『新しい歴史教科書』論争ポイント超入門版!

放送日:2005/7/30

4年前に初登場して大論争を巻き起こした「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書(扶桑社刊)。これを一昨日(7月28日)、東京都教育委員会が、都立中高一貫校4校と都立ろう学校、養護学校等で来年度から使用することを採択した。今回は、4年前と比べるとあまり報じられていないこのニュースに、敢えて着目する。

今月(7月)13日に栃木県の大田原市で、自治体単位としては全国初の採択が決定され、大きく報じられたが、その後は、これに続く採択の決定は1ヶ所も無く、現在に至っている。(今回の東京での採択も個別校単位のもので、各々の区市町村の教育委員会が決める一般の公立中学校の話ではない。)とは言え、一昨日の東京都の決定が今後、各自治体の教育委員会の判断にどんな影響を与えるか、推進・反対両派とも非常に注目している。

新しい歴史教科書4年前は大騒ぎの末、結局、一般校における扶桑社歴史教科書の自治体単位での採択はゼロだった。単独の私立中学校等が一部採択しただけで、最終的な採択率は0.04%にも達しなかった。その時以来の、4年に一度の学校教科書採択シーズンが、今、全国一斉に大詰めを迎えている。各市町村の教育委員会(そのメンバーは市町村長が任命する)の一存で、来年4月からの4年間、域内の公立小中学校全部で使う教科書が決まるのだ。

そもそもこの「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は、他の歴史教科書と明確に異なる歴史観を打ち出したことで、4年前、大議論になった。装いを新たにした今回の版も、変わっていないのだろうか。現物から一部をご紹介する。

■引用1:人物コラム「伊藤博文」(P.162)

  (前略)…生前の彼が語った言葉に、次のようなものがある。 「酒を飲んでいるときでも、私の頭からは終始、国家という2字がはなれたことはない。私は子孫のことや家のことを考えたことがない。いついかなる場合でも、国家のことばかりだ」。伊藤の活躍を支えたのは、まさにこの「国家を思う心」だった。

あらゆる人間が持つはずの光と影を併記せず、伊藤博文の光の部分だけを取り上げて、丸1ページを割いて大絶賛しているコラム。今回の『新しい歴史教科書』では、その歴史観は、本文よりもこうしたコラムや脚注、写真の選択・レイアウト等の部分に顕著に表れている。

―――この記述を、あなたはどう受け止めますか?
素晴らしい、と感動する人もいるだろう。"教科書"でこれを読んだ子ども達が「そうか、家族のことより“お国のため”を優先するのが立派な人なんだ」という価値観を無条件に刷り込まれてしまうことを懸念する人もいるだろう。

■引用2:新旧両憲法制定時の描写(P.160〜1vs P.213)

まずは、今の「日本国憲法」制定時の記述。

  政府はGHQが示した憲法草案の内容に衝撃を受けたが、それを拒否した場合、天皇の地位がおびやかされるおそれがあるので、やむをえず受け入れた。

対する、明治の「大日本帝国憲法」制定時の描写。

  2月11日、大日本帝国憲法が発布された。この日は前夜からの雪で、東京市中は一面の銀世界となったが、祝砲が轟き、山車が練り歩き、仮装行列がくり出し、祝賀行事一色と化した。

日本国憲法の記述の"素っ気なさ"に比べ、明治憲法については"盛り上げムード"が際立つ。

―――この記述を、あなたはどう受け止めますか?
明治憲法の“自主独立”性と、今の憲法の"押しつけ"性を忠実に反映していて結構だ、という人もいるだろう。天皇統治の憲法が国民主権の憲法よりも歓迎されるものであるように描かれていて問題だ、という人もいるだろう。

さらに、日本国憲法の方の「衝撃」については脚注が付され、こんな記述がされている。

  交戦権の否認(のちの9条)などが書かれており、国家としての主体性を否定するものと、当時の指導者は受けとめた。

―――この記述を、あなたはどう受け止めますか?
「当時の指導者」が「受けとめた」という書き方に嘘はない、という人もいるだろう。わざわざ「9条は国家としての主体性否定」という注記を加えることに、教科書執筆者の"誘導"意図が滲み出ていて問題だ、という人もいるだろう。

一方の明治憲法の脚注には、同法下での選挙権に年齢・性別・納税額での制限があったことを紹介した上で、こう付記されている。

  この当時、イギリス、フランス、アメリカなどでも、身分や性別などの制限のない普通選挙は行われていなかった。

―――この記述を、あなたはどう受け止めますか?
《同じ時代》の日本と他国とを比べて、特殊ではない、と解説しているのは公平だ、という人もいるだろう。《同じ国》の過去と現在を比べて、現行法の優れた点を認識させるべきなのに、あえてこういう論法を選んで旧憲法を擁護しているのは意図的だ、という人もいるだろう。

