絵門ゆう子のクリスマス・メッセージ

放送日:2005/12/24

去年のクリスマスの朝、このコーナーではジャズピアニストのクリヤマコトさんに素敵な話を伺った。今年もクリスマスイブに相応しいゲスト、陽気な絵門ゆう子さんをお招きした。

絵門さんは、かつて池田裕子という名前でNHKの朝のキャスターを務め、全国的な人気者だった。NHKを辞めた後はTBSの朝の顔として、またドラマなどにも出演と大活躍された。一昨年(2003年)、『がんと一緒にゆっくりと』(新潮社)という、ご自身のガンとの付き合いを綴った本を出版した際、このコーナーにも出演していただいた。

■息も絶え絶えの4年前、ピンピンでパンパンの今

―絵門さんにとって、思い出深いクリスマスイブっていうと?

絵門:
それはもう何といっても、4年前ですね。『がんと一緒にゆっくりと』に一番辛い時期のことを書いてますが、聖路加国際病院に入院したのが4年前の12月26日で、その2日前のクリスマスイブは、東中野の渡辺医院で息も絶え絶えで過ごしていたんです。そんな時、窓から、お隣の教会の信者の方達が歌う賛美歌の声が聴こえてきたんです。その声に、「ああ、まだ生きている」と癒されたんです。痛みがヒドくて息も苦しくてね、「もう命がダメになるのかな」っていう中で、クリスマスイブが今ある。あの日の事はやっぱり一番忘れられません。

―その4年後のイブに、こうして元気にラジオのスタジオで喋っていらっしゃる…。

絵門:
それもまた、嬉しいんです。やっぱりあの時には、4年後に自分の命があるとは思えない自分がいて、怖くて震えてました。だから『がんと一緒にゆっくりと』を出版した後、周りから「まだ生きてるの」みたいな雰囲気をちょっとでも感じると、噛みついたりしてました。自分が一番怖いから、そこを指摘されたくない。そんな日々を過ごしてきましたから、4年経って2冊目の本が書けて、今ここにいる、このイブというのは、本当に、本当に嬉しいです。

―実際、西洋医学的なデータで見ると、今はどういう状態なんですか?

絵門:
悲しいかな、“4年ひと回り”っていうのがあるみたいで、4年経つとまたサイクルが回ってくるということで、正直言うと、私、今また非常に厳しい局面に立ってます。

―全然そうは見えないですけどね。

絵門:
見た感じはね。今週の(聖路加病院で担当してもらっている)中村先生の診察でデータを見まして、相当、腫瘍マーカー(※)の数値が悪くなってるんです。特に肝臓の数値が非常に悪くなってるんです。それで、西洋医学的には、抗ガン剤をどんどんやっていくことを提示されていたんですが、その治療に進むことが、果たして私のような状況になった人間にとっていいのか、という考えもあるんですね。 それは、かつての私が助けてもらえた状況と、今は違うからなんです。
(※:「腫瘍マーカー」=ガンの進行度を測る指標のひとつ)

絵門さんは、今まで使用してきた抗ガン剤に耐性ができて効き目が無くなってしまったため、治療方針の変更を迫られているのだという。

絵門:
いろいろやってきて、手がだんだん少なくなってきてる中で、(それでも)ガンを《攻撃》する治療法がいいのか、という問題があるんですね。私は攻撃するんじゃなくて、《免疫》力でなんとか頑張りたいという気持ちが強いんです。
そうやって様子をみてる間に、どんどん数値的には非常に厳しいところに来てるんです。「さあ、どうしましょう?」っていう(笑)。ちょっと、肝臓や胃がパンパンする感じが実際に自覚症状として出てきてるので、ここをどう乗り切るかは非常に大きなテーマです。

■飾り気なしの第2幕

絵門:
でも、まあとにかく、『不思議に元気』っていうタイトルの新しい本が出版されるんだから、そこまでは何とか、と頑張ってきただけなんですけどね(笑)。一応、元気に見えるでしょう?

