イラク人質事件で劇団が分裂する劇、まもなく上演

放送日:2004/10/9

パンフレット来週、東京でとてもユニークなミュージカルが上演される。ギリシャ喜劇『女の平和』(約2500年前に書かれた、実在する作品。戦争を止めるために奇抜な手段で立ち上がった女性達の話)を、今年の春にあるミュージカル劇団が稽古していた最中、イラクの日本人人質事件が起きたため、上演中止か否かで激論になる。―――という、その様子を描いたストーリーだ。

劇中の各役者のセリフを聞いていると、芝居だか本音だか境目が分からなくなる、斬新な筋書きだ。実際に劇団員達に取材してこの脚本を書きあげた、劇作家の篠原久美子さんに伺う。

−『リューシストラテー・この町で』という題名ですが、
  このタイトルの意味は?

篠原:
リューシストラテーは、『女の平和』の中で、戦争を止めようと皆に呼びかける主人公の女性の名前です。そして、『リューシストラテー』という言葉自体に、「軍隊を解く女」という意味があるんです。

−このリューシストラテーさんが、2500年前のギリシャで何をしようとしたのですか?

篠原:
これが、非常に笑えるのですが、女性達が自分の夫達に「戦争を止めなければ、セックスをしてあげない」という脅しをかけ、アテナイとスパルタの両方の町の女性達が共謀して、敵も味方も同じ場所に閉じこもってしまうんです。この喜劇は、実際にペロポネソス戦争が起きている最中に書かれています。

「セックスを人質にして兵の撤退を求める」喜劇の稽古をしていたら、「日本人を人質にして自衛隊撤退を求める」事件が本当に起きてしまった。こんなに現実を連想させてしまうような喜劇を上演しても良いのか、いや、中止すべきだ、と劇団の中でこんな激論になる。

脚本より抜粋―――

拓海: …だけど、自衛隊のは、人道復興支援ですよね? 相手のために行ってやっているのに、「撤退しろ」って言うのと、「戦争止めて」っていうのは、違うんじゃないですか?
旬子: 「相手のために行ってやってる」って、それ、本気で言ってるの?
拓海: だって、一生懸命サマワで水を作っている自衛隊に、「撤退しろ」なんて、頭おかしいだろ、そいつら。自衛隊は、戦争しに行っているんじゃないんだし。
紗子: アラビア語ではね、日本の自衛隊って“日本軍”と同じ言葉。イラクから見れば、軍隊なんだよ。
浩一郎: 俺、分かんないよ、お前の言っていること。イラクとか自衛隊とかじゃなくて、俺らがやっているのは、ギリシャ時代の芝居だろうが! 客は誰もそんな事考えて見てねぇぞ、絶対。
哲史: 客を馬鹿にしているのか?
旬子: でも、杏奈はこの人質事件が起こる前に、この本を書いたのよ。
哲史: 関係ないよ。観客の中から事件の記憶は消せない。
孝司: 津田ちゃんの言うとおりだよ。止めようよ、このミュージカル。時期が悪すぎる。タイミングが合いすぎだよ。やばいよこれ。
紗子: どういう事?
孝司: みんな、誰にチケット売ってるんだよ。大体、友達とか、身内、あとは親戚、会社、職場の人だろ?
旬子: だから?
孝司: 俺たちは、杏奈の書いた脚本の台詞を言っているだけだ。けど、客はそうは取らない。例えば、マコトが「戦争とめよう」って歌えば、お客は、本当にマコトがそう思っていると思う。
浩一郎: 役者なんだから、当たり前だろ?
孝司: プロの役者ならそう言えるよ。仕事なんだからって。けど、俺たちアマチュアが、頼まれもしないのに反戦の芝居なんかやったら、会社から…。
浩一郎: 何だよ、言えよ。
哲史: 反戦の芝居なんかやったら、会社から睨まれる。…そういう事か?

