注文は、絵門さんからありましたか?

ナマエ: 一切、無かったですね。彼女は、本当に僕を信頼してくれて、絵に関してはすべて任せてくれました。逆に、物凄いプレッシャーでしたね。彼女とは、絵本をやりたいという話が以前からあったんですけど、結局彼女が逝ってしまった後にこういう本が出来て、僕としては複雑な気持ちです。

絵門さんのエッセイ1つ1つを読んで、ナマエさんがイラストをイメージして行くという作業だったが、彼女が行間に込める思いや愛や情熱を表現しつつのイラストレーション制作は簡単ではなかったと、ナマエさんは言う。

ナマエ: 原稿をもらったのは去年の秋です。それからじっくり、何度も何度も読みました。文章に出ていないところを何とか絵にして行こう、彼女の「ありがとう」という気持ちも、それから、絵本としての面白さ、楽しさも出して行こう、というところが難しかったですね。
(18枚のイラストですが)実際には、数十枚、スケッチブックを何冊も費やしました。

エッセイ集には、いろいろな人や様々な事への“ありがとう”が綴られている。

<『ありがとう』本文より>
病気になると、周りの人に助けてもらうことが多くなります。「ありがとう」と言う機会が増えます。一方、活動を控え、人のために何かをすることが少なくなり、「ありがとう」を言われることは減ります。私は、そういうことが、病気になった人をますます悪くすると思うのです。(中略)
「がんになった友達のために何をしてあげたらいいですか」。そんな質問をよく受けます。私は、いつも「何かを頼んであげてください」と答えます。

この文の小題は、“「ありがとう」という栄養”。まさに、人から「ありがとう」と《言われる》存在であり続ける事が、元気の源になる、という事だ。彼女が病を押して講演やカウンセリングに奔走していた理由が、よく分かる。

『ありがとうの和音』■そっくりの絵を見届けて…

このエッセイに添えられた、『ありがとうの和音』というイラストが、右の写真だ。絵門さんが時々見せた表情に、ドキリとするほど良く似ている。

――ナマエさんは、中途失明する以前に、NHKアナウンサーとしての絵門さん(池田裕子さん)をテレビで見た事があったんですか?


ナマエ: 全く知らないんです。目が見えた頃もあまりテレビを見たことがないんですよ。全くの想像だけで描きました。

――そっくりですよ、これ!

ナマエ: 家内の絵を描いた時も「似ている」と言われました。何がそうなるのか分からないんだけれど、僕の印象をそのままぶつけると、皆さんが「似ている」って言って下さるんです。

――絵門さんには、どういう「印象」を受けたんですか?

ナマエ: 彼女の精神の緊張というか、美しさ、ハリといったものがビシビシ僕の胸に突き刺さって来たので、それをそのまま描いたんです。特に、目に力のある人だという事は想像していましたので、彼女の目を如何に表現するかというところは、少し苦労しました。

亡くなった直後のこのコーナーでも触れたが、絵門さんはこのエッセイ集について、「次の本の帯に『追悼』なんて書いてあったら、似合わないでしょう?」と笑っていた。

――実際、この本の製作作業は、進行する絵門さんの病状との競走だったのでは?

ナマエ: それはあったと思います。ただ、僕は彼女については本当に、生き抜いてくれるという、変な確信というか、「彼女だけは大丈夫だ」と思っていました。電話をかけた時にも、彼女は自分の弱さを見せず、僕が「絵が遅れているんですけど…」と言うと「心行くまでやって下さい」と言ってくれるんです。だからその言葉に甘えてしまったんだけど、結局この本の完成を一緒に喜ぶ事は出来なかったですね…。

絵門さんと初対面のとき、ナマエさんは直感的に「あなたはガンでは死なないと思う」と告げた。

ナマエ: それほど、彼女の精神というか、彼女が放つオーラは清くて強かったんです。

――本の完成には間に合いませんでしたが、絵の完成は見届けてもらえたんですか?

ナマエ: 原画を直接見る事はありませんでしたが、出版社の人が僕の絵のカラーコピーを取ってくれて、それを彼女に送ったんです。だから、どんな絵かはすべて見ています。その中から彼女が一番気に入った絵を表紙として選んでくれました。その夜に、天に召されたんです。亡くなる日の昼間に、彼女はこの表紙の絵を選んでくれたんです。

この本の絵を決めるまでは絶対に病魔に負けられないという気持ちが、彼女の中にはあったのかもしれない。

ナマエ: 待たせてしまった事が、本当に悔やまれます。ただ、僕の絵を全部見てから召されたという事が、僕にとって唯一の救いです。

■見事な“生き様”に「ありがとう」

――聖路加病院の礼拝堂で行なわれた葬儀には、いらしたんですか?