―見えるどころか、実際に元気じゃないですか。

絵門:
そう、元気なんです。だから、何とかならないですかね、この病気。

がんでも私は不思議に元気
絵門ゆう子『がんでも私は不思議に元気』新潮社 1300円(税別)
その『がんでも私は不思議に元気』というタイトルの本は、今週、本屋の店頭に並んだ。前作に続き、今回も表紙の装丁画はエムナマエさんだ。

今回の本と前作の位置関係を、非常に的確な比喩で書かれている箇所を、絵門さんに朗読していただこう。

『ゆっくりと』の執筆中は、本が出版される頃にはこの世にいない可能性も十分ある、と本当に思っていた。そうなれば美しく幕が下り、観客は目に涙をため、「絵門さんは、がんのおかげで清い心になれて、天国に向かったのね」と思ってもらえたのかもしれない。
  しかし……。私は今もドタバタと生きている。ドラマや映画と違って、美しく終わり、「はい、エンディングロール!」とはいかないのが現実だ。下がると思った幕が、期せずしてまた上がってしまったため、舞台上の私は、さっきまで着ていた衣装から普段着になっている。(中略)感謝に彩られた美しい衣装がなくなって、いろいろなことに怒ったり不満を持ったりと感情をコントロールできず、「結局成長できていないな」と思ったりしている。
(『がんでも私は不思議に元気』P143より)


―まさに今回の本の内容は、“普段着”編ですよね。

絵門:
そうですね。前の本の時には、ああいう経験をしたので、結構、ほんとに清い心になれたような感じもあったんです。

―前回のこのコーナーでも、感動のエンディングを朗読していただいたりしましたね。

絵門:
ねえ。でも、それをもとに活動してるうちに、「私、こんなもんじゃないだろう」みたいな、本当の自分が…(笑)。そして、もっともっともっと、本当に辛いところ、みっともないところも書いていかないと、同じ仲間の方達に「あ、そうか」って思ってもらえるものにはならないと。だから、衣を脱いで脱いで脱ぎまくって、新聞のコラムにも毎週書き続けてきたし、この本では、そのコラムよりももっと、「ほんとは、こんなにみっともなかったのよ。こんなに辛かったのよ」ということを書いたんです。
でも、「その後、笑顔になれればいいじゃない」っていうところを貫きたいですね。

第1章のタイトル「『ゆっくりと』からバタバタと」が、まさにそのあたりの事情をよく表現している。

■まゆちゃんとの指切りが遺したもの

一転して、第2章のタイトルは、「小さな友人たち」。絵門さんが病院での絵本の朗読活動をするなかで出会った、小児ガンの子ども達のことが紹介されている。その中でも、一番心に残るのが、小学6年生の女の子、まゆちゃんの話。

「動物の中で、特に何の絵を描くのが好き?」
  と尋ねると、即座に、「うさぎ」という答えが返ってきた。
「じゃ、私がうさぎの物語を創ったら、まゆちゃんは絵を描いてくれる?」
  思わず提案した私に、こっくりと頷いたまゆちゃん。私が小指を差し出すと、かわいい小指をすぐにからませてくれた。
「ゆびきりげんまん! 女と女の約束よ!」
(中略)
  私自身の体調がこれからどうなるのか、使い始めた抗がん剤がどこまで効いてくれるのか、先が見えなかった。まゆちゃんも治療を始めたばかりだ。小児白血病に使われる薬は厳しい副作用が伴うので、絵を描くことがまゆちゃんの負担になってはならない。でも、物語を生み出すという夢を二人で持つことは、とても楽しい目標になるはず。私は、まゆちゃんが入院中に描いたという絵を何枚かもらい、それを胸に抱きながら病院を後にした。
(『がんでも私は不思議に元気』P55〜56より)


絵門:
まゆちゃんのことを思うと、出ちゃいけないんですけど、どうしても涙が出てしまいます。ほんとに、13年間、この世に天使として舞い降りた少女だったとしか、私には思えないんです。まゆちゃんは、もうほんとにね、亡くなる寸前まで、周りの皆のことを思いやることだけを考えていた少女なんです。大人も真似できない。絶対真似できない。すごい。
私なんか、ちょっと治療が辛かったり、ちょっと苦しかったりすると、すぐ弱音吐いて。もう夫が帰ってくるのを待ち構えてて、捕まえたら、「わたし、もうダメかもしれない」とやるわけですよ。まゆちゃんは、周りの誰にもそれをしないんです。どんなに辛い治療でも。
このまゆちゃんとの会話がもとになって、絵本『うさぎのユック』が書けたんです。