−あの当時、自衛隊のイラク派遣問題で、侃々諤々やっていた色んな意見が、それぞれの役者を通じて代弁されているわけですね。

篠原:
アリストパネスが『女の平和』を書いた時、アテナイのほとんどの市民は実際にその芝居を観ているんです。民主国家で、独裁者も居なかった。にも関わらず、結局2500年前も、その戦争は止まらなかったんです。その結果として、ペロポネソス戦争で、アテナイの街は滅ぶんですね。

そのことを考えると、2500年前から、反戦芝居などというものは、政治に何の影響も与えない。ところが結果的に、2500年後に残ってきたのは、演劇(言葉)の方であって、アテナイを滅ぼしたスパルタは、当時の形ではまったく残っていないわけです。この事実を、現代の反戦劇とリンクさせて書くことによって、現代の社会に何か問いかけるものが生まれるのではないか、と思いました。

それからもう一点。劇団の中に、実際にイラクにボランティアに行く人がいます。私たちは、テレビで爆撃シーンを見慣れていますが、もし劇団の仲間があの爆撃の下にいると思ったら、今までと同じ爆撃の映像としては見られない、心配の仕方が違うのではないか、そういう話を書こうとも思いました。

−そういうミュージカルの脚本を、篠原さんがもう少しで書き終える、という時期に、あのイラク人質事件が起こったんですね?

篠原:
本当に、どうしようかと思いました。しかもその後に、人質に対するバッシングがありました。あの出来事によって、《自分の命を掛けて、誰かを助けに行く》ということよりも、《他人に迷惑をかけない》ことの方がランクが上である、と日本人は思っているのだ、と分かり、私は大変ショックを受けました。おそらく、あのバッシングの構造はそこにあると思うのです。

私の友人の劇作家がよく言っている言葉ですが、「日本には《神》はいないと言われているけれども、《世間様》という神を持っている」。あのバッシングは、それを見るような思いだったですね。それで、芝居の内容を慌てて書き直すことにしたんです。

篠原さんの作品は、これまで、日本劇作家協会優秀新人作品や、文化庁の舞台芸術創作奨励賞佳作などを受賞している。そんな実績を持っている篠原さんが、ミュージカル集団『コーラス・シティ』から、劇団創立20周年記念として脚本を依頼されたのが、そもそもの発端だった。そんな経緯なので、テーマは決して「イラク」だけではなく、「アマチュア劇団の喜怒哀楽」自体も、もう1つの柱になっている。

例えば、こんな部分。アマチュア劇団には色々な職業人がいるわけで、先ほどの「会社に睨まれる」という話の後、会話はこんな風に展開する。

脚本より抜粋―――

美佳: 今どき、それは無いんじゃないですか?
孝司: 美佳はいいよ、看護士なんだから。だけど、普通の会社はそうじゃないんだ。
浩一郎: 大変だね〜、大企業に勤めていらっしゃると!
孝司: 人に使われたことの無いあんたには分かんないよ。
浩一郎: そういうこと言うんだったらな、こっちこそ、自営もやったこと無い大企業のボンボンに言われたくないよ。
孝司: ボンボン? リストラも職場いじめも知らないヤツが偉そうに説教するな!
…もう、やめよ。ちょっとなんか言っただけでさ、こんな風になっちゃうんだよ、こういう芝居は。ミュージカルなんだからさ、もっと歌有り、ダンス有り、笑い有りってさ、面白いことやればいいじゃん。な?
浩一郎: ミュージカル馬鹿にしてんのか?
美佳: 止めてくださいよ。おかしいですよ、みんな。ここ何処? 日本じゃないんですか? 日本って「言論の自由」な国じゃないんですか? こんな自主規制みたいな事、おかしいですよ。
杏奈: アマチュアだから出来ると思ったんだ、こういう芝居。プロじゃないから出来る…。違ったのかな。アマチュアだから、出来なくなっちゃうの?

−「アマチュアだから出来ない」とは?

篠原:
「イラク攻撃に反対して、『女の平和』を世界的に上演しましょう」というムーブメントは実際にありました。しかし、日本の“プロの劇団”は、何年も先まで予定が決まっているので、なかなかそういう呼びかけに即応できないんです。で、「アマチュアだったら出来るんじゃない?」って始めた事が、こういう事件が起こってくると、「会社に睨まれる」など、逆に「アマチュアだから出来なくなる」んですね。

−まさに《世間様》ですね。

このあと、ひとまず稽古は続く。しかし、この稽古をやっていく上で、もう1つ浮上する疑問が「ミュージカルでこんなことをして、何になるんだろう。意味を成すのかどうか」という事だ。《自分達が何かしたところで、何が変わるんだ》という素朴な疑問は、様々な市民運動や環境保護運動を躊躇している人達にとって、共通の思いかも知れない。そんな無力感について、篠原さんはこう語る。