このように、《部分》ごとに見るとどのパーツにも賛否両方の見方が出来るのだが、《全体》として見ると、日本国憲法にはネガティブな、大日本帝国憲法にはポジティブな印象を持つような読後感を、少なくとも私は持った。(その読後感自体にも、「だから素晴らしい」vs「それは問題だ」という見解対立が生じるだろうが。)

■引用3:アジアに広がる独立への希望(P.206〜7)

太平洋戦争(『新しい歴史教科書』では「大東亜戦争」)についての記述。まずは、「アジアに広がる独立への希望」と小見出しがついた箇所。

  日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への夢と勇気を育んだ。東南アジアにおける日本軍の破竹の進撃は、現地の人々の協力があってこそ可能だった。

この記述のある見開きページには、大きなコラムがふたつあり、「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」、「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」と題され、ともに極めてポジティブな話が並ぶ。

―――この記述を、あなたはどう受け止めますか?
ようやく「自虐史観」に陥らない教科書が現れた、と歓迎する人もいる。とても看過できない「戦争賛美」の教科書だ、と非難する人もいる。最も鮮明に賛否両論者が衝突しているのが、このあたりの文章表現だ。つまり、よく南京大虐殺で例示されたような、「書いてある事が本当か嘘か」というレベルの対立よりも、「コインの表裏のどちらに重点を置いて教えるべきか」という対立が中心だ、と捉えた方がよいだろう。

確かにこの教科書にも、(やや控えめな感はあるが)戦争についての否定的側面の記述もある。例えば、上記の一文の12行後には…

  この戦争は、戦場となったアジア諸地域の人々に大きな損害と苦しみを与えた。とくに中国の兵士や民衆には、日本軍の侵攻により多数の犠牲者が出た。

とある。ただ、その直後には、次のような肯定的な文章が続く。

  日本は、占領した東南アジアの各地では軍政をしいた。現地の独立運動の指導者達は、欧米諸国からの独立を達成するため、日本の軍政に協力した。

この後、再び一転して否定的となり…

  しかし、日本の占領地域では、日本語教育や神社参拝などをしいたことに対する反発もあった。連合軍と結んだ抗日ゲリラ活動もおこり、日本軍はこれに厳しく対処し、一般市民も含め多数の犠牲者が出た。また、…(中略)…現地の人々が過酷な労働に従事させられる場合もしばしばおきた。

そして最後は、次の一文で締め括られる。

  日本の南方進出は、もともと資源の獲得を目的としたものだったが、アジア諸国で始まっていた独立の動きを早める一つのきっかけともなった。

―――この記述を、あなたはどう受け止めますか?
○と×を併記していて公平だ、という人もいるだろう。×→○→×→○という巧みな順序で構成され、「こんな悪いことがあった。でもこんな良いこともあった」という肯定的な着地の仕方になっているのが重大問題だ、という人もいるだろう。

■引用4:GHQが培った戦争罪悪感(P.215)

私が最もひっかかるのは、「東京裁判について考える」という丸1ページのコラムの中の、「戦争への罪悪感」という小見出しの一節。

  GHQは、…(中略)…日本の戦争がいかに不当なものであったかを、マスメディアを通じて宣伝した。こうした宣伝は、東京裁判と並んで、日本人の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後の日本人の歴史に対する見方に影響をあたえた。

―――この記述を、あなたはどう受け止めますか?
事実をありのままに書いている、という人もいるだろう。しかし私は、子ども達がこの一文を読んで、「《戦争への罪悪感》というものは"当然持つべきもの"ではなく、"宣伝によって植え付けられる"種類の感情なのだ」、と考えるようになってしまうことが、より正しいとは到底思えない。

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■都教委の《早い》決定が持つ意味と影響

こんな具合に、色々と議論が分かれる教科書だから、一昨日の東京都教育委員会の採択決定も、さぞ話し合いは難航したのでは、と思いきや、6名の教育委員の全員一致で決定している。しかも、採択期日が早い!
去年(2004年)、都立で初の中高一貫校として話題を呼んだ白鴎高校附属中学校が開設されたが、ここでは、この『新しい歴史教科書』の旧版が採択された。(このときは、新設校ということで4年に1回の採択期日とは関係ない、臨時の採択作業だった。)その決定は去年の8月26日で、今回は、それより1ヵ月も早い。この《早さ》について、採択反対運動を進める市民グループは「ねらいは、『つくる会』教科書が、今月13日に栃木県大田原市で採択されて以降、全国で1ヵ所も採択されていない事態を打開しようとしたことにあると見ざるを得ない。」と声明を出して、警戒している。
実際にそんな思惑があるのかどうかはともかく、これから相次いで行われる都内の各市区町村の教育委員会の決定には、現実問題として大なり小なり影響が及ぶだろう。
最も注目されるのは、今から5日後=来週木曜(8月4日)に採択決定が迫っている杉並区。ここは、教育委員5人のうち4人が前回からの留任だが、当時の審議での発言から推測すると、この扶桑社歴史教科書に対し2人は肯定的、2人は否定的な見解の持ち主だ。つまり、その後着任した最後の1人(前・区長室長)が、採否の鍵を握る可能性が大きい、という拮抗した状況にある。
杉並と言えば、世界に広がった原水爆禁止運動の発祥の地だったりして、平和問題等には住民の関心が、もともと非常に高いというイメージのある地域だ。それだけに、採択を推進したい側から見れば、そういう地区で採択されれば、「あの杉並で通った」というシンボルにもなり、非常に弾みがつくわけだ。