■広がる『うさぎのユック』朗読の輪

最近、都内の『キッド・アイラック・アート・ホール』でその絵本の朗読会があり、私も出演させてもらった。

絵門: NHK時代の先輩アナウンサー達や、エムナマエさん、そして下村さんに、一緒に朗読していただき、すごく励ましていただきました。
皆さんには、カチューシャに白い耳を付けた、ウサギの耳の小道具を着けていただいたんです。ユックの耳には金の星があって。それは、一緒にガンを治そうと頑張っている、洋裁の上手なお友達が作ってくれたんですよ。それを皆が着けて、ほんと、楽しかったですね(笑)。

その朗読会の時の一節、主人公ユックがお母さんのお腹の中から、いよいよこの世に誕生してくるシーンを録音でお聴きいただく。地の文が絵門さん、ユックが先輩アナウンサー、お父さんウサギが下村だ。

(絵門): ユックの頭は、出口の光のところまで来ました。
父ウサギ: 「もう一息だ、ユック。しっかり、自分の力で生まれて来るんだよ」
(絵門): 太くて力強い声。
お腹の中で聞いていた、お父さんウサギの声に違いありません。
ユック: 「ああ、お父さんだ。会いたいなあ、お父さんとお母さんに。そして、兄弟達に」
(絵門): 何とも言えない力が、ユックの体の底から湧いてきました。
ユック: 「何が何でも生まれるんだ! 絶対に生まれるんだ!」
うさぎのユック


絵門さん自身の、「何が何でも生きるんだ! 絶対に生きるんだ!」という意志が鮮烈に投影された、《いのち》の誕生シーンである。(この後、主人公ユックはライオンとの闘いで絶命してしまうのが当初のストーリーだったのだが、それをまゆちゃんの“沈黙の抵抗”で修正してゆく経緯も、この『がんでも私は不思議に元気』に綴られている)

―こういう朗読イベントは、よくやってるんですか?

絵門:
他の皆さんと配役を読み分けたのは、初めてでした。それで味をしめてしまって、その後、四ッ谷の小学校では、子ども達にその読み分けをやってもらいました。さらに来年の2月には、私の住んでいる千葉県八千代市で、オーディションをして選んだ子ども達に、朗読してもらうことになってます。だから、その輪が広がってるんです(笑)。

小児ガンのまゆちゃんとの出会いに始まって、そうやって、どんどん子ども達にメッセージが広がっていっている。本当に素敵なことだ。

■具体的な提案、呼びかけ、行動開始

今回の本『がんでも私は不思議に元気』では、そうしたハートに響く話だけでなく、前作以上に、ガン患者を取り巻く普遍的な問題が、広がりを持って語られている。「西洋医学が、《生きようとする本能》を傷つけているのではないか」という問題提起から、それに対して「もっと患者が全国各地で立ち上がろう」という呼びかけまである。とは言っても、決して対立を煽るわけではなく、あくまでベクトルは建設的だ。例えば、患者と医師との理想的会話のシミュレーションが延々と続く箇所は、「こういうふうにすればいい」と、医師にとってもきっと参考になりそうだ。(そうであって欲しい。)
その中でも、一番具体的な提言として、「おひるねうさぎ」プロジェクトというのが書かれている。これは、「ガン患者が出会う情報」を、西洋医学・東洋医学・民間療法などの「分野を問わず集め、検証し、伝達」しようという機関。したがってスタッフに求められる資質は《ガンであること》で、ここは「ガンになった後、堂々と治療をしながら勤務できる職場」となることを目指すという。

絵門:
患者会とか、いろんな医療フォーラムがあるんですが、どうしても、西洋医学で《結果を出せる患者さん》に照準がいってしまうんですね。例えば乳ガンなんかも、いい時に治療すれば、90%が完治してるんです。だから「ちゃんと早期発見しましょう」と。これは、すごくいいことだけど、いろんな理由で、私のように《落ちこぼれちゃった、残りの人達》にも、ちゃんと、もっと希望の光がなければと、ずっと思ってるんです。そこに照準が合う患者会とかは無かったんです。
こんな私を頼ってきてくれるのは、「あんな(ガンが全身に転移した)絵門さんでも元気なんだから」(という人達ですから)。そこで、なんとか、あらゆることをやっていこうと始めたプロジェクトなんです。

―プロジェクト名の「おひるねうさぎ」って、どういう意味ですか?