篠原:
私は、(ピーターパン的な)「子供は空を飛べるんだよ」みたいなウソは罪深いと思っています。しかし、では「人間は本当に空を飛べないのか」というと、これは、科学のダーウィニズムの進化生物学の話なのですが、《翼を持たない全ての生物の中で、人間だけが空を飛べる》という言葉があります。つまり、子供じゃなくて、大人が空を飛ぶんです。

−飛行機や宇宙船といった方法でね。

篠原:
実験して、失敗して、設計図を書いて、何度も挑戦した人間が、夢だと言われていたことを実現させたんです。

ミュージカル集団『コーラス・シティ』が発行している機関紙『シティ通信』には、今回の芝居に込めたメッセージとして、「自分なんかには何も出来ないと思っているあなたに」という見出しが載っている。このフレーズは、劇団員全員の投票で選んだそうだ。

さて、先ほど引用した脚本の場面では、もめながらも稽古は進んで行ったが、次の場面は、それから1週間後。つまり、世間で人質3人の家族へのバッシングが始まり、「自己責任論」の世論が吹き荒れる中、劇団の中でも「やっぱり上演するのはちょっと…」という声が再燃して、また、もめ始めるシーンだ。

脚本より抜粋―――

拓海: 言っちゃ悪いですけど、真さんがイラクに行くっていうのも、この時期にどうかしていますよ。そんなに人に迷惑かけて、なんか、やっぱり勝手ですよ。
真: 俺、誰に迷惑掛けてる?
拓海: 何かあったら、みんなに迷惑が掛かるじゃないですか。
真: 拓ちゃんさ、1週間前、そういう事言った?
拓海: そりゃ、人質事件、起こる前と後じゃ、違います。
杏奈: 人質事件起こった後も言っていなかったわよ。真君が「子供の命助けるって約束したんだ」って言ったとき、「行くのは迷惑だ」って考えた?
拓海: その時は、「真さんは偉いな」って。でも、後から考えてたら、やっぱり勝手だって思ったんですよ。「自分で自分のことも守れないのに行くなんて勝手じゃないか」って。
浩一郎: ふ〜ん、後からね。
杏奈: 同じだね。ギリシャ時代、2500年前と同じ。独裁者もいなければ、誰からも強制されないのに、いつの間にか民衆が戦争を選んでゆく。
拓海: 俺、戦争が良いなんて言ってませんよ。
杏奈: 拓海君、丸腰で人を助けに行った人間を勝手だって責めて、武器を持って他の国に入った者をかばうのって、まるで、戦前みたいだと思わない?
拓海: 俺、そんなに難しいこと考えていませんよ。ただ、自分で自分のことも守れないのに行くのって勝手じゃないかって…。
真: 彼らは、イラクで自分自身がしてきたことで結果としては自分を守ったんじゃないかな。
拓海: 国に迷惑掛けたじゃないですか!
紗子: 世界の恥だな、その考え方! 私、海外の友達から、「日本人ってどうかしてるよ」ってメールたくさん来てる。
拓海: だって、俺、そう思うんだもん。
奈々: あ〜、もうヤだ、止めてよ! 私、そういう話、大っ嫌い!

−なんだか一層、混迷の度合いを深めた感じがしますが、この後どうなるんでしょうか?

篠原:
そうですね、それは観てのお楽しみということで。

実際、舞台の幕が上がってみないと、どうなるかはわからない。なにしろ、これを演じる『コーラス・シティ』の団員たちのメーリング・リストでは、今も「この芝居で私達が伝えたいことは《反戦》なのか?」といった根本的なテーマで熱い議論が続いているというのだから! 本当に、虚実入り乱れた、スリリングな試みだ。タイトルの末尾に付けられた“この町で”という4文字の意味は、実に深い。

篠原:
結局、お客様というものは、1人1人がそれぞれご自分の人生を背負って客席に座っていらっしゃるので、同じメッセージを投げかけたとしても、どんな感じ方をしていただいても良いと思うんです。

しかし、(もめている場面ばかりを紹介したが)全体を通して観ると、ミュージカルの夢を歌いあげているシーンなども沢山あり(劇中挿入歌21本)、「これぞ、創立20周年記念公演!」という感じだ。実際に高遠菜穂子さん・今井紀明君にも会って話を聞いて、大いに考えたというアマチュア集団の彼らが、どんなステージを見せてくれるか、楽しみだ。

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ミュージカル集団『コーラス・シティ』創立20周年記念公演『リューシストラテー・この町で』は、来週10月15日(金)、16日(土)、17日(日)の3日間、東京・江戸川区の総合区民ホールで上演される。

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