■いまひとつ関心が高まらない一般市民

実際、区民のこの問題への関心はどうなっているのか。今月(7月)10日(日)、駅前署名運動の取材の時、通りかかった人達に声をかけてみた。まずは、ビラを受け取らず素通りした若い女性のAさん。

−あまり(この問題は)聞いたことないですか?

A:
そうですね、初めて聞きました。興味ないわけじゃないけど、自分のことで一杯すぎて、そういうことについて考えようとは思わなかった。

ビラは受け取ったものの、採択反対の署名はしなかった、幼い子連れの母・Bさん。

B:
どうなんでしょうね。両方の意見を一気に聞かないと、この場では何とも答えられない。そういう場を作ったらいいんじゃないですかね。

−読み比べてみないと?

B:
そうですね。

実は、この人が求めているような、「中身を比べる機会」は、あった。どこの自治体でも、採択検討対象の全教科書を閲覧できる場は用意していたはずで、杉並区の場合も、区内あちこちの図書館などで、それぞれ1週間ぐらいは展示していた。しかし、我々が取材で覗いた4ヶ所の閲覧会場は、いずれもパラパラとしか人がいない状態だった。そこまで教科書の吟味に時間をかけられる人は、現実問題として限られているのだろう。
引き続き、道行く人の声。今度は、かつてこのコーナーで紹介した劇団のメンバーだった、男性のCさん。

−区民はあまり(教科書採択問題に)関心がない?

C:
そうですね、知ってる人は知ってると思いますけど。

−あまり盛り上がっていないように見受けられますけど、何故なんでしょう?

C:
もう少し、新聞やテレビで大々的に取り上げられれば状況は変わると思いますけどね。

−報道が少ない?

C:
それが大きいと思います。

たしかに、4年前と比べると、報道は圧倒的に少ない。なぜだろうか。"初モノ"には飛びつくけれど、繰返しだとすぐ飽きる、メディアの悪い癖だろうか? それとも、4年の内に“時代の空気”が変わって、『新しい歴史教科書』が提起する歴史観は、それほど問題視されなくなったのだろうか?

もう一組。採択反対の署名をした中学生の女の子二人連れに、学校でもこの教科書採択問題を友達同士の話題にしているか、訊いてみた。

−学校でこういう話題って、したことある?

中学生: ないんじゃないかな?

−話題には出来そう?

中学生: 出来るかな〜。

−話題にしづらい?

中学生: 難しいよね、ちょっと。

子供だけではない。ある母親は、「PTAとして、教科書採択の決定方法を教育委員会に質問しよう」と提案したら、「政治的」だとして却下されたという。深く意見が対立するテーマなので、触れるのを避ける雰囲気があるのだろうか。

■そして、8月中には全てが決まる

そんな杉並区でも、関心を持っている人達は、非常に熱心に動いている。区民グループが集めている採択反対の署名は、(現時点で)2万3千人を超えた。今月(7月)初めには、住民の有志が『新しい歴史教科書』の不採択を求めて、東京地裁に提訴した。
しかし、この訴えは今週水曜(7月27日)に却下され、採択まであと5日と迫る中、反対派の間には危機感が募っている。採択直前の来週月・火・水(8月1日〜3日)には、リレー・ハンストを予定している他、8月4日の採択当日には、区役所をとりまく「人間の鎖」を呼びかけるなど、ボルテージは上がっている。
対する採択支持派は、そんな動きに対して、「静かな環境で教育委員に判断してもらおう」と牽制している、という状況だ。これからの5日間は、杉並区も日増しに熱くなりそうだ。

ただ、最後に繰り返すが、大詰めを迎えているのは、杉並だけの話ではない。今これをお読みの貴方の町でも、教科書採択が決められようとしている(または、つい最近決まった)はずだ。わが子や近所の子ども達が、これから4年間、どんな教科書で学ぶことになるのか? それを決めるのは、わが町の場合、誰なのか? 今からでも、ぜひ関心を持っていただきたい。

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