ナマエ: はい、最後まで。僕は、初めて彼女の顔に触らせていただきました。彼女の美しさを僕の手に、記憶として何とか留めたいと思ったんです。彼女の生き様の見事さに、皆さんは悲しむというよりも拍手をしていたという印象を、僕は受けました。

絵門さんは、自分が死ぬときの事もエッセイに書いている。

<『ありがとう』本文より>
「ありがとう」の言葉でこの世から見送られることが最高の人生のしめくくりだと思います。私は、いつか訪れるその日、耳元でいっぱい「ありがとう」の声を聞けたらいいなと、今与えられている毎日の中で、自分が役に立てることをせっせと探しながら生きているのです。

――その通りになりましたね。

ナマエ: 僕もその通りの事を、彼女の棺の前で言いました。

絵門さん自身、容態が急変して病院に向かう救急車の車中で、ご主人に向かって最後の「ありがとう」を口にしたという。
絵門さんとナマエさんは、二人とも余命を宣告された表現者。その命のプロデュースに賭け、響き合って来た者同士が、この本で一緒に輝いたわけだ。

――このエッセイ集、どんな人に読んでもらいたいですか?

ナマエ: いつも言う事なんですが、《壁》にぶつかっている人たち、ですね。その《壁》をどう突破するか、そのことで苦しんだり、悩んでいる方に、ぜひ読んでもらいたいし、見てもらいたい。

先週は、既刊の『がんと一緒にゆっくりと』も、新潮社から新たに文庫本となって出版された。今週水曜(6月7日)には、新聞での連載をまとめた『がんとゆっくり日記』も朝日新聞社から刊行された。さらに、亡くなった当日(4月3日)に日本標準から出された『生きているからこそ』もある。亡くなってからも、絵門さんのメッセージは続々と届けられている。

『あしたのねこ』■ひたすら明るい『あしたのねこ』

最後に、偶然同じタイミングでの出版となった、ナマエさん自身の絵本『あしたのねこ』(金の星社/1300円税別)も、ここでご紹介する。来週初め頃から書店に並ぶ。文を書いたのは、TBS制作の大ヒット映画『あらしのよるに』の作者、木村裕一さんだ。ちなみに『あらしのよるに』は、昨日(6月9日)からDVDのレンタルが開始された。再来週(6月23日)には発売も開始される予定だ。


ナマエ: 下村さんや僕が朗読会をやった絵門さんの本、『うさぎのユック』の編集者が、この『あしたのねこ』を編集したんです。ですから、これも絵門さんと全く関係のない話ではないんですよ。この本には、僕と木村裕一さんとの30年近いお付き合いが反映されているんです。つまり、お互いの良い時代、悪い時代、苦しい時代を見守って来た事から生まれて来た絵本だと、理解していただければありがたいです。

『あしたのねこ』は、どんなに苦しい状況でも、絶えず明るい考え方をする子猫の話だ。

<『あしたのねこ』より>
きがつくと、やせっぽちのこねこがいっぴきだけ、ダンボールばこにのこされました。こねこは、
「でもいいことだってあるよ。こんなあったかいおうちをひとりじめだもの」
そういってわらいました。

これは、兄弟の猫たちと一緒に飼い主から捨てられ、他の兄弟は通行人に次々拾われて行ったのに、主人公の子猫だけが残ってしまう場面だ。ナマエさんのイラストは、雨が降って来てもにっこりしている子猫の様子を描いている。ひたすらに明るい子猫だったが、最後には本当に悲惨な状況に陥り、どぶに落ちて死にそうになり、遂に笑いを失ってしまう。その後に、どんでん返しが待っているのだが、それも単純なハッピーエンドではない。

ナマエ: さっきの絵門さんの話にも通じますが、運命をいかに受け入れるか、出来事の事実は変わらないんだけれども、その人が《どう受け止めるか》で事実のすべてが変わってしまう。それが、事の本質だと、僕は思いますね。

この絵本もやはり、「《壁》にぶつかっている人達に読んでもらいたい」と、ナマエさんは言う。 絵門さんのエッセイ集『ありがとう』は、“ありがとう”という言葉で《壁》を溶かしていく。『あしたのねこ』は、子猫の“笑顔”で《壁》を乗り越えていく。2冊セットで購入し、その時の気持ちで、読み分けたい。時には我が子の為に、時には自分の為に。

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