絵門:
ウサギとカメの物語がありますよね。カメは後からゆっくり追いかけて、(最後には先にゴールして)立派だったね、という話ですけど、それを逆手にとったんです。私みたいにガンが全身転移しちゃってる場合は、もう先がないんじゃないか、みたいな(笑)。それから、再発転移した仲間も、西洋医学的には非常に厳しいですよね。でも、そこでゆっくりとお昼寝をしてれば、そこにカメさん、つまり普通の健康な人達が追い付いて来て、一緒に寿命を全うできるんじゃないか、それを目指そうよ、と。

あと、今かぶってるのは、頭のてっぺんがないカツラなんですけど…

―そうなんですか。つまり、ドーナツ型のカツラに帽子をつなぎ合わせたものなんですね。

絵門:
これだと涼しくて、一日中カツラをかぶっている人にとっても楽なんです。これも、カツラを作る方と一緒に開発したものなんですけど、やっぱり、長く抗ガン剤治療をしなくちゃならない人向けのこういう具体的な準備は、まだあまりないんですね。プロジェクトでは、そういうことも手掛けていこうと始めてるんです。
だから、死んでる暇がなくて(笑)。命が続かないと困っちゃうんだけど。

■光る星がある限り――

さらにこの『がんでも私は不思議に元気』には、『うさぎのユック』のテーマソングも掲載されている。絵門さんが作詞もして歌も歌っている曲で、実は、ガンの妻を支える夫達の思い、大変さを感じ、「あまり感情表現が得意でない夫たちだけど、いつも優しく私たちを包んでくれていること、本当は分かっているのよ、という思いを込めた」詞だそうだ。

「光る星があったから」(樹原涼子CD『harahara倶楽部』より)

何度もみつめた 君の後ろ姿 生きぬいて欲しいと 祈りをこめて
何度も探して 呑みこんできた 君を励ます 言葉と思い

できれば 一緒に 歩きたい 君が 歩いてる 険しい道
続く道の 向こうに ほら 何万光年 遠くから

青い雲のうしろ 見てごらんよ 君に 届く光

(中略)

光る星があったから 君はいる そこにいる
僕はいる ここにいるから 瞳の光 信じて

目を開ければ きっと わかるよね
君は ひとりじゃないと ひとりじゃないと

(『がんでも私は不思議に元気』P210より)

―朗読あり、「おひるねうさぎ」あり、歌ありで、来年も精力的に動く年になりそうですね。

絵門:
私が何かしてきたっていうよりも、動かされてきちゃってるんです。周りに、いっぱい素敵な方との出会いがあって、「どうしてこんなに会えてしまうんだろう」って。だから私は、「ありがたい、できれば生かして」っていう思いで生きてるだけなんです。
そういう意味では、本には医療フォーラムなんかで噛みついてる話とか書いてますけど、気持ちは、4年前のあの時に助けてもらった命があっての感謝でいっぱいなんです。私は、その感謝をずうっと大事に大事に、ほんとに、手の中のおにぎりのように大事にし続けていたい。
それで、どこまで生きられるか分からないけれども、できれば、煩悩がなくなると言われる年齢の、108歳まで生きたいと思ってます(笑)。
朝起きた時、「ああ、私ガンだったんだ」って、ふと思い出す、というか、忘れてる時があるから、それで通せないかな、と思ってます。

―来年か再来年、3冊目のタイトルが決まったら、是非教えて下さい。また、来年の活動の報告を楽しみにしてます。

絵門:
はい、また呼んで下さい。こんなイブに呼んでいただいて、ほんとにすごく記念すべきイブになりました。ありがとうございました。

―ありがとうございました。

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